【第77話】「護衛のいない一日」
【第77話】「護衛のいない一日」
21日目。
人工太陽が観光区画を照らし始めると、ペラジア・ノーヴェは昨日とは違う顔を見せ始めた。
ASTRAEON VELORIAが停泊している観光ターミナルから、歩行者用の通路が主要区画へ向かって伸びている。
人工海水が、その区域の大部分を取り囲んでいた。
澄み切った青い水面の向こうでは、人工島の上に建つ高層建築群が、まるで空中に浮かんでいるかのように見える。
区画間を結ぶ交通機関は、騒音をほとんど立てることなく行き交っていた。
透明な軌道の上を磁気浮上列車が走り、小型観光船が運河の間を進んでいく。
サービスドローンは、観光客が購入した商品を各所へ届けていた。
遠くでは、浮遊ホテルが人工太陽の軌道に合わせるように、ゆっくりと位置を変えている。
ペラジア・ノーヴェは、ただ海辺を楽しむためだけの惑星ではない。
ここは、人々があまりにも広大な世界の中で生きていることを、一時だけ忘れるために造られた場所だった。
アウレリアはターミナルの出口の前に立っていた。
しばらくの間、動かなかった。
その横から、レアが彼女を見ている。
ランは携帯端末で観光区画の案内カタログを確認していた。
ヴェスペラはすでに交通マップを調べ終えている。
一方、カリスタはターミナル施設を動かしているエネルギーシステムに目を向けていた。
セラフィエルは少し離れた場所に、実体を持つ身体で立っている。
ASTRAEON VELORIAの管制室にいる時とは比べものにならないほど、ずっと気楽な服装だった。
ツムギはジャケットのポケットに両手を入れた。
そして、気軽な調子で尋ねる。
「それで、アウレリア。どこへ行きたい?」
アウレリアが瞬きをする。
「どこへ……?」
「うん。今日は予定なし。会議なし。船の検査なし。契約なし。それから、三時間も特定の部屋に座っていろって命令してくる家族もなし」
「ホシザキ船長……」
「ツムギでいいよ」
「ツムギさん……」
「ん?」
アウレリアは目の前の道を見つめた。
人々が、それぞれ違う方向へ歩いている。
小さな子供が父親の手を引き、アイスクリーム店へ向かっている。
若い恋人たちは案内板の前で足を止めていた。
異なる種族の観光客たちが、忙しそうに写真を撮っている。
アウレリアの数歩後ろに立つ者は、誰もいない。
護衛もいない。
使用人もいない。
専用の乗り物もない。
彼女が選んだ道が許可されたものなのか、確認する者もいない。
アウレリアはゆっくりと息を吸った。
「歩きたいです」
ツムギは薄く笑った。
「それなら簡単だ。足は歩くためについてるから」
レアがすぐに小さく笑う。
「ツムギ、簡単な言葉を哲学みたいに言わないで」
「普通に質問に答えただけだけど」
「問題は答え方よ」
アウレリアも微笑んだ。
小さな笑みだった。
けれど、今までとは違う。
公爵令嬢としての表情を保とうとしているわけではない。
ただ、嬉しいのだ。
ツムギは前方の道を指した。
「じゃあ、歩こう。何か気になるものがあったら言って」
「いいのですか?」
「なんで先に聞く必要があるの?」
アウレリアは黙った。
ツムギは続ける。
「ただし、区画全部を買いたいっていうなら先に言って。ランが倒れないように」
ランがすぐに顔を上げた。
「私は倒れません。ただ、口座が泣き始めるまでにどれくらいかかるか計算します」
「ほら。ランも許可してくれた」
「許可ではありません。財務上の警告です」
レアがまた笑った。
アウレリアは手で口元を覆う。
「あなたたちは……いつもこんな感じなのですか?」
ヴェスペラが地図から目を離さずに答えた。
「だいたいは」
カリスタが続ける。
「たまに、もっとひどい」
