【第172話】「食卓に座る戦姫」
【第172話】「食卓に座る戦姫」
場所: ASTRAEON VELORIA — 乗客居住区 → デッキ間交通路 → グランド・ダイニング → グランド・サロン
航行状況: タラリス外縁通過回廊を航行中。タラリス国境兵站補給拠点へ向かっている。
視点: セラフィナ・ヴァルクレイン・ヴェルドラコン → モード・ラン・ヴァレス → レア・ヴァレン → カリスタ・フェロ
◇◆◇
### 視点:セラフィナ・ヴァルクレイン・ヴェルドラコン
私の衣装棚には、何かがおかしなところがある。
少なくとも、扉を開いた瞬間に私が最初に抱いた結論は、それだった。
私はしばらく、何も言えずに衣装棚の前に立ち尽くしていた。
中には、実に整然と分類されたさまざまな衣服が掛けられている。くつろぐための服、日常生活用の衣服、少し改まった仕立てのものまで数種類。さらに、それぞれの装いに合わせた小物類も用意されていた。
損傷した艦から救助された生存者に支給されるであろうと、私が想像していた非常用の衣服に似たものは、一着もない。
「殿下?」
居間からミレルが近づいてきた。
「何か問題でも?」
私は衣装棚を指さした。
「誰かの衣服を、間違えて私の部屋に入れてしまったのではないかしら?」
ミレルは目の前に並んだ衣服を眺めた。
それから、淡い青色のドレスを一着、ハンガーから取り外す。
「……そうではなさそうです、殿下。サイズが殿下に合わせて調整されています」
「だからこそ、分からないのよ」
ドレスの生地に触れると、柔らかな感触が指先に伝わってきた。
軽い。けれど、薄っぺらいわけではない。内側から触れても縫い目はほとんど感じられず、各部の裁断は、衣服を硬く見せることなく美しい形を保っている。
私はヴェルドラコン帝国の貴族たちを顧客とする、多くの服飾工房を知っている。
中には、皇室の公式衣装を製作する特別な権利を与えられた工房さえある。
それでも、この素材には見覚えがなかった。
品質が劣っているからではない。
むしろ、その逆だ。
「ミレル、ここの接合部分を見て」
彼女が顔を近づける。
「ほとんど見えませんね」
「でしょう? しかも表側だけではないの。裏地まで同じ精度で仕上げられているわ」
私は二着目を手に取った。
より柔らかな色合いの、くつろぐための服だ。
目立つ宝飾も、過剰な刺繍も、着る者の身分を誇示するための紋章もない。
それなのに、見れば見るほど、製作費がいったいいくらになるのか見当もつかなくなっていく。
「もしかして、セラフィエル様の私物なのでしょうか?」とミレルが尋ねた。
「それなら、どうして全部私のサイズに合っているの?」
「……それもそうですね」
そのとき、客室のサービス端末が点灯した。
『おはようございます、セラフィナ。衣服選びのお手伝いが必要ですか?』
室内システムからセラフィエルの声が聞こえた。
私はすぐに振り向いた。
「セラフィエル、ちょうどよかったわ。聞きたいことがあるの」
『どうぞ』
「この衣装棚に用意されている服は……いったい誰のためのものなの?」
『あなたのためですよ。主要区画に用意した衣服は、すべて乗客受け入れ手続きで取得したサイズ情報に合わせて調整されています』
私はもう一度、衣装棚を見た。
「全部?」
『はい』
「このドレスも?」
『そうです』
「隣の服も?」
『そちらもです』
ミレルが、何やら怪しい小さな声を漏らした。
振り向くと、彼女は笑っていた。
「何?」
「いえ、殿下。ご質問が、だんだん在庫検査のようになってきたものですから」
「だって、理解できない在庫を理解しようとしているのよ!」
セラフィエルが小さく笑う声が聞こえた。
『配置の間違いではありません。ASTRAEONには、居住者と乗客それぞれの区分に応じて衣服を提供する設備があります』
「それなら、使用するにあたって、いくら費用を計上すればいいのかしら?」
『それらは宿泊設備の一環として提供される衣服です。すでに支給された品について、一着ごとの購入代金を別途お支払いいただく必要はありません』
私は言葉を失った。
「待って。つまり、私がもらってもいいということ?」
『はい。個人への贈与品として割り当てられた衣服は、滞在期間が終了しても返却する必要はありません』
私はミレルを見た。
ミレルも私を見た。
「……セラフィエル」
『はい?』
「この方針について、紬は知っているの?」
『もちろんです』
なぜだろう。
その返事を聞いて、私はますます言葉が出なくなってしまった。
◇◆◇
服を選び終えた私は、柔らかな青色のカジュアルドレスに、動きを妨げない軽い羽織物を合わせて部屋を出た。
追加の宝飾品は、あえて選ばなかった。
嫌いだからではない。
これから向かうのは公式行事ではなく、この艦で暮らす人たちとの食事なのだから。
廊下ではミレルが待っていた。
彼女もすでに着替えている。
一見すると、クリーム色のブラウスに暗色の長ズボン、歩きやすそうな靴という、簡素な装いだった。
けれど、生地と仕立ての品質はすぐに分かった。
「あなたも新しい服をもらったの?」
「はい。着用してもよい予備の衣服がないか、一度尋ねてみたのですが……システムが衣装棚いっぱいの服を表示してくれまして」
「それで、何と言ったの?」
「何かの間違いではないか、と」
私は笑った。
「考えることは同じだったのね」
ミレルは少し俯いて、自分の服を眺めた。
「正直に申し上げて、これほど着心地のよい服は初めてです。こうした素材は、普段使いには繊細すぎるのではないかと思っていたのですが」
「私も同じよ」
私は彼女の羽織物へ目を向けた。
「でも、その装いはあなたによく似合っているわ」
「ありがとうございます、殿下。殿下も大変お美しいです」
「着替えるたびに、そう言わなくてもいいのよ?」
「毎回は申し上げておりません」
「ほとんど毎回でしょう?」
「それでは、二回に一回まで減らせるよう努力いたします」
