第94話「姫君を診る者」
小説の更新が遅くなってしまったことをお詫びします。家でWi-Fiが使えない家庭の経済事情や、経済的に困窮していたのでインターネットのデータを106円で購入したことなどから、小説をアップロードすることしかできませんでした。(-̩̩̩-̩̩̩-̩̩̩-̩̩̩-̩̩̩___-̩̩̩-̩̩̩-̩̩̩-̩̩̩-̩̩̩)
第94話「姫君を診る者」
公爵家医療居住区――午後
自動ドアが音もなく開いた。
紬はセラフィエルとともに、公爵家医療居住区の受付エリアへ足を踏み入れた。
帝都の行政区画が、職員や星間交通で賑わっていたのとは対照的に、ここは遥かに静かだった。
だからといって、無人というわけではない。
廊下の両側には数名の護衛が立ち、医療スタッフがデータ端末を手に行き交い、ときおり診察室のドアが開いて、内部から白い光が漏れ出している。
ただ、誰もがより整然とした動き方をしていた。
番号札を手に待つ患者もいない。
慌てた家族の声も聞こえない。
この場所の身分と性質によって、ほとんどすべての手続きが、誰かが来る前から準備されているのだ。
紬は、廊下の先で一人の使用人がドアを開けるのを見て、足を止めた。
そこから、オーレリアが姿を現した。
髪は、アストレオン・ヴェロリアにいた頃よりも、はるかに整えられている。
身につけている服も違っていた。
メルディアン・ヴェイルにいた頃、自分で選んで着ていた簡素な旅行服は、もうない。
文化市場で購入した、あの小さな惑星型のアクセサリーも身につけていない。
今の彼女が着ているのは、胸元に公爵家の紋章が刻まれた、ヴェルドラコン貴族の衣装だった。
その後ろには二人の護衛が立っている。
さらに数歩後方には、儀礼担当の職員が控えていた。
オーレリアは紬の姿を見つけると、足を止めた。
一瞬だけ、表情が変わる。
ほんのわずかだった。
ただ、少しだけ柔らかくなった。
「ホシザキ・キャプテン」
「オーレリア」
簡単な挨拶だった。
だが、紬にはすぐに分かった。
目の前にいるオーレリアは、変わらず同じ人物だ。
ただ、その周囲の空気は、すでに変わっていた。
「お待たせしてしまって、申し訳ありません」
「長くは待ってない」
「本当は、もっと気軽にお迎えしたかったのですが」
「必要ない」
オーレリアが小さく笑った。
「あなたは相変わらずですね」
「どういう意味?」
「説明する必要がない時は、いつも返事が短いところです」
「そのほうが時間を節約できる」
オーレリアは、思わず笑いそうになった。
しかし、それを抑えた。
紬は、その小さな変化に気づいていた。
アストレオン・ヴェロリアにいた頃のオーレリアは、誰が見ているかなど気にせず笑うことができた。
今は、笑いたいと思った瞬間でさえ、反射的に周囲の環境を思い出してしまう。
紬は何も言わなかった。
代わりにセラフィエルが会話を続ける。
「オーレリア。戻られてからの体調はいかがですか?」
「全体的には問題ありません。家族付きの医師からも、初期検査の結果は十分に安定していると言われています」
「何か不調は?」
「特に気になるものはありません。ただ、追加検査を行いたいそうです」
紬は両手をポケットに入れた。
「七か月もスリーピングポッドに入っていたから?」
「はい」
オーレリアが頷く。
「医師からは、身体そのものは順調に回復しているものの、これほど長期間の低温睡眠を軽く考えることはできないと言われました。代謝、神経系、臓器の状態、それに通常の生活へ戻ってから初めて現れる可能性のある身体反応などを調べたいそうです」
「それなら納得できる」
「私もそう思っています」
そこへ、一人の医療スタッフが近づいてきた。
「オーレリア殿下、先生がお待ちです」
オーレリアは頷いた。
「分かりました」
そして再び紬へ視線を戻す。
「あなたも、この会議に出席するよう求められています」
「だと思った」
