第92話「予定外の旅」
第92話「予定外の旅」
ヴェルドラコン帝国到着区域 → 帝都軌道航路
朝が来た。
しかし、それは惑星で迎える朝とは違っていた。
窓の向こうから太陽が昇るわけではない。
変化したのは、軌道構造体の人工照明と船体の外を流れる航行インジケーターの色、そして次の活動サイクルへとゆっくり移行していく港湾運用スケジュールだけだった。
アストレオン・ヴェロリアは、まだ待機区域にいた。
全長八千六百メートルの巨艦には、いまだ出港許可が下りていない。
紬は片手をズボンのポケットに入れたまま、司令室に立っていた。
メインスクリーンには、船の行政ステータスが表示されている。
出発許可 — 保留中
数秒、その文字を見つめる。
そして、ため息を吐いた。
「まだ終わってないのか?」
少し離れた場所に立っていたセラフィエルが、わずかに首を傾けた。
「行政上は、まだです。ただし、進展はあります」
「それは、出発できるようになったってことか?」
「まだ何とも言えません」
「じゃあ、いい進展じゃないな」
後方の席に座っていたレアが、すぐに手を上げた。
「私も賛成。もっと重要な質問がある」
紬が振り返る。
「何だ?」
「いつ食事?」
隣の端末でいくつかの運用報告を読んでいたランは、顔すら上げなかった。
「朝食を食べたばかりだろ」
「それは朝食。今は次の食事について考える時間」
「食事の予定を船の航行システムにするな」
「どうして? 次の目的地が食事だって分かっていたほうが、どんな旅だって楽しいじゃない」
カリスタが小さく笑った。
「技術的には、それは航行じゃないわ。動機付けね」
航行軌道マップを確認していたヴェスペラが、穏やかな口調で付け加える。
「それに、レアの動機はかなり一貫しています」
「みんな、私のことを理解しすぎ」
紬はため息を吐いた。
少なくとも、アストレオン・ヴェロリアの中での日常は正常だった。
パニックもない。
警報もない。
軍の動員もない。
あるのは、デューク家の令嬢を家族のもとへ送り届けたあと、行政区域から出る許可を待っている巨大な船だけだった。
昨夜の出来事がなければ、紬もすべて終わったと思っていただろう。
だが、現実は違った。
セラフィエルが行政画面の一つを拡大する。
「紬。決断をする前に、一つ見ていただきたいものがあります」
紬が近づく。
「何だ?」
一つの文書が表示された。
新しい文書ではない。
アストレオン・ヴェロリアが到着区域へ入る前に受領していた、帝国護衛要請に対する変更記録だった。
セラフィエルが複数の時間情報を重ねて表示する。
最初の護衛要請。
当初の人員リスト。
承認。
その後のリスト変更。
そして、最終的にアストレオン・ヴェロリアへ接近した際に適用されたリスト。
紬は眉を寄せた。
「これ、昨日のやつか?」
「はい」
「もう確認したんじゃなかったのか?」
「行政報告が完了したあと、再確認しました。今回は、それぞれの変更時刻と船側のアクセス記録を照合しています」
一本のタイムラインが拡大された。
「護衛リストの変更は、オーレリアがアストレオン・ヴェロリアから実際に下船する前に行われています」
紬は黙った。
それまで後方から会話を聞いていたレアが立ち上がり、近づいてくる。
「どういうこと?」
セラフィエルは表情を変えずに答えた。
「変更を行った人物は、オーレリアが船を離れる前に、その護衛リストが使用されることを知っていたということです」
ランが画面を見る。
「つまり、オーレリアが家族のもとへ到着したあとに変更されたわけじゃない?」
「その通りです」
カリスタが腕を組む。
「それなら、単なる入力ミスと呼ぶにはタイミングが正確すぎるわね」
ヴェスペラがデータの順序を見つめる。
「アクセス権は?」
「有効です」
レアが鼻をしかめる。
「つまり、正式なアクセス権を持っている誰かが、正式なリストを変更したってこと?」
「技術的には、そうなります」
