【第135話】「休暇は予定どおりに終わらない」
【第135話】「休暇は予定どおりに終わらない」
ヴェルドラコン出航後・15日目 場所:オリセーヌ――ヴェイラス・ランタン・リゾート、サーフェス・パビリオン → リゾート管理事務所 → 軌道ゲストターミナル → アストレオン・ヴェロリア POV:星崎紬
「紬、起きてください」
柔らかい何かが、俺の頬に触れた。
俺は眉を寄せ、それから片目を開けた。
目の前に、セラフィエルの顔があった。
長い髪が肩から流れ落ち、その顔には小さな微笑みが浮かんでいる。
「……朝?」
「おはようございます」
「今、何時?」
「オリセーヌ現地時間、午前7時12分です」
俺は再び目を閉じた。
「じゃあ、あと5分……」
「7分前にも、同じことをおっしゃっていましたよ」
「……本当に?」
「はい」
彼女の指が、俺の額にかかった髪を優しく整える。
「今日はチェックアウトの日ですよ、紬」
その一言で、ようやく俺は両目を開けた。
「ああ。そうだったな」
俺は、リゾートに滞在していることを忘れてしまいそうなほど豪華な、スイートルームの天井を見上げた。
15日目。
つまり、ヴェイラス・ランタン・リゾートで予約していた3泊が、とうとう終わったということだ。
あっという間だったな。
昨日は、軌道施設に現れた未確認ドローンへの対応に、少し時間を取られてしまった。
それほど長時間の作業ではなかったものの、観光予定の一部を変更する必要はあった。
それでも夜には、みんなで夕食を楽しみ、プライベート温水プールと星空観測ラウンジにも行くことができた。
レアがプールの縁にもたれかかったまま、危うく眠りそうになっていたのに、誰かがデザートの話を始めた途端、急に元気を取り戻したことも覚えている。
一方、ヴェスペラは観測ラウンジから星々の景色を眺めて、本当に幸せそうだった。
ランも、ようやく数時間だけ財務用の端末を手放してくれた。
カリスタに至っては、リゾートのスパ施設を銀河文明史上最高の発明かもしれないとまで評していた。
思い出すと、自然に笑みがこぼれた。
「帰るのが惜しいな」
セラフィエルが小首を傾げた。
「ご予約を延長なさいますか?」
「いや。もう次の旅行予定は決めてあるしな。それに、まだ行ってみたい場所もたくさんある」
「でしたら、また別の機会に訪れましょう」
「ああ。みんなでな」
セラフィエルの笑みが、さらに広がった。
「覚えておきますね」
彼女は少し顔を近づけると、俺の頬に軽く口づけた。
「では、そろそろ起きてください。そうしないと、紬が召し上がりたい朝食まで、レアが全部食べてしまうかもしれませんよ」
俺は即座に身体を起こした。
「それはかなり深刻な脅威だな」
セラフィエルが声を立てて笑った。
俺が到着したとき、パビリオンのダイニングはすでに賑わっていた。
レアは、さまざまな料理が盛られた大皿を前に座っている。
隣ではカリスタが温かい飲み物を楽しんでいた。
ヴェスペラは、昨日訪れた場所についてランと話している。
俺は椅子を引いた。
「おはよう、みんな」
「おはよう、紬!」
レアが、まだ口をもぐもぐさせたまま手を上げた。
俺は彼女の皿を見つめた。
「……それ、今日最初の朝食か?」
「2回目!」
「だろうと思ったよ」
カリスタが小さく笑った。
「リゾート最後の朝食を、悔いなく楽しみたいんだってさ」
「だから2回食べるのか?」
「時間があれば3回!」
俺は首を振った。
ランが俺に微笑みかける。
「昨夜はよくお休みになれましたか?」
「ぐっすりだよ。こういう場所に泊まるために、みんなが大金を使う理由も少しわかってきた気がする」
「それは何よりです。支払った費用が無駄にならなかったということですね」
俺は彼女を見た。
「睡眠の質まで、予算の評価項目に変えられるんだな……」
「もちろんです。快適さも、私たちがお金を支払って得る価値の1つですから」
ヴェスペラが小さく笑った。