「ご迷惑ではありませんか?」
「帰りたいとは思ってる。でも、ここまで来たからには話を聞く」
セラフィエルが薄く微笑んだ。
「それは進歩ですね、キャプテン」
「自分では成長してるつもりはない」
「私は行動の変化を記録しているだけです」
「そういうことは記録しなくていい」
「もう遅いです」
オーレリアが再び微笑んだ。
しかし、会話が続く前に、診察室のメインドアが開いた。
「どうぞ、お入りください」
中から女性の声が聞こえた。
大きな声ではない。
作られたものでもない。
それでも会話を止めるには十分な、明瞭な声だった。
紬が先に中へ入る。
そこには、複数の医療端末が壁際に設置された、広々とした診察室があった。
一般的な医療施設とは違い、物理的な医療機器はそれほど多く見えない。
大部分の設備は、床や壁、天井に組み込まれている。
いくつかの透明パネルには、生体情報のグラフが表示されていた。
部屋の中央には、真っ白な表面を持つ診察台が置かれている。
端末のそばには、一人のヒューマンの女性が立っていた。
髪はシンプルに整えられている。
貴族の衣装でもなければ、軍服でもない。
彼女が身につけているのは、腰にいくつかの携帯型診断機器を装着した、星間医療用の服だった。
その眼差しは穏やかだった。
紬を見ても緊張した様子はない。
セラフィエルを見ても、感嘆する様子はない。
女性はまずオーレリアを見た。
それから、ようやく他の者へ視線を移した。
「セレネ・アルカディア医師です」
家族付きの職員が紹介する。
「星間医師。医療部門所属です」
セレネは小さく頷いた。
「お会いできて光栄です、キャプテン・ホシザキ」
「紬でいい」
「分かりました。紬」
セレネの名前の呼び方は、専門家らしいものだった。
堅すぎない。
かといって、親しすぎもしない。
必要な距離を正確に保っている。
「私はセレネ・アルカディアです。オーレリア・ヴェイリエンの追加医療評価を担当するよう任命されました」
「分かった」
「始める前に、一つ確認させてください」
セレネはオーレリアを見る。
「検査によって得られたすべての医療データは、患者の医療情報として扱います。法的根拠または患者本人の同意がない限り、他者へ提供することはありません。ただし、法律上の報告義務が生じる緊急事態を除きます」
オーレリアが頷いた。
「分かりました」
「そして、紬にもそれを理解していただきたいと思っています」
「どうして俺に?」
「あなたは初期の救命処置を行った側だからです」
セレネは、責めるような口調ではなかった。
だからこそ、その言葉はより重く聞こえた。
「あなたが保有しているデータは、家族付きの医師が持っているものより完全である可能性があります」
「大部分はアストレオン・ヴェロリアにある」
「それを見せていただきたいです」
紬はすぐには答えなかった。
セラフィエルを見る。
「どう?」
セラフィエルが空中に薄型端末を展開した。
「技術的には、オーレリアの治療に必要な医療情報の概要を提供できます。患者の状態と関係のないデータは開示しません」
「それで十分です」
セレネは現れた端末を見つめた。
しかし、すぐには触れなかった。
「そのシステムは、アストレオン・ヴェロリアのものですか?」
「はい」
「あなたが運用している?」
「私はアストレオン・ヴェロリアのソヴリンAIです」
「知っています」
セレネが一瞬だけ言葉を止めた。
「ですが、患者データの管理において、AIとしてのあなたの権限範囲を確認したいのです」
セラフィエルが微笑む。
「良い質問です」
「私は医師です。確認する必要がありますから」
「その姿勢は尊重します」
紬は二人を見た。
出会ってまだ数分だというのに、すでに患者データへのアクセスについて話し合っている。
紬自身が口を挟む必要はないと思った。
ただオーレリアの隣に立っていた。
セレネが再び端末を開く。