紬はすぐには答えなかった。
再び出発ステータスを見る。
DEPARTURE CLEARANCE — PENDING
そして、変更リストを見る。
一つだけ、紬が落ち着かないと感じる部分があった。
恐怖を感じているわけではない。
ただ、筋の通らないことが好きではなかった。
昨夜、紬はセラフィエルに「誰が要求したのか」を確認するよう伝えた。
今、その最初の答えが見え始めている。
まだ完全ではない。
それでも、すでに終わっているはずだった旅を、続ける理由としては十分だった。
司令室の扉が開いた。
ダリエン・フォルカーが、一人の行政官を伴って入ってくる。
薄い端末を手にしたその人物は、昨夜と同じように落ち着いた様子だった。
しかし今回は、紬のほうが先に口を開いた。
「あなたが何か言う前に、一つ確認したい」
ダリエンが足を止める。
「どうぞ、キャプテン・ホシザキ」
「デューク家から帝都へ来てほしいという要請は、義務なのか?」
ダリエンは急いで答えなかった。
「いいえ」
「契約上のものか?」
「違います」
「外交的なものか?」
「あなたを外交上の当事者として拘束するという意味ではありません」
紬はゆっくりとうなずく。
「じゃあ、招待か?」
「法的には、そうです。デューク家との面会に出席してほしいという要請です。あなたには、それを受ける法的義務はありません」
後ろからレアが小声で言った。
「断ればいいじゃん」
ランが振り返る。
「何を話したいのかも分かってないだろ」
「だからこそ断るの。何も説明しない相手って、だいたい面倒なことを持ってくるから」
カリスタが笑いをこらえる。
「それ、変な理屈ね」
「でも、よく当たる」
紬は二人の会話を無視した。
ダリエンを見る。
「俺が断った場合、アストレオン・ヴェロリアはこの区域から出る許可を受けられるのか?」
ダリエンは短く息を吐いた。
「原則としては、はい。デューク家の招待を断ったという理由だけで、船を拘束する法的根拠はありません。ただし、出港に関する行政手続きは、帝国到着区域の規定に従って完了させる必要があります」
「どれくらいかかる?」
「正確な時間は申し上げられません」
紬は無表情で彼を見る。
「そういう答えは、だいたい長いって意味だろ」
ダリエンが薄く笑う。
「私は行政部門の人間です、キャプテン。保証できない数字を出して、自分の仕事を侮辱するつもりはありません」
レアが笑いをこらえるように口元を覆った。
紬は逆に、さらに不満そうな顔になった。
「つまり、選択肢は単純だな。断って、すべての手続きが終わるまで待つか。招待を受けて、帝都へ行くか」
「概ね、その通りです」
「そして、どちらかを選べと強制するつもりはない」
「ありません」
紬はうなずいた。
断ろうとした。
ほとんど、そう言いかけていた。
紬の立場からすれば、貴族の家族から話を聞くためだけに帝国の中心部まで行く理由などない。
オーレリアは家へ送り届けた。
仕事は終わっている。
新しい契約もない。
紬側からの正式な依頼もない。
デューク家の内部事情へ、自分からさらに踏み込む理由など、独立系宇宙傭兵には存在しない。
むしろ、そういう面倒こそ避けたい。
紬はセラフィエルへ顔を向けた。
「護衛リストの変更データを、もう一度出してくれ」
「承知しました」
画面が切り替わる。
今度は名前の一覧だけではない。
セラフィエルは、承認時刻、変更時刻、実行時刻の関係を表示した。
三つの点が現れる。
護衛要請。
人員変更。
護衛部隊の到着。
紬は、そのタイムラインをじっと見た。
「オーレリアが下船する何分前に変更された?」
「変更が下船対応の完了前に護衛システムへ反映されるには十分な時間がありました」
「使用されたアクセス権は?」
「有効です」
「外部から変更された可能性は?」
「システムが不正アクセスを受けたという証拠はありません」
紬が眉を寄せる。
「つまり、本来その権限を持っている誰かが、その権限を使った」
