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ASTRAEON VELORIA――銀河を旅する自由傭兵――  作者: Ren Hazumi


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【第86話】「ヴェルドラコンは娘を探す」

【第86話】「ヴェルドラコンは娘を探す」


銀河レジャー・コリドー。


23日目。


06:00。


ASTRAEON VELORIAのグランド・サロンに、朝の照明がゆっくりと灯っていく。


現地の時間周期に合わせて調整された光量が、周囲の変化に合わせるように静かに変化していた。


パノラマウィンドウの向こうでは、漆黒の宇宙をいまだ無数の星々が埋め尽くしている。


遠くでは、いくつかの光点がゆっくりと移動していた。


民間船。


観光輸送船。


貨物船。


その中には、次の星系へ向かうため、並行航路へと入っていく大型旅客船の姿もあった。


銀河は、いつも通りに動き続けている。


ただ一つ。


グランド・サロンのあるテーブルでは、一つの名前が皆の意識の中心になっていた。


Aurelia Veyrienne。


Aureliaは両手で温かな飲み物の入ったカップを包むように持っていた。


その前には、簡素な朝食が並んでいる。


その一部は、船内で生産された合成食材から作られたもの。


そしてもう一部は、旅の途中で購入した有機食品だった。


ラベルを見なくても、その違いは感じ取れる。


一方は、生きるために必要なものを満たすために作られている。


もう一方は、味わうために作られている。


Seraphielはその向かいに座っていた。


落ち着いた手つきで料理を一切れ切り分けると、そのまま口へ運ぶ。


Rheaは、すでに皿の料理をほとんど食べ終えていた。


Calistaはそれよりもゆっくりと食事を進めている。


Lanは現地経済のニュースを読んでいた。


Vesperaは観光航路の地図を確認している。


そしてTsumugiは、窓の近くに立っていた。


朝の空気は、いたって普通だった。


Seraphielが口を開くまでは。


「Tsumugi。」


その声には、いつもとは違うものがあった。


慌てているわけではない。


緊張しているわけでもない。


ただ、朝食中の会話にしては、あまりにも真剣だった。


Tsumugiが振り返る。


「どうした?」


Seraphielはテーブルの上にホログラフィック・パネルを展開した。


そこに表示された文書は、普段の通知とは比べものにならないほど正式なものだった。


最上部には、帝国の紋章。


Aureliaは、それを見た瞬間に理解した。


手にしていたカップが、空中で止まる。


「それは……」


Seraphielは彼女の言葉を遮らなかった。


「そうです。」


Tsumugiが近づく。


帝国紋章の下には、複数の認証層が存在していた。


外交暗号。


権限証明書。


そして政府ネットワークの署名。


さらに、その名前を見た瞬間、Aureliaはもう、この旅が完全に私的なものではないと誤魔化すことができなくなった。


VELDRAKON GALACTIC EMPIRE


Rheaが食べ物を飲み込む。


「本気?」


Lanも読んでいたニュースを閉じた。


「もう正式なネットワークまで届いたのか?」


Vesperaが首を傾ける。


「ただの通常の捜索報告じゃない。」


「その通りです。」


Seraphielが文書の主要部分を拡大する。


「これは帝国公式捜索通知です。」


Aureliaはカップを下ろした。


「本当に……私を探しているんだ。」


誰も、すぐには答えなかった。


Tsumugiはその代わりに椅子を引き、腰を下ろした。


「最初から読んでくれ。」


Seraphielが頷く。


「名前:Aurelia Veyrienne。種族:Human。年齢:18歳。状態:行方不明。国籍:ヴェルドラコン銀河帝国。」


Aureliaが息を吸う。


「合ってる。」


Seraphielは続けた。


「この通知は、ヴェルドラコンの正式な行政経路を通じて発行され、星系間の文明圏と関係を持つネットワークへ配布されています。」


Calistaがフォークを置いた。


「つまり、そのネットワークにアクセスできる人なら誰でも知ることができるの?」


「全員ではありません。」


Seraphielはいくつかのセキュリティ層を切り替える。


「ですが、港湾当局、特定の治安ネットワーク、地域政府、そして外交アクセス権を持つ機関には、この情報が届く可能性があります。」


Rheaが背もたれに寄りかかる。


「じゃあ、次の星系に入って身元確認をされたら……」


「Aureliaの名前が出ます。」


Rheaは狐の耳を掻いた。


「うわ。これは面倒になってきた。」


Tsumugiは大げさな反応を見せなかった。


文書を指差す。


「どれくらい信用できる?」


SeraphielがTsumugiを見る。


「技術的には? 非常に高い信頼性があります。」


「技術の話を聞いてるんじゃない。」


「分かっています。」


Seraphielの口元に小さな笑みが浮かぶ。


「発行した側が、本当にAureliaの捜索を要請する権利を持っているのかを確認しています。」


Aureliaが顔を上げた。


「私はヴェルドラコンの国民なんでしょう?」


「はい。」


「それに、私の家族もそこにいる。」


「その通りです。」


「なら、他に何を確認する必要があるの?」


Seraphielはすぐには答えなかった。


代わりにTsumugiが口を開く。


「誰かが君の家族だと名乗ったとしても、姓が同じだからって、そのまま君を引き渡すわけにはいかない。人を見つけることと、その人を連れていく権利があることは、別の話だからな。」