「もう一つ、質問したいことがあります」
「どうぞ」
「アストレオン・ヴェロリアで治療を受けた場合、どれくらいの費用が必要になりますか?」
その質問に、紬が振り向いた。
「どうして急に費用の話?」
「今話している医療施設を理解する必要があるからです。もし、その医療技術が一般的な水準を大きく上回っているのであれば、そのシステムが商業的にどのように運用されているのか知りたいと思っています」
セラフィエルが新しいパネルを表示した。
いくつものカテゴリーに数字が並ぶ。
【エウフォリア医療研究所】
【外部患者向け医療サービス――推定費用】
【緊急安定化】12,000 GC ~ 45,000 GC
【高度診断パッケージ】85,000 GC ~ 240,000 GC
【大規模外科手術】350,000 GC ~ 1,200,000 GC
【臓器再構築】2,500,000 GC ~ 8,000,000 GC
【神経修復/高度神経再構築】6,000,000 GC ~ 18,000,000 GC
【遺伝子修復/重度細胞損傷】15,000,000 GC ~ 40,000,000 GC
【完全生体再構築】120,000,000 GC ~ 480,000,000 GC
【極限再構築/瀕死状態からの回復】500,000,000 GC ~ 900,000,000 GC
【生体蘇生クラス回復】1,000,000,000 GC
セレネは数秒間、黙り込んだ。
「十億?」
「蘇生クラスの回復処置であれば、そうです」
「その数字は、すべての患者に適用される標準料金ではない?」
「はい」
セラフィエルが表示を切り替える。
棒グラフが空中に現れた。
【医療費分布】
緊急医療 ████
診断 ████████
外科手術 ████████████
臓器再構築 ████████████████
神経再構築 ███████████████████
完全再構築 ███████████████████████████
蘇生クラス ████████████████████████████████████
セレネは真剣な表情でグラフを見つめた。
「つまり、患者の状態が正常な生体状態から遠ざかるほど、回復に必要な費用も大きくなる」
「一般的には、その通りです」
「薬剤費も含まれますか?」
「処置によります」
「ナノメディカルシステムは?」
「使用する場合は含まれます」
「人工組織は?」
「材料費と製造工程を含みます」
「遺伝子修復は?」
「生体研究施設の費用を含みます」
セレネが腕を組む。
「外部の人間に対して、特別に安い料金を設定することは?」
「ありません」
「なぜ?」
「この施設は個人所有の船にあります。大規模な惑星病院と比べれば収容能力には限界があります。その一方で、使用している技術の運用コストは非常に高い」
紬がため息をついた。
「答えは分かってたけど、それでも高いな」
「料金を決めているのはキャプテンです」
「俺に振らないでくれ」
「ですが、法的にはその通りです」
「だったら、俺の目の前に十億なんて数字を出さないでくれ」
「医師には知っておいていただく必要があると思いました」
セレネが薄く笑った。
「私もセラフィエルに賛成します」
「君たち、仲良くなるのが早すぎないか」
オーレリアが笑いをこらえる。
「キャプテン、数で負けていますよ」
「分かってる」
少しだけ張り詰めていた空気が、軽くなった。
だが、紬は再び医療費のパネルへ目を戻した。
表情が真剣になる。
「それなら、オーレリアについては?」
セラフィエルは、すぐに意図を理解した。
「アストレオン・ヴェロリア滞在中のオーレリアの治療費について、公爵家からの支払い確認はまだありません」
セレネが振り向く。
「まだ?」
「はい」
「ですが、彼女は公爵家の一員です」
「家族としての身分は、支払い契約を自動的に成立させるものではありません」
