【第162話】「戦姫は頭を下げない」
【第162話】「戦姫は頭を下げない」
ヴェルドラコン出航から28日目 — 艦内標準時 23:57~00:31 場所:ASTRAEON VELORIA — エウフォリア医療研究所および観察室 → ASTRAEA OF THE SILVER LANTERN — 防護側サービスアクセス → ASTRAEON VELORIA — 指揮デッキ 視点:セラフィナ・ヴァルクレイン・ヴェルドラコン → 星崎紬 → レア・ヴァレン → モード・ラン・ヴァレス
### 視点:セラフィナ・ヴァルクレイン・ヴェルドラコン
「殿下、まだ担架の安全ベルトを外さないでください。受け入れ地点には到着していません」
私は隣を歩くASTRAEAの医療担当者へ顔を向けると、おとなしく座り直した。
「先に搬送された人たちの様子を見たいだけです」
「初期検査が終われば、ご覧になれます。それに、殿下の腕の傷もASTRAEAを離れてから再検査していません」
「大した傷ではありません」
「それなら、検査もすぐに終わりますよ、殿下」
反論するための十分な言葉が、私には見つからなかった。
彼女は患者の一団に付き添って渡ってきた、ASTRAEAの医療従事者の一人だ。表情には疲労が浮かんでいる。それでも彼女は、担架の安全装置、携帯用酸素供給装置、そして負傷者一人ひとりの記録が、それぞれ適切な状態にあることを確認し続けていた。
私は結局、彼女の指示に従った。
背後の緊急接続部は、何の問題もなく通過できた。ASTRAEON VELORIAへ入ったあと、担架は艦内の通常の通行経路とは分離された受け入れ経路へ案内された。
最初に私の注意を引いたのは、豪華さではなかった。
そこに見える人の数が、あまりにも少ないことだった。
これほど広大な医療施設でありながら、私たちを迎えるために駆けつけてくる医師や看護師、乗員の集団が見当たらない。
無人の移動装置が機材を運び、担架を誘導している。一方、経路に沿って設置された端末には、ASTRAEAの医療担当者が確認できる情報が表示されていた。
聞き覚えのある女性の声が、スピーカーから響いた。
『エウフォリア医療研究所へようこそ。セラフィエル・ヴェロリアです。患者に付き添っているASTRAEAの医療担当者は、各検査室への案内表示に従ってください。施設システムは、与えられた権限の範囲内で、搬送、監視、および機材の提供を支援します』
隣の医療担当者が端末を確認する。
「殿下、こちらの患者記録がもう表示されています」
「すべて入力し直す必要はないのですか?」
「はい。事前に送信したデータが照合可能な状態で用意されています。私たちは仮の識別情報を確認し、到着時の患者の状態を更新するだけです」
私は、脚を負傷した技術員のベッドへ近づいていく自動医療ユニットを見つめた。
装置は、すぐに処置を始めることはなかった。まず付き添いの医療担当者へ確認を求める表示を出し、その承認を受けてからベッドの位置を調整した。
その動作を見て、私はますます興味を惹かれた。
「この艦の医師はどこにいるのですか?」
『ASTRAEONには現在、常勤の乗員として所属する有機生命体の医師はいません、殿下』とセラフィエルが答えた。『セレネ・アルカディアが遠隔医療相談を通じて支援しています。直接の検査は、エウフォリアのシステムと、こちらにいるASTRAEAの医療従事者の協力によって実施されます』
私は周囲の装置に目を向けた。
「では、これほど大きな施設が自動運用されているのですか?」
『技術的な管理の大部分については、そのとおりです。ただし、臨床上の判断は、引き続き適切な診察と医療上の承認に従います』
私はすぐには答えられなかった。
外から見たASTRAEON VELORIAは、その大きさが公開登録画像から受ける印象をはるかに超えていて、私を驚かせた。
そして今、艦内には、帝国での公務中に訪れた専門病院のいくつかよりも広大な医療施設まで備わっていることを知ったのだ。
それらすべてが、一隻の私用艦の中に存在している。
次の扉が開くと、清潔な壁と柔らかな照明、整然と配置された検査装置を備える治療室が並んでいるのが見えた。ガラス張りの一画からは、ほかの医療施設と繋がる観察区域も見渡せる。