Aureliaは黙り込んだ。


Tsumugiは続ける。


「もし誰かが君の家族だと名乗ったとしても、姓が同じだからという理由だけで、俺はすぐに君を引き渡したりはしない。」


「でも、相手は政府なんでしょう?」


「だからこそだ。」


Tsumugiは文書の紋章を指差した。


「本当に政府なら、それを問題なく証明できるはずだ。」


Lanが頷く。


「船長の言う通りです。地域をまたぐ案件では、要求している側の身元は、捜索対象者の身元と同じくらい重要です。」


Calistaが背を預ける。


「じゃあ、誰かが文書を偽造していたら?」


Seraphielは迷うことなく答えた。


「紋章を見ただけでは分かりません。」


Vesperaがようやく航行パネルを閉じた。


「つまり、発信元を確認する必要がある。」


「その通りです。」


Seraphielが手を動かす。


複数のデータ層が表示された。


Aureliaは黙ったまま、そのすべてを見つめている。


見覚えのある紋章もいくつかあった。


しかし、いくつかのデジタル署名は、彼女の知識の範囲を超えている。


Tsumugiが彼女の表情を見る。


「その紋章、分かるか?」


「ほとんどは。」


Aureliaが一つの部分を指差した。


「これは帝国ネットワークの認証署名。こっちは地域間の正式な通信に使われるもの。でも、その下にあるものは……」


そこで言葉を止める。


「分からない。」


Seraphielがその紋章を拡大する。


「興味深いですね。」


Aureliaが眉を寄せる。


「何が?」


「あなたが、この層を知らないことです。」


「私が知っているべきなの?」


「もし高位の外交経路を通した家族関連の文書を受け取った経験があるのなら、似た形式を見たことがある可能性は高いです。」


Aureliaは首を横に振る。


「ない。」


Tsumugiが画面を見る。


「なら、Aureliaが知らないからといって、全部正しいとは考えないほうがいい。」


「同感です。」


Seraphielが表示を切り替える。


新しい一覧が現れた。


身元確認


名前。


生年月日。


DNA。


生体認証署名。


国籍登録。


家族登録。


公爵家登録。


Tsumugiは一つずつ目を通す。


「身元から始めよう。」


Seraphielが頷く。


「分かりました。」


Aureliaのデータと通知の内容が照合されていく。


一つ目のインジケーターが変わる。


一致。


続いて二つ目。


一致。


三つ目。


一致。


四つ目。


一致。


Aureliaが結果を見つめる。


「全部一致したの?」


「生体情報と基本的な身元情報は、非常に高い確度で一致しています。」


「じゃあ、本当に私なの?」


Rheaがすぐに口を挟んだ。


「18歳で、Aurelia Veyrienneって名前で、しかもDNAまで同じ人が他にいるっていうの?」


