集結と終結
すみません、前半はライラ視点の続きです。
「アイル…… ?」
ライラは目をパチパチとさせる。涙のせいで顔がよく見えない。目を擦って、それからもう一度見てみた。
「遅くなったな、ライラ」
そのちょっと無愛想に映る顔、その存外に優しい声。それらは紛れもないアイルのものであった。ライラは息をするのも忘れ、彼の顔をまじまじと見つめる。
「本当に、本当にアイルだ…… よかった……」
涙がまた溢れた。だが、こんなに心地の良い涙は初めて流した気がする。
半ば放心状態の皆の視線をよそに、アイルは入り口の方、つまりライラのいる方向へ歩いてくる。再会できた喜びで抱きしめてくれるのではないかと少し期待したが、どうやらそうではないらしい。
よく見れば、彼は背中に誰かおぶっている。それがソフィアの華奢な身体だと気づくのに時間はかからなかった。
「ソフィアさんも無事ーー」
アイルは、ソフィアをタイロンの近くに横たわらせた。ライラはギョッとする。
かなり血が出ていた。そして、息はとても浅い。外傷だけならタイロンより遥かにひどいその有り様に、レナードたちが「ソフィア様!」と慌てて駆け寄ってくる。
それが済むと、なんとなく澄ました顔でアイルは振り返った。
「すみません。俺が不甲斐ないせいでこんなことに。ですが、まだ間に合います。レナードさんとノエルは万が一こちらに攻撃が飛んで来たらそれを迎撃してください」
「それは、アイルを援護するってこと…… ?」
ノエルがおずおずとした様子で聞く。
「いや。アーテルについては、俺一人だけで十分だ。ただ、何があるかわからないから、自衛できるように備えていて欲しい」
「ま、待て! あの黒い魔法…… あれは君がやったのか? あんな魔法、今まで見たことがないぞ? 君は身体強化の適性者じゃなかったのか? ソフィア様は一体何に…… 下では一体何があったと言うんだ?」
ようやく我に帰ったレナードが、頭に堆積してたであろう疑問を矢継ぎ早に投げかける。
「折角の再会のところ悪いですが、悠長に話している暇なんてありませんよ。ほら、気色の悪い邪魔者がまだ残っています」
アイルがアーテルの方を顎でしゃくる。
先ほどの彼の魔法により、全ての触手はその大部分を喪失していた。凡百の魔物であればそれは死に直結するが、あのアーテルにとってそれはほんの一過性の状態に過ぎない。残った触手の根本が沸騰したように泡立ち、瞬時に黒い肉が生成され、元の大きさへと戻った。
「あれだけのダメージを受けたのに、まだ再生できるのか…… ?」
レナードの声は絶望感に満ちていた。
「テオス××°%○$・ニンゲン8|\*!」
「化物め」
そう嫌悪を漏らすアイルだが、反して横から覗くその口元は綻んでいるように見える。
何か変だ。ライラは直感する。半年間、風呂とトイレ以外ほとんどの時間を共に過ごした彼女だからこそ、その異変は見過ごすことができなかった。
「アイル!」
ライラは叫んだ。今は火急の事態。それはわかっているが、どうしても聞きたかった。
アイルはこちらを向きはしないものの、動きを止め耳を傾けているようだ。
「本物のアイルだよね…… ?」
言ってから、自分でも馬鹿げた質問だと思い俯く。
「何を言うのかと思えば…… 俺は俺だ」
そう言い残すと、アイルは一歩、電光石火の如くアーテルに向かって飛んだ。
まだ涙で視界が霞んでいたからだろうか。ライラの目には、彼の顔がどこか冷たく、別人のように見えていた。
「×〒々〆○*・#°!!」
醜い雑音が鼓膜を揺さぶる。
二本の黒い触手がアーテル本体を守るように覆いかぶさった。そして、上下左右からは残りの触手が彼のちっぽけな身体を狙う。
「串刺しか? それとも圧殺?」
アイルは愉快そうに言う。いや、実際今はすこぶる愉快なのだ。
自分の黒魔術を皆に見られてしまったのに。
上からの振り下ろし。彼は空中で身体を地面と並行にする。そして、触手の側面を踏み台にし、軽々と横に跳んだ。
だが、避けた先では他の触手が待ち構えている。さらに、反対側からも触手が。挟み込んで潰してしまう気らしい。
「まったくーー」
アイルは進行方向上の触手に手を伸ばした。頭は恐ろしいほどに冴え渡り冷静だ。"力"が急速に圧縮され、思い通りの形に変わっていくのがわかる。
真っ黒な力の奔流。それが巨大な触手を一瞬のうちに喰らい尽くしていった。その光景は、まるで触手同士が共食いしてるみたいで、自分でも忌まわしい感を禁じ得なかった。魔法が消えると、そこには壁に空いた風穴以外何も残っていない。
彼はすぐさま後ろを向く。もう一本の触手は既に目の前。だが、さすがに再度あの魔法を放つには時間が足りない。彼は身体を回転させ、その勢いで触手にかかと落としを見舞った。人間の数十倍はあるそれは、超巨大なトンカチにでも殴られたように大きく窪み、下へと落ちていく。
