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ASTRAEON VELORIA――銀河を旅する自由傭兵――  作者: Ren Hazumi


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第97話「医師とキャプテン」

第97話「医師とキャプテン」


公爵家医療レジデンス――ヴェルドラコン銀河帝国


エウフォリア・メディカル・インスティテュートを出た後も、セレネはすぐに公爵家医療レジデンスへ戻ることはなかった。


彼女の手元には、ASTRAEON VELORIAの医療ネットワークを通じて渡されたオーレリアの検査データのコピーが残っている。


そして目の前の透明ディスプレイには、これまで個別の数値としてしか見ていなかった生体変化が、絶えず表示され続けていた。


今なら、それらすべてを1つのパターンとして見ることができる。


神経学的安定性


代謝安定性


細胞修復


睡眠サイクル


低温残留後効果


そして、彼女が最も興味を惹かれているのは、オーレリアの生体適応曲線がまだ完全な水平線には戻っていないことだった。


内部移動車両がメディカル・レジデンスのトランジットエリアで停止する。


ドアが開いた。


セレネが先に降りる。


数歩遅れて紬が続き、その反対側をセラフィエルが歩いていた。


誰もすぐには口を開かなかった。


セレネはまだデータを見ている。


やがて紬が、その画面をちらりと覗き込んだ。


「まだ気になってるのか?」


セレネは顔を上げない。


「気になっているというより、まだ変数同士の関係を理解しきれていません」


「それって、気になってるってことじゃないのか?」


「医師にとっては違います」


「その違い、かなり微妙だと思うけど」


セレネはようやく1つのパネルを閉じ、別のグラフを開いた。


「これを見てください」


紬が近づく。


空中に複数の曲線が重なったグラフが表示された。


オーレリア・ヴェイリエンヌ — 長期的な回復モデル


神経安定性 — 99.1%


代謝安定性 — 99.3%


細胞修復活性 — 99.6%


組織の完全性 — 99.6%


低温後遺症 — 最小限


生物学的適応 — 継続中


その下には、今後数か月間における変化の予測が表示されている。


予測安定性


第1週 — 99.2%


第2週 — 99.3%


第4週 — 99.4%


第8週 — 99.5%


第12週 — 99.5–99.7%


しかし、グラフの右側には変数として示された領域が存在していた。


信頼区間 : ±0.6%


紬は数秒間、そのグラフを見つめた。


「この数字はどういう意味だ?」


「オーレリアの身体が、この曲線に正確に従うとは、まだ言い切れないという意味です」


「データが足りないから?」


「はい。回復に関するデータは非常に良好です。ただし、回復と長期的な適応は同じものではありません」


セラフィエルが静かに補足する。


「現在の予測モデルは、クライオジェニック・リカバリーの段階から現在の生体状態までに取得された検査データを使用しています。観察期間が長くなるほど、モデルの不確実性は小さくなります」


セレネが頷く。


「私が言いたいのは、そこです」


紬は両手をポケットに入れた。


「つまり、オーレリアが病気になっているわけじゃない」


「はい」


「臓器が損傷しているわけでもない」


「その兆候もありません」


「じゃあ、どうして話がどんどん複雑になっていくんだ?」


セレネが小さく笑う。


「人間の身体というものは、もともと複雑なんです」


「それは分かってる。ただ、医師が必要以上に複雑にしないでくれると助かる」


「私はむしろ、あなたに分かりやすくするために整理しているんですが」


紬はもう一度グラフを見た。


「だったら、研究者向けじゃなくて、船のキャプテンにも分かる言葉で説明してくれ」


セレネはいくつかのパネルを閉じた。


最後に残ったのは、1つのグラフだけだった。


オーレリア・ヴェイリエンヌ — 医療状態


急性リスク : 低い


臓器機能障害 : 検出なし


神経不安定性 : 検出なし


代謝不安定 : 検出なし


低温治療合併症 : 検出なし


回復状況 : 安定


長期適応 : 監視の必要性


セレネは一番下を指した。


「ここが核心です。オーレリアは健康です。急性の症状があるわけでもなく、ベッドで安静にしていなければならない状態でもありません。ただ、ほぼ7か月にわたってクライオジェニック・サスペンションを受け、その後、標準的な医療施設よりはるかに高度な医療システムによるリカバリーを受けています。ですから、身体はまだ適応段階にあるんです」