セラフィエルが片眉を上げる。
「『たまに』という表現には異議があります」
ツムギはセラフィエルの肩を叩いた。
「君まで弁護しなくていいよ」
彼らはようやく歩き始めた。
そしてアウレリアは、長い間で初めて、誰かの後ろを歩かなかった。
彼女は皆の真ん中を歩いていた。
高くもない。
低くもない。
ただ、休暇を楽しむ一人の少女として。
最初に訪れたのは、浮遊型ショッピングセンターだった。
巨大なリング状の建物が、ウォーターパークを取り囲むように造られている。
衣服、宝飾品、電子機器、土産物、化粧品。
さらには、アウレリアには名前すら分からない商品まで、数え切れないほどの店が並んでいた。
中へ入った瞬間、アウレリアの視線があちこちへ動く。
レアはすぐに、その変化に気づいた。
「ほら」
アウレリアが振り向く。
「何ですか?」
「その顔」
「私の顔?」
「今になってようやく、初めて店を見た18歳の少女みたいな顔になった」
アウレリアは少し恥ずかしそうにする。
「買い物自体は、よくしています」
ランが口を挟んだ。
「誰かが用意したリストに従って買い物をするのと、自分で選ぶのは別です」
アウレリアは黙った。
単純な言葉だった。
けれど、的確だった。
彼女は一軒の衣料品店へ入った。
店員がカウンターの後ろから声をかける。
「いらっしゃいませ。ご自由にご覧ください。サイズや素材について何かございましたら、お声がけください」
特別な挨拶はない。
肩書きもない。
アウレリアの身分を知ったとしても、声の調子が変わることもない。
それが、かえって心地よかった。
アウレリアは陳列されていた夏服の一着に触れた。
「軽い素材ですね」
レアがタグを見る。
「合成熱繊維ね」
アウレリアがレアを見る。
「合成?」
「そう」
「では……有機素材ではないのですか?」
店員が親切に説明する。
「この区画の観光用衣料品のほとんどは、合成繊維を使用しています。安価で、水にも強く、手入れも簡単で、生産も安定しています。有機素材も取り扱っていますが、価格はかなり高くなります」
アウレリアは頷いた。
「分かりました」
ツムギがラックから一着を取る。
「これ、いいんじゃない?」
アウレリアが見る。
「本当に?」
「色もデザインも、海に合ってる」
「その基準で選ぶのですか?」
「政治を基準に選ばないといけないの?」
レアは笑いをこらえるため、口元を押さえた。
アウレリアは、とうとう笑った。
「それなら、試してみます」
「うん。それでこそ自分で決めたってことだ」
彼らは、その店でかなり長い時間を過ごした。
アウレリアに新しい服が必要だったからではない。
ただ、自分以外の誰かが先に決めたものではなく、自分自身で何かを選ぶという感覚を味わいたかったのだ。
彼女は観光旅行中に着るための、軽い服を何着か選んだ。
派手ではない。
高級でもない。
ただ、自分が心地よく感じられる服だった。
支払いが終わると、アウレリアは取引画面を見つめた。
心配になるような数字は表示されていない。
ツムギたちは、最後の契約報酬を受け取ったことで、十分な旅行資金を持っている。
それでもランは、支出総額を確認していた。
「油断しないでください」
ツムギが振り向く。
「俺たちには2,200,000ギャラクティック・クレジットあるだろ」
「知っています」
「じゃあ?」
「お金があるからといって、頭まで休暇に入っていいわけではありません」
ツムギは黙った。
レアが笑う。
「ランの言う通りね」
「お金の話になると、みんな息ぴったりだな」
「お金は、使う時に限って息が合わないからです」
アウレリアが笑った。
今度は、もっと自然に。
昼が近づく頃、彼らは上階のレストランへ向かった。
そこには人工海を見渡せる開放的なテーブル席が用意されていた。
