【第70話】「私の名前はアウレリアです」
【第70話】「私の名前はアウレリアです」
その問いは、まだ治療室に残っていた。
「私は、どれくらい眠っていたんですか?」
Aureliaは答えを待っている。
身体はすでにプリザベーション状態から離れている。
しかし、普通の睡眠から目を覚ました人間のように完全に回復したわけではない。
呼吸は軽度の医療システムによる補助を受けながら、まだ規則正しく続いている。
顔色は発見された直後よりもずっと良くなっていたが、動きは慎重だった。
まるで身体の一つ一つの部分を、もう一度自分のものとして確認しているかのようだった。
Tsumugiはすぐには答えなかった。
隠したいわけではない。
ただ、その数字を伝える前に、Aureliaが次に受け取る情報に耐えられる状態なのかを確認したかった。
Seraphielは観察窓の向こうで、まだデータを確認している。
Rheaはベッドから数歩離れた場所に立っていた。
今回は、いつものように冗談を言おうとはしない。
Aureliaは三人を見る。
「何か、問題があるんですか?」
声はまだ弱い。
しかし話し方は整っていた。
思考する能力を完全に失った人間のように、言葉が途切れることもない。
Tsumugiがベッドへ近づく。
「今、命に関わる問題はないよ。私たちが見つけたときより、ずっと安定している」
Aureliaが彼女を見る。
「それなら……どうして質問に答えてくれないんですか?」
Tsumugiは少しだけ止まった。
尋ね方は丁寧だった。
目覚めたばかりだというのに、この少女は言葉の選び方も声の調子も崩していない。
Tsumugiは椅子を引き、ベッドの横に座った。
「答えが、少し重いかもしれないから」
Aureliaはすぐには何も言わなかった。
毛布の上に置かれた指が、ゆっくりと動く。
「重い?」
「うん」
「それは……あの船が……」
Aureliaが言葉を止める。
瞳がわずかに変化した。
「AURELIS SERENA」
その船名は、はっきりと発せられた。
Tsumugiがうなずく。
「船はまだある」
Aureliaが小さく息を吐く。
「よかった……」
Rheaが振り向く。
Tsumugiは彼女の反応を見つめた。
Aureliaは、すぐに誰が生き残ったのかを尋ねたわけではなかった。
損傷についても聞かなかった。
自分がどうやって発見されたのかも尋ねない。
最初に見せたのは、その船がまだ存在していると聞いたことへの安堵だった。
しかし、その表情は数秒しか続かなかった。
「他の乗客は……どうなりましたか?」
部屋がさらに静かになる。
Tsumugiは、まだ完全ではない答えを伝えたくなかった。
「船の中で、たくさんの人を見つけた」
Aureliaが彼女を見る。
「たくさん……?」
「うん」
Tsumugiは次の言葉を慎重に選んだ。
「通常の検査だけでは、身元を確認できない状態だった」
Aureliaはすぐには反応しなかった。
視線が下がる。
指の動きが止まった。
「そう……ですか」
その一言は、それまでよりもはるかに重く響いた。
Tsumugiは必要以上の説明を加えなかった。
Aureliaは一度目を閉じる。
そして再び開く。
「すみません」
Rheaが少し眉を寄せる。
「何に対して?」
Aureliaが彼女を見る。
「分かりません」
ゆっくりと息を吸う。
「たぶん……もう答えを知っていたことを、尋ねてしまったから」
Rheaは空虚な慰めの言葉を返さなかった。
ただ言う。
「他の人がどうなったのか知りたいと思うことを、謝る必要はないよ」
Aureliaはしばらく彼女を見つめる。
そして、うなずいた。
「ありがとうございます」
Tsumugiは、彼女の表情の小さな変化を見ていた。
泣いてはいない。
叫んでもいない。
取り乱してもいない。
それでも、瞳の奥に何かが変わった。
彼女は少しずつ理解し始めている。
自分が眠っていたからといって、スリーピング・ポッドの外の世界まで止まっていたわけではないのだと。
Tsumugiは最初の質問へ戻る。
「君は、ほぼ7か月眠っていた」
Aureliaは動かない。
まるで脳がその言葉を理解するまでに数秒を必要としているかのようだった。