ほんの数分前まで、損傷した艦の中で気圧を維持するために必死になっていたことさえ、忘れてしまいそうだった。
「殿下、こちらの検査室へどうぞ」と医療担当者が言った。
私は頷いた。
しかし、中へ入る直前、別の通路を運ばれていくASTRAEAの乗員が目に留まった。
彼にはまだ意識があった。
私の姿に気づくと、手を上げようとした。
「殿下……」
私はその仕草に応えた。
「無事に到着できたのですね。医療担当者の指示に従って、休んでください」
「ほかの……皆も、脱出できたのでしょうか……?」
その質問に、私は足を止めた。
全員が助かったとは言えない。
だからといって、彼が仲間たちはもう見捨てられたのだと誤解してしまうような答え方もしたくなかった。
「避難はまだ続いています。捜索班からの報告も届き続けていますし、星崎艦長が皆のために救助経路を維持してくれています」
乗員は頷き、その担架は検査室へと運ばれていった。
私は扉が閉まるまで、彼の姿を見送った。
そこでようやく、自分の身体がどれほど疲れているのかを自覚した。
初期検査を終えたあと、私はエウフォリア医療研究所に併設された観察室にいることを許可された。
腕の包帯は新しいものに交換されている。ASTRAEAの医療担当者も、今後の検査を怠らない限り、緊急に私をベッドへ寝かせておく必要はないと確認してくれた。
目の前には、検証済みの情報に基づいて患者の状態を表示する観測パネルが広がっていた。
そこには、すべての捜索が終わったかのように見せかけた、全体の犠牲者数など表示されていない。
まだ発見されていない人員は、引き続き別項目で記録されていた。
そのことに、私は少し安堵した。
最新の報告を確認していると、扉が開いた。
長い髪を持つ、優美な容姿の女性が部屋へ入ってきた。軍服とはまったく異なる服装だったが、その足取りには、どこへ向かうべきかを正確に把握している者の迷いのなさがあった。
「セラフィナ殿下」
私は、その声に聞き覚えがあった。
「セラフィエル・ヴェロリア?」
「はい。ようやく直接お会いできて嬉しいです」
私は、思わず礼儀上適切な時間よりも長く、彼女の顔を見つめてしまった。
「ごめんなさい。これまでの通信から、私はてっきり……」
「私がホログラムとして現れると思っていましたか?」
彼女の笑みが少し深くなった。
頬が熱くなるのを感じた。
「……おおむね、そのとおりです」
「気にしないでください。私の正体を初めて聞いた方の多くが、同じような想像をされますから」
彼女は椅子を一脚引き、私の隣へ腰を下ろした。
その動きは自然だった。肘掛けに手を置いても、艦載AIの映像から想像していたような光の投影や画像の乱れは見られない。
私は、彼女の身体についてそれ以上尋ねないことにした。
初対面なのだし、今すぐ確認しなければならない問題でもない。
「私の乗員たちは、どんな状態ですか?」
「到着済みの患者は、現在、追加の評価を受けています。ASTRAEAの医療担当者が引き続き付き添い、セレネが相談チャンネルを通じて支援しています。皇室艦船に残っている負傷者については、状況が許す限り避難用の接続を維持しています」
私はパネルの一覧を見つめた。
「ありがとうございます。あなたたちには、私たちのためにこれほど巨大な艦を危険に晒す義務などないことは分かっています」
「助けると決めたのは紬です。ただ、この救助作業はあなたの乗員たちの協力があってこそ成り立っています。彼らが区画の状態を報告し、ダメージコントロールを行ってくれなければ、私たちも安全にアクセスを開放することはできませんでした」
私は、負傷した技術員たちや医療担当者、そして人員の照合作業を終えるため、今もASTRAEAに残っているミレルのことを思い返した。
「あのような状況で一人の人間に求められる限界を、彼らはとうに超えて働いてくれています」
「それなら、休息を取れるようになったあとで、あなたの口から直接そう伝えてあげてください」
私はセラフィエルを振り向いた。
あまりにも自然にそう言うものだから、思わず笑みがこぼれた。
「ええ。必ず伝えます」
### 視点:星崎紬
「紬、セラフィナが直接話す時間を取ってほしいそうです」
俺は戦術投影から、医療施設から戻ってきたばかりのセラフィエルへ注意を移した。