「私も大変満足しています。特に、星空観測ラウンジは素晴らしかったですね」
「結構長い時間、あそこにいたもんな」
「景色が美しかったものですから。観光施設にいるのか、それともアストレオン・ヴェロリアの展望デッキにいるのか、思わず忘れてしまいそうになりました」
セラフィエルが俺の隣に腰を下ろした。
「撮影した写真は、旅行のプライベートアーカイブへ保存してあります。共有アルバムへ入れたいものと、個人のコレクションとして残したいものは、それぞれご自身で選べるようにしていますよ」
レアがすぐに振り向いた。
「紬がウォータースポーツのボードから落ちた動画も!?」
俺はパンを取ろうとしていた手を止めた。
「レア」
「何?」
「その話は、もうしただろ」
「でも、あの動画すっごく面白いんだもん!」
カリスタがすぐに笑い出した。
「私もコピーが欲しいね」
「カリスタ!」
ヴェスペラが口元を覆いながら微笑んだ。
ランはセラフィエルへ顔を向けた。
「私も、その動画は休暇のアルバムに入れる価値があると思います」
俺は4人を順番に見た。
「……誰も俺の味方をしてくれないのか?」
セラフィエルが俺の腕に触れた。
「私はいつでも紬の味方ですよ」
俺はほっとして微笑んだ。
「ありがとう」
「ですから、一番よく撮れている角度の映像を選んでおきました」
「セラフィエル!?」
みんなの笑い声がダイニングいっぱいに広がった。
俺は諦めた。
どうやら、全長8,600メートルの艦を指揮する艦長という肩書きも、水に落ちた瞬間の映像から俺を救ってはくれないらしい。
朝食後、俺たちは帰還の準備を始めた。
荷物はリゾートの配送サービスに預け、ランは最終請求の確認を進めている。
俺はレアが買い込んだ品々をスーツケースへ詰めるのを手伝っていたのだが、床にもう1つ箱が置かれていることに気づいた。
「レア」
「なあに?」
「これは?」
「お土産!」
「お土産なのはわかるよ。なんでこんなにたくさんあるんだ?」
彼女は箱を開いた。
中には包装された食品や小さなアクセサリー、それからリゾートのショッピングセンターで購入したスポーツ用品がいくつか入っていた。
「オリセーヌの思い出を残しておきたいんだ!」
「これ全部?」
「うん!」
俺はその中から、1つ手に取った。
惑星オリセーヌの形をした、小さなキーホルダーだった。
「これはいいな」
「でしょ!? みんなの分も買ったんだよ!」
俺は少し黙った。
「ああ。自分の分だけじゃなかったのか?」
レアが微笑んだ。
「もちろん! みんなでお揃いの思い出を持っていたいんだもん」
俺は箱を見つめた。
なぜだろう。
その答えを聞くと、少し胸が温かくなった。
「そっか。ありがとうな」
「えへへ!」
俺はキーホルダーを箱へ戻した。
「でも次からは、買い物をする前にスーツケースの空き容量を確認しておこうな」
「……だから紬に手伝ってもらってるんだよ」
「つまり最初から、俺のスーツケースを使うつもりだったのか?」
レアは顔を背けた。
「ちょっとだけ」
俺はため息をついた。
「わかったよ。半分こっちに寄こしてくれ」
「やったー!」
それから約1時間後、ランに呼ばれて共用スペースへ向かった。
テーブルの上には、リゾートの取引概要が表示されていた。
その隣にはセラフィエルが立ち、検証済みの支払記録の写しを映し出している。
「紬。施設を離れる前に、休暇の財務報告を完了させておきたいと思います」
俺は席についた。
「わかった。結果はどうだった?」
「宿泊費と主要サービスの料金は、すべて予約内容と一致しています。滞在中に承認いただいた追加支出もいくつかありますが、すべて明確に記録されています」
ランが報告書を表示した。
ヴェイラス・ランタン・リゾート ― 最終費用概要
| 項目 | 費用 |
| --------------- | --------- |
| プライベート宿泊・3泊 | 42,000 GC |
| レクリエーションおよび追加施設 | 5,800 GC |
