【第149話】「民間船の軍用輸送」
【第149話】「民間船の軍用輸送」
ヴェルドラコン出航から27~28日目 — 艦内標準時 21:35~20:48 場所:タラリス軍事兵站停泊施設 → 施設退出航路 → タラリス外縁通過回廊 視点:星崎紬
「紬、タラリス交通管制からドッキング解除の許可が確認されました。すべての係留ロックは、指定された順序に従って解除できる状態です」
俺はセラフィエルに頷き、指揮デッキのメインスクリーンへ視線を移した。
ASTRAEON VELORIAの前方には、巨大なタラリス軍事兵站停泊施設が宇宙の暗闇の中に広がっている。ドックの骨組みに設置された標識灯が、先ほど俺たちに割り当てられた退出航路に沿って点灯していた。
ここ数日間にわたる検査、書類の修正、積載作業をすべて終え、ようやく本当にこの施設を離れるときが来たのだ。
「ヴェスペラ、前方の交通状況は?」
「出航回廊は、私たちの順番に合わせて確保されています。別の航路で待機している兵站輸送船が2隻ありますが、どちらもASTRAEON VELORIAの航跡とは交差しません」
「よし。セラフィエル、解除手順を開始してくれ」
「承知しました」
スクリーンの端に図が表示された。
艦に接続されたままの外部作業員や機材が存在しないことをシステムが確認すると、係留ロックが順番に解除されていく。
続いて、施設との接続も規定の手順に従って切り離された。
俺は最後のインジケーターが緑色に変わるのを見届けた。
ドッキング解除 — 完了
公式通信チャンネルから、交通管制官の声が聞こえてきた。
『ASTRAEON VELORIA、こちらタラリス交通管制。ドッキング解除を確認しました。指定された出航回廊の通行を許可します。施設管制区域の境界を通過するまで、通信を維持してください』
俺は通信を起動した。
「ASTRAEON VELORIA、指示を受領しました。指定された回廊に従い、管制区域を離脱するまで通信を維持します」
『了解しました。星崎艦長、どうかご安全な航行を』
「ありがとうございます」
通信を閉じ、俺はヴェスペラに目を向けた。
「よし。艦を出してくれ」
「承知しました、紬」
ASTRAEON VELORIAは、ゆっくりとドックを離れ始めた。
全長8,600 mの艦が、指定された航跡に沿って進んでいく。
俺はサイドスクリーンを流れていく停泊施設の構造物を眺めた。
間近で見るその施設は、まるで宇宙空間に建設された巨大な工業地帯のようだった。輸送路、検査プラットフォーム、軍用ドック、貨物搬送用の構造物が広大なネットワークを形成し、俺たちが離れつつある今も稼働を続けている。
艦長席の後ろに立っていたレアも、その光景を眺めていた。
「紬、こうして外から施設を見てると、あそこが毎日どれだけ大量の荷物を扱ってるのか、ようやく実感できるね」
「俺たちが運ぶのなんて、あそこの仕事全体からすればほんの一部だからな」
「でも、私たちの荷物だけでもすごい量だよ!」
格納庫から出航の様子を見守っていたカリスタが、通信に割り込んできた。
『本当に大量だよ。それに、この荷物を全部引き渡すまで、ほかの大型貨物を追加しようなんて話は聞きたくないね』
俺はランの端末をちらりと見た。
「どうやら、お前に向けた言葉みたいだぞ」
管理ステーションに座っていたランが顔を上げる。
「中型クラスのモジュール式船体構造材は、まだ購入していませんよ、紬」
「俺は何も言ってないぞ」
「私の端末をご覧になりました」
セラフィエルが柔らかく笑った。
俺は小さくため息をつく。
少なくとも、ランが商業在庫と軍事輸送貨物をきちんと分けている限り、計画を立てることまで禁止する理由はない。
ただ、目的地の補給拠点で、完成済みの艦船を丸ごと一隻購入できる機会なんてものを、突然見つけてこないことを祈るばかりだ。
22:05。
ASTRAEON VELORIAはドック区域の外縁を通過し、施設の通過航路へ進入した。
管制官の許可に従い、艦の速度は段階的に上昇していく。
ヴェスペラは、すぐにFTL起動地点へ向かうことはしなかった。
まだ通過しなければならない交通管制区域が残っており、その中には大型艦が停泊施設へ接近する際に使用する宙域も含まれている。
