【第147話】「出発前夜」
【第147話】「出発前夜」
ヴェルドラコン出航から26日目 — 艦内標準時 17:20~23:40 場所:タラリス軍事兵站停泊施設 — 契約管理事務所 → ASTRAEON VELORIA 視点:星崎紬
「星崎艦長、貨物群TL-CG-017に関する修正事項は、すべて正式書類に反映されました」
デイラン・ヴォスク管理大佐が、テーブルの上の端末を俺のほうへ滑らせた。
タラリス軍事兵站停泊施設の管理事務室では、昨日から俺たちの予定を少し遅らせていた貨物検査の最終結果が、大きな投影画面に表示されていた。
俺は書類に目を通す。
コンテナ番号、TL-CN-017-04。
検証済みの封印番号、TL-SG-482716。
修正後の貨物群質量、186,040 kg。
いずれも現物検査の結果と正式な搬送記録に一致している。
ほとんど同じ数字が並んだ2つの封印番号に関する問題も、これでようやく本当に片づいたらしい。
「新たな不一致はありませんか?」
俺が尋ねると、メイリス・ローヴァン上級中尉は首を横に振った。
「昨日保留となった貨物群については、ありません。修正内容は検査部門によって承認され、当該貨物群も規定の手順に従って積載工程へ戻されています」
隣に座るランは、まだ返事をしていなかった。
新しく受け取った書類を、自分の持つ写しと照合しているところだったからだ。
しばらくして、彼女が顔を上げた。
「コンテナ番号、封印の識別情報、作業記録の参照番号、修正後の質量、すべて一致しています。改訂履歴の写しも受領しました」
「よし」
俺はヴォスクに目を向けた。
「それでは、最終契約の話を進められますね」
彼は微笑んだ。
「それが本日夕方の会議の目的です」
オルセリオンで8,400,000 GCの正式な契約提示を受けてから、すでに3日が経っていた。
あのときは、見逃すには惜しすぎるほどの金額に思えたものだ。
しかし、実際にタラリスへ到着し、取り扱う貨物の規模をこの目で確認した今なら、帝国側が条件を満たす独立輸送業者にこれだけの報酬を提示する理由も、少しずつ理解できてきた。
俺たちが運ぶよう依頼されているのは、ありふれた補給物資の箱が数個、という程度のものではない。
タラリス国境兵站補給拠点へ輸送する物資には、軍用艦のエンジン予備部品モジュール、モビルフレームの整備ユニット、シールドおよび防衛関連部品、緊急医療物資、野戦通信モジュール、施設修理用機材、そして人員支援用コンテナが含まれている。
それぞれの貨物群に、固有の取扱条件がある。
そして、そのすべてをASTRAEON VELORIAの責任で輸送するには、まず識別情報、状態、引渡書類が正しいと確認されなければならない。
TL-CG-017での一件は、最初に契約金額を見た段階で俺がすべての書類に署名しなかった理由を、むしろ明確にしてくれた。
ヴォスクが次の書類を表示した。
「責任分担、施設利用費、保険、輸送手順の変更について、最後の交渉結果を反映してあります。ご確認ください」
ランはすぐに最初のページを開いた。
「星崎艦長が承認する前に、係留費用に関する最終条項の文面を確認したいと思います」
ヴォスクが頷く。
「もちろんです、ヴァレスさん」
俺は椅子の背もたれに身を預けた。
どうやら、今日の事務手続きが終わったと思えるまでには、もう少し仕事が残っているらしい。
ランが、合意済みの条項の要約を表示した。
タラリス戦略兵站局 — 最終契約確認
| 項目 | 条件 |
| ---------- | ----------------- |
| 当初の提示参照番号 | C-142-LG |
| 契約総額 | 8,400,000 GC |
| 発注者 | タラリス戦略兵站局 |
| 輸送候補艦 | ASTRAEON VELORIA |
