【第133話】「水着と視線」
【第133話】「水着と視線」
ヴェルドラコン出航後・13日目 場所:ヴェイラス・ランタン・リゾート――軌道ゲストターミナル → オリセーヌ・サーフェス・パビリオン → プライベートビーチ&レクリエーション地区 POV:星崎紬
「紬! 早く! 遅れちゃったら、ビーチで遊べる時間が減っちゃうよ!」
「レア、送迎便の出発まで、まだ20分もあるんだけど」
「だからだよ! 早めにターミナルに着いておかなきゃ!」
俺はラウンジの入口に立っている狐耳の少女を見つめた。
肩には小さなバッグを掛け、耳は期待に満ちてぴんと立っている。尻尾も休むことなく左右に揺れていた。
その様子だけを見れば、これから何か重大な軍事作戦に出発するところだと思われてもおかしくない。
もっとも、今日の目的地はただのビーチなのだが。
昨日、アストレオン・ヴェロリアがヴェイラス・ランタン・リゾートの軌道施設でドッキング手続きを終えた後、俺たちは残りの時間を到着確認や宿泊者登録、そして休息に充てていた。
用意されたドッキング施設は俺たちの艦を収容するのに十分な広さだったが、リゾートの職員からは船体寸法について何度か再確認を求められた。
登録担当者が書類に記載された全長を目にしたときの表情は、今でも覚えている。
全長8,600メートルの個人所有船で訪れる宿泊客など、そう毎日いるものではないのだろう。
とはいえ、手続きそのものは滞りなく完了した。
そして今朝は、リゾート専用の送迎サービスを利用して、オリセーヌ地表の観光施設へ向かう予定になっている。
俺は端末を確認しているセラフィエルへ視線を向けた。
「アストレオン・ヴェロリアの状態は?」
「全システム正常です。自動監視体制を設定済みで、暗号化通信を通じて艦の運用中枢との接続も維持しています」
「よし。直接判断が必要なことが起きたら知らせてくれ」
「もちろんです。ただ、今日はあまりお仕事のことばかり考えずに過ごしていただきたいですね、紬」
「一度聞いただけだろ?」
「朝食から数えて、これで3度目のご質問です」
「……数えてたのか?」
セラフィエルが微笑んだ。
「当然です」
そこへ、予約情報の端末を手にしたランが後ろから近づいてきた。
「セラフィエルの言うとおりです。今日は船団護衛の艦長として勤務しているわけではありませんから」
「わかってるよ」
「でしたら、5分おきに運用報告を確認するのはおやめください」
「5分おきになんて確認してないぞ」
「ええ。平均すると約7分おきですね」
俺は彼女を見た。
ランは優雅な微笑みを浮かべたまま、俺の視線を受け止めた。
いつの間に、この2人は俺の悪い癖を監視するために協力するようになったのだろうか。
オリセーヌ地表へ向かうリゾート専用の旅客機は、想像していた以上に快適だった。
機内には幅の広い座席とパノラマウィンドウが設けられ、軽い飲み物のサービスまで用意されている。
俺はセラフィエルの隣に座り、前列にはレアとカリスタ。ランとヴェスペラは、惑星の景色を正面から眺められる窓際の席を選んでいた。
旅客機が軌道施設を離れると、オリセーヌが視界いっぱいに広がった。
青緑色の海が、きらめく薄い大気の層の下にどこまでも続いている。
地域によっては、海岸線や群島の地形に沿って建設された人工観光施設の姿も見えた。
「なんて美しいのでしょう……」
ヴェスペラが小さな声で呟いた。
俺はそちらへ顔を向けた。
彼女は窓の外を見つめ、ゆっくりと大きくなっていく惑星の輪郭を、その瞳で追っていた。
「気に入ったか?」
「とても。指揮デッキから惑星を眺めるのと、実際に休暇を過ごすために眺めるのとでは、こんなにも気持ちが違うのですね」
「いつもなら、進入航路の計算で忙しいもんな」
「ええ。ですが今日は、ただ景色を楽しんでいればいいのですから」
そのとき、前の座席からレアが突然振り向いた。
「紬! ビーチが見えてきたよ!」
「俺にも見えてるよ」
「すっごく広い!」
隣に座っていたカリスタが、背もたれに頭を預けた。
「そんなに窓に顔をくっつけてたら、係員に惑星を見たことがない連中だと思われるよ」
「だって、観光惑星なんだよ!」