紬が頷く。
「あの時は、助けるべきだったから助けた。でも、医療費は医療費だ」
オーレリアが少し驚いた表情を見せる。
「紬、その件については――」
「気にしなくていい」
紬は穏やかな声で遮った。
「君を助けたから家族に払えと言ってるわけじゃない。船の医療施設には費用がかかる。それは別の話だ」
オーレリアは黙った。
紬はセラフィエルを見る。
「費用の明細はもう送った?」
「行政上の概要はすでに用意されています。ただし、治療費をどの当事者が負担するのかについて、公爵家からの確認はまだありません」
「メディカル・インスティテュートにいた間の費用も?」
「はい」
「それと、帝都での俺たちのドッキング費用は?」
「現時点では、キャプテン個人の口座に請求されています」
紬は一瞬、目を閉じた。
「そっちのほうが気になるな」
セレネが紬を見る。
「ドッキング費用も、まだ公爵家が負担していない?」
「確認はありません」
「いくらですか?」
セラフィエルがすぐに行政パネルを表示した。
【アストレオン・ヴェロリア――帝都】
【現在のドッキング状態】大型船一時待機
【ドッキング責任】キャプテン個人口座
【支払承認】保留中
【公爵家支払確認】未受領
【帝国医療費確認】保留中
【運用費用配分】保留中
紬は下部に表示された数字を見る。
【累積ドッキング/宇宙港関連費用】
【現在の推定額】48,600 GC
【6時間後の予測】+17,400 GC
【12時間後の予測】+36,900 GC
紬はしばらく数字を見つめた。
「48,600」
「はい」
「それで、あと十二時間ここにいたら、八万以上になる可能性がある」
「現在の推定では、その通りです」
「帰りたいって言ったよな、俺」
ドアの近くにいたレアが、すぐに声を上げた。
「私も! でも帝都のレストランでは食べたい!」
「君は黙っててくれ」
「なんで私だけ?」
ランが笑いをこらえる。
「キャプテン、ビジネスの観点から言えば、費用が増える前に正式な請求書を送るべきだと思います」
「賛成」
カリスタがパネルを見る。
「少なくとも、8,600メートルの船を停める前に二度考えさせるくらいには、帝都のドッキング費用は高いですね」
ヴェスペラが静かに付け加える。
「だからこそ、小型船には小型船なりの利点があります」
「分かってる」
紬がため息をついた。
「でも、小型船にはエウフォリア医療研究所がない」
セラフィエルが微笑む。
「銀河を移動できる家を持つ代償ですね」
「わざと言ってるだろ」
「少しだけ」
セレネは彼らの会話を見つめていた。
誰一人として病院スタッフのようには話していない。
軍艦のクルーのようでもない。
彼らは、たまたま全長8,600メートルで、星系間を移動できる家に住んでいる住人のようだった。
セレネは再びオーレリアの医療データを見る。
「少し分かってきました」
「何が?」と紬が尋ねる。
「アストレオン・ヴェロリアは、単に大規模な医療区画を持つ船ではない。医療システムそのものが、船全体に統合されています」
セラフィエルが頷く。
「その通りです」
「つまり、オーレリアが発見された時、船のシステムは即座に生体評価を行い、低温睡眠からの回復に伴うリスクを判定し、その後の回復処置を身体状態に合わせて調整できた」
「はい」
「初期安定化にはどれくらいかかりましたか?」
「患者の状態によります」
「オーレリアの場合は?」
セラフィエルが、さらに一つのパネルを開いた。
【オーレリア・ヴェイリエン】
【種族】ヒューマン
【年齢】18歳
【初期状態】長期低温睡眠
【保存期間】約7か月
【初期医療リスク】高
【細胞安定性】回復
【神経安定性】回復
【代謝安定性】回復
【臓器機能】安定
【低温睡眠による損傷】最小
【現在の医療状態】安定
セレネは瞬きもせず、すべてを読み取った。
「速すぎる」
紬が振り向く。