| 積載場所 | タラリス軍事兵站停泊施設 |
| 輸送先 | タラリス国境兵站補給拠点 |
| 契約関連の施設利用費 | 合意済みの書面による費用分担に従う |
| 保険 | 最終保険契約書に従う |
| マニフェスト | 正式承認済みの版を使用 |
| 貨物の輸送責任の受領 | 最終検査後の引渡記録によって実施 |
| 艦船の地位 | 独立した私有艦 |
俺は頷いた。
「係留費用はどうなった?」
ランが添付資料を拡大する。
「輸送業務の遂行に特に必要となる係留費用と施設サービスについては、責任分担が明確になっています。その範囲外の支出が、自動的に発注者の負担になることはありません」
「よし。燃料については?」
「航行経費の規定も明確になりました。実際には購入していない燃料の領収書を提出する必要はありません。契約上、輸送業者に支払われる固定運用手当がある場合は、承認済みの支払額に従って処理されます」
ヴォスクが少し興味深そうに俺たちを見た。
「貴艦の航行補給に、何か問題でも?」
俺は微笑んだ。
「いいえ。うちの艦のシステムは、予定している運用に必要なものを十分に自給できます。帳簿上の扱いが契約に合っていることを確認したかっただけです」
「それでしたら、問題ありません」
ランも満足した様子だった。
ASTRAEON VELORIAのエネルギーシステムの設計をすべて知ってもらわなくても、俺たちが架空の経費を請求しないということさえ理解してもらえれば、それでいい。
俺は続く条項を読んだ。
正式な受領前に生じた貨物の損傷は、その段階で貨物を管理している側の責任となる。
発注者側の施設に起因する遅延は、自動的に輸送業者の過失とは見なされない。
目的地、航路、マニフェストの変更には、書面による手続きが必要となる。
輸送中の紛失や損傷については、原因、証拠、そして合意済みのリスク分担に基づいて判断する。
どれも単純な話ではないが、少なくとも、問題が起きたときに判断するための根拠は明確だった。
「ラン、どう思う?」
彼女はページのひとつを閉じた。
「私たちの合意に反する新たな条項は見当たりません。航行中も履行しなければならない事務上の義務はいくつかありますが、その範囲と限界は説明されています」
「つまり、承認していいと?」
「最終契約の承認を推奨します。ただし、全貨物の輸送責任を正式に受領するのは、最後の積載検査が完了してからにすべきです」
俺は頷いた。
「俺も同じ判断だ」
続いて、ヴォスクから本人確認を求められた。
書類と署名権限の照合が終わると、メイン端末に最終輸送契約が表示された。
俺はもう一度、内容を読み直す。
発注者は、引き続きタラリス戦略兵站局。
ASTRAEON VELORIAは、契約に基づいて輸送サービスを提供する独立した私有艦として記載されている。
俺の身分が帝国軍人に変更されるような条項はない。
合意済みの業務範囲を超えて、軍の指揮系統が艦の全機能を自動的に接収できるような規定もなかった。
中央ギルドでBランクの昇格審査を受ける資格についても、引き続き別件として扱われている。
ヴェルドラコンの軍事技術購入許可を申請する機会についても同様だ。この仕事に署名したからといって、設計図や装備が突然、無料で与えられるわけではない。
よし。
報酬の数字に紛れて、余計な義務が隠されているような事態は御免だからな。
「分かりました」と俺は言った。「貨物の受領記録への署名は、最終検査の完了後に行うという条件で、この契約を承認します」
ヴォスクが頷いた。
「承知しました」
俺はデジタル署名を承認した。
数秒後、端末に確認表示が現れる。
契約承認 — 完了
契約総額:8,400,000 GC
俺はその数字を見つめた。
何度も目にしてきた金額なのに、単なる提示額から正式に承認された契約へと状態が変わると、やはり感じ方が違う。
