朝の練習
「えいっ」
覇気のないライラの声に続き、響く鈍い音。
「もっとだライラ。まだ足りない」
「やあっ」
さらに乾いた音が二、三度、静かな雑木林に不気味に木霊する。
「まだだ。ライラ、もっと強く頼む」
アイルは仁王立ちし、至極真剣そうな眼差しをライラに向ける。対照的に、ライラは少々呆れたような顔をしていた。
「ねえアイル?」
寝起きの第一声を思わせる小さな声で、ライラが尋ねる。
「ん? なんだ?」
「やっぱり、こんなことしても、あんまり意味がないと思う」
「何を言うんだ。こうしないと魔法の耐久性がわからないだろ?」
「でも、これ、ただの木の棒」
ライラは両手に持った棒切れを見つめる。
「木の棒であっても、叩かれれば普通は痛い。痛くないということは、強化魔法を擬似的に表現できてる証拠。あとは試行回数を重ねて、これがどの程度の耐久力かを見極める必要がある」
アイルはこの訓練の意味を説く。
タレスを病院に預けた翌朝。今アイルは新しい黒魔術を試用しているところだ。複雑な魔法はまだ難しいので、とりあえず強化魔法の大定番、身体強化モドキを完成させようとしていた。
未知の"力"をマナと同じ要領で変質させ、魔法として発現する黒魔術。その変質性には際限がないため、どの魔法にも対応できるが、それらを習得するのは容易ではない。
マナの変質について、今では教本等が数多出版され、色々なアプローチ方法が体系化されている。しかし、そのどれを試しても、黒魔術には通用しなかった。根本的な部分が違うらしく、全くの手探り状態なのだ。
「でも、私、アイルを叩くなんていや」
「ライラ……」
無理強いさせていたのだと深く後悔するアイルは、その後の「疲れるし」という彼女の愚痴を見事に聞き逃していた。
自分はなんて身勝手な人間なんだろう。
「だから、助っ人を呼ぶね」
「ん? 助っ人?」
首をかしげるアイルをよそに、ライラは近くに魔法陣を展開させる。魔法陣から這い出てきたのは、悪魔の姿をした巨大な生き物。いつか彼が握りつぶされかけた、召喚術モドキだ。
「ライラ、これは……?」
「クロ」
まるで挨拶でもするように、クロはおどろおどろしい唸り声を発する。
「いや、そうじゃなくて。というか、そいつ名前あったのか……」
「この前つけたの」
「そうか…… それにしても、クロって、見た目とのギャップがすごいな」
「そう? 可愛いくて似合ってると思うけど」
「可愛い……?」
ライラはきょとんとした顔で、クロの腕辺りを撫でる。どうやら、彼女とは著しい感性の違いがあるようだ。
と、ふいに彼女は手にしていた棒切れを、クロに手渡しする。
「ライラ? 何してるんだ?」
「クロが代わりに叩いてくれる」
「いや、待て。本気で言ってるのか? いきなりレベルが上がりすぎじゃないか? クロは手加減とかできるのか? そもそもーー」
「お願い、クロ」
取りつく島もなく、ライラが命令する。クロは腕を大きく振りかぶった。
「ライラ? 冗談だよな?」
クロの大振りが迫る。
「ライラ! 待て! 止めてくれ! 本気で死ぬ! ライーー」
アイルの右半身を、木の棒ではなくクロの拳が襲った。風圧で近くにあった木々の枝が、ざわめきながら大きく揺れる。
だが、アイルは依然その場にとどまっていた。
「生きてる、のか……?」
「アイルは自分を過小評価しすぎだよ。黒魔術の適性は私より高いと思う。だから、クロの攻撃も耐えれる」
そう言うと、ライラはクロを霧散させた。バラバラになった木の棒が地面に落ちる。
「まさか、最初からわかってて……」
アイルは大きくため息をついた。
「やはり、師匠には敵わないな」
「師匠じゃない……」
ライラはうんざりしたように言う。
その時、二人の腹が同時に鳴った。
「あ」
ライラ恥ずかしそうにお腹を抑える。
彼らは結局、依頼の報告をしないまま家路に着いたのだ。もちろん今まで何も口にしていない。
「お腹減ったね」
「ああ。だが、今日はこれから一つ用事がある。悪いが、ご飯はもう少しお預けになりそうだ」