「何が?」
「回復が」
セレネがグラフを拡大する。
空中に生体回復曲線が現れた。
横軸は回復期間。
縦軸は生体安定性を示している。
一つ目の曲線は、低温睡眠患者の標準データ。
二つ目は、オーレリアのデータだった。
その違いは明確だった。
標準曲線は、ゆっくりと上昇している。
一方、オーレリアの曲線は初期段階で急激に上昇し、その後安定していた。
【回復比較】
【標準的な低温睡眠回復】
初期安定化:18~36時間
代謝正常化:5~14日
神経学的観察:14~30日
【オーレリア・ヴェイリエン】
初期安定化:完了
代謝正常化:急速
神経学的安定性:安定
長期観察:推奨
セレネはすぐには口を開かなかった。
そして、グラフの一部分を拡大する。
「誰がメディカル・リカバリーを行ったのですか?」
オーレリアがセラフィエルを指した。
「アストレオン・ヴェロリアです」
セレネが顔を上げた。
その眼差しは、先ほどまでとは違っていた。
紬に対するものではない。
船の規模に対するものでもない。
公爵家という身分に対するものでもない。
それは、まだ理解できていないものを目の前にした医師の眼差しだった。
「セラフィエル」
「はい?」
「あなたの船の医療システムを、直接見せていただきたいです」
室内が、わずかに静かになった。
紬がセラフィエルを見る。
セラフィエルはすぐには答えなかった。
代わりに、新しい画面を表示した。
【医療アクセス申請】
【申請者】セレネ・アルカディア
【専門資格】星間医師
【目的】医療評価/専門的観察
【患者】オーレリア・ヴェイリエン
【要求アクセス範囲】エウフォリア医療研究所
【機密システムへのアクセス】制限
【患者プライバシープロトコル】有効
【セキュリティリスク】低
紬はパネル全体を読む。
「オーレリアの治療に関係する部分を見るだけなら、俺は構わない」
セレネが頷く。
「私も完全なアクセスを求めているわけではありません」
「他の患者のデータは?」
「必要ありません」
「船の機密システムは?」
「必要ありません」
「兵器技術は?」
セレネは瞬きすらしなかった。
「私は医師です。兵器を見るために来たわけではありません」
レアが小さく笑った。
「この先生、好きかも」
カリスタも頷く。
「少なくとも、何を見るべきかは分かっている」
ランが身体を預ける。
「そして、何に触れる必要がないかもね」
ヴェスペラはただ微笑んだ。
やがてセラフィエルが、一部のパネルを閉じた。
「申請は原則として承認します。ただし、エウフォリア医療研究所への直接的な立ち入りは、アストレオン・ヴェロリア内部のアクセスプロトコルに従っていただきます」
「分かりました」
セレネは続いて紬を見る。
「紬」
「ん?」
「もう一つ、お願いがあります」
「何?」
「オーレリアの追加検査中、アストレオンの回復データを、私が使用している星間医療の標準データと比較したいのです」
「いいよ」
「本当に構いませんか?」
「それがオーレリアの助けになるなら、問題ない」
セレネは少し黙った。
「個人所有船のキャプテンにしては、ずいぶん簡単に許可を出すのですね」
「船へのアクセスを許可したわけじゃない。患者に関係する部分へのアクセスを許可しただけだ」
「それは重要な違いですね」
「俺からも一つ条件がある」
「何ですか?」
「検査結果から、オーレリアにここではできない処置が必要だと分かったなら、すぐに言ってくれ。公爵令嬢だからって、結果を合わせたりしないでくれ」
セレネは数秒間、紬を見つめた。
「そのつもりはありません」
「ならいい」
「そして、私からもあなたに同じ条件を求めます」
「どういう意味?」
「もしアストレオンに、私が知っている医療基準より優れた技術があるのなら、理解できないという理由だけで誤りだとは判断しません。ただし、技術が進んでいるからという理由だけで安全だとも判断しません」