紬はゆっくりと頷いた。


「つまり、歩ける。食事もできる。移動もできる。普通に生活していい」


「医学的には、そうです」


「ただし?」


セレネが紬を見る。


「継続的なモニタリングは必要です」


紬は答えなかった。


代わりに、診察室のドアへ視線を向ける。


「それなら、オーレリア本人と話そう」


セレネが頷く。


2人は中へ入った。


オーレリアはすでに追加検査室にいた。


もうスリーピングポッドはない。


身体を囲む大型の医療機器もない。


彼女はただ診察用の椅子に座っていた。


身に着けているのは、ASTRAEON VELORIAの乗客だった頃よりも、はるかに格式の高い公爵令嬢としての服装だった。


その変化は、やはりはっきりと感じられる。


しかし今回、紬がセレネとともに入ってくるのを見ると、オーレリアの表情はわずかに柔らかくなった。


「検査はもう終わりましたか?」


セレネは彼女の正面に座る。


「主要な検査は終了しました。ここからは、結果について説明したいと思います」


オーレリアが頷く。


「お願いします」


セレネは先ほどと同じデータを表示した。


「臓器損傷はありません。神経機能は安定しています。代謝状態も非常に良好で、組織の反応にも急性の合併症を示す兆候はありません」


オーレリアは表示された数値を見つめる。


「つまり、私は健康なのですね?」


「はい」


その答えには迷いがなかった。


オーレリアの表情が少しだけ安堵する。


だが、セレネはまだパネルを閉じなかった。


「ただし、1つ理解しておいてほしいことがあります。健康だからといって、これで永遠に検査が必要なくなるわけではありません」


オーレリアが薄く笑う。


「『ただし』という言葉の後に、そういう話が来ることは予想していました」


紬が小さく笑った。


「医者って、そういうものだからな」


セレネが紬を見る。


「説明の途中で口を挟まれると、患者が本当の状態を誤解する可能性があります」


「分かった。黙る」


オーレリアが笑いを堪える。


「ホシザキ船長にも、黙ることができるのですね」


紬が振り向く。


「できる。ただ、いつも黙っていたいわけじゃない」


「それは違いますね」


「かなり違う」


セレネはそのやり取りを少しだけ見守ってから、再び画面へ視線を戻した。


「定期的に神経学的検査を行いたいと思います。目に見える損傷があるからではありません。リカバリー後も神経反応が一貫して安定していることを確認するためです」


グラフを開く。


神経応答モニタリング


現在の運動信号 : 98.7%


感覚反応 : 99.1%


反応の粘度 : 97.9%


異常な神経活動 : 0


急性神経損傷 : 0


長期的な低温損傷 : 最小限


「数値は非常に良好です。ただ、この安定性が維持されるかを確認したい」


オーレリアが慎重に尋ねる。


「どのくらいの期間でしょうか?」


「集中的な検査については、最初の1か月を推奨します。その後、目立った変化がなければ、検査間隔を延ばせます」


「頻度は?」


「完全な神経学的検査を週に1回。簡易検査については、ASTRAEON VELORIAのモニタリングシステムを通じて、もっと頻繁に行えます」


オーレリアはセラフィエルを見る。


「つまり、この船はずっと私を検査するのですか?」


セラフィエルが穏やかな声で答える。


「あなたが同意した医療プロトコルの範囲内でのみ行います。モニタリングとは、あなたの身体に関するあらゆる行動を無制限に監視するという意味ではありません。システムがアクセスするのは、医療目的に関連するパラメータのみです」