「もう話せる状態なのか?」
「ASTRAEAの医療担当者が初期検査を終えています。あまり遠くまで移動せずに済むよう、観察室で話すことをお勧めします」
「分かった。外の状況は?」
航法端末からヴェスペラが答えた。
「Vector Caliperは引き続きASTRAEAの側面を警戒しています。アルケイオンの部隊の一部は遠ざかっていますが、指揮艦はまだこの宙域を離れていません。接近中止用の航路は維持したまま、兵装の向きに変化がないか監視を続けています」
「何かあったら呼んでくれ」
「もちろんです」
俺は席を立った。
指揮デッキを出ると、セラフィエルが隣を歩いた。いくつかの通路を通り過ぎたところで、彼女が少し読みにくい表情を浮かべながらこちらを向く。
「会う前に、一つ知っておいてほしいことがあります」
「何?」
「セラフィナは、ASTRAEONの大きさを間近で直接見たそうです」
「マニフェストはもう受け取ってたんじゃないの?」
「はい。ただ、画面に表示された8,600メートルという数字を見るのと、それほど長い艦がASTRAEAの隣に存在する光景を目の当たりにするのとでは、ずいぶん違う体験だったようです」
俺は二隻の大きさを頭の中で比べてみた。
「まあ、それは分かる気がする」
「それから、エウフォリアに私たちの乗員として常勤している有機生命体の医療スタッフがいないことも、今回初めて知りました」
「ちゃんと説明した?」
「もちろんです。扉の向こうで何百人もの医師が待機していると思い込んだあと、実際に現れたのが自動装置だったら、落胆してしまうかもしれませんから」
俺は小さく笑った。
「先に説明しておいて正解だな」
観察室へ到着すると、セラフィナは観測パネルの近くに立っていた。
通信越しに初めて見たときと比べて、暗い銀色の髪は少し乱れている。片腕には新しい包帯が巻かれていた。
彼女はすぐに振り向いた。
「星崎艦長」
「殿下。俺を迎えるためだけに、わざわざ立つ必要はありませんよ」
「歩いてもいいという許可はいただいています。それに、直接お礼を申し上げたかったのです」
彼女は姿勢を正した。
「ASTRAEA OF THE SILVER LANTERNの全生存者を代表し、私たちを助けるという決断を下してくださったあなたと、ASTRAEON VELORIAの乗員の皆さんに感謝します。あなた方の介入がなければ、私たちの状況は、さらに悪いものになっていたでしょう」
俺は頷いて、その言葉を受け取った。
「助けることは、もう決めたんです。今は追加の報酬や義務について話す必要はありませんよ」
「報酬を約束しに来たわけではありません」
「それはよかった。そんな言葉を聞いたら、ランがすぐに端末を取り出してしまいそうですから」
セラフィエルが口元を押さえ、小さく笑った。
セラフィナも少し驚いたような顔をしたあと、微笑んだ。
「それなら、言葉の選び方には気をつけることにします」
俺は椅子を引いた。
「どうぞ、座ってください。今後の作戦についても話したいそうですね」
彼女はASTRAEAの状態を表示しているパネルへ、再び目を向けた。
「はい。まだ捜索しなければならない人員がいますし、私の艦は自力であの宙域を離れることができません。医療搬送が終了したあとも、回収作業を続けるための協力をお願いしたいのです」
「具体的には、どのような回収を考えていますか?」
「まだアクセス可能な全区画の確認、重要文書の保全、そしてASTRAEAを国境回廊に放置された残骸にしないための措置です」
俺は腕を組んだ。
「追加の支援は検討できます。ただし、まずはこちらの限界を説明しておかなければなりません」
「どうぞ」
「俺たちは今も、C-145-MCの契約に基づいて軍用貨物を輸送中です。契約総額は840万GCで、まだ配送は完了していません。ASTRAEONがここに無期限で留まることはできませんし、アルケイオン艦隊が再び攻撃を仕掛けてきた場合はなおさらです」
セラフィナは口を挟まずに聞いていた。
「それから、俺はこの艦の指揮権を帝国側へ譲るつもりもありません。共同作業を続けるなら、ASTRAEONの航法、施設の使用、乗員の安全に関する判断は、引き続き俺の責任のもとで行います」
「あなたに私の部下になってほしいと求めているわけではありません、艦長」