「その通りです」
ランがようやく端末を閉じた。
「なら問題は、その人物がシステムへアクセスできたかどうかじゃない。そのタイミングで、なぜその権限を使ったのかだ」
ヴェスペラもうなずく。
「そして、なぜオーレリアの護衛を変更する必要があったのか」
カリスタが机へ身体を預ける。
「その変更が悪意によるものかどうかは、まだ分からない。でも、意図的な変更だったことは分かる」
レアが紬を見る。
「今ここで断ったら、ずっと気になるんじゃない?」
紬はレアを見る。
「お前、帝都へ行きたいのか?」
「グランド・ダイニングより大きなレストランがあるか知りたい」
「それは理由にならない」
「私には十分な理由」
ランが小さく笑う。
「レアを理由に政治的な判断をするなよ」
「私、政治的な判断なんてしてない」
紬は再び画面を見る。
そこには、まだオーレリアの名前が残っていた。
クルーではない。
契約でもない。
もはや彼らの旅の一部でもない。
それでも、誰かがオーレリアの護衛を、彼女がアストレオン・ヴェロリアの中にいる間に変更した。
紬は、下船直前にオーレリアと交わした最後の会話を思い出す。
彼女は自分の意思で帰った。
家族を選んだ。
紬は、それ以上に介入するつもりはなかった。
しかし、オーレリアが実際に引き渡される前に護衛リストが変更されたのなら、その出来事が彼女の帰還と直接関係している可能性はある。
そして、もし本当にそうなら、早く出発したいという理由だけで無視するのは筋が通らない。
紬は、ついに口を開いた。
「行く」
ダリエンがうなずく。
「決定を記録します」
「ただし、俺はデューク家の人間として行くわけじゃない」
「承知しました」
「政治的な代表でもない」
「承知しました」
「それに、あの家の内部事情へ関わるつもりもない」
ダリエンは専門的な口調で答えた。
「あなたの立場は、デューク家との面会要請に応じる外部者、独立系宇宙傭兵として記録するよう手配します」
「それでいい」
紬は一度言葉を止める。
そして、画面を指差した。
「その変更がオーレリアと関係しているのか知りたい」
ダリエンは何もコメントしなかった。
ただ、わずかに頭を下げる。
「承知しました」
その後、官僚はセラフィエルへ端末を差し出した。
「こちらは帝都軌道航路へのトランジット許可です。許可を受領すれば、アストレオン・ヴェロリアは待機区域を離れ、指定航路へ入ることができます」
セラフィエルがデジタル認証を受け取る。
「確認します」
「どうぞ」
ダリエンはもう一度、紬を見る。
「キャプテン・ホシザキ。もう一つだけ」
「何だ?」
「帝都は、フロンティアと同じような航行パターンで入れる区域ではありません。スペース・トラフィック・コントロールの指示には、全面的に従ってください」
紬が眉を上げる。
「俺はいつも規則に従っている」
レアが即座に振り返った。
「本当に?」
「黙れ」
ダリエンが小さく笑った。
「これ以上説明する必要はなさそうですね」
官僚が退出すると、セラフィエルはすぐにトランジット許可を確認し始めた。
いくつもの認証レイヤーが開く。
主要航路。
民間コリドー。
速度制限。
FTL区域。
FTL出口地点。
軌道航路。
人口密集区域の近くでフリースペースFTLジャンプを行う許可はない。
そもそも、行う理由もなかった。
アストレオン・ヴェロリアは民間船の標準をはるかに超える能力を持っている。
だが、能力があることと、安全を無視する理由があることは別だ。
紬は、その原則を以前から理解している。
「どうだ?」
セラフィエルがいくつかのウィンドウを閉じる。
「許可は有効です。帝都区域へ向かう主要民間コリドーを通るトランジット航路が指定されています」
「制限は?」
「ヴェルドラコン標準です。スペース・トラフィック・コントロールの指示に従い、指定航路を維持し、指定区域でFTLへ移行する必要があります」
「分かった」
