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2. 死にたがりは知りたがり

「あなたは現時刻をもって死んでいる予定だったのよ」


 志樹の眼前に佇む少女の亡霊はそう言った。

 空いた窓から差し込む月明かりを借りて、彼女の髪に隠されていない左の瞳が、部屋全体を、ひいてはこの世の全てを吸い込むブラックホールのごとき漆黒に、轟々と輝いているようだった。

 志樹はその光景に目と心を奪われ、夜の風が彼女の黒の髪を揺らすまで、時の流れという概念を忘却の彼方へと置き忘れていた。

「……どういう意味だよ?」

 ようやっと意識が現世に戻ると藍色の着物の少女に質問を返す。

 質問を受けた亡霊は、サイズが大きめなのか、かなり余った着物の裾をヒラヒラとさせながら、説明しようがないといった様子で、

「どういう意味って……そのままの意味。貴方はさっきの地震が起こるまで、性懲りもなくカッターナイフを片手に自殺ごっこをしていて――」

「地震の揺れでついに長年の夢であるリストカットを成功させていたと……そういうことなのか……」

 彼女の言葉の続きを志樹が受け取った。理解したらしい。

「何が長年の夢さ……、幽霊が出たらおっかなくって即倒しちゃうくらい生きることに執着してるクセにさ」

 ショートカットヘアーの右目を隠すように伸びた前髪をいじりながら、「ふん」

といった感じで呆れたように少女の亡霊は言う。

「ま、まぁその、とにかく俺はお前に助けられたってわけだな。実際は死にたいなんて言っても……コ、コホン……あ、ありがとう……えと……?」

 志樹は恥ずかしさと情けなさが混在する心境で感謝を述べようとしたとき、相手の名前も知らなかったことに気づく。

「私の名前は小梛」

 亡霊は、志樹が尋ねるより先に名乗る。

「ありがとう、小梛。これ、夢じゃないんだよな……」

「それは自分の指に聞いてみることね」

 小梛の登場と共に切りつけた左手の薬指はかすり傷程度だが、グルグル巻きにされたガーゼの上からでも脈打つ音が聞こえそうなほどズキズキと熱を持っていた。

「それに――」

 と、プカプカと宙を浮きながら小梛が言葉を紡ぐ。

「助けたのは結果論。私は『戦士』を探していただけに過ぎない」

「戦士?」

 あの世の亡霊が口にするにはあまりにも意外な単語。

「そう、戦士。ねぇ、想像したことはある? 生ある者が当たり前のように息をして、使者の魂が安らかに眠ることのできるという必定。その秩序を誰が護っているのか」

 志樹には目の前の、亡霊……すなわち、どう見ても10歳、大きく見積もっても12歳くらいにしか見えない年端もいかない少女が、すでにこの世の悟りを開いてしまっているように見えていた。

「私たちはね……貴方にも分かりやすい言葉をあてがうなら……死神、と言ったところかな。死者の魂を回収してあの世に連れていくのが仕事なの」

「ちょっと待って。俺の中で、死神と戦士が結びつかないんだけど……」

 察しが悪い、といった風に小梛が侮蔑の視線を志樹に向ける。

「――つまりね、私たちのような、生と死の秩序を護る者が存在しなければならないということは、どういうことかは分かるよね?」

「当然、秩序を乱す者がいるからだろう……あれ?」

 秩序を乱す者の存在。秩序を護る死神は「うん」と頷くと、

「その秩序を乱す者たちを私たちは『悪霊』と呼んでいるの」

「悪霊か……確かに、日本でも古くから災いの象徴とされているな。関係してるのか?」

 小梛は漆黒の短髪をふわりと揺らしながらコクリと頷く。

「まさに、古来より現世の生ある者たちに災いをもたらし、あの世の秩序さえも混沌に導く存在……それが悪霊」

 その言葉を聞くに、生ある者である少年は顎に手を添えながら「おや?」と首を傾ける。

「ん……なら、『あの世の秩序を乱す』ってのは具体的にどういうことなんだ」

「死者の復活。それも、この世の秩序を幾度となく乱してきたような、極悪人ばかりを狙って復活させるの」

 死んだ極悪人が生き返る。志樹にも徐々に、おとぎ話と現実が結びつけられていく音が聞こえてくる。日本では天狗や水虎。中国では九尾、西洋の方ではドラキュラなど、不死身と呼ばれる妖怪たちの存在。

 彼らは実際に不死身だったのではない。

 悪霊達が秩序を乱さんと悪人どもを蘇生させていたのではないか……そしてその姿は人々にとって、さながら不死身の妖怪のように見えていたのではないか……?