セレネもすぐに頷いた。


「そこは重要です。高度な医療システムが、患者のプライバシーを無視する理由になってはいけません」


セラフィエルが彼女を見る。


「同意します」


オーレリアが続けて尋ねる。


「代謝についてはどうでしょう?」


セレネがパネルを切り替える。


代謝観察


代謝安定性 : 99.3%


タンパク質合成 : 最適


セルラーエネルギー変換 : 安定


ホルモンの安定性 : 安定


ストレス反応 : 低い


低温代謝後遺症 : 最小限


「代謝も安定しています。ただ、身体は長いリカバリー期間を終えたばかりです。ですから、通常の生活へ戻ったとき、どのように反応するのかを見たいと思っています」


オーレリアが首を傾げる。


「通常の生活とは、どのようなものですか?」


「食事、身体活動、睡眠パターン、移動、心理的ストレス、重力環境の変化、そして異なる環境への適応です」


紬がすぐに口を挟んだ。


「つまり、旅行も入る?」


セレネが頷く。


「はい」


紬はセレネを見る。


「なら、1番大事な質問は簡単だ。オーレリアはまだ旅行できるのか?」


セレネはすぐには答えなかった。


数秒間グラフを見つめ、それからオーレリアを見る。


「医学的には、可能です」


オーレリアの表情が少しだけ緩む。


しかしセレネは続けた。


「ただし、モニタリングは必要です」


紬が頷く。


「分かった」


あまりにも早い返答だったため、セレネ自身が一瞬止まった。


「先に質問したくはないのですか?」


「何を聞けばいい?」


「例えば、旅行が安全なのか、とか」


「もう答えてくれただろ」


「私は、モニタリングを行うことを前提に旅行できると言っただけです。すべての旅行条件が同じという意味ではありません」


紬が頷く。


「なら、制限を説明してくれ」


セレネは再び医師としての表情に戻った。


「通常の旅行について、特別な医学的禁止事項はありません。オーレリアが乗り物を利用すること、星間航行を行うこと、通常重力の環境を歩くこと、日常的な活動を行うことを禁止する理由はありません。ただし、しばらくの間は極端な身体活動を推奨しません」


それまでドアの近くに立っていたレアが、すぐに口を挟んだ。


「じゃあ、モビルフレームにはまだ乗れない?」


セレネがレアを見る。


「オーレリアがモビルフレームに乗る予定があるとは聞いていませんが」


レアは両手を上げた。


「聞いただけだって」


紬がため息をつく。


「オーレリアはモビルフレームには乗らない」


レアが笑う。


「私も確認しただけ」


セレネは再びオーレリアへ視線を戻した。


「最初の数週間について、特に注意したいのは4つです」


新しいパネルが表示される。


長期的なフォローアップの優先事項


01 — 神経安定性


02 — 代謝適応


03 — 睡眠サイクルの正常化


04 — 細胞回復安定性


セレネは3番目を指した。


「睡眠サイクルは特に重要です。身体はほぼ7か月間、保存状態にありました。クライオジェニック・システムによって生体機能は維持されていましたが、脳は通常の睡眠と覚醒のリズムへ再び適応する必要があります」


オーレリアが尋ねる。


「私は何をすればいいのでしょう?」


「眠くなったら眠ること。起床時間はできるだけ一定にすること。そして、家族の予定や移動の都合だけを理由に、無理に起き続けないことです」


オーレリアが黙り込んだ。


最後の言葉だけが、それまでの医学的な説明より重く響いたようだった。


紬はそれに気づいた。


セレネも気づいている。


しかし、彼女は家族について直接触れなかった。


ただ、静かな声で続ける。


「身体は社会的な身分を理解しません」


オーレリアがセレネを見る。


「どういう意味でしょうか?」


「身体にとって、その人が公爵令嬢であろうと、港湾労働者であろうと、船のキャプテンであろうと、医師であろうと関係ありません。眠る必要があるなら、身体は眠る必要があります。代謝が適応するために時間を必要としているなら、その生物学的な過程は身分によって変わりません」