「それならよかった。これ以上状況が複雑になる前に、お互い同じ認識でいることを確認したかっただけです」
彼女は少しだけ視線を落としてから、頷いた。
「受け入れます。ASTRAEAの指揮官として、私は今後も自艦の人員と資産に責任を持ちます。ただし、ASTRAEON VELORIAに滞在している間は、艦長であるあなたの権限を尊重します」
俺はセラフィエルを振り向いた。
「今の暫定的な合意を記録しておいてくれ。アクセス条件や事務的な取り決めは、あとでランにまとめてもらおう」
「はい、紬」
セラフィナがゆっくりと息を吐いた。
「率直に話し合うことができて、安心しました」
「俺もです。軍用通信で長々と命令を送り合うより、ずっと簡単ですからね」
彼女が微笑んだ。
「本当に官僚的な手続きがお嫌いなのですね?」
「夕食前に終わる手続きなら好きですよ。残念ながら今回は、夕食どころか朝食まで食べ損ねそうですけど」
セラフィエルがすぐにこちらを向いた。
「紬、次の監視交代が終われば食事はできますよ。ちゃんと用意してありますから」
「お、それはいい知らせだ」
セラフィナは、俺たちを交互に見つめていた。
何を考えているのかは分からなかったが、入室したときよりも、部屋の雰囲気は少し和らいでいた。
### 視点:レア・ヴァレン
「Vector Caliper、外側の宙域はどうなってる?」
『アルケイオンのモビルフレーム二機は、警戒区域の境界から遠ざかっています。指揮艦は依然として活動中ですが、避難経路へ向かっている飛翔体はありません』
私はヴァルキリーの画面で、少しずつ位置を変えていく赤いマーカーを確認した。
「追いかけなくていいよ。搬送できる人たちが全員脱出するまで、私たちはASTRAEAを守り続けるから」
『了解しました、レア』
私はカメラをサービスアクセスへ向けた。
次の避難用ドローンが、緊急接続部を通過している。ASTRAEA側では、医療担当者とまだ働ける乗員たちが、担架を安全な状態に保つための作業を手伝っていた。
私ももっと手伝いたかったけれど、重傷を負った人を扱うのに、モビルフレームが最適な乗り物だとは言えない。
今の私の仕事は、突然敵が近づいてきたせいで、彼らが作業を中断しなくて済むようにすることだった。
通信から紬の声が聞こえた。
『レア、これまでの交戦を踏まえて、アルケイオンの攻撃パターンをどう評価してる?』
私は敵艦の移動記録を拡大した。
「あいつらは略奪者じゃないよ、紬」
『説明してくれ』
「貨物を奪おうともしていないし、ASTRAEAに何かを引き渡すよう強要してもいない。最初から逃走経路を塞いで、エンジンを攻撃して、通信を妨害して、守るのが一番難しい場所へ圧力をかけ続けてた。私たちが介入したあとでさえ、ASTRAEAの損傷した側面へ向かおうとしてたんだよ」
『つまり、狙いは皇室艦船そのものだと思う?』
「少なくとも、行動を見る限り、普通の略奪よりもASTRAEAを阻止するための作戦に近いと思う。狙ってるのがセラフィナなのか、船内の誰かなのか、それとも積んでる何かなのかは分からないけど」
『よし。証拠が出るまでは、推測を事実に変えないようにしてくれ』
「分かってる。でも、また来たら、ただ私たちを脅かしたいだけなんだとは思わないよ」
新しい通知が現れ、私はそちらへ顔を向けた。
Vector Caliperが交戦後の点検を終え、限定的な曳航に関する準備状況の報告を送信してきたのだ。
私はデータを開いた。
「あれ? 曳航装置も点検したの?」
『初期点検を完了しました。実際の曳航能力は、対象の質量、構造状態、利用可能な接続箇所、および承認された曳航経路によって決まります』
「まだ何かを曳いてほしいなんて頼んでないよ?」
『技術部門のカリスタから、準備状況の確認要請を受け取りました』
私はにやりと笑った。
「何か考えてるな、あの人」
カリスタとの通信を開いた。
「ねえ、カリスタ。Vector Caliperを何に使うつもり?」
『まだ何も決まってない。ただ、紬から何か頼まれてから装置の点検を始めるようなことはしたくないだけだ』
「船のことになると、いつも一歩先を行くんだね」
『必要になったときに、どうしてまだ装置の準備ができてないのかって、あんたに聞かされるよりはいいからな』