「……7か月?」
「だいたい、それくらい」
AureliaがTsumugiを見る。
「そんなはずはありません」
その返答は、感情的な否定には聞こえなかった。
むしろ、自分が持っている知識と新しく与えられた情報を比較しているようだった。
「7か月?」
「うん」
「正確には、どれくらいですか?」
Seraphielが通信システムから答える。
「AURELIS SERENAから復旧できた最後の記録によれば、SLEEPING POD 07の起動から救出までの期間は、約7か月です」
Aureliaが声の方向を見る。
「あなたは……?」
「Seraphiel」
Tsumugiが説明する。
「この船のSovereign AIだよ」
Aureliaは壁際の通信装置を見る。
「船を制御しているAIですか?」
「私はASTRAEON VELORIAの運用システムの大部分を管理しています。航法、通信、セキュリティ、医療、船舶管理などが含まれます」
Aureliaは少し驚いたようだった。
「そうなんですか」
そして再びTsumugiを見る。
「それでは……7か月」
「そう」
Aureliaが顔を伏せる。
手がゆっくりと毛布の端を握る。
「不思議です」
「何が?」
「私には、あの旅が始まったばかりのように感じます」
Tsumugiは答えない。
Aureliaが続ける。
今度は、さらに小さな声だった。
「出発前の準備をまだ覚えています。船内の雰囲気も覚えています。いくつかの会話も覚えています。すべてが曖昧になる前に、自分が何を考えていたのかさえ覚えています」
彼女は一度言葉を止めた。
「私にとっては、7か月も経ったようには感じません」
Seraphielが技術的な説明をする。
「それは、長期間のニューラル・サプレッションとプリザベーション状態で発生する可能性のある現象です。意識は通常の覚醒状態と同じようには時間の経過を認識しません」
Aureliaが小さくうなずく。
「つまり、私にとっては……ほとんど時間が経っていない」
「主観的には、その可能性が高いです」
Aureliaは天井を見る。
7か月。
数字としては単純だった。
ただ二つの言葉。
しかし、考えれば考えるほど、その意味は大きくなる。
7か月ということは、季節が変わったということ。
自分が知っていた人々が、自分のいない生活を送ってきたということ。
本来なら受け取っていたはずのメッセージが、積み重なっている可能性があるということ。
かつて予定表を埋め尽くしていた予定が、すべて過ぎ去ったということ。
出席するはずだった約束も、すでに終わっているということ。
数日間の旅になるはずだった時間が、もう追いかけることのできないものになっているということ。
Aureliaが目を閉じる。
「それなら……」
声はほとんど聞こえない。
「もう7か月……」
Tsumugiは、彼女自身が受け止める時間を与えた。
数分が過ぎた。
誰も会話を無理に続けようとはしなかった。
治療室の外では、Euphoria Medical Instituteの活動が続いている。
医療ドローンが器具を運びながら廊下を通過する。
別の治療室の扉が自動的に開き、そして閉じる。
医療スタッフの足音が、ときどき聞こえる。
Aurelia一人が受け入れ難い現実と向き合っているからといって、ASTRAEONが停止するわけではない。
そのことが、状況をさらに現実的に感じさせていた。
銀河は動き続けている。
ただAureliaだけが、7か月間取り残されていた。
Aureliaが再び目を開く。
「一つ、聞きたいことがあります」
「どうぞ」
「AURELIS SERENAが行方不明になってから、どれくらい経っていますか?」
TsumugiがSeraphielを見る。
「復旧できた記録によれば、その船は約7か月間、行方不明として記録されています」
Aureliaがうなずく。
「では、私が眠っていた時間と、あの船が行方不明だった時間は、ほぼ同じなんですね」
「そう」
「それで……あなたたちは民間航路であの船を見つけたんですか?」
「その通り」
「たまたま通りかかったんですか?」
Tsumugiが薄く笑う。
「まあ、そんなところ」