オーレリアが小さく笑った。


「あなたの説明の仕方、私は好きかもしれません」


セレネも薄く笑う。


「公爵令嬢だからという理由だけで、あなたを特別扱いするつもりはありませんから」


紬が椅子にもたれた。


「それはいいな」


セレネが彼を見る。


「あなたも同じ考えですか?」


「俺?」


「あなたは、オーレリアが船にいたときから、同じように接しています」


紬は少し考えた。


「彼女は同じ人間だからな」


オーレリアが紬を見る。


セレネは何も言わない。


紬が続けた。


「家の身分は変わった。いる場所も変わった。服も変わった。護衛も戻った。でも、身体はオーレリアの身体のままだ。具合が悪ければ病人だし、休む必要があるなら休む。それだけだ。公爵家の肩書きがあるからって、生物学的なルールまで変わる理由はない」


セレネは紬の顔を見つめた。


そこには、賢そうに聞こえることを言おうとする様子もない。


褒められようとする気配もない。


紬はただ、自分にとって理にかなっていると思ったことを口にしているだけだった。


だからこそ、その答えは余計に強く感じられた。


セレネは検査パネルを閉じた。


「分かりました」


紬が彼女を見る。


「何が?」


「なぜ、オーレリアの最初の検査結果を見ても、あなたが慌てなかったのか」


「どうして?」


「医療上の判断を、本来その責任を負う人間に任せることを、すでに理解しているからです」


紬が肩をすくめる。


「セラフィエルは船の医療システムについて俺より詳しい。あなたは医師だ。だから医師に聞く。それだけだ」


セレネが微笑む。


「多くの人は、そんなに単純ではありません」


「俺には、それ以外にどうすればいいのか分からない。医師とキャプテンを同時にやろうとしたら、むしろ全部悪くなるだろ」


隣に立っていたセラフィエルが付け加える。


「キャプテンには正式な医療資格がありません」


紬がセラフィエルを見る。


「知ってる」


「念のため確認しました」


レアが笑う。


「セラフィエル、真面目すぎるって」


「医療情報の正確性を維持しています」


カリスタが腕を組む。


「いかにもセラフィエルらしい理由ね」


ランが頷く。


「私もそう思います」


それまでサブパネルを読んでいたヴェスペラが、ようやく口を開いた。


「それより興味深いのは、紬が診断に介入しようとしないこと」


紬がヴェスペラを見る。


「なんでみんな俺の話をするんだ? 今はオーレリアの話だろ」


セレネが微笑む。


「患者に対するキャプテンの態度も、医療環境の一部だからです」


紬は、その答えにあまり納得していないようだった。


「俺は検査対象じゃないぞ」


「そうですね。ただし、患者を取り巻く環境は回復に影響します」


セレネは別のグラフを開いた。


回復環境要因


睡眠の安定性 — 非常に重要


栄養の安定性 — 非常に重要


身体活動 — 中程度の重要性


心理的ストレス — 非常に重要


移動負荷 — 中程度の重要性


社会環境 — 中程度の重要性


「患者が常に何かを強制されていると感じれば、心理的なストレスが生じ、それが睡眠、代謝、そして回復そのものに影響する可能性があります。ですから、オーレリアがどのような環境で生活しているのかも知る必要があります」