AureliaはRheaを見る。


「知らない。」


Rheaは肩をすくめる。


「じゃあ、そのまま次に進もう。」


Calistaが小さく笑った。


「ものすごく高度な調査方法ね。」


「私は調査官じゃないから。」


「それは助かるわ。」


RheaがSeraphielを指差す。


「Seraphielがやってくれるなら、私は信じる。」


Seraphielが微笑む。


「ありがとうございます。ただ、正式なネットワークから届いたというだけで、生データをそのまま信用するつもりはありません。」


AureliaがSeraphielを見る。


「どうして?」


「正式なシステムにも、誤りはあります。」


「帝国のシステムでも?」


「複数の機関が管理するシステムなら、なおさらです。」


Seraphielがパネルに触れる。


「入力ミスがあるかもしれない。更新が遅れているかもしれない。古いデータベースから引き継がれている可能性もある。アクセス権限が異なる場合もあります。場合によっては、法的にはすでに無効になっている身元情報を使用している可能性すらあります。」


Tsumugiが頷く。


「つまり、身元が一致したからといって、迎えに来るという要求まで自動的に正当になるわけじゃない。」


「その通りです。」


Aureliaは黙り込んだ。


彼らの話し方を聞いているうちに、Tsumugiが自分の帰還を邪魔しようとしているわけではないことに気づいた。


むしろ、本当に安全な形で帰れるように確認している。


そのことが、胸の奥を少しだけ温めた。


けれど同時に、別の何かが彼女を落ち着かなくさせていた。


「Tsumugiさん。」


「ん?」


「もし、全部が本当に正式なものだったら……私を引き渡すんですか?」


Tsumugiはすぐには答えなかった。


Rheaも食事の手を止める。


Lanが二人を見る。


Vesperaも黙った。


Calistaはカップを下ろした。


Seraphielも待っている。


やがてTsumugiが口を開いた。


「本当に正式なもので、君自身が帰りたいと思っているなら、当然そうする。」


Aureliaはカップを握り直す。


「……それだけ?」


「何を期待してるんだ?」


「分かりません。」


「君が帰りたいなら、俺は君を引き止めない。」


AureliaがTsumugiを見つめる。


「それでも……私がここにいることに、もう慣れてしまっていたとしても?」


Tsumugiは小さく息を吐いた。


「それは別の問題だ。」


「別?」


「俺が船の中で君を見ることに慣れているかもしれない。Rheaも君と一緒に食事をすることに慣れるかもしれない。Lanは、数える人数が増えたって文句を言うかもしれない。Calistaは君が整備区画の床を踏んだら小言を言うだろう。Vesperaは、君のために別の観光地をこっそり探しているかもしれない。」