私は笑った。
「分かった。こっちの警戒は続けておくね。ASTRAEAの外側から追加の目視確認が必要になったら教えて」
『そうする。それからレア、構造点検の結果を送るまでは、どの接続箇所にも触るなよ』
「私はパイロットだよ! 全長1,240メートルの艦を、考えなしに引っ張り始めるような人じゃないってば!」
『自分でそう言ってくれて助かるよ』
通信が終わった。
私は笑いながら首を振った。
けれど、再びASTRAEAを見ると、少し気持ちが変わった。
船体の一部が破壊されていても、あの皇室艦船はまだ優美な姿を保っている。
主エンジン二基はもう使えない。修理しなければならない部分も山ほどあるし、その作業にどれほどの時間がかかるのかさえ分からない。
それでも、どこかに保管できる場所さえあれば、この回廊で残骸として一生を終える必要はないのかもしれない。
私はASTRAEONの映像をちらりと見た。
それだけ大きな保管場所を持っている艦があるとすれば……。
まあ、カリスタが何を考えているのか、なんとなく予想はついていた。
### 視点:モード・ラン・ヴァレス
「殿下、あなたと生存者の皆さんの事務上の立場を確定する前に、いくつか説明しておきたいことがあります」
私は観察室で、セラフィナと向かい合って座っていた。
その隣には紬がおり、セラフィエルが全員から見えるパネルに暫定文書を表示している。
今回は、通常の商業契約書の様式を使わないことにした。
そもそも、この状況は緊急救助作戦から始まったものだ。私たちが対応している人々の中には、事務的な質問に答えられるほど容体が安定していない者さえいる。
「どうぞ、ヴァレスさん」とセラフィナが答えた。
「ASTRAEONが受け入れたASTRAEAの生存者全員は、患者に付き添っている皇室艦船の医療従事者も含め、暫定的な緊急避難乗客として登録します。この立場によってASTRAEONの乗員になるわけではなく、艦の運用施設へのアクセス権が自動的に与えられることもありません」
セラフィナは目の前の文書を読んだ。
「治療を受けている仲間に会うことはできますか?」
「もちろんです。医療担当者が面会を許可し、患者の状態も問題ない場合に限りますが。医療室、衛生設備、用意された避難者用の滞在区域については、必要に応じてアクセスを提供します。ただし、指揮デッキ、技術区画、運用中の格納庫、契約貨物区画、および私的居住区には、引き続き艦内のアクセス制限が適用されます」
「理解しました」
私は次の項目を指さした。
「ASTRAEON VELORIAの現在の中核乗員は六名です。紬、セラフィエル、レア、ヴェスペラ、カリスタ、そして私。宿泊設備や技術支援を含む艦内施設の運用は、その大部分を自動システムとドローンネットワークが担当しています」
セラフィナが顔を上げた。
「たった六人ですか?」
「はい」
「これほど大きな艦なのに?」
紬が小さく笑った。
「その質問は出ると思ってたよ」
セラフィナは彼を見た。
「すみません。私はてっきり……」
「扉の向こうで、何千人もの乗員が働いてると思ってました?」と彼が尋ねた。
「少なくとも、数百人はいるものと」
セラフィエルが微笑んだ。
「ASTRAEONは確かに大きな運用能力を持っていますが、収容能力が大きいからといって、全施設に人が暮らしているわけではありません。艦のシステムで対応できる仕事を行うために、隠れた有機生命体のスタッフを雇っているわけでもありませんよ」
話が施設見学へ変わってしまう前に、私は説明を続けた。
「そのため、ASTRAEAの医療従事者の皆さんには、引き続き付き添い中の患者に対する専門的な責任を果たしていただきたいのです。エウフォリアのシステムは権限に応じた支援を提供し、セレネ・アルカディアは遠隔通信を通じて外部コンサルタントを務めます」
「それは受け入れられます。彼らはここにいる誰よりも、私たちの乗員の負傷歴をよく理解していますから」
「よかった。まだ身元を確認できていない患者には、仮の症例番号を使用しています。私物と皇室艦船の資産は別々に記録します。また、保全のためにASTRAEONへ運び込まれたという理由だけで、物品の所有権が移転することはありません」
セラフィナは最後まで目を通した。
