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ソフィアの過去

 アイルたちは、それからすぐに氷晶の薔薇本部へと戻った。

 本部には、既にレナードたちが戻っていたが、ソフィアの姿がなかった。レナードに聞いてみると、用事があって薔薇園を訪れているとのこと。白翼の剣との協約の件については、一応万事順調に進んだらしい。それは吉報なはずなのに、彼らの表情がやけに判然としない風だったのが気にかかったが、詳しい話はソフィアが戻るまでお預けとなった。アイルは先ほどの出来事を打ち明けるべきか悩んだが、収穫らしい収穫もなかったから、言わないという選択を取ることに。

 今はとりあえずソフィアの帰りを待とう。

 


 生まれたばかりの人間というのは誰しも、心のうちに、真っ白で純粋無垢な花が植えられている。何の汚れも淀みもなく、また目を引くような装飾の一つもない。完全なる白。それは日々の生活の中で徐々に、実に様々な色彩で染まっていくことになる。例えば、人助けをしたとしよう。そうすると、花は鮮やかな黄色で塗られるのだ。これは自分が自分に無意識の内に与えた勲章であり、誇りである。そして、これは周りから可視化される、いわゆる体裁とは別で、自分のみが閲覧可能で主観的に彩られるものなのだ。この様々な色付けの過程で、人は暗々裏の内に自己を確立していき、えてしてそれを汚すまいと薄氷を渡る思いで生きていく。しかし、果てしない死までの間、刹那の不注意が花を台無しにしてまうことがある。

 今、ソフィアの目の前には、彼女に顔貌のよく似た少女の姿が鮮烈に浮かび上がっていた。場所は、懐かしく忌まわしい、あの古ぼけた家の一部屋。表面がボロボロになった小さな机と、少し変色し始めた布団代わりの布切れ。


 「お姉ちゃん」


 「どうしたの?」


 「私もいつか、お姉ちゃんみたいにすごい魔法使えるようになりたいな」


 「なれるわよ。なんて言ったって、私の妹だからね」


 「うん!」


 哀しいほど健気に、その顔に大輪の花を咲かせる少女。それはまだ何にも染まっていない、まだ何も知らない白であった。それはこの家で唯一存在する清廉さなのである。

 対照的に、この頃からソフィアは、自分でも気づかぬ内に罪の色に染まっていくのであった。


 「ねえ、お姉ちゃん?」


 また違う日、少女が聞いてくる。


 「どうしたの?」


 「私、本当になれるのかな…… ? お姉ちゃんみたいに」


 「大丈夫。たくさん練習すれば、絶対に上手くなるから」


 「本当に…… ? 約束する?」


 「ええ、約束するわ」


 そうやってまた、根拠もない、少女を安心させるための姑息な嘘で間に合わせる。そうして、薄汚れた自分の小指と、少女の透き通った白い小指を交わらせるのだ。

 もう随分前から、ソフィアは気付いていた。少女は"劣性"を受け継いでいて、それはどんな努力をしたところで"優性"であるソフィアの域に至ることは万が一にもないと。しかし、この時、優しい嘘は少女から絶望を遠のかせ、それが彼女の身を守ることに繋がると信じて止まなかったのだ。

 それが人生で一番の罪になるとは知らず。


「ソフィア?」


 遠い場所から、おぼろげに自分を呼ぶ声が聞こえた。それは、愛しい少女の声に変換され、呪いのように心を締め付けてくる。そして、その声は、自分の心に咲いた、虫に喰われみすぼらしい、黒々とした花を否応にも見せつけてくるのだ。


 「ローズ……」


 ソフィアはうわごとのように呟いた。


 「ねえ、ソフィア?」


 今度はハッキリと聞こえた。これは少女の声などではない。


 「あれ、私……」


 「どうしたの? 何か元気ないみたいだよ?」


 声の方へと顔を向けてみると、心配げにこちらを見つめる少年の瞳が、ちょうど同じ目線にあった。


 「ヘンリー…… あ、ううん! 何でもないの…… ちょっとボーッとしてたみたい。それより、この部屋は入っちゃダメって、言われてるでしょ?」


 ソフィアは柔らかな口調で優しくたしなめる。ここは、薔薇園の中でも、色々と重要な物が保管されている一室で、通常子どもは立ち入り禁止だ。


 「ごめんなさい…… ソフィア、全然戻って来ないし、鍵開いてたから」


 そう言われて、ふと時計の方を見ると、既にこの部屋に入ってから一時間が経過していた。ソフィアは、その間ずっと椅子に座り、上の空になっていたらしい。


 「そうだったの。私の方こそごめんね、心配かけて」


 「本当に大丈夫なの? 最近、全然こっちに来てくれないし。それに、ソフィアもみんなも怖い顔してるから…… 何か大変なことがあったとか?」


 ソフィアは内心どきりとした。子どもというのは、感受性豊かで、こういう他者の機微に気付きやすいことがある。薔薇園の子どもたちには、今氷晶の薔薇が直面している危機について、何も話していない。


 「大丈夫。今はちょっと忙しいけど、すぐにいつも通りの生活に戻るから」


 「本当に?」


 「ええ、本当よ」


 ソフィアは無意識の内に立てていた小指を、気づかれぬようそっと隠した。

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