私は彼女を見つめた。
ミレルは数秒間、真面目な顔を保っていたものの、とうとう笑い出した。
ASTRAEONの乗客になって以来、どうやら私の部下は、私をからかう機会をますます多く見つけるようになったらしい。
それがよい変化なのかどうか、私自身はまだ判断しかねていた。
◇◆◇
私たちは案内に従い、グランド・ダイニングへ向かった。
最初は、いくつかの廊下とエレベーターを通るだけだろうと思っていた。
けれど、乗客用の交通結節点へ到着したところで、ASTRAEON VELORIAの大きさを、ASTRAEAで部屋を移動するときの感覚で測ってはいけないのだと理解した。
指定された経路に、艦内交通用の車両が停車する。
扉が静かに開いた。
中に運転手はいない。案内システムは、すでに乗客端末から私たちの目的地を受け取っていた。
『どうぞお乗りください、セラフィナ、ミレル』
サービス通信を通じて、セラフィエルが告げた。
私はミレルと一緒に車内へ入った。
座席は快適だが、過剰な装飾はない。片側には、居住区から共用施設のある区域までの移動経路を示す画面が設けられていた。
「ASTRAEONの中では、移動するときはいつもこういう車両を使うの?」と私は尋ねた。
『いいえ。短距離であれば廊下やエレベーターを利用できます。長距離の移動には、艦内の主要施設を結ぶ内部交通網を用意しています』
私は表示された経路を眺めた。
理にかなっている。
この艦は全長8,600メートルもあるのだ。
昼食を食べるためだけに、誰かを艦の端から端まで歩かせるなど、実用的な判断とは言えない。
車両が動き始めた。
加速があまりにも滑らかだったため、外のパネル越しに見える景色が変わって初めて、私たちが出発地点を離れていたことに気づいたほどだ。
ミレルは安全案内を読んでいた。
「つまり、グランド・ダイニングは私たちの居住区の真下にあるわけではないのですね」
「そうみたいね」
「もし案内なしで歩いて行こうとしたら、私が到着する頃には、殿下はもう食事を終えていそうです」
「その前に迷子にならなければ、ね」
「殿下、私は航法にはそれなりの自信があります」
「ASTRAEAでは、でしょう?」
彼女が黙った。
「……案内を利用いたします」
私は満足げに微笑んだ。
デッキ間の交通網を通る旅は、ASTRAEONの別の一面を見せてくれた。
乗客用の経路から見える乗り換え地点では、サービスドローンが各施設へ物資を運んでいた。居住区とは異なる構造を持つ廊下もあったが、人の往来で混雑している場所はない。
私はランの説明を思い出した。
六人。
これほど巨大な艦で暮らし、働いている中核乗員は、たった六人だけなのだ。
紬、セラフィエル、ラン、ヴェスペラ、レア、そしてカリスタ。
残りは自動化システムと、さまざまな支援ユニットが担っている。
ASTRAEAが救助される前にそんな話を聞かされていたら、きっと翻訳の間違いだと思っただろう。
けれど、この艦の働き方を実際に見た今では、乗員数だけが艦の運用能力を測る尺度ではないのだと、少しずつ理解し始めていた。
「ミレル」
「はい?」
「あなたはどう思う?」
彼女は清潔で静かな車内を見回した。
「何についてでしょうか、殿下?」
「ASTRAEONのことよ」
ミレルは少し考えた。
「いまだに、これを私有艦だと思うのは難しいですね」
「私もよ」
「ですが……軍事施設のようには感じられません」
私は再び経路表示へ目を向けた。
「そうね」
私の皇族としての地位を思い出させる放送はない。
車両が到着したときに、立って敬礼する係員もいない。
私たちはただ、食堂へ向かっている二人の人間でしかなかった。
そして、どういうわけか。
私はそんな状況を、少しずつ気に入り始めていた。
◇◆◇
### 視点:モード・ラン・ヴァレス
「セラフィエル、ASTRAEAの人員への衣服の支給は、すべて終わったかしら?」
『サイズ情報の登録を済ませ、通常の宿泊設備を利用する許可を得ている方については、大部分が完了しています。現在も治療を受けている患者の必要品は、引き続き医療上の推奨に合わせて調整しています』
私は端末で内部支出の概要を読んだ。
「よかった。本人たちの私物と、ASTRAEONが提供した物品を混同しないようにしてちょうだい」
『すでに分けて管理しています』
「それから、個人への贈与品として支給した衣服を、返却が必要な貸与品として再登録しないこと」
『もちろんです』
私は頷いた。
こういう小さな問題は、つい見過ごされやすい。
けれど、いつか誰かが艦を降りようとしたとき、管理システムから、これまで着ていた服をなぜ持ち帰ろうとしているのかと尋ねられるような事態は避けたい。
ましてや、受け取ったのは、ASTRAEAの損傷によって私物の大半にアクセスできなくなった人々なのだから。
『ほかに何かありますか、ラン?』
「今のところはないわ。これからグランド・ダイニングへ向かうところよ」
『紬にも、昼食のリマインダーは送信済みです』
「本当に来るのかしら?」
『ヴェスペラと航法情報の更新を一件確認したあとで来る、と言っていました』
「それでは質問の答えになっていないわね」
『もう一度、念を押しておきます』
「ありがとう」
私は通信を切った。
グランド・ダイニングに入ると、セラフィナとミレルがすでに到着していた。
二人は用意されたメニューについて話しているところだった。
私はそのテーブルへ近づいた。
「こんにちは」
セラフィナが振り向く。
「ラン!」
あまりにも嬉しそうな顔をするので、居住区からここへ来るまでに何かあったのだろうかと、少し気になってしまった。
「何か問題でも?」
「聞きたいことがあるの」
私は席に着いた。
「どうぞ」
セラフィナは自分のドレスを指さした。
「乗客用の衣装棚にある服は、本当にすべて追加の購入費用なしで提供されるの?」
「贈与品として指定されている衣服については、そうよ」