| パッケージ外の飲食・サービス | 2,150 GC |
| リゾート支出合計 | 49,950 GC |
| 確保していた初期予算 | 54,000 GC |
| 予算残額 | 4,050 GC |
俺は数字を確認した。
「つまり、予備費は全部使わなかったわけか」
「はい。残った予算は支出として扱いません。紬の個人口座に、そのまま残しています」
「よし。アストレオン・ヴェロリアのドッキング費用は?」
「艦の施設利用費として別途記録しています。地表の宿泊費用とは混同していません」
俺は頷いた。
「ありがとう」
ランは続いて、別の記録を開いた。
「それから、出発前にお話ししたクルーの報酬制度についてですが、セラフィエルとともに次の段階の草案をまとめました」
「おっ?」
「基本給の具体的な金額には、まだ紬の最終承認が必要です。休暇中だからといって、急いで決めるつもりはありません。ただし、支払制度の構造と口座の分離については、すでに準備が整っています」
セラフィエルが補足した。
「4人のクルーそれぞれに対する利益分配率1パーセントについても、紬が承認した条件として記録済みです。計算には、検証を終えた契約の純収益を使用し、総収入や未確定の条件付き収入は含めません」
「いいな。基本給の金額は、艦に戻ってから決めよう」
ランが微笑んだ。
「初回の支払いを実施する前に、クルー全員へ制度の内容を説明することもお勧めします」
「もちろん。自分の権利を理解していない人がいるような状態にはしたくないからな」
「それでしたら、問題ありません」
俺はもう一度、リゾートの支出報告へ目を向けた。
「それにしても、この金額なら、やっぱりレアの選択はよかったと思うよ」
ランが小さく笑った。
「最初から、そう申し上げていたでしょう?」
「わかってるよ。ただ、訓練アリーナを探すことに一番夢中だったレアが、これだけ豪華で、しかも比較的手頃なリゾートを見つけたっていうのが、まだ少し意外でさ」
「レアにも、ときには優れた買い物の勘があるということですね」
入口のほうから、抗議の声が聞こえた。
「聞こえてるよ!」
俺は振り向いた。
レアが両手を腰に当てて立っている。
「なんで2人とも、そんなに驚いてるの!?」
俺とランは顔を見合わせた。
そして、2人で笑った。
チェックアウトの手続きが完了すれば、俺たちはそのまま送迎ターミナルへ向かうはずだった。
しかし、パビリオンを出ようとしたところで、俺の個人端末に通知が届いた。
送信元は、リゾート管理事務所だった。
俺はメッセージを開いた。
最終的な事故報告書の提出要請
事件に関する最終資料の提出要請
俺は眉をひそめた。
「セラフィエル」
「はい、紬?」
「どうやら、リゾート側が昨日のドローンについて、もう一度話したいらしい」
彼女の微笑みが、わずかに変わった。
「私にも同じ通知が届いています。事件対応への協力中に取得した技術的証拠について、最終的な写しの提出を求めています」
「何か新しいことがわかったのか?」
「通知に詳しい説明はありません。ただ、私たちが出発する前に、短時間の面談を希望しているようです」
俺はため息をついた。
「……この休暇、本当に最後まで静かには終わらないんだな」
ランが近づいてきた。
「何か問題でも?」
「まだわからないよ。最終資料の提出を求められてるだけだ」
ランは通知に目を通した。
「でしたら、関連書類を提出し、私たちの責任範囲が完了したことを確認しておきましょう」
俺は頷いた。
「そうだな。ただ、クルー全員を管理事務所で待たせるつもりはないよ」
俺はレアへ顔を向けた。
「みんなは荷物の配送手続きを進めて、ターミナルへ向かう準備をしていてくれ。俺はセラフィエルとランと一緒に行ってくる」
レアがすぐに手を上げた。
「私も行く!」
「昨日はドローンの確保を手伝ってくれただろ? 今日は俺たちに書類の処理を任せてくれ」
「でも――」
「本当に手伝いたいなら、買い物した品物を全部、荷物に収めておいてくれよ」
