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ASTRAEON VELORIA――銀河を旅する自由傭兵――  作者: Ren Hazumi


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【第173話】「自由を選んだ理由」

【第173話】「自由を選んだ理由」



場所: ASTRAEON VELORIA — グランド・ダイニング → 艦内交通路 → オブザーバトリー

航行状況: タラリス外縁通過回廊を航行中。タラリス国境兵站補給拠点へ向かっている。

視点: 星崎紬 → セラフィナ・ヴァルクレイン・ヴェルドラコン → セラフィエル・ヴェロリア


◇◆◇


### 視点:星崎紬


昼食を終えるころには、グランド・ダイニングの窓の向こうに広がる景色も変わっていた。


それまで暗い宇宙空間に散らばっていた星々は、今では遠方へと伸びる長い光の流れを形作っている。ASTRAEON VELORIAの航行状態に合わせて、外部の景色を調整する観測システムによる効果だ。


テーブルの上では、サービスドローンが大半の食器を片づけ終えていた。


レアの恥ずかしい失敗談で賑わっていた雰囲気も、ようやく落ち着きを取り戻し始めている。


もっとも、どうやら今後しばらく付きまといそうな『モバイルフレームの駐機』という呼び方について、狐耳の彼女がときどき抗議している声は、まだ聞こえていたけどな。


俺は時刻を確認した。


12時21分。


なかなか長い昼食だった。


そして、まだ約束が一つ残っている。


「セラフィナ、じゃあ、そろそろオブザーバトリーへ行こうか?」


向かいに座っていた、暗銀色の髪を持つ女性がすぐに顔を上げた。


「忙しくないのなら、ぜひ」


「貨物の点検はもう終わったからな。指揮デッキから重要な連絡でも入らない限り、時間はあるよ」


端末を操作していたランが、こちらを向いた。


「あとで、まだほかにも仕事があるわよ」


「分かってるって」


「念のために言っているだけよ」


「昼食が始まってから、もう三回は言われたぞ」


「それなのに、いつ片づけるのかは、まだ聞いていないもの」


俺はセラフィナを見た。


「ほらな。これが独立艦の艦長として自由を手にした代償だよ」


セラフィナが笑った。


「あなたの自由には、ずいぶん厳しい監督者が付いているみたいね」


「ものすごく厳しいぞ」


ランは気を悪くした様子もなく、カップを持ち上げた。


「その監督のおかげで、あなたの艦はちゃんと収入を得られているのよ」


「だから俺も、ランを一度も解雇してないんだ」


「まるで解雇したいと思ったことがあるような言い方ね、紬」


「ないよ。むしろ、ランがいなくなったら生活に困る」


ランは一瞬黙り、それから顔を背けた。


「……それなら、自分の仕事は期限どおりに終わらせてちょうだい」


レアがすぐにニヤリとした。


「わあ、ランさんが照れてる!」


「レア」


「もう何も言わないってば!」


俺は、この会話が仲裁を必要とする騒動へ発展する前に、テーブルを離れることにした。


セラフィエルが俺の隣に立つ。


すらりとした実体のある身体は、自然な優雅さを伴って動き、身につけた明るい色のカジュアルドレスも、歩くたびにほとんど音を立てなかった。


セラフィナとミレルが後ろからついてくる。


「レアたちも一緒に来るか?」と、俺はほかの面々に尋ねた。


「私はヴァルキリーの点検に戻るよ」とレアが答えた。「次の訓練までに見ておかなきゃいけない部分があるって、カリスタが言ってたから」


「実際にあるんだよ」とカリスタが返す。「それに、今度こそ新しい駐機技術なんて試すところは見たくないからな」


「カリスタ!」


そのとき、ヴェスペラが個人通信チャンネルを通じて連絡してきた。


『私はもうしばらく航法管制に残ります。紬、どうぞ休息の時間を楽しんでください』


「ありがとう、ヴェスペラ。俺の判断が必要なことがあったら、いつでも連絡してくれ」


『もちろんです』


ランは飲み物を飲み終えた。


「私は契約管理の仕事に戻るわ。セラフィナ、オブザーバトリーを楽しんできてね」


「ありがとう、ラン。またあとで」


俺たちはグランド・ダイニングの入口で別れた。


数歩進んだところで、セラフィナが隣へ近づいてきた。


「紬、さっきの質問は、少し個人的すぎたかしら?」


「どの質問?」


「どうして独立傭兵になろうと思ったのか、という質問よ」


「ああ、あれか。別にそんなことないよ。ただ、昼飯を慌てて食べながら答えたくなかっただけだ」


「それなら、よかった」


俺は彼女をちらりと見た。


「何だかもう、追加の質問リストまで用意してそうな顔だな」


「……そんなに分かりやすい?」


「結構な」


後ろでミレルも頷いた。


「殿下は興味深いものを見つけると、いつもそうなりますから」


「ミレル!」


「褒め言葉として申し上げたのですが」


俺は微笑んだ。


どうやら、オブザーバトリーまでの移動も退屈せずに済みそうだ。


◇◆◇


最寄りの交通結節点は、グランド・ダイニングからいくつかの廊下を進んだ先にある。


ASTRAEONは、主要施設のどこへ行くにも、二、三枚の扉を通れば到着できるような艦じゃない。


全長は8,600メートル。内部交通網やデッキ間エレベーター、自動運転車両は、この艦での日常生活に欠かせない設備だった。


到着すると、待機区域には二台の車両が停まっていた。


そのうちの一台には、非常によく見覚えがある。


Yangwang U8。


艦内の移動に、俺がこれまで何度も使ってきた車だ。


内部交通網に接続された乗客用車両の専用レーンに停車しており、運用システムもASTRAEONのインフラに合わせて調整されている。


そのため、乗客の目的地とアクセス権限に従って、自律走行することができた。