 しかし……、

「だけど、なんだってそんな秩序を乱すようなことを……サドなのか? 悪霊は」

 生あって、今を生きる人間なら誰でも感じる疑問。

「人間の負の感情……すなわち破壊本能、怒り、悲しみ、憎しみや嫉妬、それらが彼らの原動力であり全て。そして、それ以外の欲求は一切持ち合わせていない……他に望みなど……ない」

 幼い見た目とは裏腹に凄みのある雰囲気。その押し殺すような声に、志樹は思わず息を飲む。

「死神は、死んだ人間の中から、より力の強い魂を持つ者から選ばれるの。そして私は今から80年近くも前に死に……そして閻魔大王に死神に任命されたの」

 そう話す小梛の声には先ほどよりも少しだけ人間味がある。

「……」

 志樹は黙って話を聞いていた。

「でね、死神にはね、人の死期が見えるの!」

 藍色の着物の少女は急に明るくなったかと思ったが、その言葉の意図するところを吟味するに、やはり物騒なことを言っているのだった。

「それで俺の死ぬことが分かっていたのか……でもそれなら、残念だったんじゃないのか? また一人、死神として一緒に戦ってくれるかもしれなかった人間がここにいたってのに」

 元死にたがりの少年はまるで他人事のようにひょうひょうとしている。

 そして、どことなく『正義の味方=死神』になっていたかもしれない自分の姿を

想像して楽しんでいるようにさえ感じられた。

 しかし、一方で亡霊の方はそんな彼を一蹴するように「あぁ、それなら」と怪しげな笑みを浮かべながら、

「大丈夫。貴方のは未遂にはなったものの『自殺を希望した事故』なのだから、死んだとしても、大した霊魂にはなりえず――、死神どころか普通に三途の川を渡ってめでたく先祖たちのところで幸せなあの世ライフを送っていたでしょうよ」

 死んでいるのにあの世『ライフ』というのもおかしいような気はするが、志樹はそれ以前に自分の霊魂が貧弱だと言われたことに関して腹を立てたようだ。

「おい――それってどういう――」 

「っと、話し過ぎたなぁ」

 と、これ以上は無駄と言わんばかりに志樹を遮って、くるりと振り向く小梛。

 ふわふわと、まだ月の光が差す窓際へと離れていく。

「ちょま――」

 制止する志樹を全く咎める様子もなかった。

 が、急に何かに気づいてハッとすると急に真剣な顔になり、

「明日は――そうか、日曜日――。貴方、部活はないのよね?」

「お前は……幽霊の……死神の癖によくもまぁそんなにコロコロ表情を変えるなぁ……、確かに明日部活はないけど……何?」

 志樹はついさっき出会ったばかりの死神の少女に、まるで幼馴染みと話すようにナチュラルに話すようになっていた。

 元来硬派な彼にとっては――たとえ死んでいたとしても――こんなに親しく異性と、それも出会ったばかりの異性と話せるというのは死者と話せるという事実以上に意外なことであった。

「明日はっ――絶対外出してはダメだからね!」

「えっ?」

 いきなりすごい剣幕で日曜外出禁止を言いつけられた哀れな少年は差し詰め、鳩が豆鉄砲を食ったような顔をしていた。


「――明日外出しちゃダメだってこと以外の記憶は……全部消えるから――それじゃあ、バイバイ!」

 

 その言葉を最後に元自殺志願者系高校生の眼前から非物質的な――しかし妙に質量を感じさせる存在は消失した。

 部屋には一人の哀れに佇む少年と、開いた窓から差し込む月明かり、そして夏の到来を思わせる生暖かい夜風だけが存在感を放っている。


 それ以来、志樹は小梛の姿を見ることも声を聞くことも『一生』なかった。








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