航法画面では、俺たちの航跡がタラリスの施設網から外側へ伸びる一本の線として表示されていた。
「紬、あと数分で交通管制区域の境界に到達します」とヴェスペラが報告した。
「全貨物を積んだあとの艦の状態は?」
セラフィエルが答える。
「正常です。質量配分は最終計算と一致しています。コンテナ群の位置に変化はなく、すべての固定システムも良好な状態です」
「エネルギー消費は?」
「問題ありません。ASTRAEON VELORIAの独立エネルギーシステムは正常に稼働しています」
俺は頷いた。
今回の航行では、従来型の燃料を購入する必要がない。
艦自身でエネルギー供給を維持できるという能力は、特に長距離輸送の仕事において非常に大きな利点だ。
とはいえ、そのシステムの詳細を外部の人間に話すつもりはない。
タラリス側が知る必要があるのは、ASTRAEON VELORIAが契約を遂行するための運用条件を満たしているという事実だけだ。
それ以上でも、それ以下でもない。
やがて管制区域の境界へ到達すると、タラリスの担当官から最後の確認が入った。
『ASTRAEON VELORIA、貴艦は施設交通管制区域の境界を通過しました。タラリス外縁通過回廊への移動許可は引き続き有効です。FTLの起動は、航法計画に指定された地点へ到達したあとに実施できます』
「了解しました。ご協力ありがとうございます」
公式通信が終了した。
ヴェスペラがすぐに次の起動地点を表示する。
「FTL遷移が認可された位置に到達するには、もう少し退出航路を進む必要があります」
俺は頷いた。
「計画どおりに進めてくれ」
「承知しました」
レアが航法画面の線を眺めていた。
「じゃあ、ここから直接、目的地の補給拠点までジャンプするわけじゃないんだ?」
「はい」とヴェスペラ。「今回の契約航路には、複数の段階があります。まずタラリスの施設を離れ、外縁通過回廊へ入り、承認済みの遷移地点に従って進みます。FTLから離脱したあとも、目的地の補給拠点へ接近するまでには、さらに航行区間が残っています」
「そっか」
俺も付け加えた。
「正式な航路が決まっている仕事をこなすためだけに、艦のFTL能力を全部見せる必要もないしな」
セラフィエルが微笑んだ。
「現在使用している航法構成で、今回の航行に必要な条件は十分に満たせます」
レアが頷く。
「了解!」
22:46。
俺たちは最初のFTL起動地点へ到達した。
ヴェスペラが座標の確認を終える。
セラフィエルも、承認済みの遷移パラメータと艦および貨物の状態を照合した。
俺は二人から確認が出るまで待った。
「航法準備完了です、紬」
「主要システムはすべて正常。貨物区画にも問題はありません」
俺は頷いた。
「計画どおり、FTLを起動してくれ」
「承知しました」
メインスクリーンに映る宇宙の景色が変わり始めた。
それまで静止していた光点が長く伸びるような模様を描き、ASTRAEON VELORIAは遷移へと入っていく。
しばらくして、指定された離脱地点へ向けたFTL航行に入ったことをシステムが確認した。
俺は艦長席の背もたれに身を預けた。
これで、俺たちは本当にタラリス軍事兵站停泊施設を離れた。
だが、国境の補給拠点へ向かう旅は、まだ始まったばかりだった。
「紬、お休みになる前に、出航後の事務状況をご報告したいのですが」
端末を持ったランが近づいてきた。
俺は顔を向ける。
「頼む」
「最終契約C-145-MCは、現在進行中の業務として登録済みです。承認済みのマニフェスト、受領記録、すべての検査添付資料も艦内の記録保管庫に保存してあります。また、航行経費の記録はASTRAEON VELORIAの私有商業在庫と分けて管理しています」
彼女が要約を表示した。
C-145-MC — 輸送状況
| 項目 | 状態 |
| --------- | ------------ |
| 発注者 | タラリス戦略兵站局 |
| 目的地 | タラリス国境兵站補給拠点 |
| 契約総額 | 8,400,000 GC |
| 貨物の輸送責任受領 | 完了 |
| 停泊施設からの出航 | 完了 |
| 輸送 | 航行中 |
| 支払い | 契約条項に従う |
| 契約純利益 | 現時点では確定不可 |