俺が近づくと、車両側面のパネルが点灯した。


【艦内交通システム】


車両:YANGWANG U8


自動運転モード:準備完了


目的地:入力待機中


セラフィナが俺の隣で足を止めた。


「これ……あなたの車なの?」


「ああ」


彼女はもう一度、車体を眺めた。


「もっと軍艦の艦長専用車らしいものを使うのかと思っていたわ」


「例えば?」


「そうね。護衛付きの装甲車とか?」


「俺はただ、星を見に行きたいだけなんだけど」


セラフィナが小さく笑った。


「それもそうね」


俺はドアを開けた。


「乗ってくれ。ここからオブザーバトリーまで歩くと、結構遠いからな」


ミレルも興味深そうに車を眺めていた。


「Yangwang U8……それが車種の名前なのですか?」


「そうだよ。俺の故郷の車なんだ」


「故郷、ですか?」


「その話も、あとでまとめてするよ」


最初にセラフィナが乗り込み、続いてミレル。


セラフィエルは目的地の登録が完了したことを確認してから、俺と一緒に席に着いた。


ドアが閉まる。


【目的地確定 — オブザーバトリー】


車両はゆっくりと待機区域を離れ、指定された交通経路へ進入した。


窓の外では、主要通路から、より長い移動用経路へと景色が変わっていく。


ときおり共用施設へ通じる分岐路が現れ、乗客用経路と運用上の立入制限区域を分けるアクセス表示も見えた。


セラフィナは、そのすべてを興味深そうに眺めていた。


「この艦の施設同士が、こんなに離れているなんて、今になって気づいたわ」


「俺も最初はそうだったよ。初めてASTRAEONを探検したときは、一つの都市を丸ごと覚えようとしてる気分だった」


「最初から、艦の全部を把握していたわけではないの?」


「無理無理。登録されてる施設の数を見て、さすがに多すぎるんじゃないかって思ったくらいだ」


セラフィエルが俺を向いた。


「艦内交通システムがなければ、艦が広すぎて食事に遅刻してしまう、と言っていましたね」


「今もその意見は変わってないぞ」


「ですから、システムは常に目的地に応じた経路を提案しているのです」


「本当に助かってるよ」


ミレルが微笑んだ。


「星崎艦長、一つお聞きしてもよろしいでしょうか?」


「どうぞ」


「艦内の車両は、すべてこのように自動で動くのですか?」


「内部交通網と連携している車両なら、自動運転モードが使えるよ。アクセス権や目的地の設定は、艦のシステムに従うけどね」


「では、毎回手動で運転する必要はないのですね?」


「ないよ。グランド・ライブラリーへ本を取りに行くたびに、俺が運転しなきゃいけないところを想像してみてくれ」


セラフィナが俺を見た。


「そんなに大きな図書館まであるの?」


「あるよ。今度行ってみたくなったら、乗客用経路を使って、セラフィエルに案内してもらうといい」


「興味があるわ」


「だろうと思った」


「どうして?」


「一冊の本を探しに図書館へ入ったのに、十個も新しい疑問を見つけてから出てきそうな人だからな」


ミレルが口元を覆った。


「かなり的確なご指摘です、艦長」


「二人とも、私の性格を判断するのが早すぎないかしら?」


「じゃあ、追加の証拠が揃うまで待つことにするよ」


セラフィナはため息をついたが、その笑顔は消えなかった。


◇◆◇


オブザーバトリーは、柔らかな照明で俺たちを迎えた。


この部屋には広大な観測面が設けられており、艦の本来の機能を妨げることなく、宇宙の景色を楽しめるようになっている。


くつろぐための椅子が外のパノラマへ向けて配置され、片側には、よりプライベートな雰囲気で過ごせる座席スペースも用意されていた。


俺たちは窓の近くを選んだ。


ミレルは、乗客用経路に含まれている観測室内の別の場所を見て回りたいと申し出た。


セラフィエルがアクセス権を確認すると、彼女は俺たちの席からさほど離れていない、一般向けの案内パネルへ向かって歩いていった。


俺は飲み物を注文した。


セラフィナが俺の向かいに座る。


セラフィエルも隣へ腰を下ろした。


端末にだけ姿を現す影のような存在としてではない。


こうして俺たちと一緒に、時間そのものを楽しんでいる一人として。


セラフィナはしばらく星々の広がりを眺めてから、ようやくこちらを向いた。


「さて、紬。さっきの質問をもう一度するわね」


「どうぞ」


「どうして、独立傭兵として生きることを選んだの?」


俺は背もたれに身体を預けた。


「自分が何をするか、自分で決めたいからだよ」


彼女は続きを待っていた。


「……それだけ?」


「短く答えるならな」


「もう少し長い答えを期待していたのだけれど」


「何ページくらいのがいい?」


「紬」


「はいはい」


俺は小さく笑ってから、星々へ目を向けた。


「俺には、領土を支配したいっていう夢はないんだ。王国の支配者になりたいわけでも、自分の国を建てたいわけでもない。艦の力を使えば言うことを聞かせられるからって、顔も知らない大勢の人間を率いたいとも思わない」


「でも、ASTRAEONほどの能力があれば、非常に大きな影響力を手に入れられるはずよ」


「それが問題なんだよ。力を使って政治的な地位を求め始めたら、それ以降の行動は、何をしても政治的な意思表示として見られるようになる」


セラフィナは黙った。


俺は続けた。


「どこかの港に停泊すれば、その土地の政府を支持してると思われるかもしれない。そこを離れれば、今度は拒絶の意思表示だと解釈されるかもしれない。誰かを助ければ、どうして対立する相手は助けなかったんだって聞かれるかもしれない」


「……実際、そういうことは起こり得るわね」


彼女が静かに答えた。


「独立していれば、そういう面倒事が全部なくなるなんて言うつもりはないよ。今回のASTRAEAの件で、むしろその逆を証明しちゃったわけだし。でも、少なくとも、自分から進んで人生の全部を権力争いに縛り付けたいとは思わないんだ」


