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分断⑥ 兆し

 「なんですか、この揺れは」


 大きな揺れに、ウィリアムは攻撃の手を止め怪訝な表情を浮かべる。

 もちろん、アイルも何が起こっているかさっぱりだ。隠し階段が現れたあの時の揺れとは違う気がする。小刻みに揺れの大小を繰り返しているのだ。地響きは徐々に大きくなってきている。

 よくわからないが、これは天が気まぐれに与えてくれた好機ではないか。相手は自分が獲物を追い詰めたと、慢心しきっている。逃げ場を失い、こちらが袋小路なのは紛れもない事実だが。

 考えろ。この檻から脱する方法を。殺生などせずとも、困難を乗り切る術を。

 しかし、次に起こった事態に、アイルの考えは一気に霧散した。


 「あ……」

 

 アイルはようやく理解した。同時に強く恐れた。

 遅れて、ウィリアムがまさかというように後ろを向く。顔は見えないが、恐らく彼もアイルと同じ顔をしているだろう。


 「アーテル!? なぜここに!」


 ウィリアムの絶叫が全てだ。

 通路の奥を埋める黒。黒い触手が周囲の壁をおかまいなしに掘削しながら、おそるべき速度で突っ込んで来ている。震源は、うねりながら進む巨大なそれに相違ないようだ。


 「まさか、奴も狙いは同じということか!」


 アイルにはそんなウィリアムの声が遠くから聞こえるようだった。というのも、アイルの恐怖の根源は、あの絶望的な光景そのものにはない。


 「なんでアーテルが下に…… ? ライラは? 他のみんなはどうなったんだ…… ?」


 呆然としているアイルの手足に黒い線が巻きつく。


 「そこで大人しくしていてくださいね」


 拘束されてしまった。身体強化で抜け出そうにも、びくともしない。かといって、こんな地下で"力"の出力を百にすれば、どうなるかわからない。

    

 「まったく、貴様なんぞに重要な個体は渡しませんよ」


 アイルの真横を、黒い数十本の線が通り過ぎていった。さらに、ウィリアムは追加で黒い球体を総動員する。

 触手の黒に、小さな黒たちが吸い込まれていく。貫通したのかさえわからない。いや、貫通している。触手の先端から、同じ色の淀みきった液体がぴゅうと噴き出しているのが辛うじてわかる。


 「効いていませんか。随分と厄介ですね」


 猛攻を受けながらも、触手は速度を緩めることなく突進を続ける。ウィリアムとの距離は残り約十メートル。だが、彼ははその場から逃走を図ろうとはしなかった。


 「ですが、これで終わりです。さようなら」


 ウィリアムの落ち着き払った声を合図に、触手の様子が一変した。

 身体をびくびくと痙攣させたかと思うと、急に減速し始め、彼のすぐ前でついに動作を完全に停止したのだ。

 何をしたのか。呆然と眺めていると、触手と壁にできたわずかな隙間。そこを、幾つもの黒い線が通っているのがわかった。あの球根を体内に埋め込み、内側から爆裂させたのだと推測できる。

 ウィリアムは前に進み、何の躊躇もなく触手に手を置いた。


 「ふ、死んだみたいですね」


 そんなことがわかるのか。ウィリアムはこちらに振り向いた。


 「何の手出しもせず、大人しく待っていてくださったみたいで。アイル様、ご協力いただき、どうもありがとうございまーー」


 ウィリアムの動きが止まる。その目は驚愕のためか大きく見開かれていた。そして、その胸の中央から覗くのは黒い突起。


 「馬鹿な。マナの動きは、停止していたはずなのに。まだ生きていたのか……」


 苦しげに肩を揺らし、そして、数回咳とともに口から赤い飛沫を撒き散らす。


 「私としたことが、こんか下等な生物に……」


 それを最後に、ウィリアムの身体がこちらに勢いよく飛んで来た。無論、触手が放ったのだ。彼の身体は嫌な音を立てて、すぐ近くの壁に激突する。

 どうなったのか確認しようとしたが、視界に彼の姿が入った途端に、思わずアイルは目を背けた。


 「……」


 赤い液体を滴らせる触手の先がアイルに向く。次の獲物は彼だ。

 幸い、先ほどの拘束具は外れていた。


 「消えろ!」


 触手の先端が黒い炎に包まれる。黒く揺れる幕の向こうでは、触手が必死にジタバタしているのが伝わってきた。それはすぐに止んだ。

 異臭を放つ煙の中から現れたのは、先端から数メートル削れた真っ黒な断面。


 「よし、今度こそ……」

 