「返却もしなくていいの?」
「ええ」
「ASTRAEONを降りたあとも?」
私は彼女を見つめた。
「セラフィナ。もしかして、衣服の自主返却を申請したいのかしら?」
「違うわ!」
ミレルがすぐに笑い出した。
私も微笑んだ。
「それなら、何も問題はないわね」
セラフィナがため息をつく。
「ただ、こんなに品質の高い服を、何も考えずに持ち帰っていい普段着だと思うのが難しくて」
「設備の基準も、贈与に関する方針も、そういうものなのよ」
「帝国では、これに近い品質の衣服は、普通は特別な服飾工房へ注文するものなの。それでも、同じような素材が使われるとは限らないわ」
私は彼女のドレスを眺めた。
仕立てはよく合っている。
座ったときにも、着心地を損ねているような部分は見当たらなかった。
「その服は、衣装棚に飾っておくためではなく、着るために作られたものよ」
セラフィナはしばらく私を見つめた。
「まるで当たり前のことみたいに言うのね」
「実際、私たちは普段から使っているもの」
私はミレルへ目を向けた。
彼女も同等の品質で仕立てられた普段着を身につけている。ただし、デザインは本人の好みに合わせてあるようだ。
「ミレル、あなたの服はどう? 着心地はいい?」
「とても。正直なところ、まだ傷めてしまわないか心配で……」
「調整が必要な部分があれば、サービスシステムへ伝えてちょうだい。本来は快適に着られるはずの服なのに、申請するのを遠慮して動きにくいまま我慢する必要はないわ」
「はい。ありがとうございます」
セラフィナは袖口に触れた。
「ラン、もしこんな服が一般に販売されたら、いったいいくらになるのか、見当もつかないわ」
「市場価格を理由に、着るたびに罪悪感を覚えるのはおすすめしないわね」
「それは、この艦の財務管理者としての助言?」
「乗客が普段着を傷めるのを恐れて、ぎこちなく歩く姿を見たくない人間としての助言よ」
セラフィナが笑った。
「分かったわ。努力してみる」
私は昼食のメニューを開いた。
「さて、二人とも料理はもう選んだの?」
「まだよ。ほかの皆さんを待っていたの」
「全員が揃うまで、注文を待つ必要はないのよ?」
セラフィナが微笑んだ。
「分かっているわ。でも今回は、皆さんと一緒に食事をしたいの」
その答えに、私は一瞬手を止めた。
それから頷く。
「それなら、何かおいしいものを選びましょうか」
◇◆◇
前菜が運ばれてくると、セラフィナは再び衣服の話を始めた。
ただし、今度は自分のことではなかった。
「アウレリアも、ここの衣服を着たことがあるの?」
私はカップを置いた。
「あるわよ」
「セラフィエルから聞いたの。救助されたあと、ASTRAEONに一時滞在して、一緒に旅もしていたのでしょう?」
「ええ」
「では、彼女が持ち帰った服も、ここで用意されたものなの?」
「贈られた衣服の一部は、確かにASTRAEONの設備で用意したものね」
セラフィナが頷いた。
「なるほどね」
「何がなるほどなの?」
「帰ってきたあとのアウレリアが、私の知らない服を着ているのを見かけたことがあったの。ご家族が新しい服飾工房を見つけたのかと思っていたわ」
私は小さく微笑んだ。
「私たちと一緒に過ごしていた間、彼女は用意された服の中から、いくつか気に入ったものを見つけていたから」
「セレネは?」
「セレネにも、ASTRAEONで検査と医療処置を受けていた間、衣服が支給されていたわ。贈られた服については、艦を離れたからといって返却する必要はないの」
セラフィナは考え込むような表情で私を見つめた。
「つまり、こういう設備は、貴族の家の人間だけに提供しているわけではないのね」
私は眉を上げた。
「どうしてそうする必要があるの?」
「いいえ。ただ、確かめておきたかっただけ」
「受け取る人それぞれの必要性や区分に合わせて調整はするわ。でも、爵位を持っていないという理由だけで、衣服の品質を下げるようなことはしないわよ」
ミレルが少し頭を下げた。
彼女が何か、必要以上に改まった言葉を口にする前に、私は続けた。
「それからASTRAEAの人員については、必要に応じた調整も行っているわ。すでに贈与品として確定している服について、一着ごとの費用をどう返せばいいのかと悩む必要はないのよ」
セラフィナが頷いた。
「分かったわ」
まだ何か聞きたいことがありそうな顔をしていた。
けれど今回は、彼女は先に食事を楽しむことを選んだようだ。
喜ばしい進歩ね。
◇◆◇
### 視点:レア・ヴァレン
グランド・ダイニングに着くと、ランがセラフィナとミレルと一緒に座っているのが見えた。
「あっ、もう始めてる!」
セラフィナが顔を上げた。
「レアさん」
私は足を止めた。
「……レアさん?」
「どうかしたの? 丁寧な呼び方でしょう?」
「間違ってないけどさ。昨日から普通にレアって呼んでくれてたのに、急にそう呼ばれると、ちょっと変な感じがして」
セラフィナが微笑んだ。
「皆さんの呼び方の習慣に、合わせてみようと思って」
私は彼女の隣の椅子を引いた。
「それなら、レアでいいよ。レアさんのほうが呼びやすければ、それでもいいけど。食事中に突然『ヴァレン隊長』なんて呼び始めなければね」
「どうして?」
「昼食を食べ終わる前に、訓練報告書を全部確認しなきゃいけない気分になるから」
ランが即座にこちらを向いた。
「それはむしろ、いいことではないかしら?」
「ラン、私まだ来たばっかりなんだけど。始めないでよ」
セラフィナが笑った。
私は昼食を注文してから、彼女の服装に目を向けた。
「あ、ついに乗客用の衣装棚の服を着てみたんだ」
「ええ」
「いいね。すごく似合ってる」
「ありがとう。私もミレルも、最初は配置を間違えたのかと思ってしまったわ」
私は笑った。
「想像できるなあ」
「あなたも同じ施設の服を着ているの?」
私は自分の普段着を見下ろした。