「だから、自分で仕事を選びたいのね」


「ああ。引き受ける契約も、訪れる場所も、休む時間も、自分で選びたい。気が進まない仕事なら、何かに署名する前に断る権利を持っていたいんだよ」


「では、契約を引き受けたあとは?」


「最後までやる」


セラフィナが微笑んだ。


「タラリスへの輸送みたいに?」


「そのとおり」


俺はカップを持ち上げた。


「自由に選べるっていうのは、もっと面白そうなことを見つけたからって、預かった他人の貨物を七つも放り出していいって意味じゃないからな」


セラフィナが小さく笑った。


「その言葉、ランはとても気に入りそうね」


「頼むから本人には言わないでくれ。契約書のたびに書けって言われそうだから」


セラフィエルが微笑んだ。


「ご希望でしたら、運用上の基本方針として保存しておけますよ」


「遠慮しとく。ありがとう」


◇◆◇


「もう一つ、聞いてもいい?」とセラフィナが言った。


「もちろん」


「あなたは子供のころから、こんな暮らしを夢見ていたの?」


俺は思わず言葉を止めた。


子供のころから、か。


窓の向こうへ視線を向ける。


地球にいたころも、いろいろなことを考えていた。


でも、もし誰かに、俺が全長8,600メートルの私用宇宙船の艦長になって、スペースハイエルフやスペースエルフ、スペースドワーフ、狐耳の獣人女性、それから実体のある身体を持ったAIと一緒に旅をすることになる、なんて言われていたら……。


きっと、何かの小説を勧められているんだと思っただろうな。


「いや」と俺は答えた。


「違うの?」


「夜空を見るのは好きだったよ。でも、こんな生活が本当に実現するなんて、考えたこともなかった」


「どうして?」


俺はセラフィエルをちらりと見た。


彼女は穏やかに視線を返してくる。


地球については、艦内の何人かに話したことがある。


ただし、故郷の詳しい位置や技術水準は、誰にでも航法情報として公開する必要があるものじゃない。


セラフィナは今、俺たちが保護している乗客だ。


ASTRAEONの座標や航路図、機密の運用能力を開示しなくても、自分の経験を話すことくらいはできる。


「俺の故郷は、今いるこの辺りとは、ずいぶん違う場所なんだ」


セラフィナが身を乗り出した。


「どんな惑星なの?」


「地球っていうんだ。俺はその中の日本、東京っていう都市の出身だよ」


彼女はゆっくり繰り返した。


「地球……日本……東京……」


「聞いたことないだろ?」


「ええ」


「まあ、そうだろうな」


俺は小さく微笑んだ。


「俺の故郷では、普通の人が恒星間を旅できるような宇宙船なんて、まだ存在してないんだよ」


セラフィナが目を瞬かせた。


「恒星間航行ができる船が、まだないの?」


「ない」


「FTLは?」


「それもない」


「では、恒星系の間を移動することは?」


「まだできないな」


彼女は、俺がからかっているわけじゃないのか確かめたそうな顔をした。


「待って。では、あなたの惑星の人々は、どうやって宇宙へ行くの?」


「ロケットで」


「……ロケット?」


俺は笑った。


「そんな顔するなよ。俺の故郷の人類にとって、ロケットはものすごく大きな技術的成果なんだ。ただ、君たちが当たり前に知ってる恒星間文明と比べると、発展の段階が違うってだけだよ」


「どこまで到達しているの?」


「人類は月まで到達しているよ。2026年には、有人ミッションで月の周囲を飛行して、地球へ帰還もしている。地球の低軌道には人間が滞在する宇宙ステーションがあるし、無人探査機でほかの惑星を探査したり、宇宙船の研究開発を進めたりもしている」


俺は少し言葉を区切った。


「でも、恒星間に人間の居住地はまだない。ほかの恒星系へ飛んでいくこともできないし、ましてや、君たちみたいな文明が発展している銀河へ遊びに行くなんて、夢のまた夢だよ」


セラフィナは、かなり長い間黙っていた。


「紬……」


「ん?」


「初めてあなたがASTRAEONを指揮している姿を見たとき、私は大艦隊を所有する一族か、非常に高度な文明の出身なのだと思っていたわ」


「残念ながら、昔の俺は生活費の心配をしなきゃいけない、ただの若者だったよ」


「生活費?」


「ああ。家賃とか、食費とか、大学とか、仕事とか。普通のことだよ」


彼女は俺を見つめた。


「仕事もしていたの?」


「秋葉原の小さな電器店でね。星崎エレクトロニクスっていう店なんだ」


その名前を口にすると、自然と小さな笑いが漏れた。


こんな会話の中で最後に店の名前を口にしてから、もうずいぶん経った気がする。


「店主は鈴木さんっていう、昔から俺の家族を知ってるおじさんでさ。店の仕事を手伝ったり、お客さんに頼まれた部品を探したり、商品の仕様書を読んだり、たまに一つのアダプターで全部の機器を使えると思い込んでる人の相手をしたりしてたよ」


セラフィナが微笑んだ。


「格納庫の部品について説明するカリスタみたいね」


「ずっと単純な規模だけどな。カリスタが部品を取り付け間違えたら、モバイルフレームに影響が出るかもしれない。俺が昔、間違ったアダプターを渡したら、お客さんが不機嫌な顔で店に戻ってくるんだ」