眼下では、観光船がゆっくりと進んでいる。
店員がデジタルメニューを持ってきた。
アウレリアが料理の一覧を開く。
そして、ある項目で目を止めた。
「どうして二つのカテゴリーがあるのですか?」
ツムギも画面を見る。
「どれ?」
「Synthetic FoodとOrganic Foodです」
ランが向かい側の席に座った。
「ほら。これが銀河の面白いところです」
アウレリアはメニューの説明を読む。
合成食品は、培養タンパク質、合成脂肪、人工的に製造された植物由来素材、そして工業的な工程によって作られたさまざまな風味成分を使用している。
一方、有機食品は、農業、畜産、あるいは海洋資源によって実際に育てられ、収穫されたものだ。
違いは、味だけではない。
価格も大きく異なっていた。
アウレリアは眉を寄せる。
「有機食品は、こんなに高いのですか?」
「場所にもよるけど、ペラジア・ノーヴェみたいな高級観光地では、本物の有機素材そのものが高価な商品として扱われてる」
ツムギがメニューを見る。
「合成食品のほうが安いんだな」
「かなり安いです」
ランが答えた。
「どうして?」
ランは画面の説明を指差した。
「合成食品は需要に応じて生産できます。季節を待つ必要がありません。広大な農地も必要ない。天候や害虫、原材料の流通にも左右されません」
カリスタも説明に加わった。
「工業的にも、生産工程をはるかに管理しやすい。栄養成分の調整も可能」
アウレリアは頷いた。
「それでも、有機食品は人気があるのですね」
「人間って変だよな」
ツムギが答える。
アウレリアが彼を見る。
「変?」
「栄養成分が正確で、安全で、長期保存できて、味も悪くない安い食品を作れる。それなのに、『本物の土で育てて収穫しました』って言った瞬間、値段が上がる」
レアは頬杖をつく。
「変じゃないわ。体験の問題よ」
「体験?」
「木に実った果物を食べるのと、合成食品施設で作られた製品を食べるのでは違う。栄養成分がほとんど同じでも、人間は食べ物の背景にある物語を好むものよ」
セラフィエルが付け加えた。
「心理的にも、希少性は価値の認識を高めます」
ツムギは息を吐く。
「ほら。食べ物にまで政治がある」
ランが笑った。
「政治ではありません。経済です」
「財布からすれば、どっちも同じくらい痛いけどな」
アウレリアはしばらくメニューを読み続けた。
そして、指が一つの料理の上で止まった。
「これにします」
ツムギが選んだ料理を見る。
「有機のほう?」
「はい」
「どうして?」
アウレリアは微笑んだ。
「今日は、誰かが私のためにそれが一番だと言ったからではなく、自分で選んだものを試してみたいのです」
ツムギは数秒、何も言わなかった。
それから頷いた。
「じゃあ、頼もう」
レアが別の料理を指差す。
「私はこれ」
カリスタは合成素材を使った料理を選んだ。
「私はこれでいい」
ヴェスペラは軽めの料理を選んだ。
ランは価格と量のバランスが取れていると思った料理を選ぶ。
セラフィエルは栄養成分まで比較していた。
ツムギが彼を見る。
「休暇中だぞ」
「消費効率を決めています」
「それ、カロリー計算の別名だろ」
「違います」
レアが笑った。
「セラフィエル、たまにはそんなに真面目にならなくてもいいのよ」
「私は真面目にしているわけではありません。ただ、ツムギがなぜこれほど多くの料理を注文するのか理解できません」
ツムギがテーブルを見る。
「腹が減ってるから」
「非常に単純な答えですね」
「食事って、そういうものじゃないのか?」
料理が運ばれてくると、会話は少しずつ途切れていった。
有機肉のグリルから、香ばしい匂いがテーブルいっぱいに広がる。
普段食べる合成食品のように均一な食感ではない。
