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蜘蛛の糸

  「入れ」


  レイリーが言う。


  「失礼いたします」


  聞こえてきた男の声に、リンシアは胃がムカムカするような嫌悪感を覚えた。

  扉を開け、入ってきたのは初老の男。頭髪が一本もない肌色の頭に、切れ長の細い目。烈風焔刃の副リーダーにして、レイリーを狂わせた張本人、ウィリアムだ。

  彼の視線がぬるりとリンシアの方を向く。その全てを俯瞰し、地に這う虫ケラでも見るような瞳に、彼女は堪らず視線を逸らしてしまう。


  「おや、これはこれはリンシア様。失礼しました、談笑の邪魔をしてしまいましたかな?」


  気色の悪いねっとりとした口調でウィリアムが尋ねる。


  「いや、ちょうど終わったところだ。それで、用件は?」


  「はい。件の作戦ですが、先ほど進軍の準備が整いました。いつでも出発できますが、いかがいたしますか?」


  「わかった。あまり時間が経ちすぎると、他のギルドに勘づかれるかもしれない。十分後に出発しよう」


  「かしこまりました」


  ウィリアムは深々と頭を下げる。


  「ふふ、あのエフスロスの一拠点を壊滅させたとなれば、烈風焔刃は向かうところ敵なしでしょう」


  糸のように目を細め、目尻に何重にもシワを寄せるその笑い方は、まさしく悪役のそれだった。


  「ああ。国から緊急の依頼が出されるほどだからな。この効果は絶大だろう」


  レイリーは乾いた笑みを浮かべる。


  「と言っても、敵と呼べるのはあの氷晶の薔薇だけだがな。その敵も、無駄な慈善事業が足かせになって、まともに人員確保もできてないらしい」


  二人だけの会話に、よっぽどリンシアは退散したかったが、その機会を完全に逃してしまった。彼女は部屋の隅で、目の前の獣がこちらに興味を示さぬよう、ひたすら息を潜めていた。


  「まったく、滑稽ですね。体裁を気にしたのか、王者の余裕だったのかは知りませんが、自らの養分を無償で他者に分け与えるなんて」


  「ふっ、あの薔薇が枯れ果てるのも時間の問題だな」


  「ええ。やはり、真の強者は周囲に溢れる凡百の弱者などに目もくれず、ただ己の道を突き進むもの。レイリー様には、その素質がある。あなたは、いずれこの国を牛耳るほどの力を持つことになるでしょう」


  口から先に生まれたと思うほど、よく喋る男だ。

  側から見れば胡散臭さ満載だが、レイリーは上機嫌そうに何度もうなずいていた。その姿はまるで、ウィリアムののたまう高尚な戯言に期待を膨らませ、それに心酔しているようだった。


  「して、先ほどはお二人で何のお話をしていたのでしょうか?」


  「ん? ああ…… 俺たちが更なる高みへ行くための作戦についてだ」


  「差し支えなければ、このウィリアムにも、そのお話聞かせてはくれませんか?」


  アイルの件については、まだ他の人間に口外していない。

  リンシアは直感した。ウィリアムにだけは、その話をしてはならないと。全てが悪い方向に流れてしまう気がする。

  どうにか話を逸らさなければ。だが、意に反して彼女の口は頑なに開こうとしない。もし、彼らの気に触れば自分の立場が危うい。自分の居場所はここにしかないのだ。

  ふいに、強い無感動(アパシー)状態へと陥った。そこまでして、アイルを庇うことに何の意味があるのか。そもそも、なぜ彼に興味を抱いていたのか。


  「…… 悪いな。ウィリアムであっても、これはまだ言えない」


  「なるほど。私的な話なのですかな?」


  「まあ、そんなところだ。だが、その内お前にも教えてやる」


  「それは楽しみですね」


  ウィリアムは言葉通りの表情を浮かべる。


  「さて、そろそろ行くか」


  「はい」


  レイリーは机から足を下ろし、腰を上げた。そして、ウィリアムと共に扉へと向かう。そして、扉の前まで来て、思い出したようにこちらを振り向いた。

   

  「リンシア、わかってるな? 余計なことを考えず、しっかりと任務を遂行しろ。失敗はするなよ」


  「う、うん、わかった……」


  扉がパタリと閉まる。

  リンシアは人知れずため息をついた。それは、運良く危機が去ったことに対する安堵と、自分の保身を最優先にした嫌気によるものだ。


  ウィリアムと初めて会ったのは、五ヶ月ほど前。

  啓示式を終えたレイリーとリンシアは、早速王都へと出向き冒険者として登録した。アイルの義理の姉、シエラも誘おうとしたのだが、とても話しかけられる状態ではなかったのでそれは断念した。

  レイリーは風の属性魔法、リンシアは回復魔法。攻守のバランスが取れ、彼らはすぐに上級の依頼をこなせるまでに。だが、その頃は上位のギルドと肩を並べることなど、夢のまた夢だった。所詮は村で一番の才能。上には上がいた。

  そんなある日、何の前触れもなくウィリアムは彼らの元へ現れた。


  「あなた様は、まだ内に素晴らしい力が眠っております。私ならそれを呼び起こすことができる」


  いきなり素性の知らぬ男にそんなことを言われ、最初はレイリーもろくに取り合おうとはしなかった。しかし、ウィリアムは次の日も、またその次の日も執拗に付きまとってきた。


  「いい加減にしろよ!」


  ある時、レイリーは人気の少ない場所にウィリアムを誘い込むと、脅しのつもりで魔法を放った。ウィリアムを囲うようにして現れたのは、刃のような切れ味がある風。彼の必殺技、カマイタチだ。この魔法で幾度となく強敵を倒し、成果を上げてきた。これで、ウィリアムも懲りるはず。

  しかし、次に起こったことは、今でも謎のまま。突然、ウィリアムの周りを乱舞する風の刃が消えたのだ。


  「どうなってやがる…… !」


  「ああ、勿体ない。あなた様が真の力に目覚めれば、どんな相手も敵ではなくなるのに」


  ウィリアムはそう言うと、ゆっくりと二人に近づいた。

  殺されるのかと思った。しかし、リンシアもレイリーも金縛りにでもあったように、その場から微動だにしない。圧倒的な力を察知して、本能が死から逃れる事を諦めたのだ。

  しかし、リンシアの予想は外れた。

 

  「絶対的な力が欲しくはありませんか? 他者を屈服させ、絶望させられるような。あなた様にはそれができる。共に上を目指しませんか?」


  目の前に垂らされた蜘蛛の糸。しかし、それはレイリーを上へと持ち上げ、救済するものではない。その心をがんじがらめにするための、悪意に満ちた糸だっのだ。だが、彼はそれに手を伸ばした。

  それから、レイリーは変わった。ウィリアムの予言通り、彼は昔からは想像もつかないほど強力な魔法を手に入れたのだ。そして、それに付随して、彼の心には緩やかな侵食が始まっていた。

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