セラフィナが笑った。


「あなたが店のカウンターの向こうに立っている姿なんて、なかなか想像できないわ」


「俺だって、あのころの自分から今の自分を想像するほうが、ずっと難しいよ」


俺は手元の飲み物を見つめた。


「昔は大勢の人と一緒に朝の電車に乗ってた。仕事へ行って、帰って、食べ物を買って。それから、ときどき東京の夜空を見上げたりしてさ」


「そこへ行ってみたかったの?」


「興味はあったのかもな。でも、本当にそんな機会が巡ってくるとは信じてなかったよ」


俺の笑みが少し薄れた。


「それなのに、ある日、目を開けたら……目の前に地球はなかったんだ」


◇◆◇


あの記憶は、今でも奇妙な感覚を伴っている。


これまでに、いろいろなことがあったあとでさえ。


見慣れたアパートの天井。


スマートフォンのアラーム音。


電車での移動。


店に並んだ電子部品の棚。


俺が長いこと空を見上げていると、必ず何か一言言わずにはいられなかった鈴木さん。


そして、次にあったのはコックピットだった。


見知らぬ座席。


見覚えのない操作パネル。


東京の空ではない、星々の広がり。


俺はカップを置いた。


「初めてASTRAEONで目を覚ましたときなんて、自分がどこにいるのかすら分からなかったよ」


セラフィナが驚いた顔をした。


「どうやって船に乗ったのか、覚えていないの?」


「覚えてない」


「まったく?」


「分かってるのは、それまではいつもどおりの生活をしてたってことだけだ。次に目を開けたときには、この艦のコックピットにいたんだよ」


俺はセラフィエルをちらりと見た。


「それから、セラフィエル・ヴェロリアと名乗る女性の声が聞こえてきた」


セラフィエルが微笑んだ。


「そして、あなたが最初に私へ尋ねたのは、自分が世界一の大富豪になったのか、ということではありませんでしたね」


「当たり前だろ。自分がどこにいるのか知りたかったんだから」


「私が艦の各システムをすべて説明し終える前に、何度か仕様の説明を止めてほしいとも言っていました」


「だってお前、艦の全長が8,600メートルだって、ホテルの部屋の広さでも読み上げるみたいな調子で言うんだぞ!」


セラフィナが笑った。


「つまり、あなた自身もASTRAEONの大きさを知って驚いたのね?」


「ものすごくな」


俺はオブザーバトリーの外を指さした。


「想像してみてくれ。宇宙船なんて、研究関係のニュースか、映画やアニメや小説でしか知らなかったんだ。それなのに突然、全長八キロメートルを超えるこれが、あなたの私物ですって言われたんだぞ?」


「私でも、何度も同じ説明を求めると思うわ」


「だろ? 実際、俺もそうしたんだよ」


セラフィエルがセラフィナへ顔を向けた。


「所有権の登録情報に誤りがないかも、確認するよう求められました」


「だって、間違いとしか思えなかったんだからな!」


「ですが、登録は正式なものでした」


「そういう問題じゃないんだって。俺が端末の使い方すら分かってないうちに、お前はFTLやシールド、格納庫、それから艦内施設全部のシステム等級を説明し始めたんだぞ」


セラフィナが口元を覆い、笑いをこらえた。


「その場にいられなかったのが残念だわ」


「俺は見られなくて本当によかったと思ってるよ」


セラフィエルの笑みが、さらに深くなった。


「当時の内部記録は、乗客には開示しない個人履歴に含まれています」


俺は彼女を見た。


「ありがとう。今回ばかりは、うちのプライバシー方針に心から感謝するよ」


◇◆◇


「それで、どうやって傭兵になると決めたの?」とセラフィナが尋ねた。


俺は少し考えた。


「自分の状況を理解し始めたころ、すごい艦を持ってるからって、お金の心配をしなくていい生活が自動的に手に入るわけじゃないんだって気づいたんだ」


「ASTRAEONにも運用費用が必要なの?」


「そりゃそうだよ。港を利用したり、許可を取ったり、取引をしたり、物資を揃えたり、ほかの文明圏で活動するには、いろいろな費用や義務があるからな。レストランへ入って『俺の船はすごいんだから、飯は無料にしてくれ』なんて言えないだろ?」


セラフィナが笑った。


「そのお店なら、まずお支払いをお願いしますと言いそうね」


「だろ? しかも、俺がそんなことを試そうものなら、ランが即座に記録を作り始めると思うぞ」


「十分あり得そうだわ」


俺は話を続けた。


「セラフィエルが、俺に選べる仕事の方向性をいくつか見せてくれたことがあったんだ。交易、探査、それから傭兵業とかね」


「どうして最後のものを選んだの?」


「旅をしながら、俺たちが提供できる能力に合った仕事を受けて、明確な合意に基づいて報酬を得たいと思ったからだよ」


「交易でも、いろいろな場所を巡れるのではなくて?」


「できるよ。でも、どこかで商品を買って、別の場所で売って利益を出すことだけに、活動のすべてを依存させたくはなかったんだ。探査にも興味はあったけど、まだ経験や情報が必要だったし、もっと仕組みのはっきりした収入の得方も欲しかった」


俺は肩をすくめた。


「だから、そのときは傭兵っていう選択が一番合ってる気がしたんだよ。別に、戦闘依頼を全部引き受けなきゃいけないわけじゃないしな。今の仕事だって、貨物輸送だろ?」


「その途中で、帝国の艦まで救助してしまったけれど」


「それは最初の予定表に書いてなかった部分だよ」


セラフィナが小さく笑った。


「ごめんなさい」


「別に責めてるわけじゃないって」


俺は微笑んだ。


「ただ、こういう暮らしをしてると、予定が変わることも多いんだよ」


◇◆◇


「ほかの乗員の皆さんは?」とセラフィナが尋ねた。


「というと?」


「最初から六人で一緒にいたの?」


俺は首を横に振った。


「いや。最初は俺とセラフィエルだけだったよ」


セラフィエルが優しく訂正した。


「それから、艦の自動化システムもですね」


「そうだったな。まあ、ドローンを全部食事仲間として数えたら、グランド・ダイニングのテーブルを増やさなきゃいけないけど」


セラフィナが笑った。


「では、レアは?」


「レアを見つけたのは、あいつが操縦していたモバイルフレームが故障したときだよ。救難信号は弱かったし、位置も主要航路から外れていたんだ」


セラフィナの表情が真剣になった。


「あなたが助けたの?」


「救助用のシャトルを送ったんだ。あいつの機体の生命維持システムだって、いつまでも保つわけじゃなかったからな。助けるかどうか議論してる時間なんて、あんまりなかったよ」


「それで、そのあと仲間になったの?」


「すぐにはね」


俺は当時を思い出して微笑んだ。


「レアは結構頑固なんだよ。初めて意識を取り戻したときなんて、自分の身体よりもモバイルフレームのことを心配してたんだから」


セラフィナが笑った。


「いかにもレアらしいわね」


「だろ?」


「すぐに仕事を持ちかけたの?」


「一度は別れたんだ。そのあと、また一緒に働く機会があってさ。ASTRAEONのモバイルフレーム設備も見せてやったんだよ」


「反応は?」


「それまで想像もしてなかったくらいたくさんのモバイルフレームが並んだ格納庫を、レアが見たところを想像してみてくれ」


セラフィナが口元を覆った。


「きっと、耳が一気にぴんと立ったのでしょうね」


「もう性格を理解するのが早いな」


「レアは、嬉しくなると本当に分かりやすいもの」


「確かにな」


俺は背もたれに身体を預けた。


「それから少しずつ、ラン、ヴェスペラ、カリスタと出会ったんだ。みんなそれぞれに専門的な能力があって、自分の意思で判断してる。俺の言うことに何でも従うためだけに、突然現れた人たちじゃないよ」