俺は最後の行に目を留めた。
「クルーへの利益配分も、まだ決まらないわけだな」
「はい。検証済みの純利益から、私、ヴェスペラ、レア、カリスタのそれぞれに1%を配分することで合意しています。ただし、最終的な金額を計算できるのは、関連する収入と費用が実際に確定してからです」
「よし。暫定的な数字を受け取った誰かが、最終計算で金額が変わってがっかりするようなことにはしたくないからな」
ランが頷いた。
「基本給の案についても引き続き作成していますが、紬の承認なしに金額を確定するつもりはありません」
俺は微笑んだ。
「お前、本当に仕事をやめないな」
「この報告を終えたら休みます」
「だったら、今すぐ終わらせよう。俺も寝たいんだ」
隣に立っていたセラフィエルが小さく笑った。
23:30が近づいた頃、俺は勤務割当に従って、通常監視をセラフィエルとヴェスペラに引き継いだ。
軍用貨物を運んでいるからといって、クルー全員を起こしたままにしておく理由はない。
ASTRAEON VELORIAには、航行中の監視を維持するのに十分なシステムが備わっている。
大切なのは、各クルーが自分の勤務時間と休息時間をきちんと把握していることだ。
俺はもう一度、勤務表を確認した。
「レア、格納庫の最後の点検が終わったら、部屋に戻っていいぞ」
「了解!」
「カリスタ、もう3回も確認したパネルを、一晩中調べ続けたりするなよ」
『私だって、やめどきくらい分かってるよ、紬』
俺はセラフィエルを見た。
彼女が微笑む。
「緊急性のない追加作業をカリスタが見つけてしまわないよう、私が確認しておきます」
『おい!』
俺は笑った。
「よし。ランもちゃんと寝ること」
ランが顔を上げた。
「すでに予定に入れてあります」
「自分の睡眠までスケジュールに入れてるのか?」
「もちろんです」
俺はため息をついた。
どうやら今回の航行で、俺に課せられた最大の仕事は、貨物をすべて安全に届けることだけではなさそうだ。
それぞれの責任に真剣になりすぎて、クルーが疲れ果てるまで働かないようにすることも必要らしい。
28日目 — 06:40。
俺が指揮デッキへ戻ったとき、ASTRAEON VELORIAはまだFTL航行中だった。
セラフィエルが温かな笑顔で迎えてくれる。
「おはようございます、紬」
「おはよう。俺が寝てる間に何か問題は?」
「ありません。すべての貨物群は正常な状態を維持しています。封印の変化、固定具の異常、保管条件の逸脱も検出されていません」
俺は頷いた。
「ヴェスペラは?」
「次の離脱地点に向けて、航法の確認を終えているところです」
俺は航法席のほうを見た。
ヴェスペラが振り向き、微笑んだ。
「おはようございます、紬。予定どおりFTLから離脱し、その後はタラリス外縁通過回廊を通って、次の遷移地点へ向かいます」
「よし」
俺は艦長席に座った。
メインスクリーンの航行投影図には、認可済みの航路に対する現在位置が表示されている。
停泊施設は、すでにはるか後方だ。
目的地の補給拠点は、まだ航路の終端にある。
そして、その間には、昨日タラリスの監視システムが追加の注意を促していた外縁通過宙域が存在していた。
俺は警告マーカーを見た。
「保安情報に更新は?」
ヴェスペラが首を横に振る。
「回廊の状態を変更する正式通知は、まだありません」
「分かった。航路を維持してくれ」
08:15。
ASTRAEON VELORIAは、指定された地点でFTLから離脱した。
メインスクリーンに映る宇宙の景色が通常の状態へ戻る。
近くに巨大な施設はない。
広大な宇宙空間と、いくつかの遠距離航法標識。そして、国境の兵站区域へ向かう艦船が使用する通過航路だけが広がっていた。
ヴェスペラが位置を確認する。
「離脱座標は一致しています。認可済み回廊の範囲内です」
「周辺の交通状況は?」
「本艦の航跡に近すぎる位置に艦船はいません。遠距離にはいくつかの反応がありますが、ASTRAEON VELORIAへ接近している兆候は、今のところありません」
セラフィエルも付け加えた。
「昨夜設定した保安手順に従い、監視を継続します」
俺は頷いた。
「よし。次のFTL進入地点まで通常航行を続けてくれ」
ちょうど指揮デッキへやって来たレアが、俺たちに近づいた。