Vesperaが眉を上げた。


「私はそんなこと、一度も言っていません。」


「でも、俺には分かる。」


「それは憶測です。」


「そうだな。」


Tsumugiは再びAureliaを見る。


「でも、それを理由に君をこの船の所有物にするわけにはいかない。」


Aureliaは何も答えなかった。


Rheaが少しだけ俯く。


「Captainは、そういう人だから。」


Lanが笑う。


「残念ながら。」


「何が残念なんだ?」


「Captainみたいな人は、無理やり何かをさせるのが難しいから。」


「聞こえてるぞ。」


「わざとです。」


空気が、再び少しだけ和らいだ。


Aureliaも小さく笑った。


けれど今度は、その目が少し潤んでいる。


彼女はすぐに顔を逸らした。


Seraphielは、何事もなかったかのようにパネルの操作を続けた。


誰も、それを口にしなかった。


それが、言葉を必要としない気遣いだった。


07:20。


次の確認は、法的権限へと移った。


Seraphielは、銀河レジャー・コリドーからアクセス可能な法務ネットワークを開く。


Tsumugiは通信室の船長席に座っていた。


Aureliaはその隣にいる。


Seraphielはコンソールの数歩前に立っていた。


Rhea、Lan、Vespera、Calistaは、あえて近くには入らなかった。


彼らが気にしていないからではない。


7人が同時に話す必要のある問題ではないからだ。


Tsumugiが一つの項目を指差す。


「何が必要なんだ?」


Seraphielが答える。


「まず、通知を発行した側に、地域をまたぐ捜索を申請する権限があることの証明。」


「二つ目は?」


「その要求が現在も有効であることの証明。」


「三つ目は?」


「要求の範囲です。情報提供なのか、一時的な保護なのか、拘束なのか、それとも個人の引き渡しなのか。」


Aureliaが眉を寄せる。


「全部同じじゃないの?」


Seraphielは首を横に振った。


「違います。」


文書を拡大する。


「『所在を確認し、保護する』と、『所在を確認し、移送する』では意味が違います。」


Aureliaは黙った。


Tsumugiが続ける。


「それに、もし場所の確認だけを求めているなら、それを君を引き渡せという命令だと受け取る必要はない。」


「その通りです。」


Seraphielが画面を切り替える。


「この通知で使用されているのは、捜索と所在確認という表現です。民間船に対して、強制的な移送を命じる明確な指示はありません。」


Tsumugiが背もたれに寄りかかる。


「それならいい。」


Aureliaが彼を見る。


「安心したように見えます。」


「俺は、いくらでも解釈できる文章が嫌いなだけだ。」


Seraphielが微笑む。


「Captainは、どうやら官僚制度とは相性がよくないようですね。」


「官僚制度のほうが、俺とはもっと相性が悪い。」


部屋の端からRheaの笑い声が響く。


「やっぱり、それ言うと思った。」


Tsumugiが振り返る。


「聞いてたのか?」


「ドアが開いてたから。」


「便利な理由だな。」


Lanがニヤリと笑う。


「心配しないでください。邪魔はしません。」


「もう邪魔してる。」


「でも、礼儀正しく。」


Tsumugiは言い返せなかった。


Seraphielは笑いを堪えていた。


08:10。


確認は家族側の請求権へと移った。


ここからは、さらに難しくなる。


Aureliaには、自分自身で確認可能な家族関連データの一部へアクセスしてもらう。


個人的な情報をすべて提供するよう求められたわけではない。


必要なのは、文書に記載された名前が、本当に自分と法的な関係を持っているのかを確認するために必要な情報だけだった。


Aureliaはコミュニケーターを開く。


指の動きは、いつもより遅かった。


Tsumugiが彼女を見る。


「きついなら、ここで止めてもいい。」


「いいえ。」


Aureliaは首を横に振る。


「私も知りたい。」


「分かった。」


「もう長い間、家族のデータを見ていなかったから。」


彼女が画面を操作する。


そこに、一つの家紋が表示された。