ランはすぐに財務報告を開いた。
「契約金額と関連する義務を記録しておきます。ただし、この8,400,000 GCを受領済みの現金として計上することはありません。支払いは、契約に定められた段階と引渡証明に従って処理されます」
俺は小さく笑った。
「まだ何も聞いてないぞ」
「念のためです、紬」
ヴォスクが微笑んだ。
「貴艦の財務管理は、適任者に任されているようですな」
「信じてください。俺もそう思っています」
18:35。
俺たちはASTRAEON VELORIAへ戻った。
連絡通路からは、施設の反対側で再開された積載作業が見えた。
複数の搬送車両がコンテナを最終検査プラットフォームへ運び、大型貨物牽引システムも規則正しいリズムで稼働している。
TL-CG-017に、保留を示す表示はもうなかった。
とはいえ、すべての貨物は、それぞれの検査を経てからでなければ正式に移動させることはできない。
艦の連絡口が開くと、セラフィエルが出迎えてくれた。
「お帰りなさい、紬」
俺は頷いた。
「積載作業はどうなってる?」
「検査済みの貨物群の大部分は、計画どおりに配置されています。残る搬送工程については、最終検査の際に完了する予定です。すべての実測質量が確認されるまでは、艦の積載構成を最終確定しないようにしています」
「よし」
彼女が微笑んだ。
「契約のほうはいかがでしたか?」
俺は端末を持ち上げた。
「承認されたよ」
セラフィエルはしばらく俺を見つめた。
それから、その微笑みが少し温かみを増した。
「おめでとうございます、紬」
「ありがとう。でも、本当の仕事はこれからだ」
「分かっています」
そのとき、格納庫のほうからレアの声が艦内通信に飛び込んできた。
『紬! 契約が正式に決まったって本当!?』
俺は端末に目を向けた。
「ずいぶん耳が早いな」
『セラフィエルから状況通知が来たんだよ!』
俺はセラフィエルを見る。
彼女はただ微笑んだ。
「主要クルーに関係する情報ですから」
俺は小さく息を吐いた。
「まあ、そうだな」
『じゃあ、本当に軍の物資を国境まで運ぶんだね!?』
「ああ。最終検査が終わって、出航許可を受けてからだけどな」
『了解! ヴァルキリーも格納庫の装備も、全部準備しておく!』
「カリスタと調整せずに、承認済みの構成を勝手に変更するなよ」
『分かってる!』
通信が終わった。
知らせを聞いて、あの狐の尻尾が勢いよく動いている様子が目に浮かぶ。
夕食後、俺は主要クルー全員にグランドサロンの会議スペースへ集まってもらった。
大型スクリーンには、タラリスから受領した輸送航路の地図がセラフィエルによって表示されている。
ランは管理端末の隣に座り、ヴェスペラは航法投影の近くに立っていた。
カリスタは格納庫の技術報告書を持参し、その隣にはレアが座っている。
俺は全員を見渡してから、会議を始めた。
「さて。最終契約は承認され、積載作業もほぼ完了している。出航する前に、全員が自分の担当業務だけを理解して、航行全体の流れを把握していない、なんて状態にはしたくないんだ」
レアが頷いた。
「了解!」
俺は微笑んだ。
「これは会議であって、戦闘ブリーフィングじゃないぞ。もう少し楽に座っていい」
「ちゃんと楽に座ってるよ!」
カリスタが、妙に背筋の伸びた彼女の座り方を横目で見た。
「ああ、そうだな」
セラフィエルが状況の要約を表示する。
C-142-LG — 出航前確認
| 項目 | 状態 |
| -------- | ------------- |
| 最終契約 | 承認済み |
| 契約総額 | 8,400,000 GC |
| 積載作業 | ほぼ完了 |
| マニフェスト | 改訂版承認済み |
| 質量配分 | 最終検証待ち |
| 全貨物の受領記録 | 未署名 |
| 輸送航路 | 航法計画の確定用に提供済み |