肉の繊維にはばらつきがあった。
柔らかな部分もある。
少し硬い部分もある。
味付けは強くない。
その分、素朴な味わいだった。
アウレリアは少しだけ切り分けた。
口へ運ぶ。
数秒が過ぎた。
レアが彼女を見る。
「どう?」
アウレリアはすぐには答えなかった。
飲み込む。
「……美味しいです」
ツムギが笑う。
「それだけ?」
アウレリアはもう一切れを取った。
「ちょうどいい言葉を探しているところです」
「必要ないよ。美味しいなら、美味しいでいい」
アウレリアが小さく笑う。
「完璧な味ではありません」
ツムギが眉を上げた。
「それって、いいことじゃないか?」
「宮殿では、料理はいつも完璧に作られます。大きさも同じで、切り方も整っていて、味も常に一定です」
彼女は皿の上の肉を見る。
「これは違います」
「自然だから?」
「たぶん」
アウレリアは微笑んだ。
「中に何か、生きていたものを感じます」
一瞬、会話が止まった。
言うことがなくなったからではない。
その言葉だけで、十分だったからだ。
食事を終えると、彼らは海岸へ向かった。
ペラジア・ノーヴェには、いくつかの種類のビーチがある。
保護された自然の海岸。
家族向けの人工ビーチ。
さまざまな施設を備えた娯楽用ビーチ。
ツムギは、その中でも比較的静かな区域を選んだ。
アウレリアは水際に立つ。
海風が髪を撫でる。
彼女はサンダルを脱いだ。
レアがすぐに気づく。
「入る?」
アウレリアは頷いた。
「いいのですか?」
ツムギが海を指差す。
「なんでまた聞くんだ?」
アウレリアは恥ずかしそうに笑った。
「癖です」
「じゃあ、今日はその癖を一つずつ捨てていこう」
アウレリアが水の中へ足を踏み入れる。
水が足に触れた。
冷たい。
彼女は小さく笑った。
そして、もう一歩。
水が膝まで届く。
「ツムギさん!」
「何?」
「冷たいです!」
「水だからな。熱かったらスープだ」
アウレリアが大声で笑った。
レアは思わず顔を背ける。
「こんな時まで冗談を言えるなんて、信じられないわ」
「こんな時って?」
「何でもない。忘れて」
ツムギもようやく海へ入った。
ランは砂浜の椅子に座り、彼らの荷物を見ている。
カリスタは水の濾過システムに興味を持っていた。
ヴェスペラは日陰を選んでいる。
セラフィエルはランの近くに座った。
アウレリアは、ついにレアと水遊びを始めた。
数時間の間、彼らの立場は消えていた。
公爵もいない。
貴族もいない。
船長もいない。
シンセティック・パーソンもいない。
航法士もいない。
ただ、海を楽しんでいる一群の人々がいるだけだった。
アウレリアは、ビーチボール遊びまで試した。
最初のボールは、うまく受け止められなかった。
二つ目のボールは肩に当たった。
三回目の挑戦で、彼女はようやく受け止めた。
「取れた!」
レアが拍手する。
「いいじゃない!」
アウレリアは満面の笑みを浮かべた。
数メートル先にはツムギが立っている。
「そんなに喜ぶなよ。まだ三回目だぞ」
アウレリアが彼を指差した。
「ツムギさん、雰囲気を壊さないでください」
「分かった。黙る」
二秒後、ツムギが付け加える。
「でも、今のは上手かった」
アウレリアはまた笑った。
午後は、気づかないうちに過ぎていった。
ビーチを出た彼らは、娯楽区画へ向かった。
巨大なアーケード施設が、一つの建物を埋め尽くしている。
昔ながらのゲーム筐体の隣には、宇宙飛行シミュレーター、戦略ゲーム、レースゲーム、VRカプセルが並んでいた。
ツムギの目が、すぐに変わった。
レアがそれに気づく。
「まさか、やるつもり?」
「なんで?」
「だって前に――」
「昔の話はするな」
ランがため息をつく。
「私はまだ何も言ってません」