着心地のいいカジュアルな上着に、動きを妨げない長ズボン。それから、身体を動かしたときに耳や髪が気にならない襟元。
「そうだよ。どうして?」
「何でもないの。ただ、考えれば考えるほど、皆さんがあれほど高級な服を普段の生活で着ているのが不思議で」
「外で売ったら高いからって、わざわざ着心地の悪い服を着なきゃいけないの?」
「……それは、そうではないけれど」
「ほら。解決!」
私は笑顔を向けた。
「それに、ここは紬の艦なんだから。艦で暮らすみんなに、おいしいご飯と着心地のいい服を楽しんでほしいって思ってるなら、私たちが断る理由なんてないでしょ?」
ランがカップを持ち上げた。
「管理が明確である限りは、ね」
「絶対それ付け加えると思った」
「大事なことだもの」
セラフィナがまた笑った。
私は、その笑い声が好きになり始めていた。
誰かが食堂へ入ってくるたびに立ち上がるべきなのか、彼女がまだ探り探りで判断していた頃の、あの堅苦しい雰囲気よりずっといい。
◇◆◇
「ところでさ」と、料理が来るのを待ちながら私は言った。「昨日の戦闘報告に、けっこう興味を持ってるって聞いたんだけど」
「アルケイオンの陣形については、もう一度詳しく調べたいと思っているわ。でも、共同で確認できる情報の範囲については、ヴェスペラから説明を受けているの」
「いや、そういう意味じゃなくて」
私は背もたれに寄りかかった。
「モバイルフレームのシミュレーターって、使ったことある?」
セラフィナは少し考えた。
「基礎訓練なら、ええ。ただ、私の経験はモバイルフレームを直接操縦することよりも、指揮や戦術分析に関するものが多いわね」
「へえ?」
私は笑った。
「じゃあ、この話は気に入るかも」
ランが食器を置いた。
「レア」
「何?」
「もしあの訓練の話をするつもりなら、ちゃんと順番どおりに話しなさいよ」
私はランを見つめた。
「どの話か分かってるの?」
「候補がいくつかあるわ」
「……ひどくない?」
ミレルが興味深そうな顔をした。
「何があったのですか?」
私はわざと大きくため息をついた。
「分かったよ。ある訓練のときにね、私、なかなかいいと思った機動を披露しようとしたんだ」
「どんな機動?」とセラフィナが尋ねる。
「障害物を通過した直後に素早く方向転換して、相手の攻撃が届かない側から攻撃位置へ入るの」
「理にかなっているように聞こえるわ」
「でしょ! 私もそう思ったんだよ!」
私は自分を指さした。
「だから、自信満々で実行したわけ。進入角度も、距離も、修正するタイミングも計算してあった。全部うまくいってたんだよ。最後に、もっと速く見せようと思って、動作を一つ短縮するまではね」
ランが飲み物を一口飲んだ。
「それで?」とセラフィナが先を促す。
「そしたら、訓練コースに許容範囲が設定されてるのには、ちゃんと理由があるって分かったの」
私は両手を上げた。
「訓練機は最初の障害物を見事に通過したんだ。それから、私がものすごく格好いいと思ってた位置を取ろうとした、まさにその瞬間。システムがシミュレーションを停止させたの」
「どうして?」
「右脚の軌道が、次の障害物の安全領域を横切っちゃったから」
ミレルが口元を覆った。
「ぶつかったのですか?」
「シミュレーション上ではね」
私はため息をついた。
「一番腹が立ったのはさ、システムが最後のポーズすら完成させてくれなかったことなんだよ。機体が、その……」
私は口をつぐんだ。
セラフィナが続きを待っている。
「どんな格好だったの?」
「説明しづらいんだよね」
そこでランが口を開いた。
「格好よく着地しようとした人が、片脚を高く上げすぎたまま、身体を横に傾けたところで止まった姿を想像してみて」
私は彼女を見つめた。
「ラン!」
「順番どおりに話すように言ったでしょう?」
セラフィナはもう笑い始めていた。
「それで?」
私は諦めた。
「それでカリスタが来て、シミュレーション結果を見たの。私はてっきり、動作設定の問題について話すんだろうなって思ってた。最初に何て言ったと思う?」
「何て?」
私はカリスタの声を真似た。
「『レア、ポーズを決めたいんなら、ちゃんと機体を停止させてからにしな』」
最初にミレルが笑った。
続いてセラフィナも笑い出す。
私は二人が少し落ち着くまで待った。
「まだ終わりじゃないよ」
「まだあるの?」とセラフィナ。
「セラフィエルが、あの映像を評価資料として保存したんだ。もちろん、専門的な目的でね」
ランが微笑んだ。
「もちろんね」
「で、紬がそれを見たの」
セラフィナがすぐに姿勢を正した。
「何て言ったの?」
私は目を閉じた。
「モバイルフレームの新しい駐機方法でも見つけようとしてたのか、って」
セラフィナが吹き出した。
口元を手で隠して抑えるような、小さな笑いじゃない。
カップをいったんテーブルへ戻さなければならないほど、大きな声で笑い始めたのだ。
私は彼女を指さした。
「ちょっと、そんなに嬉しそうに笑わないでよ! まだ映像を見たこともないくせに!」
「ごめんなさい……ごめんなさい、レア。でも……」
彼女は最後まで言おうとして失敗し、また笑い出した。
ミレルまで目尻を拭っている。
私はランへ顔を向けた。
「ほらね? だからあの話を蒸し返されるの、嫌いなんだよ」
「自分から話し始めたんでしょう?」
「だって、笑わせたかったんだもん!」
「成功したじゃない」
私は口を閉じた。
……確かに。
まだ息を整えようとしているセラフィナへ、もう一度目を向ける。
「……まあ、それなら。あの恥ずかしい出来事にも、ようやく使い道ができたってことかな」
セラフィナが少し頭を下げた。
「ありがとう、レア」
「何が?」
「話してくれて」
私は肩をすくめた。
「別にいいよ。でも、セラフィエルに映像を見せてって頼まないでね」
「まだ頼んでいないわ」
「その顔、頼もうか考えてる顔だよ」
彼女はまた笑った。
しまった。
私、自分で自分の問題を増やしちゃったんじゃない?
