【第184話】「食卓の距離感」
【第184話】「食卓の距離感」
### 視点:セラフィナ・ヴァルクレイン・ヴェルドラコン
グランドダイニングの扉が完全に開くよりも先に、温かな香辛料の香りがセラフィナを迎えた。
その部屋は、以前ミレルと一緒に訪れたときとは違った雰囲気をまとっていた。
テーブルの形や室内の配置が変わったわけではない。ただ、今夜はどこかくつろいだ空気が流れている。天井に沿って並ぶ照明は柔らかな光を放ち、部屋の片側に設けられた大きな窓からは、船体の外側をゆっくりと流れていく星々が見えた。
メインダイニングテーブルの周囲では、いくつかの自動サービスユニットが音もなく動いている。小型ドローンがグラスの位置を整え、別の二機はラグジュアリーキッチンにつながる専用搬入口から、蓋の付いた皿を運んできていた。
命令を待つように一列に並ぶ給仕係はいない。料理の名前を一品ずつ告げる家令もいない。
代わりに聞こえてくるのは、ごく普通の会話だった。
「紬、それはまだ取らないで」
「どうして?」
「同じものをもう二回取っているからよ」
「まだ食べ終わってない」
「それは、あなたの行動を正当化する理由にはならないわ」
セラフィナはテーブルの向こうから聞こえてくるランと紬の声に気づいた。
その近くでは、レアが小さく笑っている。
「いいじゃない。美味しいものを前にすると、紬は止まらなくなるんだから」
「俺はまだここに座ってるんだけど。聞こえないように話す必要もないだろ」
「聞こえているからこそ、わざわざ小声で話す必要がないのよ」
セラフィナは笑みをこらえながら、部屋の中へ足を踏み入れた。
「こんばんは。ちょうどいいところに来たみたいね」
「セラフィナ、ちょうどよかった。座って。私たちも始めたばかりよ」
セラフィエルが穏やかな笑顔で迎えた。
彼女は簡素ながらも上品な服装をしていた。船の主幹システムを管理する者としての公的な職務を担っているような堅苦しさはない。今夜の彼女は、友人たちと食事を楽しもうとしている一人の人間のように見えた。
「ありがとう」
セラフィナのために用意された席は、レアとランの間だった。彼女が腰を下ろすと、一機のドローンが近づき、皿の横に布製のナプキンを置いた。
セラフィエルが最初の料理の蓋を持ち上げる。
「今夜は、以前ミレルと一緒に食べた料理とは少し違うメニューを用意してみたの。最初から最後まで同じ系統の料理を出すのではなく、いくつかの味を楽しんでもらいたくて」
「では、前と同じメニューではないのね?」
「そうよ」
目の前には、丁寧に盛り付けられた新鮮なサラダが並んでいた。レタスの葉を土台に、薄く切ったトマトとニンジンが添えられている。新鮮なハーブと数種類の香辛料が、強すぎない軽やかな香りを漂わせていた。
次の皿には、味付けしたトマトを載せた全粒粉パンが盛られている。その後には、トウモロコシ、ジャガイモ、ハーブを組み合わせた温かなスープが続く。メインディッシュにはライスが添えられ、より豊かな香辛料を使った味付け野菜と焼きトウモロコシも用意されていた。デザートには、小さな器に盛り付けられた新鮮な果物が選べるようになっている。
普段、彼女が出席していた王室の晩餐会とは、どこか趣が異なる。
だが、だからこそ興味を引かれた。
セラフィナはサラダを少し取り、口に運んだ。
トマトの味はみずみずしく、レタスの葉には自然な歯ごたえが残っている。ニンジンもシャキシャキとした食感を失っていない。香辛料は控えめで、素材本来の味を引き立てていた。
ゆっくりと咀嚼してから、彼女は顔を上げた。
「これは……すべて天然の食材なの?」
セラフィエルが頷く。
「ええ。主な植物性食材はEDEN農業デッキで生産しているわ。米、小麦、トウモロコシ、ジャガイモ、トマト、ニンジン、レタス、唐辛子、ハーブ、果物、それに各種スパイス。大部分は収穫後、厨房の需要に合わせて調理しているの」
