分断②
頭上に見えていた明かりが、どんどん薄く小さくなっていく。
アイルはソフィアの身体をしっかりと掴んだまま、視界の効きづらい辺りを懸命に目を光らせた。だが、先ほどの触手を伸ばしていた本体は、暗闇と同化しているのか全く見えない。触手だけでも、人間の身長を遥かに超えていた。それが何か攻撃を仕掛けてくる様子もなく、こちらを凝視しているのかもしれないのだ。しかし、それならばとアイルは一旦アーテルのことは棚上げする。目下の最優先事項は、無事に着地すること。
「くそっ! どうすれば……」
しかし、さすがのアイルも空中では手も足も出ない。
その暗闇は次第に自分の身体すらも飲み込んでいった。今では、真上に等級の大きい微弱な星みたいなのが浮かんでいるだけだ。
風を切る音。耳元で鳴る鼓動の音。ソフィアの体温。
心細さに似た恐怖が心を侵食していく。
いくら強力な身体強化とはいえ、これだけの高さ。地面についた部位から順に、身体がぐちゃぐちゃに変形するかもしれない。仮にアイルが耐えられたとしても、身体強化を施していないソフィアの命運は絶望的だ。
「ごめんなさい…… !」
ソフィアの小さな声。続いて、さらにか細い声で「ローズ」と聞こえた。もしや、一寸先の死を悟り、一足先に走馬灯でも見ているのではなかろうか。しかし、アイルの肩と腰に回ったソフィアの手は、その運命を拒絶するようにがむしゃらに握りしめられていた。
それがアイルに気力を持たせたのも事実。彼は再び生きる術を考えることに集中した。
「あれは……」
アイルは光を見た。まだ、かなり下の方。壁にできた亀裂から、光が漏れ出しているのだ。あの壁の向こうには何かしらの空間が広がっているらしい。
「ソフィアさん! 氷を! 下の方に出せませんか!」
「え、どういうーー」
「急いでください! 死にたくないなら、真下に氷を!」
「わ、わかった!」
暗闇の中、アイルは自分の肩に置かれたソフィアの片手が離れるのを感じた。魔法の発動態勢に入ったのだ。
方向の感覚が鈍り、瓦礫の間から漏れ出した光が、物凄い速さで上がってくると錯覚する。急がねば。あれを逃せば、死は確実なものとなる。
と、その時、アイルの耳が氷が生成される微かな音を捉えた。目を細めると、漏れた光を反射し、氷の表面が僅かに輝いているがわかる。
「できたよ!」
「よし! 掴まってください!」
ソフィアの手が、再びアイルの肩を強く握った。
「どうするの!?」
「飛びます!」
「え?」
アイルは身体をひねり、思い切り暗闇を蹴飛ばした。確かな硬い感触。ソフィアの悲鳴を置き去りにして、彼らの身体は光へと一直線に突っ込んでいった。
アイルの後頭部は今や鉄塊並の硬度がある。ヒビだらけの脆い岩壁が音を立てて崩れ去り、直後、アイルの背面が硬い地面に衝突した。
「ぐぅっ!」
前後から急激に質量が加わり、肺に溜めていた空気が情けない声とともに漏出する。しかし、意識はある。身体は痛むが、身体強化のおかげで難を逃れたらしい。
「私、生きてる……」
ソフィアの声が、ごく近くで聞こえた。彼女の顔は息のかかるくらい近かった。
「そ、ソフィアさん、離れもらっていいですか?」
アイルは今更ながら、女性に抱きつかれていることに強い羞恥を覚えた。しかし、ソフィアから返事はなく、放心したようにこちらを向く目をパチパチとさせていた。
恥ずかしさに加え、今はライラの身が心配でもある。急いで上に戻らなければならない。身体をよじり、強引に引き剥がそうと決心したアイルだが、今度は彼自身も思考停止に陥った。彼女の瞳が潤んでいたのだ。
「ソフィアさん…… ?」
涙はついに一杯になり、大粒の水滴が長いまつ毛を濡らして、白い頬を滑っていく。
死から逃れられた事への喜びか、先ほどの発言との関連なのか。とにかく、今目の前で泣くソフィアは平素の、母親の如く気丈に振る舞う彼女ではなかった。否、時折そういう兆しはあった。その脆さがここに来て決壊し、こうして表に出てきたのかもしれない。
こういう場合、アイルは気の利いた、悪く言えばキザな行動は取れない性分だ。彼はソフィアの気が済むまで、ハンカチ役に徹するのが最善だとじっとしていた。
「ごめんなさい、私のせいでこんなことに……」
目元の水滴を指で拭きながら、ようやくソフィアが嗚咽混じりに口を開く。
「あの、とりあえず、離れてくれませんか…… ?」
「ご、ごめんなさい…… !」
ソフィアは慌てて身体をどける。別に彼女は重くなかったが、その時アイルはひどく開放的な気分になった。
アイルは自分の顔色を悟らせまいと、すぐさま穴の穿たれた壁の方に行く。顔を出して見上げると、満月のような明かりが。
「一体何十メートル落ちたんだ…… ? それに、下はまだ続いてる……」
「どうしよう。みんな今頃、あの魔物と。私のせいで、こんなことに……」
「ソフィアさんの魔法で、ここから一気に上に上がれたりしませんか?」
「一気にはさすがに…… 簡単な足場を作るくらいならできるけど……」
確かに足場を作ってもらえれば、いずれは上にたどり着ける。しかし、その道中、どこかでアーテルが息を潜めているかもしれない。おぼつかない足元とこの暗闇では、以前戦ったスキア・サラマンダーの時よりたちが悪いと言える。途中で足場を崩されでもすれば、次こそ助かる見込みは無くなるだろう。
「ごめんなさい……」
なんだか別人のように平謝りを続けるソフィア。
「とりあえず、ここから上がれる道を探しましょう」