ヴェスペラが端末から立ち上がる。
「航行ルートは準備した。帝都への航路はかなり混雑している」
紬が彼女を見る。
「どのくらい?」
ヴェスペラがマップを拡大する。
光点が現れた。
最初は数十しかない。
さらに拡大する。
数百。
そして、数千。
小型船がそれぞれ異なる航路を進んでいる。
商業コリドーを使う船もある。
民間航路を進む船もある。
専用識別標識を持つ外交船もいる。
限定的な護衛を伴う貴族用輸送船もいる。
数百メートル級の豪華旅客船が、星系間の乗客を運んでいる。
大型貨物船もある。
専用コリドーを進む軍艦もある。
巡回船もいる。
軌道サービス船もいる。
さらに、外部構造の保守に使用される小型作業艇までもが、より大きな航路の間を移動している。
紬は、その光景を見つめた。
「これ、全部が帝都へ向かってるのか?」
「すべてではありません。一部は中枢軌道網を通過しているだけです。ただし、行政中心部へ近づくほど密度は高くなります」
ランが画面へ近づく。
「商業規模を見てみろ」
別のデータが表示された。
交易航路が血管網のように枝分かれしている。
一つのコリドーは工業区域へ向かっている。
別のコリドーは商業地区へ。
複数の航路が外交施設へ向かう。
旅客ターミナルと別の軌道構造体を接続する航路もある。
そして、そのすべての間を、軍用航路が異なる優先度で移動している。
ランが笑う。
「ここは面白い場所だ」
紬が振り返る。
「商業がか?」
「規模だ。これだけの船が動いているってことは、貨物、乗客、原材料、契約、保険、税、ドッキング、消費、労働力、情報、その全部が同時に動いているってことだからな」
「もうビジネスの機会を計算し始めたのか?」
「まだ始めてもいない」
紬はため息を吐く。
「契約を探すなよ」
ランが笑う。
「契約を取るとは言ってない。見ているだけだ」
カリスタは、遠距離センサーに映り始めた軌道構造体へ目を向けていた。
「建造技術が興味深いわ」
「何が見える?」
「全部を一つの構造体として建造しているわけじゃない。軌道交通網を介して接続された複数層の施設がある。いくつかはターミナル、いくつかは物流拠点、そして別のいくつかは行政施設として機能しているようね」
ヴェスペラが表示を切り替える。
「航行ルートにも垂直方向のレイヤーがある。大型船と小型輸送船が混ざらないようになっている」
セラフィエルがうなずく。
「その通りです。ヴェルドラコンのスペース・トラフィック・コントロールは、船の大きさ、機能、速度、航行状態に基づいて分離しています。外交船には特定のコリドーが割り当てられ、軍艦は分離された航路を使用します。豪華旅客船には、より厳密な入出航スケジュールが設定されています。民間船は一般コリドーに従います」
レアが目を輝かせながらマップを見る。
「そこにレストランはある?」
全員が黙った。
紬は目を閉じる。
「当然、それを聞くのか」
「帝都に入るなら、絶対レストランがあるでしょ」
「今探す必要のある情報じゃない」
「私には重要」
カリスタが笑った。
「レア、せめて降りる許可をもらってからにしましょう」
「探しながら待てる」
紬がこめかみを押さえる。
「まだ着いてない」
「でも、着く」
「それはそうだ」
「じゃあ、探していい」
紬は答えなかった。
レアは満足そうに笑う。
ランが笑いをこらえる。
「負けたな」
「分かってる」
出発準備は、その後、何事もなく進んだ。
カリスタが規定どおりにドッキングシステムを解除したことを確認する。
ヴェスペラが航行ルートを固定する。
ランがトランジットに関する行政書類を処理し、航行中に果たすべき運用上の義務を記録する。
セラフィエルがスペース・トラフィック・コントロールとの通信を処理する。
紬は再び司令席へ戻った。
すべてのシステムが準備完了を示したとき、アストレオン・ヴェロリアはゆっくりと待機区域を離れた。
過剰なエンジン音はない。