セラフィナが頷いた。


「昼食のときの皆さんの会話を見れば、それは分かるわ」


「契約について俺がいい加減なことをしたら、ランはすぐに注意する。早く着きたいからって航行の安全を無視しようものなら、ヴェスペラが許さない。技術的な説明も聞かずに俺が判断したら、カリスタは文句を言うだろうな。それからレアは……」


「思ったことを、はっきり言う?」


「ものすごくはっきりとな」


セラフィエルが付け加えた。


「ときには、紬が最後まで話し終える前に言ってしまいますね」


「おい、それはレアだけじゃないだろ。お前もよくやってるぞ」


「あなたの問題を、少しでも早く解決するためのお手伝いですよ」


「いつもそう言うんだよな」


セラフィナは、何とも言えない表情で俺たちを見つめていた。


それから、柔らかく微笑んだ。


「皆さん、家族みたいね」


俺は一瞬、言葉を止めた。


家族。


セラフィエルを見て、それからセラフィナへ視線を戻す。


「……ああ。今では、そうなんだと思う」


◇◆◇


### 視点:セラフィナ・ヴァルクレイン・ヴェルドラコン


私はこれまで、多くの人が自由について語るのを聞いてきた。


貴族たちは、領地を管理する権利について話すときに、その言葉を使う。


士官たちは、作戦を遂行するうえで裁量を求めるときに使う。


政治家たちも交渉の席で口にする。ときには、その一言よりもはるかに複雑な要求を説明するために。


けれど、紬が語る自由は、それらとは違っていた。


自分で行きたい場所を選びたい。


引き受けたい仕事を選びたい。


一緒に旅をする人たちを選びたい。


そして、財務報告書に邪魔されることなく、食事を楽しめる時間が欲しい。


あまりにも普通に聞こえる願いばかりだ。


だからこそ、私は彼から目を離せなくなっていた。


「紬、地球について、もう少し聞いてもいい?」


「もちろん」


「そこに住む人類は、まだ恒星間航行を行っていないと言っていたでしょう? ということは、あなたの故郷は、私たちが知っている文明圏の航路から遠く離れているの?」


「ものすごく遠いよ」


「帝国の領域の外?」


彼は小さく微笑んだ。


「ヴェルドラコン帝国の国境の外、なんていう程度じゃないくらい遠いんだ」


私は考え込んだ。


「それなら、天文図で探せるかもしれないわね。銀河の名前は?」


紬はセラフィエルを見た。


「名前くらいなら言ってもいいか?」


「歴史的に使われている名称は、機密の航法情報には該当しません」とセラフィエルが答えた。「実際の座標や詳しい航路データを公開しない限りは、問題ありませんよ」


紬が再び私を見た。


「Milky Way。俺の故郷の言葉では、Bima Saktiとも呼ばれているよ」


私はその二つの名前を繰り返した。


「Milky Way……Bima Sakti……」


聞き覚えがない。


私は帝国領内の地図も、国境地帯も、軍事物流経路も、遠征や外交協定に関係する遠方の領域も、いくつか学んできた。


けれど、その名前は記憶のどこにもなかった。


「ミレルも聞いたことがないそうよ」


少し離れた席に座っていた中尉が、こちらを向いた。


「はい、殿下」


「Milky Wayというのは、小さな銀河なの?」


セラフィエルが頷いた。


「今お話ししている宇宙論的な構造との相対的な比較では、そうですね。そして、現在私たちがいる文明圏からは、非常に遠く離れています」


私は彼女へ顔を向けた。


「どれくらい?」


「比較に用いる空間モデルを説明しないままでは、通常の幾何学的な距離だけを示しても、あまり参考にはならないでしょう。現地の航法網で知られている従来の地図や経路の範囲を、はるかに超えた位置にあります」


「銀河間航行と比べても?」


「その航法網が通常想定している移動規模を、大幅に超えています」


私は黙り込んだ。


紬が小さく笑う。


「俺も初めて説明を聞いたときは、全部理解できたわけじゃないよ」


「でも、ASTRAEONで最初に目を覚ました位置と、地球との距離は計算できると言っていたわよね?」


「ああ。ただ、俺が最初に目を覚ました場所と、今いる場所は同じじゃないからな」


セラフィエルが付け加えた。


「極めて大きな距離によって隔てられた領域間を移動するには、従来のFTL航行とは異なる航法上の解決策が必要になります。ASTRAEONの航行能力を、帝国領内の艦船が用いる標準だけで推測するべきではありません」


私は彼女の表情を見た。


答え方は親切だった。


けれど、すべてを一人の乗客へ説明する必要があるわけではない、ということも理解できた。


「それなら、システムの詳しいことまでは聞かないわ」と私は言った。


「ありがとう」と紬が答えた。


私はもう一度、彼を見た。


「でも、一つだけ知りたいことがあるの」


「何?」


「あなたは、帰れるの?」


彼の笑顔が、少し変わった。


気を悪くしたわけではない。


ただ、私の質問が、彼にとって普段はあまり口にしない何かに触れてしまったような気がした。


「技術的には、ASTRAEONには俺を故郷へ帰す能力があるよ」


「本当に?」


「ああ」


私はセラフィエルを見た。


「そんなに遠くても?」


「ASTRAEONの能力であれば、従来の航法方式と比較して、必要な時間を極めて大幅に短縮できる旅程を組むことが可能です」と彼女は答えた。「ただし、紬は目的地を選んだだけで、到着に伴うあらゆる問題を無視してよいわけではありません」