紬が頷いた。


「つまり、俺たちの船も彼女の医療環境の一部ってことか?」


「間接的には、そうです」


「面倒だな」


「船を変えろと言っているわけではありません」


「それならいい」


「彼女の生活リズムに大きな変化があった場合だけ、把握しておきたいんです」


紬はセラフィエルを見る。


「できるか?」


セラフィエルは迷わず答えた。


「可能です。患者の個人データ全体を送信することなく、医療上関連する変化だけを要約して提供できます」


セレネがすぐに応じた。


「その方が私は好ましいです。オーレリアの生活すべてを知る必要はありません。医学的な状態に影響する情報だけが必要です」


セラフィエルが頷く。


「では、医療フォローアッププロフィールを作成します」


新しいパネルが表示される。


オーレリア・ヴェリエンヌ


医療フォローアップのプロフィール


神経学レビュー:週刊


代謝レビュー:週刊


睡眠サイクルレビュー : 日々自動サマリー


細胞回復 : 継続的な受動的モニタリング


身体活動 : 患者主導


緊急閾値 : 有効


医師アクセス : セレーネ・アルカディア


患者同意 : 必須


セレネは最後の行まで読む。


「いいですね」


紬が尋ねる。


「何が?」


「患者の同意が必要です」


「それって当然じゃないのか?」


セレネは紬を見る。


「残念ながら、いつもそうとは限りません」


声の調子が少し変わった。


怒っているわけではない。


感情的になったわけでもない。


それでも、その話題が交渉の余地などないものであることを示すだけの強さがあった。


「医療技術が強力になるほど、その力に対する倫理的な境界は重要になります。システムが必要以上の情報まで見られるのなら、医師は何を見ることが許されているのかを、より慎重に判断しなければなりません」


セラフィエルがセレネを見る。


「あなたの考え方は、ASTRAEON VELORIAのMedical Ethics Protocolと一致しています」


セレネが眉を上げる。


「褒め言葉だと思っておきます」


「観察結果です」


「分かりました。褒め言葉として受け取ります」


紬が小さく笑う。


「2人とも、ルールの話をすると意外と気が合うんだな」


セレネが振り向く。


「それを恋愛的な意味の発言とは受け取りません」


紬は笑いかけて、危うくむせそうになった。


「俺もそんな意味で言ってない」


レアがすぐに笑いを堪える。


ランは表情を見られないように顔を伏せる。


カリスタが紬を無表情で見る。


「キャプテン、自分でそう聞こえる言い方をしただけでしょう」


「俺は何もしてない」


ヴェスペラが薄く笑う。


「そこが問題なのかもしれません」


それまで張り詰めていた空気が、少しだけ軽くなった。


オーレリアも一緒になって微笑んでいる。


しかしセレネは、その会話が核心から離れすぎないよう、再びデータを表示した。


「もう1つあります」


紬も真面目な表情に戻る。


「何だ?」


「オーレリア本人にも、自分の検査結果へアクセスできるようにしてほしいと思っています」


オーレリアがセレネを見る。


「なぜですか?」


「患者には、自分自身の身体の状態を理解する権利があります。すべての情報が医師や家族だけで止まってしまうのは望ましくありません。特にあなたの場合、回復に使用された技術は標準的な医療技術ではありません。自分の身体に何が起きているのかを知っておく必要があります」