「はいはい。わかってるって」
セラフィエルが小さく笑った。
俺は再び窓の外へ目を向けた。
ヴェルドラコンを離れて以来、契約や交易貨物、略奪船による襲撃の可能性を考えずに、純粋にどこかへ向かっていると感じられたのは、これが初めてかもしれない。
なかなか心地よい感覚だった。
旅客機は、やがてオリセーヌ・サーフェス・パビリオンの専用ターミナルへ着陸した。
機外へ出ると、白と濃紺のリゾート制服に身を包んだ、銀がかった金髪の女性が俺たちを出迎えてくれた。
『ヴェイラス・ランタン・リゾートへようこそ。皆様のご到着を担当いたします、ゲストサービス係のエリナ・ヴェイルと申します』
彼女は丁寧に一礼した。
『星崎紬艦長でいらっしゃいますか?』
「ああ。よろしく、エリナさん」
『艦長ならびにご一行の皆様をお迎えでき、光栄でございます。ご宿泊施設までの専用車両は、すでにご用意しております。お荷物も、それぞれのスイートへ直接お届けいたします』
ランがすぐに端末を取り出した。
「念のため確認させてください。送迎と荷物の配送は、予約したパッケージ料金に含まれていますね?」
『はい、ヴァレス様。こちらのサービスに追加料金は発生いたしません』
「結構です。ありがとうございます」
俺はランをちらりと見た。
「まだホテルすら見てないのに、もう請求内容の確認か?」
「まだホテルを見ていないからこそ、ですよ」
俺たちの会話を聞いたエリナが、小さく笑った。
『ご安心ください。ご予約に記載された設備とサービスは、すべて準備を整えております』
それから俺たちは、広いキャビンとパノラマガラスの壁を備えたリゾート専用車両に乗り込んだ。
宿泊エリアまでの移動には、それほど時間はかからなかった。
だが、ようやく主要施設が見えてきたとき、俺は思わず姿勢を正してしまった。
「……おお」
目の前に現れたのは、カタログの写真よりもはるかに壮麗なリゾート施設だった。
主要建築には、光沢のある白い素材と多層構造の透明ガラスが組み合わされ、海岸の地形に沿うように、優美な曲線を描く構造物が広がっている。
人工の熱帯庭園の間には装飾用の池が連なり、いくつもの連絡橋がプライベートパビリオンへと伸びていた。
その奥には、白い砂浜と、光を受けてきらめく海が広がっている。
車両は途中、星の集まりを模した光のインスタレーションで飾られた、大きな噴水の横まで通過した。
俺はランへ顔を向けた。
「ラン」
「はい?」
「そもそも、このリゾートを選んだのは誰だったっけ?」
ランは、両手を窓に当てているレアを指差した。
「レアです」
俺は黙った。
「……レア?」
「はい。ヴェイラス・ランタン・リゾートのパッケージを最初に見つけたのは彼女です。私は施設や評判、費用の詳細を確認したうえで、紬に提案しただけですよ」
俺は改めて豪華な建物を眺めた。
「てっきり、訓練アリーナがあるから選んだんだと思ってた」
「最初の理由は、まさにそれでした」
「それなのに、どうして最終的に観光宮殿みたいな場所になってるんだ?」
レアがすぐに振り向いた。
「だって、ビーチも近いんだよ!」
「質問の答えになってないぞ!」
ランが小さく笑った。
「ご安心ください、紬。軌道施設との接続、地表へのアクセス、そしてこの水準のプライベート宿泊設備を備えた高級リゾートとしては、今回のパッケージはむしろ比較的安価です。私がほかの観光惑星で調べた同等クラスのプランと比較しても、好条件でした」
「具体的には、いくらなんだ?」
ランが予約概要を表示した。
VEYRATH'S LANTERN RESORT — RESERVATION SUMMARY
| 項目 | 費用 |
| ---------------- | --------- |
| プライベート宿泊パッケージ・3泊 | 42,000 GC |
| ゲストサービスおよび地表送迎 | 料金に含む |
| 朝食パッケージおよび基本サービス | 料金に含む |
| リゾートビーチへのアクセス | 料金に含む |
| 追加レクリエーション用予備費 | 12,000 GC |
| 休暇の初期予算 | 54,000 GC |
「3泊で42,000 GC?」