レアが黙った。
カリスタが即座ににやりと笑う。
「おや。それはドローンを捕まえるより、ずっと難しい任務だね」
「カリスタ!」
俺は小さく笑った。
「ヴェスペラ、忘れ物がないか確認するのを手伝ってやってくれ」
「承知しました、紬」
リゾート管理事務所は、地表送迎ターミナルと接続された主要建物の1つにあった。
俺たちが到着すると、受付室ではエリナ・ヴェイルが待っていた。
彼女はすぐに一礼した。
『星崎艦長、ヴァレス様、ヴェロリア様。ご出発前のお忙しいところ、お時間をいただきありがとうございます』
「気にしないでください。ノーランさんはこちらに?」
『はい。保安管理責任者とともにお待ちです。どうぞ、こちらへ』
案内されたのは、広々とした会議室だった。
俺たちの姿を見て、ノーラン・クレストが立ち上がった。
その隣にはミラ・ソルヴェンと、リゾートのフォーマルな制服に身を包んだ、短い黒髪の女性がいた。
『おはようございます、星崎艦長』
「おはようございます、ノーランさん」
彼は女性を紹介してくれた。
『こちらは、ヴェイラス・ランタン・リゾートの保安管理責任者、アヴェリン・ロスです』
アヴェリンが丁寧に一礼した。
『昨日はご協力いただき、ありがとうございました。リゾート運営側を代表して、正式にお礼を申し上げます』
「俺たちは頼まれた範囲で手伝っただけですよ。それで、ドローンの調査はどうなりましたか?」
アヴェリンが着席を促した。
『初期調査では、いくつかの発見がありました。ただ、そのお話をする前に、対応中に取得された証拠が、すべて適切な手順で提出されていることを確認させてください』
ランがすぐに端末を開いた。
「合意した協力範囲に基づいて、資料の写しを準備しています」
セラフィエルがファイル一覧を表示した。
INCIDENT SUPPORT PACKAGE — VLR-SEC-041
| ファイル | 内容 |
| -------- | -------------------------- |
| センサー記録 | リゾート側から提供されたデータに基づくドローンの航跡 |
| ネットワーク分析 | 不正なアクセス活動および隔離措置 |
| 対応記録 | 現場チームによる機体確保までの過程 |
| 時刻記録 | 事象と実施措置の時系列 |
| 機体状態 | 追加調査が可能な状態で確保 |
| 原本アーカイブ | データの取得元に応じ、権限を有する当事者が保管 |
セラフィエルが落ち着いた口調で説明する。
「リゾート側が所有する証拠の原本には、一切変更を加えていません。こちらで作成した分析結果は、時刻情報と確認可能な取得元を付したうえで、別文書として保存しています」
アヴェリンが頷いた。
『素晴らしい対応です』
続いてランが口を開いた。
「また、今回の資料提出によって、アストレオン・ヴェロリアが正式な捜査当事者という立場に変更されることはないと、確認させていただきたいのですが。私たちはリゾート保安部門からの要請を受け、限定的な技術・運用支援を提供した立場です」
『そのとおりです』とアヴェリンが答えた。『捜査の責任は、引き続きリゾート保安部門および権限を有する当局にあります』
俺は満足して頷いた。
「よかった。オリセーヌを離れた後で、認識の違いがあったなんてことにはしたくありませんから」
ノーランが小さく微笑んだ。
『艦長のお立場は、十分に理解しております』
資料の引き渡し手続きが完了すると、アヴェリンは初期調査結果の概要を表示した。
俺は画面を眺めた。
「つまり、あのドローンが施設のアクセス情報を取得しようとしていたのは、間違いないんですね?」
『はい。ただし、さらに調査を進めた結果、当該機体はリゾートの施設を利用していた複数の船舶についても、運用情報を狙っていたことが判明しました』
セラフィエルが顔を上げた。
「具体的な情報の種類は?」
ミラが答えた。
『ドッキング予定と、貨物マニフェストです』