Aureliaが興味深そうに彼女を見る。
「そんなところ?」
「観光航路へ向かっていたんだ」
それまで黙っていたRheaが口を挟む。
「もともとの予定は単純だったの。休暇」
Aureliaが振り向く。
「休暇?」
「そう」
「私を救助した後で?」
Rheaが肩をすくめる。
「順番が少し変わっただけ」
Tsumugiが彼女を見る。
「まだ休暇については話し合いが終わってないけどね」
Rheaが笑う。
「分かってる」
Aureliaは二人の会話を見つめていた。
何かが違う。
彼らは、被害者を扱っている役人のようには話していない。
過剰に形式的な距離もない。
自分が患者であることを何度も思い出させる人もいない。
ただ、弱っている状態にある一人の人間として接している。
Aureliaが再びTsumugiを見る。
「Hoshizaki船長」
「うん?」
「ありがとうございます」
Tsumugiがうなずく。
「そんなに何度もお礼を言わなくていいよ」
「それでも、言いたいんです」
Aureliaが息を吸う。
「もしあなたがAURELIS SERENAを見つけてくれなかったら……私はどうなっていたのか分かりません」
Tsumugiは静かに答える。
「生きている人を見つけたなら、助ける。それだけだよ」
Aureliaはしばらく彼女を見つめた。
答えは単純だった。
だからこそ、反論する理由も見つからなかった。
身体状態が安定すると、Seraphielは必要のなくなった医療機器をいくつか減らしていった。
モニタリング用のケーブルが、一つずつ外される。
すべてではない。
Aureliaには、まだ監視が必要だった。
それでも、ベッドの周囲にある機器は少しずつ減っていく。
Aureliaは、医療ドローンが手首からセンサーを外す様子を見る。
「座っても大丈夫でしょうか?」
Seraphielが答える。
「めまいを感じていなければ可能です。ただし、ゆっくり行ってください」
Aureliaがうなずく。
Tsumugiがベッドの背もたれを起こす。
Aureliaは座った姿勢を維持しようとする。
最初の数秒は何も起こらない。
しかし、その後、視線が少し変わった。
彼女はベッドの側面をつかむ。
Tsumugiがすぐに気づく。
「めまい?」
「少し」
「無理しないで」
Aureliaは目を閉じる。
しばらくして、再び目を開いた。
「もう、少し良くなりました」
Seraphielがインジケーターを確認する。
「血圧は安定し始めています。懸念すべき反応はありません」
Aureliaは自分の手を見る。
そして言った。
「身体が軽く感じます」
Rheaが笑う。
「ほぼ7か月眠っていたんだから、身体もまだ動くことに慣れてないのかもね」
Aureliaはその言葉を考える。
「それなら、もう一度使い方を覚えないといけませんね」
Rheaが小さく笑う。
「そんなに真面目に考えなくていいよ。まずはゆっくり歩くところから」
初めて、Aureliaの口元が少し動いた。
完全な笑顔ではない。
それでも、彼女自身が少しずつ戻ってきていることを示すには十分だった。
夕方が近づく頃、Tsumugiは一度治療室を離れた。
Euphoria Medical Instituteの休憩エリアへ向かい、個人端末を通してSeraphielと話す。
「彼女の精神状態は?」
「安定しています。ただし、時間の喪失とAURELIS SERENAの状態についての情報を受けたことによる、自然な精神的負荷が確認されています」
「一度に情報を与えすぎないで」
「同意します」
Tsumugiは椅子に背を預ける。
「彼女は、まだ私たちのことさえよく知らない」
「その通りです」
「私たちも、彼女のことをほとんど知らない」
「その件について、お話ししたいことがあります」
Tsumugiが顔を上げる。
「何?」
Seraphielはすぐには答えなかった。
「AURELIS SERENAに残っていたデータについて、追加の管理情報の検査を行いました」
「身元について?」
「はい」
Tsumugiは黙った。
「船のシステムは壊れているんじゃない?」
「大部分は損傷しています。しかし、いくつかの医療データと乗客登録情報は、ローカルストレージから復旧可能です」