「つまり、軍艦の乗組員向けに使われる、一般的な合成食品ではないのね?」
「そうよ」
セラフィナは、もう一度自分の皿に目を落とした。
軍の哨戒艦で提供される合成食品なら、彼女も目にしたことがある。年々見た目は改善され、栄養価も正確に管理されている。種類も十分にあり、長期の哨戒任務に就く乗組員が食事に飽きないよう工夫されていた。
広大な領域を守り、長期間にわたって哨戒を続けなければならない艦隊にとって、そのような食事は非常に実用的なのだ。
だが、目の前の料理は明らかに別のカテゴリーに属していた。
「皇族の家族との食事も経験したし、高官たちとの会食や、貴族の宴にも出席してきたわ。でも……これほど多様な食材を日常的に揃えるのは、彼らの生活でも簡単ではないはずよ」
「味は気に入ってもらえたかしら?」とセラフィエルが尋ねる。
「気に入ったどころではないわ。盛り付けの豪華さを比べているわけではないの。驚いたのは、むしろ食材そのものよ」
セラフィナはフォークを置いた。
「帝国では、料理をとても美しく仕上げることができるわ。特別な行事なら、希少な食材を取り寄せることもできる。でも、これほど多くの新鮮な食材を、これだけの量と種類で日常的に提供するとなると、話は別ね」
セラフィエルはわずかに微笑んだ。
「的確な観察ね。銀河市場では、オーガニック食材は一般的に合成食品よりもかなり高価なの。必要な量が増えれば、その差はさらに大きくなるわ」
「生産コストが原因?」
「生産、管理、保管、そして流通。合成食品は、栄養基準を一定に保ちながら大量生産できるの。それに、基地から遠く離れて長期間活動する哨戒艦にとって、保存期間の面でも適しているわ」
「一方で、オーガニック食材にはより多くの資源が必要になるのね」
「その通り。定期的な哨戒任務を担う軍艦では、通常、兵站の効率が優先されるの。合成食品だからといって、危険だったり、食べる価値がなかったりするわけではないわ。ただ、私たちが今楽しんでいる料理とは、提供する目的が違うだけよ」
セラフィナは、ちょうど目の前に置かれたメインディッシュを見つめた。
「つまり、このテーブルに並んでいる食事は、銀河社会では珍しい贅沢品に分類されるのね?」
「多くの地域ではそうね。特に、品質管理されたオーガニック生産の食材を使っている場合は」
「この船に独自の農業デッキがある理由が、少し分かってきたわ」
「紬は美味しい食事をとても大切にしているから」
セラフィエルは、特に大げさな口調でもなくそう言った。
テーブルの端で、紬が顔を上げる。
「なんだか、俺の悪い癖を話しているように聞こえるんだけど」
「事実を伝えているだけよ」
「そんな真面目な顔で言わなくてもいいだろ」
「私は丁寧に伝えようとしているのだけれど」
レアが笑った。
セラフィナも微笑みながら、ライスを少し取り、添えられた味付け野菜を口に運んだ。前菜よりも香辛料が強いが、それでも味のバランスは崩れていない。ジャガイモとニンジンは形を保ったまま柔らかく、トマトの酸味が料理全体をまとめていた。
個人所有の宇宙船に、これほど多彩なメニューがあるとは思っていなかった。
さらに驚いたのは、テーブルを囲む全員が、その高価な料理を日常の一部として、ごく自然に扱っていることだった。
そこでセラフィナは、ふと思い出したことがあった。
「紬さん、一つ聞いてもいいかしら?」
「ん? 何?」
彼女は向かいに座る青年を見つめた。
「VRアリーナにいたとき、レアが話していたことについてなの」
焼きトウモロコシを取ろうとしていたレアが、狐耳をぴくりと立てた。
「ああ、あの話?」
「ええ」
セラフィナは再び紬へ視線を戻した。
「レアは、あなたが剣を使って戦えること、自分専用のモバイルフレームを操縦できること、そして戦闘中には戦闘艦を単独で操艦することさえできると言っていたわ。それに、あなたのモバイルフレームの戦闘能力はヴァルキリーを上回っているとも。すべて本当なの?」