紬が薄く笑った。
「それなら、受け入れられる」
セラフィエルがパネルを閉じる。
「それでは、医療部門とアストレオン・ヴェロリアの最初の協力関係を開始できます」
「そんなに正式に言わないでくれ」
紬がため息をついた。
「俺はただ、オーレリアをきちんと診てもらいたいだけだ」
それまで黙っていたオーレリアが、ようやく口を開いた。
「ありがとうございます。皆さん」
紬が振り向く。
「何かあるたびに礼を言わなくていい」
「ですが、本当に感謝しています」
「じゃあ、後で取っておいて」
「後で?」
「帝国の外で、また会った時に」
オーレリアが黙った。
その顔に、小さな笑みが浮かぶ。
「分かりました。取っておきます」
セレネは二人を、口を挟まずに見ていた。
そして再びオーレリアの医療データへ視線を戻す。
目の前には、まだ一つのグラフが表示されている。
回復曲線。
安定性の数値。
低温睡眠の期間。
すべてが明確に示されている。
しかし、見れば見るほど、セレネにはこの結果を単なる幸運だと考えることが難しくなっていった。
最後の部分を拡大する。
【細胞回復パターン】
【観測値】安定
【標準予測】段階的回復
【偏差】顕著
セレネは何も言わなかった。
それまで身体の横で自然に下ろされていた手が、端末の上で止まる。
もう一度、データを見る。
そしてセラフィエルを見る。
「これは、単なる回復技術ではありません」
今度は、セラフィエルも笑わなかった。
紬も答えなかった。
セレネの画面を見る目から、彼らには一つのことが分かったからだ。
この医師は今、もう一度ここへ来る理由を見つけた。
客としてではない。
公爵家の担当医としてでもない。
星間医療の基準では、もっと長い時間を必要とするはずの回復を、アストレオン・ヴェロリアのエウフォリア医療研究所がどのように実現したのかを理解したい、一人の専門家として。
そして紬が考えていたことは、もっと単純だった。
(俺は、ただ一人を家まで送り届けただけなんだけどな)
彼は、いまだ自分の個人口座に請求されているドッキング費用のパネルを見る。
【ドッキング責任】
【キャプテン個人口座】
紬はため息をついた。
そしてセラフィエルを見る。
「明日、また公爵家に請求書を送ってくれ」
「承知しました、キャプテン」
「オーレリアの医療費も忘れずに」
「すでに加えてあります」
「よし」
紬が立ち上がる。
「まだ払ってくれていないなら、少なくとも俺が請求するのを忘れないようにしてくれ」
セラフィエルが微笑む。
「それが、私の知っているキャプテンです」
その後ろで、セレネはまだオーレリアのスキャン結果を見つめていた。
そして、公爵家医療居住区へ来てから初めて、彼女はアストレオン・ヴェロリアを単なる独立系宇宙傭兵の個人所有船として見ることをやめた。
そこにあったのは、彼女がこれまで知ってきたほとんどすべての星間病院とは異なる基準を持っているかもしれない、移動可能な医療施設だった。
次の疑問は、すでに彼女の頭の中に形を成していた。
あの船が、どうやってオーレリアを救ったのかではない。
――アストレオン・ヴェロリアの医療技術は、いったいどこまで到達できるのか。
【次回 第95話――「最初の診察」】
「最初の診察」
セレネは、オーレリアに対する追加の医療検査を開始する。重点となるのは、神経学的状態、代謝、臓器、神経反応、筋肉の回復、睡眠サイクル、そして低温睡眠による影響だ。検査は専門的かつ段階的に行われる。
セレネは、オーレリアが七か月間のスリーピングポッドを生き延びただけではなく、自分が知る基準よりも遥かに高い安定性で身体が回復していることを発見する。
そこからセレネは、その回復の本当の源が何なのかを疑問視し始め、アストレオン・ヴェロリアの医療システム管理者であるセラフィエルと直接会うことを求める。
【第95話へ続く――「最初の診察」】