「紬、もうFTLから出たの?」
「ああ」
「停泊施設とは全然違う景色だね」
俺は微笑んだ。
「まあな。どこに行っても、画面いっぱいに巨大なドックが映ってるわけじゃないからな」
レアは笑い、用意されていた監視席に座った。
「じゃあ、私も周りの監視を手伝うよ」
「頼む。ただし、勤務時間が終わったらちゃんと休めよ」
「了解!」
昼が近づく頃には、ASTRAEON VELORIAの艦内活動も通常の航行時のリズムに戻っていた。
ランは管理室で契約記録を確認し、すべての書類が現在の輸送状況と一致していることを確かめている。
ヴェスペラは次の遷移地点へ向かう航跡を監視していた。
レアはカリスタとともに戦術面の準備状況を確認したあと、監視勤務に戻った。
セラフィエルは艦内ネットワークを通じて、艦のシステムと貨物の状態を監視している。
一方の俺は、昼食前に各部門からの報告を受けていた。
「紬、すべての貨物群は引き続き正常です」とセラフィエルが報告する。
俺は頷いた。
「前に問題があった貨物群にも変化はないか?」
「ありません。封印番号TL-SG-482716は書類と一致したままで、当該貨物群を保管している区画にも異常は記録されていません」
「よし」
続いて、カリスタから技術報告が届いた。
「固定具は全部良好な状態だよ。目的地の補給拠点で荷下ろしするときに使う整備通路と取扱設備も確認済みだ」
「ありがとう」
レアも続いた。
「ヴァルキリーは準備完了。格納庫の即応態勢にも変更なし!」
俺は微笑んだ。
「よくやった」
ランが最後の報告書を表示した。
「契約上の義務に変更はありません。商業在庫も引き続き分離されており、軍事輸送に支障はありません」
俺は彼女を見た。
「有機栽培区画の収穫はどうなってる?」
「生産は正常に続いています。クルーの食料と艦の備蓄を引き続き優先しています。保管条件を満たす余剰分については、目的地で販売規則を確認したあと、商業取引に利用できる可能性があります」
「よし」
俺は端末に並んだ報告書を眺めた。
タラリスの契約を受けてから初めて、俺たちの仕事が本来の輸送業務らしい日常になった気がした。
書類の不一致はない。
保留にしなければならないコンテナもない。
追加条項の交渉もない。
ただ、正式に受領した貨物を載せた艦が、目的地へ向かって進んでいるだけだ。
この状態が、到着まで続いてくれればいいのだが。
13:25。
航行中にアクセス可能な商業情報システムから、セラフィエルが更新情報を受信した。
彼女が艦長席の隣に立っているとき、その通知が表示された。
「紬、国境宙域での武装艦船の活動について、新しい報告が届きました」
俺は顔を向けた。
「タラリスからか?」
「軍事施設からの正式通知ではありません。艦船運航業者の観測報告や交通情報を集約する、商業情報ネットワークからのものです」
俺は頷いた。
「表示してくれ」
要約が現れた。
商業交通情報 — 国境宙域
| 情報 | 状態 |
| ------------ | ------------- |
| 武装艦船の活動 | 増加が報告されている |
| 対象宙域 | 通過回廊に隣接する国境区域 |
| 情報源 | 商業情報ネットワーク |
| 全艦船の識別情報 | 未検証 |
| C-145-MCとの関連 | 不明 |
| 正式な回廊閉鎖 | 未発表 |
俺は報告書を読んだ。
この通知は、昨夜タラリスから受け取った保安警告と一致する内容だった。
しかし、商業情報だからといって、そのすべてが自動的に正しいとは限らない。
まして、武装艦船がASTRAEON VELORIAを探しているという証拠は何もないのだ。
「ヴェスペラ、正式航路に変更は?」
「ありません、紬」
「なら、この報告だけを根拠に航路は変えない。ただし、契約条件を満たせる代替航路の選択肢は計算しておいてくれ」
ヴェスペラがすぐに頷いた。
「承知しました。現在の認可で使用可能な航路と、追加の承認が必要な航路を分けて整理します」
「よし。状況に迫られて決断する前に、どんな選択肢があるのか知っておきたい」
セラフィエルも付け加えた。
「商業情報と、今後の正式な更新情報を照合します。関連する保安状況に変化があれば、すぐにお知らせします」