紬が口を開きかけた。
だが、それより先にセラフィエルが答えた。まるで夕食のメニューについて話すのと変わらないほど、あまりにも気軽な口調だった。
「本当よ。レアは何も誇張していないわ。紬は剣を扱えるし、自分専用のモバイルフレームも操縦できる。それに、必要な状況であれば、戦闘艦の操艦を単独で引き受けることもできるわ」
「セラフィエル……」
「何かしら? 私はセラフィナの質問に答えただけよ」
「まるで、このライスが水で炊かれているって説明するみたいな調子だな」
「大げさに説明する必要なんてないもの」
セラフィナは、二人のやり取りに少し驚いた。
緊張した様子はない。セラフィエルも秘密の報告をしているようには見えなかった。彼女はグラスを手に取り、一口飲んでから話を続ける。
「ただし、それらの能力を持っているからといって、紬がいつもすべてを使うわけではないわ。人が持っている能力と、日常生活で何を選ぶかは、別の話だから」
「そうなのね……」
紬は小さく息を吐いた。
「基本的には、できるのは確かだよ。でも、夕食のたびにそんな話をするつもりはない」
「私も実演してほしいとは言っていないわ。ただ、レアが本当のことを言っていたのか確認したかっただけよ」
「これで分かっただろ」
「ええ。ありがとう」
セラフィナは、それ以上モバイルフレームの形状について質問しなかった。ましてや、紬が操縦したことのある艦船の能力を、さらに詳しく探ろうともしなかった。話してよい情報には境界があると、すでに理解していたからだ。
それでも、一つだけはっきりしたことがある。
目の前で気楽に座り、ライスと野菜を楽しんでいる青年は、巨大な宇宙船だけを頼りに傭兵として生きているわけではない。
ほかにも能力を持っているのに、それを誰かに見せつける必要があるとは思っていないのだ。
そして、なぜだろう。
そんな態度が、セラフィナに彼のことをもっと知りたいと思わせていた。
### 視点:レア・ヴァレン
セラフィナが紬の能力について尋ねてからというもの、レアは笑みをこらえるのに苦労していた。
簡単なことではない。
特に、当の紬本人が、今しがた向けられた質問よりも目の前のメインディッシュに関心を示しているのだから。
レアはフォークを指の間でくるりと回した。
「これで、セラフィエル本人から直接答えを聞けたわね」
「聞けたわ」
「どうだった? 私が大げさに話していたわけじゃないと分かって、がっかりした?」
「どうして私ががっかりするの?」
「さあね。もしかしたら、私が何かを誇張していると思っていたのかもしれないでしょう?」
セラフィナはフォークを置いた。
「私はむしろ、あなたが誰かの能力を他人の前で勝手にでっち上げるような人だとは思っていないわ」
「おお。それは褒め言葉?」
「そう思っておけばいいわ」
「じゃあ、ありがたく受け取っておくわね」
レアの尻尾が、椅子の後ろで小さく揺れた。
彼女はわざとセラフィナをからかっていた。恥をかかせるためではない。ただ、紬の名前が出たときの皇女の反応が、いつも興味深かったからだ。
初めて紬と出会う人々は、たいていASTRAEONの巨大さや、彼が個人所有の宇宙船を持っているという事実に目を奪われる。一部は、あまりにも大きな資源を持つ傭兵だと考える。別の者たちは、これほど豪華な船ならどれほどの利益を生み出せるのかを知りたがる。
セラフィナは違った。
確かに紬の能力には興味を持っている。だが、その質問は政治や軍事上の目的で誰かの価値を測ろうとしているようには聞こえなかった。
彼女は本当に知りたがっているのだ。
「あなた、紬にかなり興味があるみたいね」
「レア」
「何? 私が見たままを言っているだけよ」
「話題を別の方向に持っていこうとしているわね」
「まだ何も間違ったことは言っていないわよ」