急激な動きもない。
全長八千六百メートルの巨艦は、その大きさから見ればゆっくりと動いているように見える。
それでも、その動きは極めて制御されていた。
船体の外では、帝国到着区域の構造体がゆっくりと後方へ流れていく。
小型船が進路を譲る。
一隻の豪華旅客船が隣のコリドーを横切る。
遠方では、外交船が専用航路へ入っていく。
二隻の軍艦が安全な距離を保ちながら移動している。
大型貨物船が商業コリドーへ入る順番を待っている。
混乱はない。
衝突もない。
無秩序に動く船もない。
すべてが、非常に長い時間をかけて運用されてきたシステムの一部であるかのようだった。
セラフィエルが指示を受信する。
「アストレオン・ヴェロリア、こちらヴェルドラコン中枢交通管制。トランジット認証を確認しました。シビリアン・コア・ルート4へ進入してください。速度は船級に応じて制限されます。FTL移行は指定されたFTLエントリー・ゾーンでのみ許可されます」
セラフィエルが応答する。
「ヴェルドラコン中枢交通管制、こちらアストレオン・ヴェロリア。指示を受領しました。シビリアン・コア・ルート4へ進入します。指定された航行制限に従います」
「確認しました。引き続き良好な航行を」
通信が終了する。
紬が身体を背もたれに預ける。
「少なくとも、話が長くないのは助かる」
セラフィエルが微笑む。
「それがお好みですか?」
「かなり」
レアがすぐに割り込んだ。
「私も、すぐにレストランの場所を教えてくれる人は好き」
「それとは違う」
「私にとっては同じ」
アストレオン・ヴェロリアは、やがて主要トランジット・コリドーへ入った。
前方の空間が変わる。
民間航路は、帝国中枢部へ向かってはるか遠くまで伸びていた。
一定間隔で、FTLエントリー・ゾーンが巨大な航行標識網として姿を現している。
それは船の航行システムだけが正確に読み取れるものだった。
セラフィエルが移行手順を設定する。
「指定されたコリドーに従って、FTLへ移行します」
紬がうなずく。
「フリースペースジャンプは使わない」
「使用しません」
「ここは人口密集区域だからな」
「承知しています」
「早く着きたいからって、軌道交通を壊したくはない」
「私も、数日間にわたって事故報告を処理するのは避けたいですね」
紬が彼女を見る。
「冗談か?」
「少しだけ」
レアが笑った。
数秒後、窓の外に見えていた星々が変化する。
アストレオン・ヴェロリアはFTLへ入った。
ヴェルドラコンの中心部へ向かう旅が始まった。
船内では、再び日常が動き始める。
レアは食事の話をしている。
ランは経済データを読んでいる。
カリスタはドッキングシステムを確認している。
ヴェスペラは航路を監視している。
セラフィエルは行政処理を続けている。
そして紬は、ただ座ってマップを見ていた。
しかし、進めば進むほど、入ってくるデータの量が増えていく。
通信密度が上昇する。
船の数が増える。
軌道構造体が、さらに頻繁に現れる。
いくつかの輸送システムが、主要航路を取り囲むリングのように配置されている。
乗り換えステーション。
保守施設。
物流拠点。
旅客ターミナル。
そして、遠くから見ても単なるステーションとは呼べないほど巨大な構造体まである。
紬は、ゆっくりとあることに気づき始めた。
これまで、紬はヴェルドラコンを銀河における大国の一つとして理解していた。
帝国。
デューク。
帝国政府。
貴族家。
しかし、今見えているものは、単なる巨大な王国には感じられなかった。
これは、星間文明のシステムそのものだった。
何百万人もの人々が、このような交通網なしに移動することはできない。
交易システムがなければ、物資が流れることもない。
外交船は、プロトコルなしには移動できない。
軍が独自の航路を持つことも、調整なしには不可能だ。
それどころか、どこかのステーションにある小さなレストラン一軒でさえ、その食卓から見える以上にはるかに巨大な流通システムに依存しているはずだった。