その表示を見た瞬間、彼女の表情が変わった。


恐怖ではない。


悲しみでもない。


まるで、ここ数か月の間、記憶の中にしか存在しなかった自分の人生の一部分を、突然目の前に見つけたような表情だった。


「これが、私の家の紋章。」


Seraphielが照合する。


「家族登録が存在します。」


「父の名前……」


Aureliaが言葉を止める。


「まだ、登録されてる。」


Tsumugiは何も尋ねなかった。


Aureliaが唾を飲み込む。


「馬鹿みたいに聞こえるのは分かっています。」


「そんなことはない。」


「ただ……」


彼女は小さく笑う。


「自分が何を期待していたのか、分からないんです。」


Seraphielがデータを確認する。


「家族関係が登録されています。」


「一致してる?」


「一致しています。」


Aureliaが息を吐く。


「少なくとも、ここは変わっていないんだ。」


Tsumugiが彼女を見る。


「変わっていてほしかったのか?」


「いいえ。」


答えは即座だった。


「ただ、帰ったときに、全部が知らないものになっていたらどうしようって……怖かったんです。」


「そう感じる可能性はあるかもしれない。」


Aureliaが振り向く。


Tsumugiは、安易な慰めの言葉を口にしようとはしなかった。


「君は7か月の間に変わった。君がいない間、家族だって生きていたんだ。だから、家が君が出ていったときとまったく同じに感じられるなんて、期待しないほうがいい。」


AureliaはTsumugiを見つめる。


「少し酷いですね。」


「分かってる。」


「でも、理にかなっています。」


「それも分かってる。」


Aureliaが小さく笑う。


「あなたって、いつもそうなんですか?」


背後からSeraphielが答えた。


「残念ながら、そうです。」


「Seraphiel。」


「事実を伝えただけです。」


「あなたたち二人って、本当に……」


Aureliaはそこで言葉を止めた。


その代わりに、笑った。


09:00。


最後の段階は、外交資格だった。


Seraphielは、通知に記載された正式な通信経路へ接続する。


公開チャンネルではない。


メディアネットワークでもない。


通常の治安機関の窓口でもない。


一つの外交チャンネルが開かれた。


スピーカーから、一人の官僚の声が流れる。


「《ASTRAEON VELORIA、こちらヴェルドラコン銀河帝国外交通信局。正式な通知を確認していただきたい。》」


Seraphielは、それに相応しい外交言語で答える。


「《こちら ASTRAEON VELORIA。通知は受領しています。現在、本人確認および法的権限の確認を行っています。》」


Tsumugiは口を挟まない。


Aureliaはその隣に座っている。


官僚が答える。


「《対象者が船内に存在する可能性について、確認を求めます。》」


SeraphielがTsumugiを見る。


Tsumugiは小さく頷いた。


Seraphielが答える。


「《本人は船内にいます。現在、医療上および行政上、通信を妨げる問題はありません。》」


Aureliaが振り向く。


Seraphielは短く説明した。


「あなたがここにいることを伝えました。」


Aureliaが息を吸う。


「分かった。」


スピーカーから、再び声が流れる。


Seraphielは数秒間、その内容を聞いていた。


そして、表情がわずかに変化した。


Tsumugiはすぐに気づく。


「どうした?」


Seraphielが一時的に通信を閉じる。


「追加の確認を求めています。」


「何が足りない?」


「あなたの身元が生体認証上、一致しているだけではなく、本当に自分自身の意思でAurelia Veyrienneだと名乗っていることを確認したいそうです。」


Aureliaが眉を寄せる。


「それって、変じゃない?」


「それほどでもありません。」


Seraphielが説明する。


「向こうからすれば、誰かがあなたの身元を利用している可能性もあります。あなた自身が確認しない限り、ASTRAEON VELORIAの中にいる人物が誰なのか、彼らには分かりません。」