「だから問題なのよ」
レアは、尻尾の先をさらに速く動かしながら笑った。
隣では、ランがスプーンを置いた。
「レア、始めないで。今は食事中よ」
「私は何もしていないわ」
「その台詞は、たいてい何かを始める前触れでしょう」
「ラン、私のことを疑いすぎじゃない?」
「経験がそうさせるのよ」
セラフィナは笑みを浮かべながら、皿の料理を切り分けた。
ランはその様子を見ていた。
皇女は気分を害していないようだ。むしろ、少しずつ落ち着いた調子で冗談を返せるようになっている。この船に初めて乗った頃と比べれば、小さな変化があった。
以前のセラフィナは、帝国の高官たちを前にしているかのように、常に姿勢や言葉遣いに気を配っていた。今も優雅な立ち居振る舞いは変わらないが、会話のたびに形式的な距離を保とうとはしなくなっている。
レアは、それが気に入っていた。
「ところで、今夜のメニューはどう?」
「ミレルと一緒に食べたものとは違うわね」
「こっちのほうが美味しい?」
「そんな単純な比較はしたくないわ。でも……新しく気づいたことがあるの」
「何?」
「私は、贅沢というものを外から見える部分で判断することに慣れていたの。食器や部屋の内装、衣服、それに料理の盛り付け方。でも、食材そのものにも、まったく異なる贅沢の水準があるのね」
レアは頷いた。
「ああ、それは確かにそうね。私も、普通の合成食品よりEDENで作られた料理のほうが好きよ」
「ここで食べることは多いの?」
「もちろん。ここは私たちが暮らしている船だもの。それに、紬は私たちに、非常用装備を噛んでいるような味の食事を毎日食べさせたりしないわ」
「そんなことは言ってないぞ」
紬が口を挟んだ。
「でも、毎日合成食品のメニューにしようなんて提案したら、絶対に何か言うでしょう?」
「毎日なら、当然だろ」
「ほらね!」
セラフィナが小さく笑った。
レアはフォークで紬を指した。
「ほら、見て。いろいろなことに対してはかなり気楽なのに、食事のことになると自分なりの基準があるのよ」
「俺が面倒な奴みたいに聞こえるんだけど」
「実際そうじゃない?」
「レア」
「はいはい。もうやめるわ」
レアは、まったくやめるつもりがなさそうだった。
焼きトウモロコシを取り、フォークで一部を切り分けてから、再び食べ始める。トウモロコシ本来の甘みが十分に感じられ、余計な味付けは必要なかった。
席からは、セラフィナが紬とセラフィエルの会話を眺めているのが見えた。
誰も彼女を、帝国の戦姫という肩書きだけを理由に特別扱いしてはいない。
かといって、その立場をわざと無視しているわけでもない。
ただ、同じテーブルで食事をしている一人の人間として接しているだけだ。
レアにとって、それこそがASTRAEONを多くの船とは違う存在にしている理由の一つだった。
この船では、ある状況では誰かが指揮官になり、別の状況では食卓を囲む友人になれる。
そして、最も大きな責任を担っている紬自身が、周囲の人間に自分の立場を常に意識させようとはしない。
レアは再びセラフィナに目を向けた。
「このまま私たちと一緒に過ごしていれば、そのうちこの船の変な習慣にも慣れるわよ」
「変な習慣?」
「もちろん。VRアリーナで何時間も過ごせる人もいれば、機械からほとんど離れられない人もいるし、いつも支出を監視している人もいるわ」
「最後の部分は聞こえているわよ」
ランが顔を上げずに応じた。
「わざと聞こえるように言ったんだもの」
「それなら、次はあなたの食費を詳細な明細にして送るわ」
レアはすぐにランを見た。
「待って。それは戦闘訓練より危険そうなんだけど」
「いいことね。ようやく危険性を理解し始めたようで」
今度は紬まで笑い出した。
レアは椅子の背もたれに体を預けた。
今夜は楽しかった。