「それで?」
「彼女に関連するデータを発見しました」
Tsumugiが立ち上がる。
「名前は?」
「生体認証データと関連付けられる名前があります」
Tsumugiは待った。
「Aurelia Veyrienne」
その名前は単純に聞こえた。
Tsumugiが小さく繰り返す。
「Aurelia Veyrienne」
「その通りです」
「じゃあ、ようやく身元が分かったんだね」
「まだ、それほど単純ではありません」
Tsumugiが眉をひそめる。
「どうして?」
Seraphielが複数の検査結果を表示する。
「私が取得した生体認証情報は一つのデータセットと一致しています。しかし、AURELIS SERENAの乗客登録情報とは完全には一致しません」
「どれくらい違う?」
「管理上の異常とみなすには十分です。ただし、身分情報の偽造だと結論づけるには不十分です」
Tsumugiはデータを見る。
そこには複数の情報層がある。
生体認証情報。
医療記録。
乗客登録。
緊急プリザベーション記録。
一部のデータは途切れている。
別のデータは、まだ読み取ることができる。
しかし、一つのことが明らかになった。
彼らが救った少女の身元は、単なる一般乗客のものほど単純ではない。
TsumugiはAureliaの顔を思い浮かべる。
話し方。
言葉を選ぶ様子。
質問を理解する仕方。
そして何より、特定の言葉に対する反応。
しかし、Tsumugiは推測したくなかった。
「まだ何も決めつけないで」
「私もそのつもりはありません」
「データを検証して」
「了解しました」
「正確な情報が揃うまで、彼女には伝えないで」
「承知しました」
Tsumugiがうなずく。
「それから、登録情報が一致しないからって、彼女が何かを隠しているとは考えないで」
「その点も理解しています」
「それならいい」
彼女は再び画面を見る。
そこには、まだAurelia Veyrienneという名前が表示されている。
今は、それだけで十分だった。
Tsumugiが治療室へ戻ると、Aureliaはすでに、より楽な姿勢で座っていた。
Rheaは観察窓の近くにいる。
Aureliaは外を見つめている。
Euphoria Medical Instituteに、宇宙空間全体を直接見渡せる普通の窓はない。
しかし観察パネルには、ASTRAEONの外部映像が表示されている。
星々が静止しているように見える。
Aureliaは長い間、それを見つめていた。
「この船、とても大きいですね」
Tsumugiが笑う。
「まあね」
「最初の検査で、普通の民間船とは違うシステムがいくつかあることに気づきました」
Rheaが振り向く。
「ベッドに寝たままで、そこまで分かるの?」
Aureliaが彼女を見る。
「星間船の構造について学んだことがあります」
Rheaが眉を上げる。
「そう」
Aureliaは再び外部映像を見る。
「あなたたちが誰なのかは分かりません。でも、この船が短距離の移動に使われる普通の船ではないことは明らかです」
Tsumugiが椅子を引く。
「その通り」
「よければ、一つ聞いてもいいですか。この船には、何人くらい住んでいるんですか?」
Tsumugiは少し考えてから答える。
「それほど多くないよ」
Aureliaが彼女を見る。
その答えが意図的に簡潔にされていることは感じ取れた。
しかし、無理に聞こうとはしない。
「分かりました」
Tsumugiが続ける。
「今度は私から聞いていい?」
Aureliaが振り向く。
「どうぞ」
「君の名前は?」
Aureliaは黙った。
ほんの一瞬。
そして静かに答える。
「私の名前は、Aureliaです」
少し間を置く。
「Aurelia Veyrienne」
称号はない。
敬称を伴った長い家名の説明もない。
両親についての説明もない。
自分の家についての話もない。
ただ一つの名前だけ。
Tsumugiがうなずく。
「Aurelia Veyrienne」
「はい」
「会えてよかった」
Aureliaは少し驚いたようだった。
「私が意識を失っているときに会ったんですよね」
Tsumugiが小さく笑う。