「随分と拍子抜けな包囲網だ」
アイルは先んじて総評を告げた。当然満足度は低い。
最後の一本。下からの突き上げが来る。
アイルはそれに足が触れた瞬間、姿勢をかがめ、触手を思い切り蹴飛ばした。その反動で、前へと加速する。一足遅れて、後方から四本の触手が追いかけてきた。
アーテル本体まであと少し。
別にこんなまどろっこしいことはしなくて良かったのだ。ここまで接近せずとも、ライラたちのいるところから黒魔術で十分仕留められた。
では、なぜ。簡潔に説明すると、この間だけ愉悦に浸ることができるのだ。その理由まで追及されるとちょっと答えに窮するが、とにかく自分が強者であることを実感できる今が、ひどく気持ちいい。
「弱いなぁ」
アイルは後ろを向いた。自分の命がかかっているというのに、馬鹿にのんびりとしているものだ。彼は可笑しくて吹き出しそうになるのをどうにか堪えた。実際は、視覚強化により遅く見えているだけなのだが。
「健気に追ってくるのはいいが、急がないと、本当に死んでしまうぞ? ほら、もっと頑張って。ちゃんと自分を守らないと……」
アイルは触手の群に向かって、自分の首に親指を立て首を切るジェスチャーをした。
「アイル! 後ろ!」
陸地から、小さくライラの声が聞こえてくる。
「ん?」
なんだろうと振り向いてみる。
すると、眼前に広がっていたのは一面の黒。本体を固く覆っていたはずの二本の触手。それがいつの間にやら解かれていたらしく、すでにアイルの目の前に肉薄している。
「これはまずいな」
「○*・$¥€%°#!!」
次の瞬間、それに頭を撫でられ、彼は暗闇へとはたき落とされた。
「アイル!」
今度は他の皆も叫ぶ。
だが、それは無用な心配だ。
「ふ、さすがにちょっと痛い」
アイルは生きていた。のみならず、目立った傷も受けていない。少し脳みそが揺れ動く感じはするが。
アーテルの方も早々にそれを感知したようで、いくつもの触手が荒れ狂う波の如く押し寄せてくる。まさに地獄絵図。しかし、彼にとってそれは、天から差しこんできた光明に他ならなかった。
「お出迎えどうもありがとう」
腹を貫かんとする最初の二本を、アイルは難なくかわした。
それらはそのまま真っ直ぐ暗闇を掘り進んでから、身体を曲げまたうねらせ再び上昇してくる。さらに、上から、前後左右から。ありとあらゆる方向から、一斉に触手の切っ先が迫る。
すぐ真横には垂れていた触手。ついさっき、空振りに終わったものだ。
アイルはそこに五本の指を突き刺した。温かく粘り気のある、泥が流動してるみたいな感触が伝わる。落下速度がかなりあったため、停止するまでに触手の外皮を一メートルほど引き裂くことになったが、上を向くとすでに再生の波が彼の指まで届こうとしていた。
「簡単に死なないわけだ」
アイルはその指を起点にして、片腕に力を入れ大きく上へと飛び上がった。
下から猛烈なスピードで触手が追いかけてくる。なんだか焦っているみたいで滑稽だった。それも当然だ。格好の獲物だったものが、いつのまにか最大の脅威へと入れ替わったのだから。
頭上から最後の護衛とも言うべき触手が。しかし、たかだか一本で今の彼を封殺できるわけがない。
「さようなら」
責務を全うできず、アイルの横を通り過ぎていく触手をそう見送った。だが、それから「ああ」と一人で何か合点する。
彼の身体はぐんぐん上昇し、そして、ようやく暗い穴を脱した。
「挨拶する相手を間違えた。今度こそ、さようなら」
アイルは手をかざす。
アーテルの本体は壁を離れ、こちらに飛びかかろうとしていた。しかし、それを守るものはもう何もない。全くの無防備状態。
「*××€°%○」
また理解不能な鳴き声だ。しかし、アーテルの、大半を黒で塗られた顔には荒々しさが微塵もなく、逆に恍惚として感嘆しているようにも見えた。
一秒にも満たない間、アイルはその意味について考えようとしたが、すぐにやめた。なんでもいい。弱いものは淘汰され、強いものだけが繁栄する。それだけだ。そんな当然の自然の摂理が、さっきから頭に鉄錆のようにこびりついて離れない。
自分は一体どうしてしまったのだろう。
気づいた時には、アーテルの胴体は破裂せんばかりに膨張していた。
「なんだ…… ?」
「°#%…… $€〒÷……」
その声は一段と低く、息苦しそうなガスを含んでいた。膨らんだ身体からは、黒い光が明滅している。
「こいつ、まさか…… 」
そうか。さっきのアーテルの表情は、そういう意味だったのか。
魔法を発動する。それと前方から耳をつんざくような爆発音が轟いたのはほぼ同時だった。