| 出航許可 | 最終手続きの完了待ち |
俺は受領記録の行を指さした。
「契約に署名したからといって、全貨物を正式に受け取ったことにはならない。明日の最終検査は、予定どおり実施する」
ランが頷く。
「承認済みの書類はすべて艦の管理システムに保存し、別系統のバックアップも確保してあります。最終マニフェストには正式な改訂番号を付け、TL-CG-017の訂正前の書類と取り違えないようにしました」
「よし」
続いて、俺はヴェスペラに顔を向けた。
「まずは航路から頼む」
ヴェスペラが地図を拡大した。
出発地点としてタラリス軍事兵站停泊施設が表示され、そこから帝国内の兵站区域とタラリス国境兵站補給拠点へ向かう航路を結ぶ、複数の航行回廊が続いている。
「タラリス側から提供された航路については、運用上の制限と本艦の識別情報を照合済みです」
投影画面に、光の航跡が現れた。
「停泊施設を離れたあとは、指定された施設出口航路を通過しなければなりません。FTLの起動が認められるのは、艦が現地の交通管制区域の外へ出てからです」
俺は頷いた。
「うちのシステムなら可能だからって、目的地の施設に近すぎる場所を離脱地点にするのはなしだぞ」
「もちろんです。契約輸送艦に認可されたFTL離脱地点を使用する計画にしています。その後は通常航行で接近し、目的地の管制担当者による識別確認を待ちます」
レアが地図を眺めた。
「ねえ、どうして私たちの航路と直接つながってない場所がいくつかあるの?」
ヴェスペラはその部分を拡大した。
「アクセス制限のある宙域です。一部は特定の軍用航路で、それ以外にも独立輸送業者へ許可されていない回廊があります」
俺は頷いた。
「つまり、もっと短く見える航路があっても、勝手に近道しちゃいけないわけだ」
「そのとおりです」
セラフィエルが付け加えた。
「正式な許可なく代替航路が立入禁止区域へ入らないよう、航法システムにも制限を設定してあります」
俺は全員を見渡した。
「航行状況が変わった場合は、契約に記載された代替航路の申請手順を使う。ただし、直接的な危険が迫る緊急時には、艦と乗員の安全を最優先に航法判断を行い、その後、取った行動をすべて規定に従って記録する」
ヴェスペラが頷いた。
「運用計画にも反映してあります」
次は通信についての確認だった。
セラフィエルが画面を通信網の図に切り替える。
「タラリスからは、出航、航行中の調整、目的地の補給拠点への接近に使用する公式通信チャンネルが提供されています。これらは艦の私用通信網とは分離してあります」
俺は図を確認した。
「目的地の管制と通信できなくなった場合は?」
「承認済みの通信途絶時手順に従います。すべての交信試行、時刻、艦の位置、送受信に成功したメッセージを記録します」
ヴェスペラも付け加えた。
「そして、先方がこちらの到着に気づいているはずだという推測だけで、制限付きのドッキング区域へ進入することはありません」
「よし」
ランが軽く手を挙げた。
「輸送指示の変更は、すべて検証可能な通信経路を使用するという点も付け加えたいです。タラリスの代理人を名乗る相手からメッセージが届いただけで、目的地、受取人の識別情報、マニフェストを変更してはいけません」
俺はすぐに頷いた。
「そこは重要だな」
レアが眉をひそめる。
「じゃあ、ほかの船から連絡が来て、軍の上層部から新しい命令を受けたって言われたら?」
「正式な手順で、相手の身元と権限を確認します」とランが答えた。
セラフィエルも続ける。
「通信の真正性については私も確認を支援します。ただし、画面に映った制服や紋章だけを根拠に、そのメッセージを正式なものとは判断しません」
俺は微笑んだ。
「要するに、偉そうな声で話しかけられたからって、荷物を渡すなってことだ」
カリスタが笑った。