「ASTRAEAの乗員に対する私の指揮権は、どうなりますか?」
「この艦の安全と運用規則に反しない範囲で、引き続き彼らの内部事項に適用されます。ご自身の士官たちとの調整は行えますが、ASTRAEONの機動、兵装の使用、制限区域の開放、航路変更を伴う命令については、紬を通していただく必要があります」
彼女は異議を唱えることなく頷いた。
「その点は、すでに彼と話し合っています」
「それなら、今後の協力を続けるための明確な基礎ができましたね」
私は、緊急作戦記録とともに保存できるよう、文書をセラフィエルへ送信した。
新たな料金は、まだ設定していない。
帝国からの褒賞も、何一つ受け取っていない。
C-145-MCの契約も、タラリス国境兵站補給拠点での履行完了を待っている状態だ。
十分な情報をもとに判断できる状況になるまでは、そのすべてを分けたままにしておきたかった。
事務的な話し合いが終わりに近づいたころ、セラフィナは側面のパネルに映るASTRAEAへ目を向けた。
何かを言いかけたようだったが、何度か思い直している。
紬もそれに気づいたらしい。
「まだ何か気になることがありますか、殿下?」
セラフィナは、損傷した艦をしばらく見つめ続けた。
「乗員の安全を優先すべきだということは分かっています。その判断を変えるつもりもありません。でも、皆の避難が終わったあと……ASTRAEAをどうすればいいのか、まだ分からないのです」
私はすぐには答えなかった。
それは、単なる資産の所有権についての質問ではない。
彼女が艦の名前を口にする様子から、この問題が本人にとって個人的な意味を持っていることが伝わってきた。
セラフィナは両手を膝の上に置いた。
「ASTRAEAは、私が宮廷の調達カタログから選んだ艦ではありません。父と祖父が贈ってくれたものなのです。いつか私も、ほかの者が指揮する艦の影に隠れてばかりいるのではなく、自分自身の任務を遂行するために乗ることのできる艦を持つべきだと、二人は言ってくれました」
声は落ち着いたままだったが、彼女の指先は互いを強く握り締めていた。
「私はあの艦で長い時間を過ごしました。乗員たちのことも知っています。初めての航海も自分で計画しましたし、観察室の一つを読書室へ変えたいというだけで、機関部長と口論になったことさえあります」
その思い出に、彼女はかすかに微笑んだ。
「それなのに今、主エンジン二基は破壊されました。船体がまだ修理に耐えられるのかさえ、私には分からないのです」
紬は背もたれに身体を預けた。
「今すぐ、あの艦の処遇を決める必要はありませんよ」
「でも、この宙域を離れてしまえば、二度と取り戻す機会がなくなるかもしれません。アルケイオンは今も周辺に残っています」
彼女の懸念は理解できた。
動けなくなった皇室艦船を国境宙域へ置き去りにすることは、高価な物品を一つ失うだけの問題ではない。
私物や文書、技術情報に関する危険もあるし、残骸を処理する権限が誰にあるのかという争いが生じる可能性もある。
しかし、だからといって、一つの資産を守るために全員の安全を犠牲にするような提案を、紬に勧めるつもりはなかった。
私がそうした評価を伝えるより先に、セラフィエルが口を開いた。
「それなら、ここに置いていかなければいいのではありませんか?」
私は彼女を振り向いた。
紬も眉を上げた。
セラフィナは、すぐには意味を理解できなかったようだ。
「どういうことですか?」
セラフィエルが、ASTRAEON VELORIAの内部構造図を表示した。
「一つ提案があります。避難が完了したあと、ASTRAEAの初期構造点検を実施しましょう。安全に移動できると判断された場合は、Vector Caliperを曳航艦として使用し、ASTRAEON内部の修理用格納庫へ運び込むことができます」
セラフィナは言葉を失った。
私は構造図を確認した。
セラフィエルは、支援艦用格納庫のある区域に位置する施設を強調表示した。
「私が提案している修理用格納庫は、Vector Caliperの保管施設と、ほとんど使用されていないヴェスペラの私用艦の格納庫の隣にあります。点検と、その後の修理作業を行う間、ASTRAEAを収容できるように準備することが可能です」
紬は構造図に表示された皇室艦船の寸法を見つめた。