「はい。こちらは昨日承認いただいた宿泊パッケージの料金です。残りの12,000 GCは、追加支出に備えて設定した予算上限であり、すでに全額を使用したわけではありません。艦のドッキング費用は別途計上しています」
俺は数字を眺めた。
「それで、これでも安いほうなのか?」
「提供される設備を考慮すれば、はい。比較した別の候補では、同程度のプライベート宿泊施設が、同じくらいの滞在期間で約65,000~90,000 GCでした。しかも、一部の追加サービスは別料金です。あくまで比較対象として確認した見積額であり、市場全体に共通する価格という意味ではありませんが」
「なるほどな……」
レアが得意げに微笑んだ。
「ほら! 私の選んだ場所、よかったでしょ!?」
俺は頷いた。
「ああ、認めるよ。いい場所を見つけてくれたな」
彼女の尻尾が、さらに勢いよく揺れ始めた。
「えへへ!」
カリスタがにやりと笑った。
「もっとも、この子は24時間使える専用訓練アリーナが付いてるからって、危うくもっと高いプランを選ぶところだったけどね」
「カリスタ!」
俺はレアを見た。
「そのプラン、いくらだったんだ?」
レアは顔を背けた。
「……ちょっとだけ高かった」
ランが落ち着いた声で答える。
「追加で18,000 GCです」
「レア」
「でも、あの訓練アリーナ、本当にすごかったんだよ!」
俺はため息をついた。
「予約をランに任せておいてよかった……」
俺たちの宿泊先は、リゾートのビーチエリアへ直接アクセスできる、プライベートパビリオンの1つだった。
建物には複数の豪華なスイートがあり、共用スペースと小さな庭園、パノラマテラスを通じてつながっている。
各部屋には専用設備が整い、中央の共用スペースにはラウンジとダイニングエリア、そして海を直接見渡せる眺望まで用意されていた。
パビリオンへ入るなり、レアが窓へ駆け寄った。
「紬! ビーチ、本当にすぐそこだよ!」
俺も彼女のそばへ歩いていった。
テラスからは、建物のすぐ近くまで続く白い砂浜が見える。
ビーチパラソルやデッキチェアが整然と並び、パビリオンからレクリエーションエリアへは専用通路がつながっていた。
「確かに、これは便利だな」
ヴェスペラが俺の隣に立った。
「素敵な眺めですね。遠くまで出かけなくても、海を楽しめそうです」
カリスタはソファへ身体を投げ出した。
「それに、このソファは最高だね。半日くらい、ここで過ごせそうだよ」
レアがすぐに振り向いた。
「こんなに遠くまで来て、ソファで寝るだけなんて駄目だよ!」
「先に行ってていいよ。私は設備の品質を試してるところだから」
「それ、ただの言い訳でしょ!」
セラフィエルが端末を置いた。
「すべてのスイートが予約内容と一致していることを確認しました。荷物も到着済みです。また、プライベートエリアへのアクセス権は、私たちのグループと担当スタッフにのみ付与されています」
ランが満足そうに頷いた。
「結構です。それなら、昼食の時間までは十分に余裕がありますね」
レアが即座に手を上げた。
「ビーチ!」
ヴェスペラが微笑んだ。
「私も、少し散歩をしてみたいです」
カリスタは2人を見た。
「せめて着替える時間くらいはちょうだいよ」
俺は頷いた。
「わかった。じゃあ、全員準備ができたら、またここに集合しよう」
レアはすぐに自分の部屋へ向かって走り出した。
「私が一番乗り!」
数秒後、廊下から彼女の声が響いた。
「えっ!? 私の部屋ってどこ!?」
俺は片手で顔を覆った。
「……まだ部屋番号すら確認してなかったのか」
セラフィエルが笑った。
「私が案内してきますね」
それから約40分後。
俺はパビリオンのテラスで、みんなを待っていた。
服装は暗い色の水着に薄手のTシャツ、そしてビーチサンダル。肩にはタオルを掛けている。
正直、自分の格好については、それほど深く考えていなかった。
だが、共用スペースへ通じる扉が開いた瞬間、その考えは少し変わり始めた。
「紬!」
最初に姿を現したのはレアだった。
赤と黒を基調とした、スポーティーなビキニを着ている。身体を動かすのに適したデザインで、トップスには十分なサポート性があり、ボトムスには動きやすい水着用ショートパンツを合わせていた。