オーレリアはゆっくりと頷いた。


「分かりました」


セレネは今度は紬を見る。


「ASTRAEONに、患者向けの簡易表示を用意することはできますか?」


セラフィエルが答える。


「可能です」


簡易パネルが表示された。


オーレリア・ヴェイリエンヌ — 患者の視点


全体の状態 : 安定


神経学的 : 安定


代謝 : 安定


細胞回復 : 素晴らしい


睡眠サイクル : モニタリング


低温後遺症 : 最小限


次回のフルレビュー : 7日間


オーレリアはその画面を見つめる。


「家族から渡される医療報告書より、ずっと分かりやすいです」


紬が笑う。


「貴族向けの医療報告書って、必要以上に重要そうに見えるように作られてるのかもな」


セレネが紬を見る。


「早く決めつけないでください」


「冗談だよ」


「分かっています」


オーレリアがパネルに触れる。


グラフが切り替わる。


スリーピングポッドから出された初日から現在までの変化が表示された。


最初の曲線は急激に上昇している。


その後、徐々に安定した。


危険な急上昇はない。


大きな低下もない。


オーレリアは、しばらく黙っていた。


セレネがその様子を見守る。


「何か聞きたいことがありますか?」


オーレリアは、ようやく答えた。


「少し、気づいたことがあるだけです」


「何にですか?」


「7か月間眠っている間も、私の身体は生きるために働き続けていたんですね。目を覚ましたら、すべて終わったのだと思っていました。でも、まだ終わっていなかった」


セレネが頷く。


「回復は1つの地点ではありません。1つの過程です」


紬がオーレリアを見る。


「でも、怖がる必要はない」


オーレリアが微笑む。


「怖くはありません。ただ、少し驚いているだけです」


「なら、よかった」


セレネは2人のやり取りを見つめていた。


また、医療データには記録されないものが見えた。


オーレリアは、自分を脆弱な患者だと思い込んでいるようには見えない。


そして紬も、彼女を過剰に守り続け、本人から自分の人生を選ぶ力まで奪おうとしているわけではない。


2人の立場は違う。


それでも、そこには明確な均衡があった。


セレネは、紬に尋ねる。


「医学的な質問ではないことを、1つ聞いてもいいですか?」


「どうぞ」


「もしオーレリアが、また旅行したいと言ったら、あなたは許しますか?」


紬はセレネを見る。


「本人が望んでいて、医学的に安全なら、何で駄目なんだ?」


「これまでに起きたことがあっても?」


「だからこそだ」


セレネがわずかに眉を寄せる。


紬は続けた。


「彼女はスリーピングポッドの中で7か月も人生を失った。何かが起こるかもしれないっていう俺の不安だけを理由に、これ以上時間を失わせるつもりはない」


セレネは黙った。


「では、もしその旅行にリスクがある場合は?」


「そのリスクを説明する」


「それでも本人が行きたいと言ったら?」


「リスクが許容できる範囲なら、最後に決めるのは本人だ」


オーレリアが紬を見る。


セレネも彼を見る。


紬の表情は変わらない。


「リスクが大きすぎるなら、俺は駄目だと言う。でも、その理由は説明する。俺の方が分かっていると思っているからって理由だけで、本人の代わりに決めるつもりはない」


セレネがゆっくりと頷く。


「どうして、そういうことをそんなに落ち着いて考えられるんですか?」


紬は数秒考えてから答えた。


「キャプテンだからって、俺の船に乗っている全員の人生を決めていいわけじゃないからだ」


セレネはすぐには答えなかった。


オーレリアのデータを見る。


そして紬を見る。


それから、もう一度オーレリアを見る。


そこで初めて、以前は自分の中で言葉にできなかった違いを理解した。


紬は、誰かを守るために、その人の手からすべての決定権を奪うタイプではない。


情報を与える。


必要なときには、必要な境界を設ける。


しかし、その後は自分自身の人生を生きる人間へ、決定を返す。


医療倫理を強く守る医師にとって、その考え方は単に好ましいというだけのものではなかった。


それは責任の形、そのものだった。


セレネはすべてのパネルを閉じた。


「今なら分かります」


紬がため息をつく。


「またそれか」


「本当に、今になって理解できたことです」


「医療について?」


「あなたがキャプテンとしてどういう人なのかについてです」


紬が黙る。


セレネは、相変わらず医師としての落ち着いた口調で続けた。


「私はこれまで、あなたをスリーピングポッドからオーレリアを救い出した人、並外れた医療システムを持つ船のキャプテン、そしてオーレリアの7か月間の旅を目撃した人として見ていました。でも、今は少し違います」