「到着に伴う問題?」


紬が頷いた。


「想像してみてくれ。住民がまだロケットを使った宇宙開発を進めている地球の近くに、全長8,600メートルの宇宙船が、ある日突然現れたらどうなると思う?」


私はすぐに理解した。


「……大騒ぎになるかもしれないわね」


「可能性は高いと思う」


「それに、向こうの政府には、ASTRAEONのような艦を受け入れた経験もないのでしょう?」


「そのとおり」


彼は微笑んだ。


今度の笑みには、少し苦いものが混じっていた。


「俺はさ。故郷の人たちに、何かが地球を滅ぼしに来たんじゃないかって思わせるような帰り方は、したくないんだよ」


私は視線を落とした。


「ごめんなさい。悲しいことを思い出させるつもりはなかったの」


「気にしなくていいよ」


紬がカップを持ち上げた。


「帰る道があるってことは、嬉しく思ってる。ただ、それをいつ、どうやって使うのか、まだ決めてないだけなんだ」


私はしばらく、彼を見つめていた。


この人は、私がこれまで想像すらしなかったものを持っている。


はるか遠くまで旅立てる自由。


それでも、帰還した自分が、故郷に残してきた人々へどんな影響を与えるのかを、ちゃんと考えているのだ。


◇◆◇


「正直に言ってもいいかしら」と私は口を開いた。「あなたの暮らしは、私のものとは本当に違って聞こえるわ」


紬がこちらを向いた。


「帝国皇女だから?」


「ええ」


私は外の景色へ目を向けた。


「どこかへ行きたいと思ったとき、その理由を誰かが判断する必要があることが、ほとんどなの。個人的な訪問でさえ、政治的な支持表明として受け取られることがあるわ。誰かと会えば、複数の貴族家の間で話題になることもある。食事への招待を受けるかどうかですら、同じテーブルに誰が座るのかを考慮して決めなければならない場合があるのよ」


「それは疲れそうだな」


「実際、そうよ。慣れているからといって、いつでも好きでやっているわけではないもの」


私は小さく微笑んだ。


「戦術に関する仕事も好きなの。陣形を学んで、状況の変化を評価して、自分が責任を負う人々を守るための判断を探すことには、やりがいを感じているわ。でも、いつまでヴェルドラコン皇室のセラフィナでいなければならないのかを、私が自由に決められるわけではないの」


紬は遮ることなく、耳を傾けていた。


「ときどき、ただ景色が美しいという理由だけで、どこかへ行ってみたいと思うの。あるいは、好きな本を読んでいるだけなのに、その関心は宮廷の政策と関係があるのかなんて、誰にも尋ねられたくない」


「ここにいる間なら、そうしていいんじゃないかな」


私は彼を見た。


「え?」


「本が読みたいなら、グランド・ライブラリーがある。景色を見たいなら、今いるここがオブザーバトリーだ。何か食べたくなったら、メニューから選べばいい」


彼は肩をすくめた。


「だからって、君の責任が全部なくなるとは言わないよ。でも、この艦にいる一分一秒を使って、自分が立派な帝国皇女だって証明し続ける必要もないと思うんだ」


私は言葉を失った。


単純な一言だった。


あまりにも、単純すぎるほどに。


でも、彼が私の人生について長々と助言するような言い方をしなかったからこそ、素直に受け入れやすかったのかもしれない。


「あなた、本当に私の称号を気にしないのね?」


「必要な場面では、ちゃんと気にするよ。正式な書類とか、帝国側との話し合いとか。そういうときには、もちろん君の立場を考慮しなきゃいけない」


「では、ここでは?」


「ここでは、俺たちと一緒に座って飲み物を飲んでるだけだろ?」


彼は微笑んだ。


「俺は、それで十分だと思うよ」


私はカップへ視線を落とした。


「……そう」


なぜだろう。


少し、顔が熱くなったような気がした。


少し離れた席にいるミレルは、星々の景色へ意識を集中させることを選んだらしい。


その判断には、心から感謝したかった。


◇◆◇


「でも、紬」と、しばらくしてから私は言った。「あなたの自由にも、制限はあるのでしょう?」


「もちろん」


「例えば、タラリスとの契約」


「ああ」


「それから、乗員の皆さんの安全」


「そっちはもっと大事だな」


「だったら、どうしてそれを自由と呼ぶの?」


彼は私を見た。


「自分で、その責任を引き受けるって決めたからだよ」


私はまばたきをした。


紬は気負わない口調で続けた。


「輸送契約を受けると決めたのは俺だ。みんなを誘って、一緒に働いて暮らしていくと決めたのも俺。あいつらの艦長になることを選んだのも、自分自身なんだ。だから、難しい判断が必要になったからって、急にそんなのは俺の知ったことじゃない、なんて言えないだろ?」