◇◆◇
料理が届いてからは、セラフィナ自身の訓練経験へと話題が移った。
どうやら、この帝国皇女にもなかなか面白い話があるらしい。
「以前、護衛シミュレーションについて話し合っていたとき、ほかの可能性を質問しすぎて、教官を怒らせてしまったことがあるの」と彼女は言った。
私は顔を上げた。
「どうして?」
「教官は、決められた陣形を維持するように指示したの。だから私は、目的地点が変わったらどうするのかと質問したわ。すると、それは想定に含まれていないと答えられたのよ」
「それで?」
「今度は、護衛艦の一隻が通信を失った場合はどうするのかと聞いたの」
私は笑い始めた。
「それも想定外だった?」
「ええ。だから、状況を変える出来事をすべて想定外とするのなら、私たちはいったい何を学んでいるのかと質問したの」
ランが手の甲で口元を覆った。
ミレルが小さく頷く。
「そのお話は、私も聞いたことがあります」
「最後はどうなったの?」と私は尋ねた。
セラフィナは少し恥ずかしそうな顔になった。
「教官から、自分で追加のシミュレーションを作るように言われたわ」
「作ったの?」
「もちろん」
「どのくらい?」
彼女はすぐには答えなかった。
私はミレルを見た。
ミレルが微笑む。
「次の組の訓練でも、殿下が作成された教材の一部を使用することになったほどです」
私はフォークを置いた。
「……君って、追加報告書を作れなんて挑発しちゃいけないタイプの人なんだね?」
セラフィナが両肩を上げた。
「頼まれたことに答えただけよ」
私は笑った。
「君とランがシミュレーションや書類について一緒に話し始めたら、紬はさぞ喜ぶだろうね」
ランが眉を上げた。
「どういう意味かしら?」
「何でもないよ。どれだけ報告書が増えるのかなって、ちょっと想像しただけ」
「レア」
「はい?」
「冷めないうちに食べなさい」
「はーい、ランさん」
私はわざと敬称を付け加えた。
ランは何も言わずにこちらを見つめた。
セラフィナがまた笑う。
今日の昼食は、どんどん楽しくなってきた。
◇◆◇
### 視点:カリスタ・フェロ
別に、遅れて来るつもりはなかった。
少なくとも、あたしがグランド・ダイニングに入った途端、レアが言い出したほどの遅刻ではないはずだ。
「カリスタ! もうほとんど食べ終わっちゃうよ!」
「まだみんなが席を立つ前に来ただろ?」
「それ、食事の時間を決める基準としてはよくないよ」
「分かってるって」
あたしは空いている椅子を引いて座った。
「でも、格納庫で確認しなきゃいけないことがあったんだよ」
ランがこちらを見た。
「ASTRAEA?」
「ASTRAEAに新しい問題が起きたわけじゃない。輸送用の固定装置は安定してるよ。格納庫設備の、ちょっとした整備作業を確認してたんだ」
レアがすぐにニヤリとした。
「へえ? ちょっとした?」
あたしは彼女を見つめた。
「何だよ、その言い方」
「だって、カリスタが小さな故障だって言うと、そのあとに始まる説明が、全然小さく聞こえないんだもん」
「今回は本当に小さいんだって」
セラフィナが興味を示した。
「どこが壊れたの?」
あたしは先に料理を注文した。
それから、テーブル端末に簡単な図を開く。
機密の技術図面じゃない。
話している部分を説明するのに十分な、ごく一般的な模式図だ。
「格納庫の移送設備にある保護ユニットの一つが、さっきまでの一連の作業を終えたあと、わずかな数値のずれを示したんだ。システムが危険になるようなものじゃないけど、点検結果を見る限り、調整はしておいたほうがいい」
「深刻な故障じゃないなら、どうしてそんなに時間がかかったの?」とレアが尋ねる。
「格納庫の設備ってのは、一つの部品だけで動いてるわけじゃないからだよ」
あたしは図を指さした。
「一つの部品を調整したら、その結果がほかの部分の測定値を変えてないか、確認しなきゃいけないんだ。まして、ASTRAEAみたいな大きさの艦を運び込んだあとなんだからな」
セラフィナが椅子を少し近づけた。
「ASTRAEAの固定装置にも影響があったの?」
「ないよ。あんたの艦を保全しているシステムは、あたしが調べてた部分とは別系統だ。ここに来る前に、そこは確認してある」
「よかった……」
「そんなに安心した顔をするのはまだ早いぞ。あんたの艦は、全面的な修理について話せるようになるまでに、まだまだやることが山ほどあるんだからな」
「分かっているわ。格納庫に入れたからといって、もう元どおりになったとは思っていないもの」
あたしは満足して頷いた。
「よし。少なくとも一人は、あたしの説明をちゃんと聞いてくれてるみたいだな」
レアが即座に自分を指さした。
「ちょっと、私だって聞いてるよ!」
「さっきは『小さな故障』って言葉を笑ってたじゃないか」
「だって、カリスタのこと知ってるもん」
「それは技術的な理由になってないぞ」
ランが飲み物を一口飲んだ。
「でも、経験に基づく理由としては十分に説得力があるわね」
あたしは二人を交互に見た。
「お前ら、本当に協力してあたしをからかってるだろ?」
セラフィナがまた笑った。
あたしは諦めて、食事を始めた。
◇◆◇
「カリスタ」
しばらくして、セラフィナが声をかけてきた。
「ん?」
「ASTRAEAの損傷とは直接関係のないことを、一つ聞いてもいいかしら?」