警報もなく、緊急訓練もなく、すぐに実行しなければならない作戦命令もない。ただ一つの食卓と、美味しい料理、そして長い時間を共に過ごしてきたために、いつまでも形式的な態度を装う必要のない人々がいるだけだった。
セラフィナにも、こうした生活が自然に生まれるものではないと分かり始めてほしい。
その裏には仕事がある。責任を担う人々がいる。そして、日々の習慣の中で育まれていく信頼があるのだ。
### 視点:モード・ラン・ヴァレス
ランは、レアがセラフィナをからかう機会を探すだろうと予想していた。
だからこそ、二人からそう遠くない席を選んだのだ。
皇女が、あの程度の冗談に対応できないと考えていたわけではない。むしろ逆だ。セラフィナは自分の誇りを失うことなく、会話を続けられることをすでに示している。
問題は、レアがいつ冗談を切り上げるべきか、必ずしも理解していないことだった。
「レア、他の人たちが夕食を終えるための時間も残してあげて」
「私は誰の邪魔もしていないわ」
「さっきから何分も紬を話題の中心にしているでしょう」
「同じテーブルに座っているんだから、いいじゃない」
「それは理由にならないわ」
「ランは本当に会話が広がるのを許してくれないわね」
「個人的な詮索に変わるのを防いでいるだけよ」
セラフィナはグラスを持ち上げ、笑みを隠すように口元へ運んだ。
ランはそれに気づいたが、料理が残っている皿へと意識を戻した。
セラフィエルが用意した料理は、銀河市場の基準で考えれば、確かにかなり高価な部類に入る。
オーガニック食材の価値が高いだけではない。一部の農作物は、必要に応じて収穫されている。その方式を維持するには、決して小さくない管理と手間が必要だった。EDEN農業デッキは、何も監視せずに放置しておけば動き続けるような施設ではない。
とはいえ、それは船が資源を無駄遣いしているという意味ではなかった。
「セラフィナ、先ほど帝国の環境では、このような食事は珍しいと言っていたわね」
「ええ」
「そこには経済的な理由もあるの。王族や貴族が豊富な資源を持っていたとしても、日常的に大量のオーガニック食材を提供することが、常に効率的な選択とは限らないわ」
「合成食品のほうが安いからね」
「その通り。特に艦隊の需要ではそうよ。哨戒艦では、備蓄量、保存期間、流通の容易さが優先される。オーガニック食品は、むしろ高品質なサービスとして設計された食事や、特別な用途に向いているわ」
「では、ASTRAEONの場合は?」
ランは食卓を見渡してから答えた。
「この船には独自の農業施設がある。だから、食材の一部を外部市場から購入する必要がないの。でも、すべてが無料になるわけではないわ。農業システムにもエネルギー、保守、管理、運用要員が必要だから」
「つまり、あなたたちは費用もきちんと計算しているのね?」
「当然よ」
「ランはほとんどすべてを計算しているからね」
レアが口を挟んだ。
「誰かがやらなければならないもの」
「食事の費用まで?」
「特に食事の費用はね」
レアは自分の皿に目を向け、それから何か恐ろしいものに気づいたような表情でランを見た。
「まさか、私がトウモロコシを何回取ったかまで数えているんじゃないでしょうね?」
「数える必要はないわ。覚えていられるもの」
「そっちのほうが怖いわよ!」
セラフィナが笑った。
ランはため息をついたが、口元にはわずかな笑みが浮かんでいた。
こうした冗談は、他人の迷惑にならない限り、特に気にしていない。何より、セラフィナには規則やアクセス権限の説明だけではなく、日常のやり取りを通じて船での生活を知ってもらう必要がある。
「ただ、一つ聞いてみたいことがあるの」
少し落ち着いたところで、セラフィナが再び口を開いた。
「どうぞ」
「紬は、いつも自分で受ける仕事を決めているの?」
「ええ。最終的に契約を受けるかどうかは、船長であり船の所有者でもある紬の判断になるわ。ただし、何の検討もせずに決めているわけではないわ」