「必要な空間は、もう計算したの?」
「初期計算は済んでいます。ただし、移動許可はまだ出していません。カリスタが曳航用の接続箇所、構造の健全性、移動中に船体の一部が脱落する可能性を確認する必要があります。ヴェスペラにも、現在位置から格納庫の入口までの経路を承認してもらわなければなりません」
私は小さく微笑んだ。
ASTRAEONの施設が大きいという理由だけで、いきなり修理できると約束するより、ずっと筋の通った提案だ。
セラフィナがゆっくりと立ち上がった。
「待ってください。ASTRAEAをASTRAEON VELORIAの中へ運び込めると、そう言っているのですか?」
「技術点検で安全に移動できると判断されれば、可能です」
「私の艦を、丸ごと?」
「一体の構造として維持できる部分すべてを、です。船体の状態を調べる前に、カリスタへ曳航させるつもりはありません」
セラフィナは、聞き間違いではないことを確かめるかのように、格納庫の構造図を見つめた。
「それに……修理まで引き受けてくださるのですか?」
セラフィエルは紬へ顔を向けた。
「それについては、引き続き当艦の所有者の承認が必要です。私から施設を提案し、技術計画を立てることはできますが、最終決定を私一人で下すことはできませんから」
紬がため息を吐いた。
「二人とも、俺が最初の輸送契約すら終わらせてないうちに、もう追加の仕事の相談まで進めてたわけか」
私は微笑んだ。
「まだ請求書は作っていないわよ、紬」
「それが逆に心配なんだよ」
セラフィエルが優しく笑った。
しかし、セラフィナは真剣な面持ちのまま、紬の答えを待っていた。
紬はようやく構造図へ目を戻した。
「分かりました。人員の避難が完了したあと、曳航の可否を点検することには同意します。カリスタがASTRAEAの構造を安全に移動できると判断し、ヴェスペラが適切な進入経路を確保できれば、Vector Caliperを使って修理用格納庫まで曳航して構いません」
セラフィナの目が少し大きくなった。
「星崎艦長……」
「ちょっと待ってください。今夜中にすべての損傷を修理できると言ったわけじゃありませんよ」
「分かっています」
「主エンジン二基は致命的な損傷を受けています。どのような修理をするか決める前に、船体、電力配分、構造の接続部、それからまだ使用可能なシステムを確認しなければなりません。移動させるには危険な部分があれば、問題に対処できるまで、カリスタには作業を中断する権限があります」
「その条件は、すべて受け入れます」
私は軽く手を上げた。
「それから、ASTRAEAは保全と技術点検のために一時的に預かる皇室資産として記録します。ASTRAEONへ所有権を譲渡した艦としては扱いません。作業条件、費用、追加の承認については、実際の状態が判明してから話し合いましょう」
セラフィナが私を振り向いた。
「ありがとうございます、ヴァレスさん」
「まだお礼は必要ありません。状況が落ち着いたら、むしろかなり多くの書類をお願いすることになりますから」
彼女が小さく笑った。
今度の笑顔は、先ほどよりも自然に見えた。
セラフィエルが技術部門との通信を開いた。
『カリスタ、全員の避難が完了したあと、Vector Caliperを使用してASTRAEAを曳航できるか、初期評価をお願いしたいのです』
すぐにカリスタから返答があった。
『Vector Caliperの曳航装置はもう準備状況を確認してある。だが、船体構造と接続箇所の状態を調べ終わるまで、レアにあの艦を引っ張らせたりするなよ』
紬が一瞬、顔を覆った。
「もう何を話すか分かってたんだな……」
『当たり前だろ! あたしが何のために、あんなに大きな格納庫を用意したと思ってるんだ? 工具をしまうためだけじゃないぞ!』
セラフィエルが微笑んだ。
「詳細な構造図を送信しますね」
『送ってくれ。船体の点検、まだ気圧が維持されている部分の評価、それから曳航前に人員を退避させる必要がある区画の一覧が欲しい。結果に問題がなければ、そこで初めて曳航と修理の話をしよう』
「了解しました」
私は、セラフィナが頭を下げるのを見た。
それは、救助者に自らの誇りを差し出す皇女の仕草ではなかった。