俺は頷いた。
「頼む」
ヴェスペラが計算を終えるまでには、少し時間が必要だった。
俺は彼女の邪魔をしなかった。
代わりに、艦の運用構成を過剰に変更しない範囲で、セラフィエルにリスク評価の更新を頼んだ。
レアは通常の戦術即応勤務を継続する。
カリスタも格納庫と貨物設備の監視を維持した。
ランは保安報告を契約履行に関係する可能性のある情報として記録したものの、未検証の知らせだけを理由に財務状況や支払予定を変更することはなかった。
15:10。
ようやくヴェスペラが、俺を航法パネルの前へ呼んだ。
「紬、初期計算が完了しました」
地図が表示される。
主要航路は、タラリスの輸送回廊に沿った線として描かれていた。
その隣には、いくつかの調整候補が示されている。
「正式情報に基づく限り、主要航路は引き続き使用可能です。代替案については、契約手順に従って申請できる調整案がありますが、通常の状況では、新たな認可を得ずに使用することはできません」
俺は地図を確認した。
「立入禁止区域を通る航路は?」
「通常の運用候補には含めていません。そちらは私たちの輸送許可の範囲外です」
「よし」
俺はセラフィエルに顔を向けた。
「この計算結果は予備計画として保存してくれ。俺が判断するまでは、目的地も現在有効な遷移地点も変更しないように」
「承知しました、紬」
ヴェスペラが微笑んだ。
「新しい交通情報が入れば、推定値も引き続き更新します」
俺は頷いた。
問題が実際に起きる前に、選択肢を持っておきたい理由はそこにある。
すべてを使わなければならないからではない。
状況を理解したうえで下す判断は、ただ慌てて下す判断よりも、たいていずっと良いものになるからだ。
17:30。
俺はクルー全員に、勤務表どおり休息を取るよう指示した。
レアは格納庫の点検を続けたいと少し不満を漏らした。
しかし、カリスタから今日の点検項目はすべて完了していると言われると、ようやく諦めた。
「紬、緊急事態になったら起こしてね!」
「もちろん。でも、何も問題がなければちゃんと休むんだぞ」
「分かった!」
ランも最後の報告書を提出し、管理端末を閉じた。
俺は彼女が扉へ向かうのを見ていた。
「夕食のあと、こっそり仕事に戻るなよ」
彼女が振り向く。
「私はそのようなことはしていません」
セラフィエルが微笑んだ。
「昨日は休息時間に入ったあと、商業在庫の報告書を開いていましたよ、ラン」
ランは少し黙った。
「……あれは短時間の確認作業です」
俺は笑った。
「今日は必要ないからな」
「分かりました、紬」
彼女たちが去ったあと、俺は再びメインスクリーンを確認した。
ASTRAEON VELORIAは、タラリス外縁通過回廊を進み、次のFTL進入地点へ向かっている。
すべての貨物は安全な状態だ。
航路も認可内容に従っている。
そして今のところ、俺たちの航行を妨害する意図を示す反応は確認されていなかった。
19:45。
俺がセラフィエルと夕食を楽しんでいると、指揮デッキのヴェスペラから更新情報が届いた。
『紬、現在も計画どおりの航跡を維持しています。次の遷移地点への到着予想時刻にも、大きな変化はありません』
「了解。保安情報に更新は?」
『新たな正式指示はありません。ただ、商業情報では、隣接宙域での武装艦船の活動について追加の報告がいくつか出ています』
俺は頷いた。
「監視を続けてくれ。食事が終わったら指揮デッキへ戻る」
『承知しました』
セラフィエルが俺を見つめた。
「まだ、あの報告のことを考えているのですか?」
「少しな」
俺は飲み物を手に取った。
「大量の軍用貨物を積んで、国境宙域へ向かっているんだ。輸送航路の周辺状況をまったく気にしないほうが不自然だろ?」
「それはそうですね。ただ、現時点ではASTRAEON VELORIAに対する直接的な脅威を示す情報はありません」
「分かってる。だからこそ、予定の航路を維持してるんだ」
セラフィエルが微笑んだ。
「状況に関連する変化があれば、すぐに紬へお伝えします」
俺も微笑み返した。
「ありがとう」
20:32。
俺は指揮デッキへ戻った。
ヴェスペラは次の遷移地点を確認しているところだった。
セラフィエルはセンサーパネルの近くに立った。