ランは食器を置いた。
「仕事を受ける前に、目的地、期間、危険度、支払い条件、責任の範囲を確認するの。利益が出そうに見える仕事でも、実際には契約金額を大きく上回る資源を消費する場合があるから」
「つまり、報酬が高くても契約を断ることがあるのね?」
「もちろん。報酬額だけが判断基準ではないわ」
紬は食事を楽しみながら頷いた。
「面倒な仕事で、得られるものが釣り合わないなら、別の仕事を探したほうがいい」
「そして、契約書の重要な条項を見落とさないように、私が確認する必要があるのよ。あなたが早く終わらせたいからといってね」
「ちゃんと読んでるよ」
「自分が興味を持った部分だけをね」
「それも読むことには変わりないだろ」
「船の所有者として、私が期待している契約書の読み方とは違うわ」
レアがにやりと笑った。
「ラン、食事中に紬を攻撃するのはやめてあげなさいよ」
「攻撃しているのではないわ。注意しているだけよ」
「二人とも、長年一緒に家庭を切り盛りしてきた夫婦みたいに聞こえるわね」
ランは無表情でレアを見た。
「これ以上、落ち着いて食事を続けたいのなら、その発言はやめておいたほうがいいわ」
「分かった。黙っておくわ」
もちろん、レアは本当に黙るつもりなどなかった。ただ、目の前の料理に注意を移しただけだ。
セラフィナは、その一連のやり取りを注意深く見ていた。
おそらく、彼女はASTRAEONに初めて乗ったとき、まだ十分に理解できていなかったのだろう。
紬は船長としての権限を持っている。だが、その権限があるからといって、周囲の人々が指示を待つだけの部下に変わるわけではない。
ランは無理のある支出判断を拒むことができる。レアは罰を受ける心配もなく、紬の習慣をからかえる。セラフィエルは薄い笑みを浮かべながら、彼をたしなめることができる。今はこうした会話に参加していないものの、カリスタも技術作業に支障をきたすような判断をすれば、遠慮なく直接批判するだろう。
彼女たちには、それぞれの役割と責任がある。
紬が同じ部屋にいるからといって、それらが消えてしまうことはない。
「何か考え事?」
ランの問いに、セラフィナが顔を上げた。
「この船での生活は、私が想像していたほど単純ではないのだと、改めて気づいたの」
「以前は、どんなふうに想像していたの?」
「傭兵船での生活は、もっと厳しいものだと思っていたわ。全員が仕事と訓練に追われ、次の任務に備える。それだけの毎日なのだと」
「そういう日もあるわ。でも、毎日ではないわね」
ランは飲み物を一口飲んだ。
「私たちにも食事や休息が必要だし、私物の管理もする。自由時間を楽しむこともあるわ。誰かが端末の前に一日中座っていたからといって、仕事が終わるわけではないもの」
「そうね」
「紬の自由にも限界はあるわ。仕事を選び、進む方向を決めることはできる。でも、船や船内にいる人々に対する責任を無視することはできない」
セラフィナは紬を見た。
青年は、焼きトウモロコシの取り分についてレアと話していた。大きな責任について語る指揮官の表情など、まったく見せていない。
だが、ランの説明を聞いた今、セラフィナには、その気楽な態度の裏にある共通点が見えてきた。
紬は責任から逃げているのではない。
責任に自分の人生すべてを支配させていないだけなのだ。
そして、おそらくそれこそが、彼女がこれまで理解しようとしてきた自由の形なのだろう。
### 視点:星崎紬
今夜の夕食は、いつもより賑やかになってきた気がする。
人数が多いわけではない。いつもと同じように、一つのテーブルを囲んでいるだけだ。ただ、今夜はセラフィナからの質問が多く、そのたびにレアが話をからかいの種にしようとする。
ランも、レアに簡単に好き勝手させるつもりはないらしい。
セラフィエルはというと、何を考えているのか分かりにくい表情で、この状況を楽しんでいるようだった。