「顔が全部言ってる」
ツムギはレースシミュレーターの前で立ち止まった。
アウレリアが近づく。
「これは何ですか?」
「レース」
「運転できるのですか?」
ツムギが笑った。
「船を操縦できるんだ。これくらいの小さな乗り物なら、難しくないだろ」
レアは疑わしそうに彼を見る。
「その最後の一言、だいたい問題の始まりなのよね」
五分後。
彼らはシミュレーターに座っていた。
アウレリアはツムギの隣。
レアとランは別の筐体。
ヴェスペラは航法シミュレーターを選んだ。
カリスタは、やはり機械システムに興味を持っている。
セラフィエルは後ろに立っていた。
「セラフィエル、手伝うなよ」
「私は何もしていません」
「俺の速度データを見てるだろ」
「画面が開いていますので」
「閉じて」
「了解しました」
レースが始まった。
アウレリアはハンドルを固く握りすぎていた。
「速すぎます!」
「落ち着いて」
「道路が動いているのに、どうやって落ち着けばいいのですか!」
「道路は動いてない。車が動いてる」
「それでは何の助けにもなりません!」
ツムギが笑う。
アウレリアはようやく彼の指示に従った。
次のカーブで、前を走る仮想車両を追い抜く。
「抜きました!」
「いいぞ」
「分かってきました!」
「そう。そのまま壁を見るな」
「どうしてですか?」
「人間って、見てるものに車を向けやすいから」
アウレリアは慌てて視線を逸らした。
「それなら壁は見ません!」
数秒後。
激しい衝突音が響いた。
隣の筐体からレアの声が飛ぶ。
「大破!」
ツムギは目を閉じた。
「だから言ったのに」
アウレリアは笑いをこらえる。
「すみません」
「大丈夫。まだ生きてる」
「これはシミュレーターですよ」
「だからこそだ。本物だったら、俺はとっくに安全な場所で止まってる」
アウレリアは目に涙が浮かぶほど笑った。
誰も、その笑いを問題にしなかった。
夜が近づき始めた頃、彼らは娯楽施設を出た。
しかし、すぐにはターミナルへ戻らなかった。
ツムギが皆を観光用車両に乗せ、海洋観測区画へ向かったのだ。
そこから見るペラジア・ノーヴェは、まるで別の世界だった。
海が水平線まで広がっている。
浮遊ホテルが光を放っている。
島と島を結ぶ橋が、長い線を描いている。
空には軌道交通の乗り物が、動く星のように見えていた。
アウレリアは安全柵の前に立つ。
「とても綺麗です」
ツムギが隣に立った。
「こういう景色、見たことある?」
「こんな景色はありません」
「公爵令嬢なんだから、もっと高価な場所を見たことがあるんじゃないか?」
アウレリアは微笑んだ。
「高価だからといって、必ずしも美しいとは限りません」
ツムギが振り向く。
アウレリアは、少し声を落として続けた。
「以前は、自由というのは、どこへでも行けることだと思っていました」
「今は?」
「今は……自分がどこへ行きたいのか、その理由をすべての人に説明しなくても、自分で決められることなのかもしれないと思っています」
ツムギは黙った。
その言葉が単純なものだと分かっていた。
けれど、アウレリアが話しているのは、ビーチのことではない。
アウレリアは風に乱れた髪を手で押さえた。
「今日は、本当は重要ではないことをたくさんしました」
「食べて。買い物して。遊んで。観光して」
「はい」
「それなら、成功した休暇ってことだな」
アウレリアは微笑んだ。
「たぶん、それこそ私が必要としていたものだったのでしょう」
後ろからレアの声が飛んできた。
「ねえ、二人とも! そんなに近くに立たないで! 観光カメラがあるわよ!」
ツムギが振り向く。
「カメラ?」
ヴェスペラが歩道の近くにある小さな柱を指差した。
「パノラマカメラ。観光記録用ね」
アウレリアが慌てる。