「もちろん。艦の機密図面を要求しない限りはな」
「そのあたりの皆さんの規則は、だんだん理解してきたつもりよ」
「ならよし」
彼女は端末に表示された一般向けの図を指さした。
「ASTRAEONには、ASTRAEAを収容できるほどの格納庫があって、Vector Caliperやモバイルフレームにも、それぞれの設備が用意されているのでしょう? それほどの整備作業を、あんなに少ない乗員数でどうやってこなしているのか、まだ想像がつかなくて」
あたしは口の中のものを飲み込んでから答えた。
「全部の仕事を、あたしたち自身の手でやる必要はないからだよ」
「ドローン?」
「ドローン、自動整備システム、製造設備、それに各種支援システムだ。ただし、ボタンを一つ押せば全部の問題が解決する、なんて意味じゃないぞ」
あたしは自分を指さした。
「どの作業を実行していいのか判断して、結果を確認して、何かが想定と違ってたら責任を負う。そういう人間は、やっぱり必要なんだ」
セラフィナが頷いた。
「つまり、あなたの仕事は、すべての部分を手作業で修理するというより、システムの監督が中心なの?」
「仕事によるな。自分でやったほうが効率のいいこともあるし、システムの助けを借りずに無理やり自分だけでやるほうが、よっぽど馬鹿げてる仕事もある」
レアが手を上げた。
「例えば?」
あたしは彼女を見た。
「お前、自分のヴァルキリーをあたしが点検してるところ、見たことあるだろ?」
「しょっちゅうね」
「そういうことだ。自分が優秀な技術者だって証明するためだけに、重い部品を全部一人で運ぼうとしたら、それは技術じゃない。ただの馬鹿だよ」
「そんなこと頼んだことないけど」
「分かってる。セラフィナに説明するための例だよ」
セラフィナが微笑んだ。
「理解できたわ」
彼女はもう一度、簡単な図を眺めた。
「Vector Caliperが回収した物品については、どうなの?」
ああ。
それは面白い話題だ。
あたしはすぐに背筋を伸ばした。
「もっと詳しく調べたいものがいくつかあるんだ。Vector Caliperの独立AIが初期インベントリを作ってくれてる。部品の中には、まだ調査できそうな状態に見えるものもあるけど、実際の状態を見るまでは結論を出したくないな」
「すぐに分解してもいいの?」
あたしはランをちらりと見た。
ランもこちらを見返してきた。
「駄目だよ」
レアが笑った。
「すっごく悲しそうな返事だったね」
「だって、面白そうなものに触らせてもらう前に、ランが所有権だの、証拠だの、許可だの、ほかにも千個くらい確認してくるって分かってるからな」
「千個まではないわよ」とラン。
「おっ?」
「資材の種類によるもの」
あたしは彼女を見つめた。
実に穏やかな笑顔を浮かべている。
「……そういう返し方をされるの、嫌いなんだよな」
セラフィナは、あたしたちの会話を楽しんでいるようだった。
「でも、その物品がアルケイオンの艦に関係するものなら、先に出所や法的な扱いを調べたほうがいいのではなくて?」
あたしは人差し指を立てた。
「専門家としては、あんたが正しい」
「では、どうして不満そうなの?」
「個人的には、ものすごく気になってるからだよ」
ミレルが笑った。
あたしは肩をすくめる。
「その二つは、同時に成り立つんだ」
◇◆◇
メインディッシュを食べ終えると、セラフィナはあたしたちの日常生活について質問し始めた。
あたしがいつも食事に遅れてくるのか、と聞かれた。
あたしは違うと答えた。
レアは即座に、そうでもないと答えた。
あたしは、それは言いがかりだと主張した。
するとランが、セラフィエルからあたし宛てに送信された食事のリマインダーは、かなりの回数記録されていると指摘してきた。
あたしは話題を変えてくれと頼んだ。
セラフィナは実に満足そうに笑っていた。
会議中の姿からは想像もつかないほど、この女性は本当はいたずら好きな笑いの感覚を持っているんじゃないかと、あたしは疑い始めていた。
「分かったわ」と、場が落ち着いたところで彼女が言った。「それなら、もう一つ質問してもいいかしら?」
「どうぞ」とランが答える。
「皆さんは、仕事をしていないとき、いつもこういう服を着ているの?」
あたしは自分の普段着を見た。
「そうだけど。何で?」
「部屋に用意されていた衣服を、初めて見たからよ。正直、あれが全部普段着として扱われているなんて、まだ信じられなくて」
「ああ、あれか」
あたしはもう少し料理を口に運んだ。
「着心地がいいなら着る。それだけだよ。専用の作業着が必要なときは、用途に合わせて着替えるしな」
「では、傷めてしまう危険があるような点検作業のときに、こんなに高級な服を着ていくわけではないのね?」
「当たり前だろ。あたしにはちゃんと用途に合った作業着があるんだ。技術的な保護が必要な場所へ、わざわざ普段着で行く理由なんてないよ」
「確かにそうね」
レアが自分の服の襟元を指さした。
「私は、耳の邪魔にならないものが好きだな」
あたしは彼女の狐耳を見た。
「色だけで服を選んでおいて、襟元が合わないって文句を言うなら、衣服設備のせいにするなよ」
「そんなこと言ってないもん!」
「可愛いけど着心地がいまいちだって、お前がデザインについて話してるの、何回か聞いたぞ」