「でも、その判断のせいで、自分のしたいことができなくなる場合もあるわ」


「そうだね」


「私たちを先に帝国へ帰すために、すぐ航路を変更するわけにはいかないことも、そうね」


「そう」


「その決定を快く思わない人たちと、向き合わなければならなくなるかもしれない」


「それはもう、何度も経験してる気がするな」


私は小さく笑った。


「ずいぶん気楽に答えるのね」


「俺の判断を気に入らない人が現れるたびに愚痴をこぼしてたら、ランが鎮静用の飲み物に専用予算を組まなきゃいけなくなるからな」


私はまた笑った。


けれど今度は、彼の言いたいことが分かっていた。


紬の求める自由とは、義務を何一つ持たない状態ではない。


どの義務を引き受けるのか、自分で選べること。


そして、それを果たすにあたって、自分自身の意思をすべて他者へ明け渡さずにいられることなのだ。


私は自分の手元を見つめた。


幼いころから、皇室の一員としての地位は、大きな責任を伴う名誉なのだと教えられてきた。


今でも、その教えは信じている。


突然、家族から離れたいと思ったわけでも、これまで学んできたすべてを捨てたいと思ったわけでもない。


でも、生まれたときから与えられているあらゆる責任の、その隙間には。


もしかしたら、自分自身で選ぶ願いを置く余地も、まだ残されているのかもしれない。


「少しずつ、分かってきた気がするわ」と私は言った。


「よかった。これ以上複雑に説明できる自信は、あんまりないからな」


「もっと複雑な説明なんて、いらないわ」


私は微笑んだ。


「今ので十分よ」


◇◆◇


### 視点:セラフィエル・ヴェロリア


私は、ASTRAEONに記録されている紬の存在の始まりから、彼を知っている。


コックピットで目を開け、自分がどこにいるのか尋ねたときから。


そして今、未払いの報酬がいつ振り込まれるのかと不満を漏らしながら、輸送契約の報告書を読みこなせるようになった、この日まで。


彼は、いくつかの点では今も変わっていない。


快適な生活を好む。


不必要な官僚的手続きを楽しむことはない。


そして、毎日の暮らしをすべて政治問題に変えてしまうような高い地位を手に入れるよりも、きちんと遂行できる仕事を選びたがる。


けれど、少しずつ育まれてきた部分もある。


その一つが、今、セラフィナと話している彼の姿に表れていた。


紬は、帝国皇女に感銘を与えようとしているのではない。


ただ、自分を知りたいと思ってくれた人の質問に、答えているだけだった。


「紬」


私は声をかけた。


「ん?」


「自由についての説明に、一つ付け加えておいたほうがよいと思うことがあります」


彼がこちらを向いた。


「何?」


「航法上の規定、安全手順、そして承認済みの契約条件については、引き続き守らなければなりません」


紬はしばらく私を見つめた。


「セラフィエル、それはさっき説明しただろ?」


「ええ。ただ、行きたい場所へ自由に行きたいとも言っていましたから。セラフィナが、あなたは計算もせずにヴェスペラへ航路変更を命じてよいのだ、と受け取らないよう確認しておきたかったのです」


「そんなことしないって」


「よかったです」


私は穏やかな口調のまま続けた。


「それから、宇宙施設を訪問する際にも、通常は到着手続きに従う必要があります」


「知ってるよ」


「契約を受ける場合、ランは最後まで条件を読むよう求めるでしょう」


「それはもう、痛いほど知ってる」


「そして食事の時間を逃した場合には、私には引き続き、あなたへ注意を促す権限があります」


「最後のは、自由の話とあんまり関係なくなってきてないか?」


セラフィナが笑った。


「いいえ。私はむしろ、とても関係があると思うわ」


紬が彼女を向いた。


「セラフィエルの言い方が丁寧だからって、そっちの味方をしなくてもいいんだぞ」


「でも、本当でしょう? あなたの自由には、やっぱりいろいろな規則があるもの」


「その厳しい現実は、もう受け入れたよ」


私は微笑んだ。


「それに、必要になれば注意してくれる人が、ほかにも五人いますからね」


「ああ。だから艦は俺の私物なのに、絶対的な支配者になった気分なんて、一度も味わえたことがないんだよ」


セラフィナがさらに大きな声で笑った。


「紬、もしあなたが本気でこの艦の絶対的な支配者になろうとしたら、真っ先に反対するのはランでしょうね」


「間違いないな。そのあとカリスタが予算に文句を言って、レアが遠慮なく何か言って、ヴェスペラが危険な航路を却下して、お前は俺の考えがどれだけ駄目なのか、長い報告書にまとめるんだろ?」


「できるだけ簡潔な報告書になるよう、努力しますよ」


「ほらな? 自分の艦で独裁者になろうとするだけでも、事務手続きを通さなきゃいけないんだ」


セラフィナが声を上げて笑った。


私も、とうとう一緒に笑い始めた紬を見つめた。


こういう会話のほうが、慎重さばかりを求められる外交的な歓迎の場よりも、ずっと私たちの日常に合っている。


◇◆◇


笑いが収まると、セラフィナは再び外の景色へ視線を向けた。


「セラフィエル、あなたにも一つ質問していいかしら?」


「もちろんです」


「紬は、艦の能力を使ってもっと高い地位を得るべきだと、思ったことはないの?」


私は答えを考えた。


「彼がより大きな政治的、あるいは経済的な役割を望んだ場合も含めて、さまざまな選択肢の利点と危険性を分析することはできます。ただし、彼がどのような人生を歩みたいのかという決定は、ASTRAEONの能力の大きさだけで下せるものではありません」


「それなら、今の彼の選択を支持しているのね?」


「本人が結果を理解したうえで自覚的に下した判断であり、私たちがその責任を理解し、適切に遂行できるのであれば、その決断を支持します」


紬が私をちらりと見た。


「何だか、ものすごく専門家らしい答えだな」


「あなたの判断が、安全に実行できる状態を維持することにも責任を持つ相手と、話しているのですから」


「それもそうか」


私は彼を見た。


「でも、個人的には、あなたがこの旅を楽しんでいる姿を見るのが嬉しいですよ」


紬は一瞬、黙った。


「……ありがとう、セラフィエル」


私たちを見ていたセラフィナが微笑んだ。


「二人は最初から一緒にいたのよね?」


「はい」と私は答えた。


「それなら、地球へ帰りたいという彼の願いを、最初に聞いたのもあなた?」


私は頷いた。


「そうです」


「よく、そのことを話しているの?」


私は、紬が自分で答えたいかどうか確かめるため、彼へ視線を向けた。


紬が小さく頷く。


「毎日ではありません」と私は答えた。「ただ、故郷は今も、彼自身を形作る大切な一部です。ASTRAEONには、旅の途中でも故郷で親しんでいたものを楽しめるよう、いくつかの施設や記録資料も用意されています」