俺は眉をひそめた。
「貨物マニフェスト? 観光リゾートで?」
『当リゾートの軌道施設では、来訪船舶向けの物流支援や、一時保管サービスも提供しております』
アヴェリンが説明する。
『そのため、関連情報の一部は正規のサービス調整にも使用されているのです。ただし、あの未確認機体は、許可なくそれらへアクセスしようとしていました』
ランが腕を組んだ。
「アストレオン・ヴェロリアが主な標的だったという証拠はありますか?」
アヴェリンは首を横に振った。
『現時点ではありません。初期調査で確認されたデータ要求には、複数の船舶が含まれています。今回の事件が、特に貴艦を狙ったものだったとは結論づけられません』
俺は頷いた。
「そうですね。早まった判断は避けましょう」
ノーランが続けた。
『機体の運用者についても、まだ特定できていません。自律動作していた可能性もありますが、指令の発信元と、データの送信先については引き続き調査中です』
セラフィエルが報告書を確認した。
「実際に取得されたデータの範囲は、もう判明していますか?」
『すべては、まだです』とミラが答えた。『失敗したアクセス要求と、実際に複製された可能性のあるデータを切り分けているところです』
「それでしたら、暫定報告では、発見事項の確実性に応じた表現を使用することをお勧めします」
アヴェリンが頷いた。
『そのようにいたします』
俺はノーランを見た。
「俺たちから、さらに何か手伝えることはありますか?」
『現時点で、緊急の協力要請はありません。ただし、皆様が分析を支援してくださったデータと直接関係する発見があれば、再度ご連絡する可能性はあります』
「わかりました。その場合は正式な依頼を送ってください。俺たちも、いつまでもオリセーヌの近くにいるわけじゃありませんから」
『もちろんです』
アヴェリンが立ち上がった。
『改めまして、ありがとうございました。今回の事件が、皆様の休暇の思い出を損なっていないことを願っております』
俺は微笑んだ。
「いえ。ここでの時間は、十分に楽しませてもらいましたよ」
「はい」とランも付け加えた。「私たちが利用したリゾートのサービスも、すべて良好でした」
アヴェリンは安心した様子だった。
『そう伺えて嬉しく思います』
管理事務所を出た後、俺はランとセラフィエルと一緒に送迎ターミナルへ向かって歩いていた。
両手をポケットへ入れる。
「ドッキング予定と貨物マニフェスト、か……」
ランが頷いた。
「そのような情報は、多くの立場の人間にとって価値を持ち得ます。ですが、今のところ、誰かを疑うだけの根拠はありません」
「わかってるよ」
セラフィエルが隣を歩きながら言った。
「リゾートへの協力に関する資料は、すべて独立したカテゴリーへアーカイブ済みです」
「俺たちの傭兵契約と混ぜないようにな」
「もちろんです。今回の事件はC-128-ESとも、ほかの傭兵協会の契約とも無関係です。傭兵業務の記録に、報酬や収入請求を計上することもしていません」
ランが微笑んだ。
「結構です。私のほうでもリゾートの請求処理を完了し、最終的な支払証明を保存してあります」
俺は2人を交互に見た。
「君たちがやってると、どんな事務仕事も簡単そうに見えるな」
ランが振り向いた。
「それは紬が、最終的な成果しかご覧になっていないからですよ」
「……なんだか、少し皮肉が含まれてる気がするんだけど」
「少しだけです」
セラフィエルが小さく笑った。
俺もつられて笑った。
だが、ターミナルが近づいてきたところで、ふと気になったことがあった。
「セラフィエル。今回の発見を受けて、アストレオン・ヴェロリアの保安体制に変更はあるか?」
「私たちの艦のシステムに対して、不正なアクセスが行われた兆候はありません。従来の保安手順と通常監視を、そのまま維持しています」
「よし。リゾートの施設情報を盗もうとしたドローンが1機いたからって、艦の警戒態勢を全面的に引き上げる必要はないな」