「だって、本当にそういうのもあるんだってば!」
ランが微笑んだ。
「だからこそ、サイズや細部の調整ができるようになっているのよ」
セラフィナはあたしたち三人を眺めた。
「つまり、同じ衣服提供設備を使っていても、それぞれ好みがあるのね」
「当たり前だろ」と、あたしは答えた。「あたしたちは毎日、六人揃って同じ服を着せられてるわけじゃないんだからな」
彼女が笑った。
「ごめんなさい。そういう意味ではなかったの」
「分かってるよ」
あたしは彼女の服装を見た。
「ところで、いいのを選んだな。その色、よく似合ってるよ」
セラフィナが微笑んだ。
「ありがとう、カリスタ」
「どういたしまして。でも、製造技術の説明は求めるなよ。あたし、今は食事中だから」
「まだ聞いていないわ!」
「念のためだよ」
レアがあたしを指さした。
「ほら! 質問を先回りされる気持ち、これで分かったでしょ!」
あたしは笑った。
◇◆◇
### 視点:セラフィナ・ヴァルクレイン・ヴェルドラコン
この昼食の雰囲気が、いったいいつ変わったのか、私には分からなかった。
最初は、貨物点検が終わったあと、ランの誘いに応じようと思っただけだった。
皆さんと同じテーブルに着き、静かに食事をいただいて、それから私たちを乗客として受け入れてくれたことへの感謝を伝える。
そのつもりだった。
けれど今の私は、レアのモバイルフレーム訓練での失敗談を聞き、まだ分解を許可されていない回収物についてカリスタがランと言い合う姿を見て、これほど素晴らしい艦内設備を自由に利用できる人でさえ、仕事に夢中になると食事を忘れることがあるのだと知ってしまった。
自分でも予想していなかったほど、たくさん笑った。
そして、帝国皇女がそんなふうに笑うのは不適切だと考える人は、ここには一人もいないようだった。
「セラフィナ」
私は顔を上げた。
ランがこちらを見ていた。
「何?」
「楽しそうね」
私は自分の頬に触れた。
「そんなに顔に出ていた?」
「隠す理由なんてないでしょう?」
レアが頷いた。
「そうそう。特に、私の恥ずかしい経験をあれだけ笑ったあとなんだからね」
「もう謝ったでしょう!」
「笑うのをやめてなんて、まだ言ってないよ」
彼女が満面の笑みを浮かべた。
私もつられて微笑んだ。
ちょうどそのとき、グランド・ダイニングの扉が開いた。
紬がセラフィエルと一緒に入ってくる。
「あれ、みんなまだいたんだ」
レアがすぐに手を上げた。
「紬くん! 私の訓練の話をしてたんだよ!」
彼の足が止まった。
「……どの話?」
私は俯いた。
もう遅い。
また笑い始めてしまっていた。
紬は私を見て、それからレアを見た。
「まさか、あのモバイルフレームの駐機映像じゃないだろうな?」
「駐機じゃないってば!」
「ああ。じゃあ、やっぱりあれか」
カリスタがカップを置きながら笑った。
レアは私たちを交互に見回した。
「どうしてみんな、あの出来事を間違った言葉で覚えてるの!?」
セラフィエルが優しく微笑んだ。
「技術的には、軌道の許容範囲を逸脱したことによるシミュレーションの強制停止です」
「ありがとう、セラフィエル! やっと正しく説明してくれる人がいた!」
「ただし、停止時の機体姿勢が、完了しなかった駐機動作に似ていたことも事実ですね」
「セラフィエル!」
紬が椅子を引いた。
「俺、まだ昼飯を食べてないんだ。混ざってもいい?」
私は瞬きをした。
どういうわけか、その質問が少しおかしかった。
ASTRAEONの所有者が、自分の艦の食堂で、席に着いてもいいかと尋ねているのだ。
レアがすぐに空席の椅子をずらした。
「座って座って」
紬が頷いた。
「ありがとう」
セラフィエルも、すぐに対処が必要な運用上の問題がないことを確認してから、彼の隣に腰を下ろした。
私は二人を眺めた。
紬の普段着は、デザインこそ簡素だったものの、その品質は私の部屋の衣装棚にあった服に少しも劣っていない。
セラフィエルも、過剰に見えない、上品な装いをしていた。
私は、あることを理解し始めていた。
ASTRAEONの贅沢さは、重要な客人を迎えるためだけに用意されたものではない。
ここで暮らす人々にとって、その贅沢さは、すでに自分たちの家の一部なのだ。
そして紬本人は、私の前で自分がどう見えるかよりも、これから何を食べようかということのほうが気になっているらしい。
「セラフィナ」
彼に呼ばれた。
「何、紬?」
「昼飯はどうだった?」
「とてもおいしかったわ」
「それならよかった」
彼はメニューを開いた。
「ほかにも食べてみたいものがあったら、遠慮なく頼んでくれよ。俺たちを待つ必要はないからさ」
私は微笑んだ。
「そのあたりは、もう少しずつ分かってきたつもりよ」
「そっか。よかった」
私の服装を褒める言葉はなかった。
大げさな歓迎の挨拶もない。
私が帝国皇女だからといって、専用の食堂が必要かどうか尋ねることさえなかった。
紬はただ席に着き、食事を選び、先ほどの訓練についてまだ弁明を続けているレアの話に加わっただけだ。
不思議なことに、私はそのほうがずっと居心地よく感じられた。
◇◆◇
会話は、その後もいくつかの気軽な話題へと移っていった。