「じゃあ、偉い担当者を名乗る奴が来るたびに、レアが格納庫の扉を開けないように言っとかないとな」
「そんなことしないよ!」
レアは少し心外そうだった。
だが、考え直してから自分でも頷く。
「でも、先に確認したほうがいいのは確かだね」
続いて俺は、セラフィエルに第三者による検査手順を表示してもらった。
契約の一部には、航行中に別の艦船や当局から検査を求められた場合の対応が定められている。
「正式な検査と、正当な根拠もなく誰かが貨物を接収しようとする行為との違いを、全員に理解しておいてほしい」
俺がそう言うと、ランが頷いた。
「検査担当者の身元、権限、検査の根拠、そして実施内容の記録は、すべて検証可能でなければなりません。誰かにアクセスを求められたというだけで、貨物の管理責任を移してはいけません」
「正式な検査だったら?」とレア。
「契約の手順と、その宙域に適用される規定に従う」と俺は答えた。「ただし、相手に許可するアクセスは、あくまで検査の範囲内に限る」
セラフィエルが艦内区域の区分を表示する。
関連する貨物区画については、許可に従って検査を受けられる。
一方、クルーの居住設備、個室、基幹システム、その他業務に関係のない区域まで、自動的に外部の人間へ開放されるわけではない。
俺は図を指さした。
「ASTRAEON VELORIAは、あくまで私有艦だ。タラリスの仕事を引き受けたからといって、制服を着た相手全員に艦の鍵を渡すわけじゃない」
カリスタが満足そうに頷いた。
「賛成だね。興味本位でエンジンのパネルを開けるような外部の技術者は、こっちもお断りだ」
「俺もだよ」
セラフィエルが微笑む。
「合意済みの条件に従って、アクセス制限を設定してあります」
事務手続きと航法の確認が終わったところで、話題は緊急事態への対応に移った。
レアが再び元気になったように見える。
ただし、今度はすぐに口を挟んだりしなかった。
俺は彼女を見た。
「モビルフレームの準備状況は?」
「ヴァルキリーは運用可能! 前にカリスタが対応してくれた外装部分の修理も完了してるし、最後の検査でも異常は見つからなかったよ」
カリスタが頷く。
「ほかのユニットと格納庫の支援装備も固定済みだ。今回の積載構成なら、移動経路も緊急対応用のアクセスも塞がない」
「MCV-01は?」
「準備完了です。運用設備に支障をきたす変更もありません」とセラフィエル。
俺は頷いた。
「よし。ただ、脅威への対応規則は明確にしておきたい」
画面に簡易的な戦術図が現れた。
「艦や貨物が脅威に直面した場合、最初に優先するのは、実際に何が起きているのかを把握することだ。近づいてくる船を、何でもかんでも敵だと決めつけるな」
レアが頷く。
「まずは識別だね」
「そうだ。脅威が現実のものだと確認された場合は、合意済みの交戦規定に従って自衛する。クルー、艦、貨物を守るために必要な武力を使うが、無関係な相手を攻撃することはしない」
カリスタが腕を組んだ。
「それと、ユニットを展開したせいでコンテナや積載設備の邪魔になる事態も避けたいね。安全通路を塞いじゃいけない貨物群がいくつかあるんだ」
「だからこそ、お前とレアには常に連携してもらう」
レアが力強く頷いた。
「了解! 手順で定められた緊急事態を除いて、適切な運用許可なしにヴァルキリーを展開したりしないよ」
俺は微笑んだ。
「よし」
続いて、セラフィエルが艦内防護の手順を表示した。
「センサー監視、シールドの状態確認、貨物区画の監視を継続します。何らかの障害が発生した場合も、艦と貨物の状態データを分けて記録し、損傷の原因や実施した対応を後から追跡できるようにします」
ランがすかさず付け加えた。
「費用と契約上の義務への影響についても、記録を忘れないでくださいね」
俺は彼女に顔を向けた。
「襲撃のシミュレーション中でも、まだ帳簿のことを考えてるのか?」