「私も同意見です」
ランが頷いた。
「でしたら、私たちの責任ではない問題を抱え込まずに帰れそうですね」
俺は微笑んだ。
「最初から、そのつもりだったよ」
ターミナルへ到着すると、待合エリアの近くには、すでにレア、ヴェスペラ、カリスタが揃っていた。
その横には、いくつものスーツケースと買い物袋の箱が並んでいる。
俺は足を止めた。
「……なんだか、荷物の数が増えてないか?」
レアの耳がぴんと立った。
「増えてないよ!」
カリスタが、小さな箱を1つ持ち上げた。
「出発前に、また食べ物を買い足したんだよ、この子」
「カリスタ!」
「何だい。本当のことだろ?」
俺はレアを見た。
「お土産なら、もう十分買ったんじゃなかったか?」
「これは移動中に食べる分だもん!」
「アストレオン・ヴェロリアには、ちゃんと食事設備があるんだけど」
「でも、味が違うんだよ!」
俺はヴェスペラを見た。
彼女はただ、柔らかく微笑んだ。
「荷物はすべて登録済みです。パビリオンにも、忘れ物がないことを確認しました」
「ありがとう、ヴェスペラ」
カリスタがスーツケースに身体を預けた。
「それで、ドローンの件はどうなったんだい?」
「俺たちの担当分は終了だ。証拠はリゾートの保安部門へ引き渡した。後の調査は、向こうが引き継いでくれるよ」
レアが眉を上げた。
「ドローンを送り込んだ人は、追いかけないの?」
「追いかけない」
「ちょっと気になるのになぁ……」
「俺も気にはなるよ。でも、気になるからって、他人の捜査を勝手に引き継いでいい理由にはならないだろ?」
レアは少し考えた。
それから頷いた。
「……わかった。じゃあ、帰ろう!」
俺は微笑んだ。
「そうそう。それが聞きたかったんだよ」
リゾートの旅客機が、俺たちを再び軌道施設へと運んでいく。
キャビンの窓からは、オリセーヌのビーチエリアがゆっくりと小さくなっていくのが見えた。
レアが窓に顔を近づける。
「残念だなぁ……」
俺は振り向いた。
「何が?」
「もう1つの訓練アリーナも、試してみたかったのに」
カリスタがため息をついた。
「やっぱり、考えてるのはそれかい」
「でも、すっごく楽しかったよ!」
レアは俺たちを順番に見た。
「ビーチも綺麗だったし、ごはんも美味しかったし、みんなで遊べたし! いつかまた来たいな!」
ヴェスペラが頷いた。
「私もです。まだ訪れていない場所が、たくさんありますから」
ランが微笑んだ。
「再訪するのであれば、今回の経験をもとに、別の宿泊プランも比較できますね」
俺は小さく笑った。
「もう次の旅行を計画し始めてるのか?」
「いいえ。有用な情報を保存しているだけです」
「それって、計画の始まりみたいに聞こえるんだけどな」
セラフィエルが俺の隣に腰を下ろした。
「クルー全員が訪れたい場所の一覧も保存済みです。今後、航行予定に余裕ができたときに活用できますよ」
俺は少しずつ遠ざかっていく惑星を眺めた。
「いいな」
それから、少し声を落として付け加えた。
「ドローンの事件はあったけど、それでも今回の休暇には価値があったと思うよ」
セラフィエルが俺を見た。
「そうですか?」
「ああ。契約の報酬とか、戦闘の成果とか、そういうものを考えずに、ようやくみんなで何かを楽しむ時間が取れたんだから」
俺は微笑んだ。
「今後、もっと仕事が忙しくなったとしても、こういう時間はちゃんと残しておきたいんだ」
セラフィエルが俺の手を握った。
「でしたら、私もその実現をお手伝いしますね」
通路の向こう側では、会話を聞いていたランが微笑んでいた。
「そして私は、必要な予算を確保しておきます」
俺は笑った。
「もちろん。その部分も忘れないよ」
軌道ドッキング施設を通じて帰還した俺たちを、アストレオン・ヴェロリアは温かな照明で迎えてくれた。
連絡ゲートが開く。
中へ足を踏み入れると、たちまち馴染み深い空気に包まれた。
広々とした通路。
柔らかな光を反射する、磨き上げられた床。