「紬、まだおかわりはいる?」
セラフィエルが味付け野菜の入った小さな器を、俺のほうへ寄せてくる。
「少しだけ」
「そう答えると思っていたわ」
「どうして?」
「メインディッシュが出てから、何度もその器を見ていたもの」
「まだ残っているか確認していただけだよ」
「そうね」
声はとても柔らかい。俺の言葉に同意しているのか、それともからかっているのか、判断しにくい。
少しだけ追加で取り、再び食事を楽しむ。
正直なところ、美味しいものを食べることを、特別に大げさなことだとは考えていない。俺は単純に、きちんと作られた料理が好きなだけだ。新鮮な食材があるなら、合成食品に頼り続けるより、それを使ったほうが楽しい。
そもそもEDEN農業デッキは、俺たちが直接楽しめる食材を生産するために作られている。
ただ、ランの言うことも正しい。
あの施設は、費用なしで動き続けるわけではない。エネルギーや保守、その他の必要経費を考慮しなければならない。船が大きいからといって、誰かが欲しがるたびに金が湧いてくるわけではないのだ。
「紬」
セラフィナの声に、俺は顔を上げた。
「うん?」
「もう一つだけ、質問してもいいかしら?」
「どうぞ」
「自分で仕事を選べる自由があるからこそ、組織の下で働く場合よりも、多くの責任を負わなければならないと感じたことはある?」
今度の質問は、モバイルフレームや戦闘能力に関するものではなかった。
俺は食器を置いた。
「もちろんあるよ」
セラフィナは真剣な表情で俺を見つめた。
「組織に所属していれば、仕事の経路を決めたり、物資を用意したり、特定の判断を下したりする人が別にいるかもしれない。でも、自分で選ぶ場合は、その結果も自分の責任になる」
「それは、かなり大変なのではない?」
「時にはね」
俺は肩をすくめた。
「でも、結果を考えなくて済むように、自分の人生に関する決定を全部ほかの人に任せたいとは思わない。仕事を受けるなら、何を引き受けるのか理解しておく必要がある。断るなら、断った結果にも向き合わなければならない」
「つまり、自由とは義務を持たないことではないのね」
「俺はそう思う」
セラフィナは少しの間、黙っていた。
彼女が何を考えているのか、正確には分からない。ただ、食卓と周囲の人々を見つめる様子からすると、今の話によって、これまであまり明確ではなかった何かが見えてきたのかもしれない。
「他人のことまで考えなければならないせいで、自由を失ったと感じたことはないの?」
「ないよ」
「ずいぶん即答なのね」
「それが俺の答えだから」
俺は、中央のテーブルに果物の器を置こうとしているセラフィエルを見た。ランはレアと食費について話している。これまで聞き役に回っていたヴェスペラも、次の航路について時折短い意見を挟んでいた。反対側では、カリスタが料理を切り分けながら、ハンガーでの作業について何か不満を口にしている。
誰も責任に縛られているようには見えない。
ただ、それぞれの生活を送っているだけだ。
「こういう生活を選んだ以上、責任があるのは当然だよ。でも、そのことばかり考えて一秒たりとも休めなくなるわけじゃない」
「そうなのね」
「何もかも常に真剣に考えていたら、いつになったら落ち着いて食事ができるんだ?」
「その話を真剣なものにしたのは、あなた自身でしょう」
レアが口を挟んだ。
「俺は質問に答えただけだ」
「追加の料理を取りながら答えていたけどね」
「それがどうした?」
「何でもないわ。同時に二つのことをこなせる能力に感心しているだけよ」
ランがため息をついた。
「レア、すべての会話を冗談の種に変えるのはやめてちょうだい」
「雰囲気をよくしているのよ」
「私の忍耐力を試しているだけでしょう」
セラフィエルが微笑んだ。
「その二つは、同時に成立することもあるわね」
レアがセラフィエルを指さす。
「ほら、セラフィエルは分かってくれるわ」