「もちろんです。全員が無事だったとしても、事故報告書の不備があとから財務上の問題になることはあります。私は、その両方を避けたいのです」
俺は笑った。
「分かったよ。お前が正しい」
会議を終える前に、俺は全員に準備状況の要約をもう一度確認してもらった。
ASTRAEON VELORIA — 出航前クルー準備状況
| 分野 | 責任者 | 状態 |
| ------------------ | ------------ | ------------- |
| 最終判断および運用承認 | 紬 | 最終検査後に準備完了 |
| 艦内システムと運用調整 | セラフィエル | 準備完了 |
| 契約、マニフェスト、費用、引渡手続き | ラン | 主要書類保存済み |
| 航法および輸送回廊 | ヴェスペラ | 最終確認用の計画を固定済み |
| モビルフレームおよび現場対応 | レア | 準備完了 |
| 格納庫および技術支援 | カリスタ | 準備完了 |
| 全貨物の積載 | タラリスおよび艦側担当班 | ほぼ完了 |
| 最終的な輸送責任の受領 | 紬 | 翌日の検証待ち |
俺は最後の行に目を留めた。
「これは明日の最終検査まで、そのままにしておきたい」
ランが頷く。
「確認済みです」
続いて、ヴェスペラが端末で航法計画の固定を完了した。
「正式航路は保存しました。宙域の境界、FTL離脱地点、申請可能な代替航路、目的地の補給拠点への接近手順も照合済みです」
セラフィエルからは、運用計画の写しも艦内システムに保存されたと報告があった。
レアはモビルフレームの点検表を閉じた。
カリスタも格納庫の技術報告書を保存する。
俺はしばらく、テーブルを囲む全員を眺めていた。
この旅を始めたばかりの頃は、新しい仕事に必要なのは、基本的に艦と目的地、そして出発するという決断だけだと思うことが多かった。
だが、クルーが増え、引き受ける仕事の規模も大きくなった今、何より重要なのは、全員が自分の役割を理解しながら、互いを助け合える状態を維持することなのだと分かってきた。
俺は小さく微笑んだ。
「よし。みんな、ありがとう。明日は積載検査を終わらせて、移動許可が出てから出航しよう」
レアがすぐに手を挙げた。
「じゃあ、今夜はおいしいものを食べられる!?」
ランが彼女を見た。
「夕食の用意なら、もともと予定に入っていますよ」
「もっと特別な料理って意味!」
カリスタが笑う。
「会議の前に食べたばっかりだろ」
「会議が長かったんだもん!」
俺は笑いながら首を振った。
「分かったよ。報告書を全部保存したら、みんなで食べよう」
レアはたちまち満足そうな顔になった。
22:05。
グランドサロンには、再び賑やかな会話が戻っていた。
艦内キッチンで作られた料理に加え、有機栽培区画で収穫したばかりの食材も食卓に並んでいる。
セラフィエルは俺の隣に座っていた。一方、ランは正式な会議が終わったというのに、まだ小型端末で何かを確認している。
俺は彼女の画面をちらりと見た。
「今度は何だ?」
「商業在庫の報告書です」
「ラン、ついさっき軍事輸送契約の会議を終えたばかりだぞ」
「はい。ですが、自動農業システムによって有機食品の在庫は引き続き増えていますし、オルセリオンで購入した商品も、保管状態を監視する必要があります」
俺はため息をついた。
「せめて先に食べてくれ」
彼女は微笑み、端末を置いた。
「分かりました」
俺は大皿から料理をいくつか取った。
「国境の補給拠点での商売は、どうするつもりだ?」
「現地の規則の確認と、合法的な取引機会の調査が終わるのを待っています。追加の商業活動によって、タラリスとの契約に基づく引渡業務を妨げるつもりはありません」
「よし」
「それから、以前お話しした中型クラスのモジュール式船体構造材も、まだ購入していません」
俺は彼女を見た。