 しかし、それで終わりではなかった。


 「なっ…… 嘘だろ!?」


 焼きただれた触手の表面が、ぶくぶくと泡立ち新たな先端部位が芽を出したのだ。

 左右に微動した触手は、一気に体当たりしてくる。アイルは慌てて後ろは飛び退った。


 「インフェルノを食らったのに。不死身なのか…… ?」


 そんなアイルの視界端に倒れているソフィアが映った。

 次の攻撃が来る。

 彼はすぐさまソフィアを担ぎ、触手とは反対側へ走り出した。彼女の怪我への負担を配慮しつつ全速力で走るが、触手との差が開く気配はない。


 「みんなは……」


 ソフィアのほとんど息のような声が耳に届く。


 「大丈夫です。絶対」


 「ごめんなさい、私のせいで……」


 今日で何度謝罪の言葉を口にしたのか。アイルは何と返せばいいかわからなかった。

 気が滅入りそうな轟音を背に受け続け、坑道のような狭い道をひたすらに進んでいく。その内、何度か振り返ってインフェルノを放った。しかし、触手の再生力はそれを上回り、全てが無意味に終わった。おそらく、触手全体を一気に消し去らない限り結果は同じことだろう。

 本当に勝てるのか。疑念が焦りを生み、段々と絶望の片鱗を見せていく。


 「はあはあ…… 早く、上に行かないと……」


 うわ言のように呟く。


 「このままじゃみんなが……」


 「みんな、どうなったの…… ?」


 ソフィアが反応する。


 「まだ上です……」


 「そんな…」


 希望を失ったようなその声が、アイルの肩にどしりとのしかかる。


 「もう、間に合わない、のかな……」


 「間に合います! 俺はみんなを助けます、絶対に!」


 「ローズ…… 私にもっと力があれば…… また、誰も守れないよ……」


 ソフィアの声は、泣いているのか痛みに苛まれているのか、喘ぐように途切れ途切れだった。それに、彼女の言葉はそっくりそのままアイルに当てはまることだ。自分の不甲斐なさに胸の辺りがじわりと熱くなる。


 「くそ…… もっと、力があれば…… うわっ!」


 片足の先に重い何かが引っかかった。下を向くと、触手の先が巻きついているのがわかる。アイルはそのまま前のめりに倒れた。おぶっていたソフィアは、彼の少し前に転がる。


 「く、来るな!」


 近づく触手にインフェルノを放つ。しかし、それは死までの時間をほんの一瞬長引かせたに過ぎない。

 すぐに新しいのが生え、ぬめりとしたそれをゆっくりと近づけて来る。だが、すぐにトドメは刺されない。まるでアイルをどう食おうかを見定めているようだった。


 「俺はライラと普通に生活したいんだ。それなのに、どうして、こんなところで……」


 アイルは半ば諦めたように言う。


 「力があれば……」


 もっと力があれば。心の中で強く強く叫ぶ。

 すると、頭の中で例の囁き声がざわめき始めた。不明な言語。それは突然自分の声へと変わった。

 気に食わなければ全て壊せば良い。目の前に立ちはだかるもの、その悉くを蹂躙すれば良い。なぜ、それをしないんだ。至極簡単なことだろうに。


 「そんな力、俺には……」


 自分へ回答する。いよいよ精神が追い込まれているのかもしない。

 声はまた聞こえた。

 "力"なら、生来ずっと肌身離さず持っているだろう。それを使えばいい。


 「だめだ。力の調整もできないし、使える魔法の種類も全然ない」


 また、声。

 お前はまだ何もわかっていない。さあ、前を見ろ。お前の目の前には何がある。どうしてお前が逃げる必要がある。なぜお前が理不尽を被らなければならない。破壊しろ、全てを。粉々に、完膚なきまでに。


 「全て破壊……」


 "力"が急速に溢れてくるのがわかる。それは見たことのない形に変容した。出力の調整は驚くほど容易だった。


 「俺の…… 俺の邪魔をするなぁぁぁ!」


 音が消えたように錯覚した。黒い触手は、さらに巨大で邪悪な漆黒に呑まれて行った。

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