「どう違う?」


「あなたは乗客に対して責任を負いながら、その人たちの決定まで自分のものにしようとはしない」


紬はすぐには答えなかった。


隣に立つセラフィエルが、小さく微笑む。


オーレリアは視線を下げながら微笑んでいる。


レアは狐の耳をぴんと立てた。


ランは読んでいたタブレットを止めた。


カリスタでさえ、口を挟まなかった。


セレネが立ち上がる。


「ひとまず、オーレリアの活動に大きな変更は必要ありません。検査スケジュールを守ることと、状態に変化があれば報告してもらえれば十分です」


紬が頷く。


「分かった」


「それと、オーレリアが旅行したいと言った場合は?」


「君に伝える」


「ありがとうございます」


紬が眉を上げる。


「それだけ?」


「今のところは」


「医者なら、長い禁止事項のリストでも渡されるのかと思った」


セレネが微笑む。


「患者が健康なら、リストを長く見せるためだけに病気を作るような真似はしません」


紬が笑った。


「その答え、好きだな」


セレネは彼を見る。


「私も少し分かってきました。あなたが自分の船の医療システムを気に入っている理由が」


「高性能だからじゃない」


「分かっています」


「じゃあ?」


「そのシステムなら、人を助けながら、その人の人生まで奪わずに済むからでしょう」


紬はしばらく黙った。


そして頷く。


「……そうかもしれない」


そのとき、部屋の側面にあるパネルが突然切り替わった。


表示色が青から黄色へ変化する。


建物のセキュリティシステムから、穏やかな音声が流れた。


公爵医療官邸


セキュリティ状況更新


外部からの警備要請受理


優先度 : 高架


出典 : 公爵治安局


医療施設の状態 : 安全


セレネがすぐに振り向く。


「これは医療システムの一部ではありません」


セラフィエルはすでに別のパネルを確認していた。


「はい」


紬が立ち上がる。


「何が起きた?」


セラフィエルはすぐには答えなかった。


新たに届いたデータを読み込んでいる。


オーレリア・ヴェイリエンヌ — 保護者としての地位


警備隊 : 再審査を要請


ルートアクセス : 一時的に制限


外部動向 : 審査中


紬が眉をひそめる。


「検査はもう終わったんじゃないのか?」


セレネが画面を見る。


「これは医療上の判断ではありません」


「分かってる」


セラフィエルが、さらに1行を表示する。


治安当局、即時調整を要請


紬は数秒間、画面を見つめた。


そして息を吐く。


「医療の話が、ずいぶん早く安全保障の話に変わった気がするな」


セレネが彼の隣に立つ。


2人が出会ってから初めて、彼女の専門家としての表情が、わずかに警戒へ変わった。


それでも、事実を見る前に結論を出すことはしない。


「それなら、オーレリアの医学的な検査は終了です。次は、なぜセキュリティ当局が彼女のステータスを変更したのかを確認する必要があります」


紬が頷く。


「その前に、1つだけ確認したい」


「何ですか?」


紬はセキュリティパネルを見る。


「この変更はオーレリアの医学的な状態に関係しているのか、それとも別の理由なのか?」


セラフィエルがデータを拡大する。


しかし、すぐに答えは出なかった。


画面で点滅しているのは、ただ1つのステータスだけだった。


セキュリティレビュー — 進行中


紬は腕を組む。


「分かった。データを待とう。証拠が出る前に決めつけるのはやめよう」


セレネがしばらく彼を見る。


そして頷いた。


「賛成です」


診察室の外では、公爵家医療レジデンスのセキュリティシステムが、アクセスルートを変更し始めていた。


そしてセレネがASTRAEON VELORIAへ来てから初めて、オーレリアの医療問題は、それだけでは完結しなくなった。


診察室の外で、何かが動き始めている。


しかし、それが何であれ、まだ脅威と呼ぶ理由はない。


――まだ。


【第98話へ続く――】


第98話予告「公爵家を守る者」


オーレリアの医療検査後に引き上げられたセキュリティレベルは、新たな問題を引き起こす。


公爵家は警備体制を強化し、その状況に対応するための専門警備要員を紹介する。


次話よりカイラ・ドレイヴェン――ドラゴンキン・コンバット・スペシャリストが登場し、ARCは医療上の余波から、安全保障上の余波へと移り始める。


【第98話へ続く……】

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