失われると思っていた大切なものに、まだ守り抜ける可能性が残されていたと知った、一人の人間の姿に見えた。
「皆さんのご厚意に、どう報いればよいのか分かりません」と彼女が言った。
紬が肩をすくめた。
「今は、余計な問題を増やさずに避難を終わらせるのを手伝ってください。それだけで十分です」
セラフィナが頷いた。
「分かりました。必ずそうします」
ASTRAEAの一時保管に関する草案を保存した直後、セラフィエルから通知が届いた。
格納庫に関する報告ではない。
アルケイオン部隊の一部が撤退していく様子を監視していた際、新たに得られたセンサー情報の更新だった。
私は概要を開いた。
現在も識別されている艦の一隻が、事件の初期に発生した救難インターフェースへの妨害と、技術的な関連性を示す特徴を持つ通信装置を搭載していることが判明したのだ。
その一致だけでは、誰が命令を下したのかも、作戦全体の目的も証明できない。
しかし今、私たちには攻撃パターンからの推測だけではない、より具体的な手掛かりが得られていた。
私は紬を振り向いた。
「新しい発見があるわ。これは見ておいたほうがいいと思う」
セラフィエルがパネルにデータの比較結果を表示した。
「紬、追加の観測情報から、アルケイオン艦の一隻が、私たちがASTRAEAの救難信号を最初に受信した際に隔離した妨害パターンと関連する通信装置を搭載していることが分かりました」
紬が画面を確認する。
「どういう関連性?」
「放射特性と活動パターンに、さらに調査する価値のある一致が見られます。その装置がサイバー攻撃の唯一の発生源だったとは、まだ断定できません。ただし、追加の技術的証拠として保存するには十分な観測結果です」
「こっちの中核システムは、引き続き安全なんだな?」
「はい。以前攻撃されたインターフェースはすでに切断・隔離されています。識別情報を追加で得るためだけに、あの艦とのデジタル接続を再び開く理由はありません」
「よし。パッシブ観測の結果を保存してくれ。興味が湧いたからって、新しい侵入を試みたりしないように」
私はその指示を事件記録に追加した。
セラフィナもデータを確認していた。
「つまり、彼らは私たちの救難信号に応答しようとする艦を妨害する方法まで、事前に準備していた可能性があるのですね?」
セラフィエルが答えるより先に、紬が口を開いた。
「可能性はあります。ただし、どこまで関連しているのかは、まだ分かりません。俺は、説得力がありそうに聞こえる告発よりも、検証可能な証拠が欲しいんです」
セラフィナが頷いた。
「同感です」
私は二人を交互に見つめた。
乗員の一部を失ったばかりの帝国皇女と、まだ輸送契約を完了していない独立傭兵。
本来ならASTRAEONを巻き込むはずのなかった戦闘が、二人を引き合わせた。
そして今、私たちには治療しなければならない生存者がいて、まだ救えるかもしれない皇室艦船があり、証拠を損なわずに扱わなければならない攻撃側の手掛かりもある。
私は次の作業予定を開いた。
「紬、避難が終わったら、タラリス国境兵站補給拠点へ向かう出発時刻を、もう一度話し合う必要があるわ。ASTRAEAを格納庫で保管することになれば、施設の運用計画に影響する。でも、C-145-MCの配送義務が変わるわけではないから」
「分かってる。一つずつ終わらせていこう」
そのとき、セラフィエルがカリスタからの通信を受信した。
『ASTRAEAの初期構造図を受け取った。到達可能な最後の負傷者が搬出され、皇室側の担当者から退避が必要な区画の確認を得たら、Vector Caliperと連携して曳航点検を始める』
紬が頷いた。
「手順どおりに進めてくれ。全部の点検が終わるまでは、動かさないように」
『二度も言わなくたって分かってるよ。むしろ、誰かが急ごうとしたら、あたしが止める側だからな』
私は微笑みながら端末を閉じた。
少なくとも、その点については、カリスタを全面的に信頼していた。
【次話予告・第163話】
「契約はまだ終わっていない」
契約はまだ終わっていない――ASTRAEON VELORIAは、C-145-MCの輸送継続、生存者たちの安全確保、ASTRAEAの曳航可否を判断するための点検、そしてアルケイオンの作戦に関係する新たな証拠の記録。そのすべてを両立させなければならない。