「それが良いことだとは言っていないわよ」
テーブルを囲む人々の間に、再び小さな笑い声が広がった。
俺はセラフィナに目を向けた。
彼女も笑っていた。大きな声ではないが、優雅な態度を保ちながらも、今では公式の晩餐会に出席しているかのような距離感を見せていない。
彼女がこれからも長く俺たちと一緒にいるのかどうかは分からない。
旅を続けるかどうかは、彼女自身が決めることだ。ヴェルドラコン家にミレルのことを問い合わせた件も、まだ返事は届いていない。本人が話したいと思うまでは、俺がその問題に口を挟むつもりもなかった。
旅を続けることを選ぶなら、俺たちはそれに合わせる。
帰ると決めたとしても、引き止める理由はない。
大切なのは、この船にいる間、食卓に座るたびに別の人間を演じる必要がないことだ。
「星崎さん」
その呼びかけに、俺は顔を上げた。
セラフィナは自分のパーソナル端末を見つめていた。
端末の画面が柔らかな光を放っている。船の一般ネットワークには接続されていない、個人通信回線からの通知が一件届いていた。
彼女の表情がわずかに変わった。
平静を失うほどではない。しかし、俺の注意を引くには十分だった。
「ヴェルドラコンから連絡があったのか?」
彼女はすぐには答えなかった。指先で画面を操作し、メッセージを最後まで読み終える。
それから端末を皿の横に置いた。
「ええ。帝国家族からの個人的なメッセージよ」
食卓の雰囲気が、少しずつ静かになっていく。
レアはフォークを動かすのをやめた。ランもグラスから視線を移す。セラフィエルは落ち着いた様子のまま座り、セラフィナが話すかどうかを決める時間を与えていた。
「何か急ぎの用件なのか?」と俺は尋ねた。
セラフィナは小さく首を横に振った。
「今すぐ実行しなければならない命令や決定があるわけではないわ」
彼女はもう一度、パーソナル端末を見つめた。
「ヴェルドラコンへ戻ることを検討してほしい、という内容よ」
俺はすぐには答えなかった。
そのメッセージは、単なる要請にすぎないのかもしれない。だが、これまで帝国家族の責任の下で生きてきた彼女にとって、故郷から届いた一つの要請でさえ、多くのことを考えさせるものなのだろう。
「今夜中に返事をする必要はないよ」
セラフィナが俺を見た。
「分かっているわ。ありがとう」
「なら、まずは夕食を終わらせよう。セラフィエルが用意してくれた料理を長く放置したら、もったいないからな」
セラフィエルが小さく微笑んだ。
「私の仕事の成果を気にかけてくれて嬉しいわ、紬」
「事実を言っただけだよ」
「そうね」
レアは笑いをこらえ、ランは再びグラスを手に取った。
セラフィナも薄く微笑んだ。
だが、今度の笑顔は、数分前までのものとは少し違っていた。
グランドダイニングの夜は、変わらず温かかった。窓の向こうには星々が輝き、残された料理からは、まだ香辛料の香りが漂っている。
しかし、ヴェルドラコンからの一通のメッセージが、彼女に思い出させたのだ。
この旅は、彼女がかつて置いてきた人生と切り離されているわけではない。
あの場所には、今も彼女の帰りを待つ家族がいる。
そして今、彼女は自分が本当は何を選びたいのか、改めて考えなければならなくなった。
### 【次回、第185話 — 「追跡者は国境の向こうに」】
### 追跡者は国境の向こうに
ASTRAEAへの襲撃データに対するセラフィエルの初期分析から、アルケイオン国境付近で過去に記録された軍事活動と共通点を持つ、いくつかの通信パターンが浮かび上がり始めていた。
しかし、中央政府の関与を確定するには、まだ証拠が不十分だった。
一方、ヴェスペラは、古い航法記録を保管しているコロニーへ向かう、別の探索ルートを提案する。
紬は、まだ契約も存在しないアルケイオンの紛争を追いかける理由にすることなく、次の航路を決めなければならない。
【次回、第185話へ続く……】