「じゃあ、これは私たちにとって初対面ということにしよう」
Aureliaはその言葉を考える。
そして薄く笑った。
「分かりました。それでは、初めまして、Hoshizaki船長」
Rheaが二人を見る。
大きな変化があったわけではない。
急に距離が近くなったわけでもない。
ただ、目覚めたばかりの少女と、ようやくその名前を知った船長がいるだけだった。
それでもAureliaにとっては、7か月ぶりに誰かと本当に会話をしているように感じられたのかもしれない。
夜が近づく。
Euphoria Medical Instituteの活動は少しずつ減っていく。
それでも医療システムは24時間稼働を続けている。
Aureliaには、消化しやすい液状の食事が用意された。
彼女はそのトレイをしばらく見つめる。
「これは病院食ですか?」
Rheaが笑いそうになる。
「その質問、まるで初めて見たみたい」
Aureliaは真剣な顔で答えた。
「医療用の食事には、あまり慣れていません」
Tsumugiが椅子に座る。
「しばらくは軽いものを食べて」
Aureliaがうなずく。
スプーンを手に取る。
動きはまだ少しぎこちない。
一口。
止まる。
飲み込む。
そして、次の一口を取る。
Tsumugiは過度に見守ることはしない。
Aureliaが、壊れやすいもののように扱われ続けることに、もう十分疲れているかもしれないと分かっていた。
数分後、Aureliaが言う。
「けっこう美味しいです」
Rheaが笑う。
「それはよかった」
Aureliaは食事を見る。
「それなら……この船での生活も、私が思っていたほど悪くないのかもしれません」
Tsumugiが小さく笑う。
「まだ一つの部屋しか見てないけどね」
「だから、早く結論を出すつもりはありません」
その答えに、Tsumugiは少し黙った。
Aureliaの話し方は、とても落ち着いている。
何かを判断する前に、それを観察している。
急いでいない。
そして目覚めたばかりだというのに、好奇心はまだ働いている。
Tsumugiは、自分たちが救った人物について少しずつ理解し始めていた。
Aureliaは、表面だけを見て簡単に状況を判断する人ではない。
しかし同時に、これまで自分が知っていた環境の外にある生活がどのようなものなのかも、まだ知らない。
二人はまだ知らなかった。
これからの旅が、その違いをさらに明確にしていくことを。
食事を終えると、Aureliaは再び身体を預ける。
「Hoshizakiさん」
「Tsumugiでいいよ」
Aureliaが止まる。
「それで、いいんですか?」
「ずっとHoshizakiさんって呼ばれたら、役人みたいな気分になるから」
部屋の端でRheaが笑う。
Aureliaは少し口元を隠す。
そして笑った。
「分かりました……Tsumugiさん」
「うん」
「一つ、聞きたいことがあります」
「どうぞ」
Aureliaは星々を映している観察パネルを見る。
「さっき目を覚ましたとき、あなたは私が安全だと言いました」
「そうだよ」
「私は、どれくらいここにいなければいけませんか?」
Tsumugiはすぐには答えなかった。
その質問は、見た目以上に重要だった。
Aureliaはクルーではない。
ASTRAEONの一員でもない。
彼らは放棄された船から彼女を救出した。
今の彼女は、保護と治療を必要としている乗客だ。
Tsumugiは静かに答える。
「自分で決められるくらい身体が回復するまで」
Aureliaが彼女を見る。
「自分で決める?」
「そう」
Tsumugiが背もたれに身体を預ける。
「身体がまだ動かない間は、どこかへ行けなんて言わない。その後は、何をしたいのか君自身が決めればいい」
Aureliaは黙った。
その答えに、表情が少し変わった。
驚くような答えだったからではない。
むしろ、何の条件もなく自分に決定を委ねられることに、慣れていないようだった。
「そうですか」
彼女は少し顔を伏せる。
「ありがとうございます」
Tsumugiがうなずく。
「今は、休んで」
Aureliaは従う。
ゆっくりと目を閉じる。
しかし、本当に眠りにつく前に、彼女は言った。
「Tsumugiさん」