ほとんど耳に届かないほど静かな環境制御システムの作動音。
そして、この艦へ帰ってくるたびに感じる、不思議な安心感。
「やっと帰ってきたな……」
俺は小さく呟いた。
レアがすぐに両手を上げた。
「私、先に荷物を片づけてくる!」
カリスタが振り向いた。
「食品の箱を通路に置きっぱなしにするんじゃないよ」
「わかってるって!」
ヴェスペラが小さく笑った。
「私も、荷物を運ぶのを少し手伝いましょう」
ランはリフトへ向かって歩き始めた。
「私は夕食までに、財務報告を仕上げておきたいと思います」
俺はすぐに振り向いた。
「ラン」
「はい?」
「俺たち、休暇から戻ってきたばかりだぞ」
「承知しています」
「少しくらい休んでもいいんだからな?」
彼女は微笑んだ。
「すべての取引が記帳済みであることを確認するだけです。それが終わったら、休ませていただきます」
俺はため息をついた。
「わかったよ。でも、あまり長くやるなよ」
「了解しました、紬」
続いてセラフィエルが近づいてきた。
「私はアーカイブの同期と、艦の運用状態を確認しておきます。それほど時間はかかりませんよ」
俺は頷いた。
「じゃあ、みんなの用事が終わったら、グランドサロンに集合しよう」
しばらくして、俺はアストレオン・ヴェロリアの艦長席に戻っていた。
隣にはセラフィエルが立っている。
メインスクリーンには、オリセーヌとヴェイラス・ランタン・リゾートの軌道施設が映し出されていた。
「艦の状態はどうだ?」
「全主要システム正常です。ドッキング期間中の損傷や障害もありません。物資の備蓄および支援設備も、良好な状態を維持しています」
「よし」
俺は背もたれに身体を預けた。
「なんだか妙な感じだな。指揮デッキを使ってなかったのは数日だけなのに、もう少し懐かしく感じるよ」
セラフィエルが微笑んだ。
「この艦がお好きなのですね」
「もちろん」
俺はメインスクリーンを見つめた。
「でも、ときどき艦を離れて、新しい惑星を楽しむのも悪くなかったよ」
「その2つは、矛盾するものではありませんよ、紬」
俺は彼女へ顔を向けた。
セラフィエルは続けた。
「アストレオン・ヴェロリアは、紬の家であり、旅をするための手段でもあります。別の場所を楽しんだ後はここへ帰ってきて、次の目的地が見つかったら、また出発すればいいのですから」
俺は微笑んだ。
「ああ。そのとおりだな」
夜が近づいた頃、クルー全員がグランドサロンに集まった。
ランはリゾートの最終支出報告を完成させていた。
セラフィエルも、ドローン事件に関する証拠を、傭兵契約の記録とは別にアーカイブ済みだ。
カリスタは温かい飲み物を楽しみながら座っている。
ヴェスペラは旅行アルバムに入れる写真を選んでいた。
そしてレアは、当然のように、購入した食品の箱を1つ開けているところだった。
俺が次の予定について尋ねようとした、そのとき。
メイン端末から通知音が鳴った。
ピンッ。
セラフィエルが顔を上げた。
「紬。傭兵協会の支部から、新しいメッセージが届きました」
俺は振り向いた。
「C-128-ESについてか?」
「いいえ。現在の紬のギルド資格に適合する、新しい仕事の募集通知です」
ランがすぐに端末を開いた。
「一般募集でしょうか。それとも直接の招待ですか?」
「資格条件を満たす会員向けの、公開中の案件通知です。現時点で、契約は受諾していません」
俺は頷いた。
「概要を見せてくれ」
部屋の中央に、投影画面が現れた。
傭兵協会 ― 求人情報
| 項目 | 情報 |
| ---- | ------------- |
| 地域 | ドラウヴェル鉱業星系 |
| 業務種別 | 貨物回収 |
| 作戦環境 | 鉱業区域および軌道産業施設 |
| 危険度 | 標準的な交易護衛より高い |
| 特別要件 | モビルフレーム・パイロット |
| 状態 | 募集中――未受諾 |
俺は情報に目を通した。
「ドラウヴェル鉱業星系……」
ヴェスペラが近づいてきた。
「鉱業区域ですか?」