ヴェルドラコンは、宮殿だけではない。
貴族家だけでもない。
一つの惑星だけでもない。
それは、途方もなく巨大な生命のネットワークだった。
紬はメインスクリーンを見る。
「セラフィエル」
「はい?」
「今、俺たちが入っている行政区域は、どれくらい広い?」
セラフィエルがマップを表示する。
「どの定義を採用するかによります。帝都中枢の管轄区域という定義なら、一つの軌道複合施設よりはるかに広範囲です。政府中枢へ直接依存する経済・交通網まで含めるなら、さらに広くなります」
紬は黙った。
「面倒だな」
ランが笑う。
「結論、それか?」
「そうだ」
「この巨大なネットワークを見たあとで?」
「システムが大きくなればなるほど、書類が増える」
カリスタが笑った。
ヴェスペラも微笑む。
レアは真剣な顔でうなずいた。
「私も賛成」
セラフィエルが紬を見る。
「それでも、フロンティアへ戻りたいですか?」
「もちろん」
「ヴェルドラコン文明の中心を見たあとでも?」
「だからこそだ」
紬は、動き続けるマップを見つめた。
「出るだけで、あれだけの許可が必要な場所には住みたくない」
セラフィエルが微笑む。
「承知しました」
旅は続く。
やがて、航行インジケーターが変化した。
FTL EXIT APPROACH
セラフィエルが位置の計算を始める。
「出口地点へ接近しています」
「コリドーに合わせて減速」
「すでに完了しています」
外の空間が再び変化した。
星々が、再び光点として見えるようになる。
そして、遠方に一つの光が現れた。
最初は小さい。
非常に小さい。
しかし、光学システムが映像を拡大すると、その形が見え始める。
巨大な構造体。
一つのステーションではない。
単なるターミナルでもない。
船でもない。
複数層にわたる軌道構造体が、あまりにも巨大な複合施設を形成している。
その外縁は、距離があるために簡単には認識できない。
輸送航路が周囲を取り囲んでいる。
船が出入りしている。
通信の光が、その周辺空間を満たしている。
構造体は、彼らの前でさらに大きくなっていく。
レアが席から立ち上がった。
その目はスクリーンに釘付けだった。
「……あれ、都市?」
セラフィエルが落ち着いた声で答える。
「いいえ。あれも軌道構造体の一つにすぎません」
レアは黙った。
紬は、その構造体を数秒見つめた。
そして、長く息を吐く。
「……デカすぎるだろ」
アストレオン・ヴェロリアは、ヴェルドラコン銀河帝国の中枢へ向けて、さらに進んでいく。
そして旅が始まってから初めて、紬は理解し始めていた。
帝都への単純な招待が、自分の予想よりもはるか深い場所へ彼らを連れていくことになるかもしれない。
紬が望んだからではない。
オーレリアが船を離れる前に、護衛リストが変更されていたからだ。
そして今、彼らは、その変更について誰かが説明しなければならない場所へ向かっている。
【次回 第93話――「帝都」】
アストレオン・ヴェロリアは帝都の軌道複合施設へ入る。
しかし、進入手続きによって、彼らがすぐに皇族の居住区域へ向かえるわけではない。
船の身元、ラグジュアリー・プライベート・スターシップとしての登録状態、クルーの身元、独立系宇宙傭兵としてのライセンス、その他の行政上の義務が、正式な手続きを経なければならない。
その後、彼らはデューク家の区域へ向かうことになる。
ランは帝都の交易規模に興味を示し始め、カリスタは帝国のドッキング技術に注目し、ヴェスペラは軌道構造の建築を観察する。
一方、レアは相変わらず食事の場所を探すことに夢中になっていた。
セラフィエルは行政処理を担当し、紬とアストレオン・ヴェロリアの登録上の身分が正しく維持されていることを確認する。
しかし、彼らが行政複合施設を離れる前に、オーレリアの医療検査に関する新たな要請が届く。
【第93話――「帝都」へ続く……】