「うん?」
「見つけてくれて、ありがとうございました」
Tsumugiはすぐには答えなかった。
ただ、微笑んだ。
「眠って。今度は7か月も眠らないようにね」
Aureliaが少しだけ目を開く。
Rheaがすぐに笑いをこらえる。
そしてAureliaも小さく笑った。
「……努力します」
再び瞼が閉じる。
部屋が静かになる。
Tsumugiが治療室を出る。
Rheaも後に続いた。
「ずいぶん落ち着いてるね」
「うん」
「私なら、7か月って聞いた瞬間にパニックになってるかも」
Tsumugiはゆっくり廊下を進む。
「人それぞれだよ」
Rheaがうなずく。
「彼女を信じてる?」
Tsumugiはすぐには答えなかった。
「知り合ってまだ数時間だよ」
「それで?」
「信じない理由はない」
RheaがTsumugiを見る。
「でも、完全には信用してない」
「信用するかどうかの問題じゃない」
Tsumugiが観察パネルの前で止まる。
「彼女は約7か月ぶりに目を覚ました。私たちはAURELIS SERENAで何が起きたのか、まだ分かってない。彼女の家族も知らない。旅の目的も知らない。どうして登録データに問題があるのかも分からない」
Rheaが黙る。
「Seraphielは何か見つけた?」
「生体認証登録に異常がある」
「本当に?」
「うん」
RheaがTsumugiを見る。
「なら、あの少女は見た目以上に重要な人物かもしれない」
Tsumugiが息を吐く。
「そうかもしれない」
そして首を横に振る。
「でも、自分で物語を作り始めないで」
Rheaが笑う。
「可能性を言ってるだけ」
「分かってる」
二人は船の主要区画へ向かって歩き続けた。
その後ろでは、Aureliaがまだ眠っている。
今の彼女は、ただの患者だ。
約7か月分の人生を失った一人の人間。
そして、自分を救った人々に初めて名前を名乗った少女。
まだ称号はない。
まだ政治もない。
まだ家族もない。
どこかへ戻りたいという要求もない。
しかしASTRAEONのシステム内部では、Seraphielがまだ作業を続けている。
AURELIS SERENAに残された古いデータを、一つずつ復旧していく。
生体認証情報。
医療記録。
乗客登録。
緊急プリザベーション・ログ。
一致するデータもある。
一致しないものもある。
そしてSeraphielは、さらに一つの情報層を開いた。
その結果、検証システムが一つの警告を表示して停止する。
BIOMETRIC REGISTRY — INCONSISTENCY DETECTED
Seraphielはデータを再照合する。
結果は同じだった。
Aurelia Veyrienneという名前は記録されている。
しかし、その生体認証情報に紐づけられている身元情報は、一般的な乗客が持つはずの公開データとは完全には一致していない。
Seraphielは結論を出さない。
ただ検査結果を保存する。
そして、次の検証を行うための適切な時期を待つ。
ASTRAEONの外では、星々が船の横を通り過ぎ続けている。
当初の目的地は変わっていない。
Galactic Leisure Corridor。
本来なら、単純な休暇になるはずだった。
しかし今、ASTRAEONには一人の乗客が増えている。
Aurelia Veyrienneという名の少女。
そして、彼女が本当は何者なのかを知る前に――
彼らはまず、なぜ彼女の身元情報が本来あるべきデータと一致しないのかを理解しなければならなかった。
【次話 第71話 ― 「一致しない身元」】
あらすじ: Seraphielは、Aureliaの生体認証情報、DNA記録、乗客登録、外交データベースを照合しながら、彼女のデータ検証を続ける。身元情報の不一致は、さらに明確になっていく。Aureliaは、この救助が単なる医療上の問題ではなくなっていることに気づき始める。
その後、AureliaはTsumugiに、自分が普通の少女ではないことを認め、自分が公爵の娘であることを明かす。
そして、その公爵家の姓が、Veldrakon Galactic Empireへ直接つながっていることが明らかになる。
【第71話へ続く……】