「こっちから聞く前に、その点を確認してくれて助かるよ」
カリスタが笑った。
レアもすぐに顔を向ける。
「中型船、まだ買ってないの!?」
「まだですよ」とラン。「あくまで条件付きの調達計画です」
「残念だなぁ」
俺はレアを見た。
「なんでお前が残念がるんだ?」
「ASTRAEON VELORIAの中に入れておいたら、どのくらいの大きさに見えるのかなって気になってたから」
セラフィエルが柔らかく笑った。
「その好奇心を満たすためだけに購入する必要はありませんよ、レア」
夕食は、なかなか楽しい雰囲気で進んだ。
少なくとも、軍用貨物のコンテナと書類に一日中向き合ったあとでも、俺たちにはこうした何気ない時間を楽しむ余裕があった。
だが、その穏やかな時間は、夜の終わりまで続かなかった。
22:48。
タラリスの公式通信チャンネルを通じて、ひとつの通知が届いた。
最初に受信したのはセラフィエルだった。
隣に座っていた彼女の表情が、わずかに真剣なものへと変わる。
「紬、国境の補給拠点へ向かう回廊のひとつを使用する輸送候補者に対して、保安情報の更新が届きました」
俺は手を止めた。
「どんな更新だ?」
「タラリスの監視部門から、私たちの輸送航路に隣接する宙域で、武装艦船の活動が増加しているとの報告がありました」
テーブルを囲んでいた会話が、徐々に止まっていく。
ヴェスペラがすぐに顔を上げた。
「主要回廊の状態は変更されたのでしょうか?」
「まだです」
俺は食器を置いた。
「報告書を表示してくれ」
セラフィエルが投影画面を起動する。
タラリス軍事交通管制・保安通知
種別: 保安状況に関する通知 対象宙域: タラリス国境兵站補給拠点へ向かう輸送回廊の隣接区域 観測内容: 武装艦船の活動増加 関係勢力の識別: C-142-LGの輸送に対する脅威と認定するには情報不足 正式回廊の状態: 閉鎖されていない 契約の中止: 現時点で入手可能な情報に基づく限り、推奨されない 指示: 輸送業者はリスク評価を更新し、以後の公式通知に従うこと
俺は最後まで目を通した。
ASTRAEON VELORIAが標的になっているという報告はない。
輸送を中止しろという命令も出ていない。
ただ、俺たちが通過する予定の宙域に近い場所で、武装艦船の活動が増えている。
それだけでも、真剣に受け止めるには十分だった。
「ヴェスペラ、その宙域は俺たちの航路からどの位置にある?」
彼女はすぐに航法地図を起動した。
主要航路の外側にある一帯が、警告色で示される。
「現在の情報では、活動が確認されているのは認可済み回廊に隣接する宙域であり、私たちの航路上ではありません。ただし、状況が進展すれば、この一帯の交通状況の変化がリスク評価に影響する可能性はあります」
俺は頷いた。
「契約上、代替航路を申請できる仕組みはあるか?」
「航路変更の申請手順はあります。ただし、通常の状況で使用するには、改めて認可を受ける必要があります」
セラフィエルが付け加えた。
「この活動が私たちの貨物と直接関係していると結論づけるだけの情報は、まだありません」
「よし。証拠もないのに、そういう結論は出さないでくれ」
さっきまでくつろいでいたレアも、今は背筋を伸ばして座っていた。
「紬、モビルフレームの警戒態勢を引き上げたほうがいい?」
俺は彼女を見た。
「承認済みの準備態勢を維持しよう。まだ運用全体を戦闘態勢に切り替える理由はない」
「了解」
カリスタも頷く。
「明日の積載作業の完了を邪魔しないようにしながら、装備は全部すぐ使える状態にしておくよ」
ランは保安報告書を確認していた。
「契約管理の面では、この通知を航行記録に加える必要があります。今後、正式な指示によって予定や航路が変更された場合、いつ情報を受領し、どのような判断を行ったのか示せるようにしておかなければなりません」
「賛成だ」