「さっきのYangwang U8みたいに?」


「それも一つですね」


紬は頭を背もたれに預けた。


「ときどき、ただ見慣れた車に座って、故郷の味に似た料理を食べて、銀河間の面倒事なんて考えずに何かを読みたいだけのこともあるんだよ」


セラフィナが微笑んだ。


「これほど大きな艦を持っていても、あなたの幸せはそんなに単純なことで満たされるのね」


「悪いか?」


「いいえ。むしろ、とても素敵だと思うわ」


◇◆◇


それからしばらく、私たちは仕事の話をせずに飲み物を楽しんだ。


セラフィナは、再び東京について尋ねた。


ただし、今度の話題は宇宙技術の発展ではなく、その都市での生活だった。


紬は朝の混雑した電車での移動や、電器店、仕事帰りに買える食べ物、それから見たいと思うほど多くの星がいつも見えるわけではない、都会の夜空について話していた。


セラフィナは、戦術マップを研究するときと同じくらい熱心に耳を傾けている。


けれど、質問の内容は違っていた。


紬の好きな食べ物は何か。


東京の電車は、いつも混雑しているのか。


乗り物があるのに、どうしてわざわざ街の中を歩こうとする人がいるのか。


そして、この銀河で出会った誰かを故郷へ連れていくことを、考えたことはあるのか。


「最後のは、そこまで考えたことないな」と紬が答えた。


セラフィナが微笑んだ。


「別に、招待してほしいと言っているわけではないのよ」


「よかった。恒星間文明をまだ知らない惑星に、帝国皇女を迎えるための訪問手続きなんて、俺はまだ用意してないからな」


「きっとミレルなら、すぐに必要なものの一覧を作り始めるわね」


自分の席に座っていたミレルが、こちらを向いた。


「殿下が本当にそのような旅をなさるのであれば、当然、私が準備しなければなりません」


紬は両手を上げた。


「ほらな? まだ話しただけなのに、もう事務手続きが始まってる」


私は小さく笑った。


「それなら、ランに追加の書類が必要になりますね」


「セラフィエル、まだ存在すらしてない計画のために、事務担当チームを作るのはやめてくれよ」


「了解しました」


セラフィナがまた笑った。


私は、その会話を楽しい一幕として記憶に留めた。


旅の約束としてではない。


地球の位置を公開する計画としてでもない。


ただ、故郷について交わした会話として。


◇◆◇


14時02分。


ランが監視している運用チャンネルから、私は新しい情報を受信した。


メッセージはタラリスの通信網から届いたもので、有効な認証検査も通過している。


私はまず本文を確認した。


配送先の変更要請はない。


契約解除の通知もない。


ASTRAEAの乗客資格を変更するような指示もなかった。


私は紬へ顔を向けた。


「タラリスから契約に関する更新情報が届きました」


彼はすぐにカップを置いた。


「問題でもあったか?」


「いいえ。依頼主は詳細な貨物点検報告書と航行状況の更新を受領しました。また、目的地の施設が、ASTRAEONから通知された更新後の到着予定に基づいて、受け入れを待つことを確認しています」


紬は安堵の息を吐いた。


「よかった。概要を見せてくれ」


私たちの前に、情報パネルが現れた。


【タラリス戦略兵站局】


【運用状況更新の確認通知】


契約番号:C-145-MC


契約状況:継続中


事件後の貨物点検報告書:受領済み


配送先:タラリス国境兵站補給拠点


到着予定:ASTRAEONから通知された更新情報に準拠


貨物受け入れ:目的地施設は、有効な到着手順に従い受け入れを待機


追加要件:到着時の保安検査については、最新の運用通知に従うこと


支払い状況:最終引き渡し手続きの完了待ち


紬はすべてに目を通した。


「ランももう見てるか?」


「はい。到着手続きに向けた、追加の記録を準備しています」


「よし。ヴェスペラには承認済みの航路を維持するよう伝えてくれ。早く終わらせたいからって理由だけで、到着予定を変更する必要はないからな」


「すでに伝えてあります」


セラフィナは、彼の様子の変化を見守っていた。


ほんの少し前まで、紬は故郷へ帰る旅のことや、東京での暮らし、自由な時間を楽しみたいという願いについて話していた。


そして今は、再び輸送義務を確認する艦長へと戻っている。


けれど、その表情が劇的に変わったわけではない。


彼は相変わらず落ち着いていた。


自分自身の言葉を選んでいる。


そして、仕事を託してくれた人々のことを、きちんと考えていた。


「紬」


セラフィナが呼びかけた。


「ん?」


「さっきの答えが、ようやく分かった気がするわ」


「自由の話?」


「ええ」


彼女が微笑んだ。


「あなたは、責任のない人生を送ろうとしているのではないのね。ただ、何かを引き受けると決めるとき、その理由を自分自身で持っていたいだけなのだわ」


紬も笑みを返した。


「なかなかいいまとめ方だと思うよ」


「私も帝国へ戻ったら、似たようなことを考えてみる必要があるのかもしれないわね」


「急ぐ必要はないさ」


「分かっているわ」


彼女は外の星々を見つめた。


「今は、ASTRAEON VELORIAの乗客として、この旅を楽しんでみたいの」


紬が頷いた。


「いい選択だと思うよ」


私は、必要な情報が関係する乗員たちへ転送されていることを確認し、契約の情報パネルを閉じた。


ASTRAEONは、引き続きタラリス国境兵站補給拠点へ向かっている。


輸送義務は、まだ完了していない。


目的地では、追加の保安手続きが待っている。


そして、セラフィナに関する帝国との通信も、確認済みの引き継ぎを行える段階には至っていなかった。


けれど、オブザーバトリーの中は穏やかなままだ。


少なくとも今のところ、次の仕事が待っているというだけで、この会話を終わらせなければならない理由はない。


紬が再びカップを手に取った。


「じゃあ、向こうも俺たちを待ってるって確認できたんだし、まだ少しくらい自由時間はあるよな?」


私は微笑んだ。


「必要なときに連絡が取れる状態でいてくれるなら」


「いい答えだ」


「ただし、このあとランと一緒に確認しなければならない書類が、いくつかありますよ」


「……今の褒め言葉は撤回する」


セラフィナが笑った。


その笑い声が、星々の広がりを望む観測室いっぱいに響いていた。


◇◆◇


【次話予告・第174話】


「皇女からの正式な礼」


紬やASTRAEONの乗員たちと過ごした時間を経て、セラフィナは、自分が生存していることをヴェルドラコン帝国側へ伝えるための正式なメッセージを準備し始める。しかし、帝国皇女の名で送られる一つひとつの言葉は、慎重に確認しなければならない。救助への感謝が、ASTRAEON VELORIAの同意していない政治的な結びつきへと変わってしまわないように。


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