セラフィエルが頷いた。
「はい。この星系には、大規模な資源採掘施設と素材処理施設があります。作業場所の詳細や運用条件については、募集要項の全文に記載されています」
ランは危険度の欄を注意深く見つめた。
「モビルフレーム・パイロットを必要とする貨物回収任務ですか。判断を下す前に、契約内容を詳しく読む必要がありますね」
カリスタが背もたれに身体を預けた。
「工業区域や鉱業施設の周辺で作業するなら、ナマリスの交易航路とは環境条件がまるで違うかもしれないね」
俺は頷いた。
「ああ、そうだな」
だが、続きを話す前に、右側から声が上がった。
「紬!」
俺は振り向いた。
レアがすでに立ち上がっていた。
狐耳は見事なまでにぴんと立ち、投影された仕事の情報を見つめる目が輝いている。
「モビルフレーム・パイロットって書いてある!」
「俺にも読めるよ、レア」
「それに、貨物回収!」
「ああ」
「しかも、危険度が高め!」
「むしろ、そこを慎重に確認しなきゃいけないんだけどな」
レアが期待に満ちた表情で近づいてきた。
「受けようよ!?」
俺はため息をついた。
「まだ詳しい書類すら読んでないだろ」
「でも――」
「レア」
彼女はすぐに口を閉じた。
俺は投影画面を指差した。
「こういう仕事に参加したいなら、何を回収するのか、どこで作業するのか、貨物の責任者は誰なのか、それから、どんな危険が想定されるのかを知っておかなきゃいけない」
レアはしばらく黙った。
それから頷いた。
「……わかった」
俺は微笑んだ。
「でも、断るとは言ってないぞ?」
彼女の耳がぴくりと動いた。
「えっ!?」
「まずは調べてみよう。条件に問題がなくて、俺たちの能力に合っているなら、検討する価値はあるだろ?」
レアが即座に拳を握った。
「了解!」
カリスタが小さく笑った。
「どうやら、私たちの休暇も本当に終わりみたいだね」
ランが俺に微笑みかけた。
「少なくとも今回は、次のお仕事が来る前に、ちゃんと休息を取れましたから」
俺は頷いた。
「ああ、そうだな」
セラフィエルが銀河地図を拡大した。
ドラウヴェル鉱業星系の領域に、新しい光点が表示される。
俺はその位置を眺めた。
オリセーヌの豪華なビーチから、鉱業地帯の工業施設へ。
ずいぶん大きな雰囲気の変化だ。
だが、それも俺がこの旅を気に入っている理由の1つだった。
次にどんな場所が目的地になるのか、俺たちには本当のところ、まだわからないのだから。
俺は背もたれに身体を預けた。
「よし。セラフィエル、ドラウヴェルの案件の詳細書類を準備してくれ。ランは契約条件の確認を手伝ってほしい。ヴェスペラ、もし出発することになった場合に備えて、航路の概要を調べておいてくれ。カリスタは、鉱業環境でモビルフレームを運用するための技術要件を確認してくれるか?」
「了解しました、紬」
みんなが答えた。
レアがすぐに手を上げる。
「私は!?」
俺は彼女を見た。
「レアは、モビルフレーム・パイロットの任務内容を詳しく読んでおいてくれ」
「了解!」
「それと、訓練室に入る前に、今持ってる食べ物をちゃんと食べ終わらせること」
「ええっ!?」
再び、グランドサロンが笑い声に包まれた。
俺はみんなの顔を、1人ずつ眺めた。
確かに、今回の休暇は完全に予定どおりの終わり方にはならなかった。
けれど、後悔はしていない。
オリセーヌで数日間を一緒に楽しんだ後、俺たちは今、再び自分たちの家へ帰ってきたのだから。
アストレオン・ヴェロリア。
そして、次の旅もまた、俺たちを待ち始めていた。
【次回・第136話】
「Drauvell Mining System」
アストレオン・ヴェロリアはオリセーヌを離れ、ドラウヴェル鉱業星系へと向かう。新たな貨物回収任務が、紬とクルーを、資源採掘施設や鉱石処理施設、大型貨物港を擁する工業の中心地、惑星カルヴォスへと導く。今回の作戦では、モビルフレーム・パイロットとしてのレアの能力が、重要な役割を担うことになる。