俺は艦長席に座り、航行状況の要約を開く。
ASTRAEON VELORIA — 航行状況
| 項目 | 状態 |
| ------- | ------------ |
| 契約 | C-145-MC |
| 航行日 | 28日目 |
| 現在位置 | タラリス外縁通過回廊 |
| 目的地 | タラリス国境兵站補給拠点 |
| 貨物 | 全貨物を艦内に積載中 |
| 貨物の保全状態 | 正常 |
| 主要航路 | 維持中 |
| 代替案 | 計算済み・未適用 |
| 保安警告 | 監視中 |
俺は報告書を確認した。
「よし。このまま予定どおり進められそうだな」
ヴェスペラが頷いた。
「この回廊区間を通過すれば、次のFTL進入地点へ接近します」
俺がセラフィエルに貨物の状態の更新を表示してもらおうとした、そのときだった。
彼女の通信パネルに、これまでとは異なる通知が現れた。
セラフィエルはすぐに画面へ顔を向けた。
「紬」
俺は顔を上げる。
「どうした?」
「公共救難チャンネルで、緊急信号を受信しました」
指揮デッキの空気が静まり返った。
ヴェスペラはすぐに航法の確認を中断し、表示の一部を切り替えて信号の到来方向の解析を支援する。
俺は姿勢を正した。
「どこからだ?」
セラフィエルがセンサー地図を拡大する。
主要輸送航路の外側に、新しいマーカーが現れた。
「発信源は現在の航行回廊の外側ですが、信号の到来方向は保安警告に記載されていた宙域に隣接しています」
俺はその位置を確認した。
「艦船の識別情報は分かっているのか?」
「まだ確定できません。受信した信号から、発信源は大型艦船と推定されますが、所有者や運航者を特定するには識別データが不足しています」
ヴェスペラが地図を見つめる。
「信号源は私たちの航跡上にはありません。接近する場合は、まず航路変更と認可範囲について検討する必要があります」
俺は頷いた。
「まだ針路は変えるな」
続いて、セラフィエルが初期解析の結果を表示した。
救難信号 — 初期検出
| 項目 | 結果 |
| --------------------- | ------------- |
| 信号種別 | 緊急信号 |
| 推定発信源 | 大型艦船 |
| 識別情報 | 未検証 |
| 相対位置 | 主要輸送航路の外側 |
| 方向 | 今後通過する回廊の隣接区域 |
| 詳細な状況 | 解析待ち |
| ASTRAEON VELORIAの航路変更 | 未実施 |
俺はそのマーカーを見つめた。
数時間前まで、俺たちが受け取っていたのは、国境宙域で武装艦船の活動が増えているという報告だけだった。
そして今、その近くの方向から緊急信号が届いた。
二つの出来事が関係しているとは限らない。
だが、実際に何が起きているのか分からないまま、単なる偶然だと片づけることもできなかった。
「セラフィエル、受信したデータはすべて保存してくれ。現在位置から信号の解析を始めるんだ。こちらの識別情報や貨物情報を、公開通信で送信しないように」
「承知しました、紬」
「ヴェスペラ、現在の航跡を維持してくれ。次の行動を検討する前に、相対距離と、合法的に接近できる航路の可能性を知りたい」
「分かりました」
俺はメインスクリーンを見つめた。
ASTRAEON VELORIAは今も、正式に受領したタラリスの戦略物資をすべて積載している。
その契約を果たす責任は、変わらず俺たちにある。
だが、現在の航路の外側では、誰かがたった今、救助を求める信号を発したのだ。
俺は少しだけ背もたれに身を預け、再び信号のマーカーへ目を向けた。
「よし。何かを決める前に、まずは誰が助けを求めているのか調べよう」
【次話予告・第150話】
「救難信号は航路の外から」
航路の外から届いた救難信号――ASTRAEON VELORIAは、タラリス国境兵站補給拠点へ向けて戦略物資の輸送を続けながら、セラフィエルが安全な距離から信号源の特定を開始する。ヴェスペラは接近可能な航路を検討し、レアは救助活動の準備を進める。一方、ランは契約上の責任を無視してはならないと念を押す。そして、スキャンの結果、大きな損傷を受けた大型豪華客船の姿が明らかになる。その船は、複数の武装艦船から今も攻撃を受け続けていた。