紬がカリスタに格納庫の点検状況を尋ねると、カリスタは簡潔に答えたあと、食事中に仕事の詳細を全部話すのは嫌だと付け加えた。
紬は即座に同意した。
レアは、とても賢明な判断だと言った。
するとランが、先ほど自分から技術的な話題に変えたのはカリスタだった、と指摘した。
カリスタはそれに反論した。
セラフィエルは、食事を楽しみながら微笑んでいるだけだった。
私は、発言するのにふさわしい機会を探す必要もなく、皆さんの会話に加わっていた。
聞きたいことがあれば、聞く。
分からないことがあれば、説明してもらう。
そしてレアがまた何かおかしなことを言えば、自分の反応が皇室の作法に合っているかどうかを確かめることもなく、笑う。
けれど、皆さんを眺めているうちに、私の中では一つの疑問が、次第に大きくなっていた。
私は紬へ目を向けた。
彼はちょうど、タラリスでの追加保安検査によって、引き渡し手続きが通常より長引く可能性があるというランの説明を聞いていた。
「向こうが一方的に契約条件を変えてこない限りは、正式な手続きに従おう」と、彼が答える。
「私もそのつもりよ」とラン。
「よかった。物流局の職員全員と議論する羽目にならずに、報酬を受け取りたいからな」
レアが笑った。
私は彼の話し方を見つめた。
この人は、全長8,600メートルの艦を所有している。
私たちだけでは切り抜けられそうもなかった状況から、ASTRAEAを救い出せるほどの能力を持った艦だ。
彼はほかの五人とともに暮らし、帝国でも最も裕福な家々が所有する私用艦の大半でさえ、用意できないであろう設備を使っている。
それなのに、彼が話しているのは食事や契約、支払い、旅のこと。そして、いつになったら自由な時間を取れるのかということばかりだった。
私を助けた功績を理由に、特権を要求しようとする気配はない。
私の地位を、帝国で何らかの役職を得る機会だと考えている様子もない。
私は、だんだん知りたくなってきた。
ASTRAEONの兵装についてではない。
セラフィエルが秘密にしておきたい技術についてでもない。
これほどのものを持っている人が、なぜ今のような暮らしを自ら選んだのか。
その理由が知りたかった。
「紬」
彼が顔を上げた。
「ん?」
私は食器を置いた。
「少し個人的な質問をしてもいいかしら?」
「質問によるかな。俺がまだ読んでない書類が何件あるかって話なら、ランに聞いてくれ」
「ちょっと」とランが抗議する。
レアが笑った。
私も微笑んだが、今回は話を逸らさずに続けた。
「その話ではないわ」
「お? それなら、どうぞ」
私は彼を見つめた。
「どうして、独立した傭兵として生きることを選んだの?」
紬が一瞬、動きを止めた。
誤解されないように、私は言葉を続ける。
「ASTRAEON VELORIAという、私がこれまで見てきたほとんどの私用艦よりも、はるかに大きな艦を持っているでしょう? その能力も、明らかに普通のものではないわ。もしあなたが望むなら、あなたと仕事上の関係を築くためだけに、地位や保護、さまざまな利益を提供したいと申し出る人は、きっと大勢いると思うの」
私は一度テーブルへ視線を落とし、再び彼を見た。
「でも、あなたは自分で契約を受け、貨物を管理し、運用費を払い、私が普段連れている個人付きの職員よりも少ない人数の乗員と一緒に、自分の行きたい場所へ旅をすることを選んでいる」
誰も口を挟まなかった。
私は小さく微笑んだ。
「その選択がおかしいと思っているから聞くのではないの。ただ、理解してみたいのよ」
紬がカップを置いた。
レアは興味深そうな顔で彼を見ている。
ランも、もう端末には目を向けていなかった。
カリスタは背もたれに寄りかかり、セラフィエルも紬へ視線を移していた。
彼は少しの間、考え込んだ。
それから微笑んだ。
「昼飯を食べ終わったばかりの人にしては、なかなか長い質問だな」
「ごめんなさい」
「いや、謝らなくていいよ」
彼は食堂の観測窓へ目を向けた。
室内照明の向こうには、星々の広がりが見えている。
「ただ……答えも、君が思ってるほど短くはないかもしれない」
私は頷いた。
「聞くのは構わないわ」
紬が再びこちらを見た。
「それなら、あとでオブザーバトリーで話そう。まずは昼飯を食べ終えたいんだ」
私はしばらく言葉を失った。
それから笑った。
「分かったわ、紬」
彼は食器を手に取り直した。
「よし。だって、生き方を選んだ理由について語るために、せっかくの料理を冷ますなんてさ。快適に暮らしたいっていう俺の生き方に、ちょっと矛盾してる気がするだろ?」
レアがすぐに大笑いした。
セラフィエルが微笑んだ。
そして、私は。
ASTRAEA OF THE SILVER LANTERNから救助されて以来、初めて、緊急事態にも、犠牲者の報告にも、帝国での義務にも関係のない会話を、心から楽しみにしている自分に気づいた。
私はただ、自分自身のやり方で星々の間を旅することを選んだ、一人の男性の答えを聞いてみたかった。
◇◆◇
【次話予告・第173話】
「自由を選んだ理由」
ASTRAEON VELORIAのオブザーバトリーで、紬はなぜ独立傭兵としての人生を選んだのか、その理由を語る。一方、セラフィナは、彼が手にしている自由と、ヴェルドラコン帝国の皇女として生きてきた自分自身の人生を、少しずつ比べ始める。