俺はセラフィエルへ向き直った。
「この警告を航行計画に組み込んでくれ。主要回廊に隣接する宙域のリスク評価を更新して、必要な範囲で追加監視も準備しておいてほしい」
「承知しました、紬」
「ただし、この報告だけを理由に、どの艦船に対しても攻撃的な行動は取るな。タラリスから新しい情報が来たら、それを確認してから対応を決めよう」
「もちろんです」
ヴェスペラは地図を見つめた。
「FTL離脱地点と、その後の接近航路への影響も確認しておきます。追加の認可が必要になる変更があれば、申請する前に紬へお知らせします」
俺は頷いた。
「頼む」
全員がそれぞれの仕事へ戻ったあと、俺はセラフィエルと一緒に指揮デッキへ向かった。
メインスクリーンの向こうでは、タラリス軍事兵站停泊施設が相変わらず忙しそうに稼働している。
貨物搬送設備の標識灯が、軌道構造物に沿って長い光の線を描いていた。
軍用輸送船が1隻、交通管制から許可を受け、ゆっくりとバースを離れていく。
俺は艦長席に腰を下ろした。
「セラフィエル、航行計画の更新はどうなった?」
「保安警告は反映済みです。回廊の閉鎖、正式指示の変更、重大な通信障害、艦に対する直接的な脅威の兆候など、リスクの再評価を開始する条件も追加しました」
「よし」
彼女は俺の隣に立った。
「契約の中止を検討されていますか?」
俺は少し考えた。
「今はまだだ。現時点の情報だけで、そこまで大きな決断をするには足りない。でも、契約に署名したからといって、この警告を無視するつもりもないよ」
セラフィエルがかすかに微笑んだ。
「妥当な判断だと思います」
俺は地図に目を向けた。
「何か変化があれば、そのときに改めて状況を判断しよう。予定を守ることだけに固執する理由はないからな」
「承知しました」
しばらく、俺たちは黙っていた。
俺は国境の補給拠点へと続く長い航路を眺める。
明日、すべての貨物の検査が終わり、俺たちが正式に輸送責任を受領すれば、ASTRAEON VELORIAはタラリス軍事兵站停泊施設を離れる。
帝国の戦略物資を積み、これまで訪れたことのない宙域へ向かうのだ。
報酬は確かに大きい。
ランが見つけた商業取引の機会も魅力的だ。
だが、俺がオルセリオンからの招待を最初に受けたときから、何より大切なことは変わっていない。
この仕事を無事に終わらせて、クルー全員を安全に連れ帰りたい。
「セラフィエル」
「はい、紬?」
「明日、最後の検査が終わっても、俺が最終報告書を全部読むまでは出航手続きを始めないでくれ」
彼女が頷いた。
「もちろんです」
俺は小さく微笑んだ。
「目的地がもう地図に見えているからって、急ぐ必要はないからな」
セラフィエルも微笑み返した。
「紬が命令を下したとき、ASTRAEON VELORIAが出航できる状態にあるよう、私が整えておきます」
目の前では、タラリス国境兵站補給拠点へ向かう航路が、変わらず光を放っていた。
そして今、その途中の一角から少し離れた場所には、新しい警告マーカーが表示されている。
俺たちの航行が妨げられるという証拠は、まだない。
だが、この契約が承認されてから初めて、次の仕事では大量の貨物を運ぶ能力だけでは足りなくなるかもしれないと感じていた。
俺は艦長席の背もたれに身を預けた。
「よし。明日、きっちり仕上げよう」
【次話予告・第148話】
「最終積載確認」
最終積載確認――タラリスの兵站担当班が、承認済みの全貨物の搬入を完了させる。セラフィエルは荷重配分を検査し、ヴェスペラは艦の実測質量と航法計画を照合。ランはコンテナの総数、8,400,000 GCの契約金額、そして受領書類に相違がないことを確認する。すべての検査が完了したあと、紬は輸送責任の正式な受領記録に署名し、ASTRAEON VELORIAはタラリス軍事兵站停泊施設からの出航準備に入る。