「カメラ?」
ランが装置を見る。
「おそらく区画の観光コンテンツ用に設置された自動カメラです」
セラフィエルが突然、口を開いた。
「可能性があるということは、公開用の複製が存在しないとは限りません」
ツムギはため息をつく。
「休暇にもカメラがあるのか」
アウレリアは笑った。
「それなら、そのままでいいです」
「気にしないのか?」
アウレリアは頷いた。
「一度くらい……誰が見ているかを、ずっと気にするのはやめたいです」
ツムギは、しばらく彼女を見つめた。
それから手を上げる。
「じゃあ、こっち見て」
アウレリアが振り向く。
ツムギは小さな通信端末を持ち上げた。
「写真」
「今ですか?」
「今」
アウレリアが微笑んだ。
レアは二人の後ろに立っている。
ランはまだ買い物カタログを持ったまま。
ヴェスペラは海のほうを向いている。
カリスタは飲み物を手にしている。
セラフィエルは少し離れた場所に立っていた。
まるで意図的に、二人のための空間を空けているかのように。
ツムギがシャッターを切る。
カシャッ。
一枚の写真。
正式なポーズはない。
儀礼用の服もない。
一族の紋章もない。
アウレリアは、ただツムギの隣に立っていた。
シンプルなビーチウェア。
海風で少し乱れた髪。
そして、笑顔。
本当の笑顔だった。
ツムギは端末を下ろした。
「いい写真だ」
アウレリアが写真を見る。
「私、変じゃありませんか?」
「そんなことない」
「髪が乱れています」
「風のせいだ」
「服も少し濡れています」
「さっき泳いだからな」
アウレリアがツムギを見る。
「それなら……本物の観光客みたいですね」
「今日の目的は、それだからな」
アウレリアは微笑んだ。
彼らは知らなかった。
そこから数メートル離れた場所で、別の観光客もまた、パノラマ写真を撮っていたことを。
そして、その写真の中にアウレリアも写り込んでいたことを。
その写真は、観光区画の自動アップロードシステムを通じて、やがて現地メディアのネットワークへ送られた。
最初は、ただの何気ない一枚だった。
若い少女。
その隣に立つ一人の男。
背景には、ペラジア・ノーヴェの海。
名前はない。
肩書きもない。
重要な説明もない。
しかし、現地の顔認識システムが、そこに別のものを見つけた。
一件の一致。
そして、一つの検索が行われた。
続いて、別の検索が行われる。
ほどなくして、現地の芸能ニュースアカウントの一つが、その写真を投稿し始めた。
タイトルは、単純なものだった。
「ASTRAEON VELORIAからの訪問者と一緒に目撃された謎の観光客」
ツムギは、まだそれを見ていない。
アウレリアも、まだ知らない。
二人はまだ海辺に立ち、夕方の残りの光を楽しんでいた。
アウレリアにとって、その日はただの、護衛のいない一日だった。
ペラジア・ノーヴェにとって、その日は一つのニュースが生まれた日になった。
そして、ヴェイリエンヌ公爵令嬢の行方を探している何者かにとって、その写真は、それ以上の意味を持つ可能性があった。
【次回予告 第78話――「報道されるはずのなかったニュース」】
アウレリアとツムギが一緒に写った写真が、ペラジア・ノーヴェの現地メディアを通じて広がり始める。アウレリアの身元はまだ正式には公表されていない。しかし、複数の者が、彼女がASTRAEON VELORIAに乗っていることへ注意を向け始めていた。
ツムギは慌てることなく、まだ休暇中なのだからと考えている。
しかし、ランは誰かがすでにアウレリアを探し始めている可能性に気づく。
そしてセラフィエルは、ペラジア・ノーヴェの宙域へ一隻の保安船が進入したことを検知する。
【第78話「報道されるはずのなかったニュース」へ続く……】