TsumugiがAureliaを見る。


「話すか?」


Aureliaはコミュニケーターを見る。


手が、ほんの少し震えた。


それから、彼女はそれを強く握り直す。


「はい。」


Seraphielが通信を再開する。


Aureliaが近づく。


数秒間、彼女はただ黙っていた。


そして、声を発した。


「《私の名前は、アウレリア・ヴェリエンヌです。私は現在、ASTRAEON VELORIAにいます。》」


Seraphielは翻訳しなかった。


必要なかった。


Tsumugiにも、その意味は分かっている。


Aureliaは自分自身の名前を、自分自身の口で名乗った。


公爵令嬢としてではない。


政治的資産としてでもない。


被害者としてでもない。


ただ、Aureliaとして。


通信チャンネルが静まり返る。


やがて、官僚の声が再び聞こえた。


Seraphielが応答する。


何度か短い通信が交わされた。


数分後、通信は終了した。


Aureliaが長く息を吐く。


「終わった?」


Seraphielは画面を見る。


「最初の部分は。」


「最初の部分?」


「はい。」


Tsumugiが眉を上げる。


「問題があるのか?」


Seraphielは認証結果を表示する。


「あなたの身元については、問題ありません。」


「じゃあ……?」


「外交資格も有効です。」


Aureliaの表情が少しだけ緩む。


しかし、Seraphielはまだ終わっていなかった。


「ですが、一つ違うものがあります。」


Tsumugiが彼を見る。


「何だ?」


Seraphielは追加の文書を一つ開く。


「ヴェルドラコンの外交ネットワークには、Aurelia Veyrienneに対する有効な要求経路が二つ以上存在します。」


部屋が静まり返った。


ちょうどLanと一緒に入ってきたRheaも、その場で足を止める。


「二つ以上?」


「その通りです。」


Tsumugiが立ち上がる。


「誰からだ?」


Seraphielが画面を見る。


その朝初めて、その表情から本当の真剣さが滲み出た。


「一つ目は、帝国政府からです。」


Aureliaが息を止める。


「そして、二つ目は?」


Seraphielはまだ答えなかった。


新しい通知が表示される。


ただのネットワーク通知ではない。


別の経路から、新しい文書が送られてきている。


そのヘッダーには、別の紋章が使われていた。


帝国のものより小さい。


より個人的なもの。


しかしAureliaは、それを一秒で認識した。


表情が変わる。


「それは……」


Tsumugiが振り向く。


「知ってるのか?」


Aureliaはゆっくりと頷いた。


「はい。」


Seraphielが文書を拡大する。


パネルの中央に、そのタイトルが表示された。


公爵家からの要請


Aureliaは、瞬きもせずにそれを見つめた。


Tsumugiは最初の一行を読む。


次に二行目。


そしてSeraphielを見る。


「つまり、帝国政府と公爵家が、それぞれ別の要求を送ってきた?」


「その通りです。」


Tsumugiが目を細める。


「内容は同じか?」


Seraphielは二つの文書を並べて表示する。


数行を読み込む。


そして答えた。


「いいえ。」


Aureliaは動かない。


Rheaから笑みが消える。


Lanは経済パネルを閉じた。


Vesperaは地図から完全に視線を外した。


Calistaはテーブルの上に手を置く。


Tsumugiは、宙に並んだ二つの文書を見つめた。


帝国の紋章。


公爵家の紋章。


同じ名前。


同じ人物。


しかし、その要求の内容は――


異なっていた。


Seraphielはゆっくりとパネルを閉じる。


「Tsumugi。」


「ん?」


「二つとも、非常に慎重に読む必要があります。」


Tsumugiが頷く。


「分かってる。」


Aureliaは、二つの文書を見つめた。


帰ると決めた、その瞬間から。


家へ戻ることは、もっと単純なものだと思っていた。


けれど今になって初めて、彼女は気づいた。


帰路は、自分が想像していたほど簡単ではないのかもしれない。


そして、その二通の正式な文書の間には――


Aurelia Veyrienneという名前に対して、二つの異なる意図が記されていた。


---


【次話予告・第87話――「二通の迎えの手紙」】


Tsumugiは、Aureliaの問題が単に一人の令嬢を故郷へ送り届けるだけのものではないことに気づく。


帝国政府からの要求と、公爵家からの要求の違いが、少しずつ明らかになっていく。


そこには、帝国政府の思惑、公爵家の事情、家族の安全、そして他の貴族たちの利害までが絡んでいた。


そしてAureliaは、ついに口にする。


「お願いです。私自身を、送り届けてください。」


【第87話へ続く……】

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