活動の邪魔にならないよう、髪も結んでいる。
そのおかげで狐耳がいつも以上に目立ち、背後では尻尾が嬉しそうに揺れていた。
「どう!?」
俺は瞬きをした。
「似合ってるよ。今からウォータースポーツの大会にでも出場しそうだな」
「えへへ! でしょ!? 動きやすさを重視して選んだんだ!」
彼女はその場でくるりと一回転して、水着を見せてくれた。
「いい感じでしょ?」
「ああ、いいと思う」
「いい感じ、だけ?」
「すごく似合ってるよ」
レアはたちまち満足そうな笑顔になった。
「そうそう! そういうのが聞きたかったんだよ!」
続いて、隣の部屋からカリスタが出てきた。
彼女が身に着けているのは、シンプルなメタリックのアクセントが入った、濃紺のツーピースビキニだった。腰には薄手のビーチパレオを巻いていて、リラックスした雰囲気と大人びた印象が同居している。
髪型も、普段とは少し違っていた。
俺は思わず、いつもより長く彼女を見てしまった。
カリスタはすぐにそれに気づいた。
「何だい?」
「いや。エンジニアリング用の作業着を着てないカリスタって、あんまり見ないからさ」
「私だって、休暇を楽しむくらいするよ」
「別に、しないなんて言ってないだろ」
彼女がにやりと笑う。
「で、どう思う?」
「似合ってる。綺麗だよ」
カリスタは一瞬、言葉を失った。
それから、ぷいっと顔を背けた。
「……ふん。少なくとも、褒め方くらいはわかってるみたいだね」
レアがすぐに笑い出す。
「カリスタ、照れてる!」
「うるさいよ、レア!」
俺は小さく微笑んだ。
どうやら、カリスタを言葉に詰まらせるのは、思っていたほど難しくないらしい。
もっとも、その小さな勝利は長く続かなかった。
なぜなら、ほどなくしてヴェスペラが現れたからだ。
彼女は真珠のような白を基調に、柔らかな青の装飾が施されたツーピースの水着を身に着けていた。肩には軽く透ける薄手の布を掛け、長い髪は下ろしたままにしている。
その姿は実に優雅だった。
まるでビーチではなく、宮殿の庭園へ足を踏み入れるかのように、落ち着いた足取りで歩いてくる。
「お待たせしてしまいました」
俺は彼女を見つめた。
「……ヴェスペラ」
「はい、紬?」
「その水着、すごく似合ってるよ」
彼女の笑みが柔らかくなった。
「ありがとうございます。選ぶのに、少し時間をかけたのです」
レアがにやにやしながら近づいてきた。
「紬、ヴェスペラには二度も聞かれなくても、すぐに褒めるんだね」
「レア」
「何? ただ言っただけだよ!」
ヴェスペラが口元を覆い、小さく笑った。
「それでは、自然に褒めていただけたことを喜んでおきますね」
どうも、俺の立場が少しずつ不利になってきた気がする。
しかも、まだあと2人残っている。
ランは、つばの広いビーチハットを手にして部屋から出てきた。
水着は上品な黒を基調とし、控えめな金色のアクセントが入っている。シンプルなデザインながら、そのシルエットは大人びた自信を感じさせた。腰には薄手のビーチパレオを巻いている。
俺を見ると、彼女は扉の近くで足を止めた。
「紬。長くお待たせしましたか?」
「いや。ちょうどみんなが集まってきたところだよ」
ランが俺の顔を観察した。
「どうかしましたか?」
「いや、別に」
「本当ですか?」
「……その水着、いいな」
ランが微笑んだ。
「いい、だけですか?」
俺は黙った。
横ではレアが笑い始めている。
カリスタも、この状況を楽しんでいるようだった。
俺は小さくため息をついた。
「すごく綺麗だよ、ラン」
「ありがとうございます」
彼女は近づいてきて、俺の薄手のTシャツの襟元を整えた。
「契約交渉に臨むときのような表情を、ずっとしている必要はありませんよ」
「そんな顔してないって」
「でしたら、もっと気楽に私を見てください」
俺は彼女を見つめた。
ランは、からかうような微笑みでその視線を受け止める。
数秒後、先に目を逸らしたのは俺のほうだった。
「……わざとやってるだろ」
「もちろんです」
背後から小さな笑い声が聞こえた。
今日は、なかなか長い一日になりそうだ。
そして、最後の扉が開いた。
姿を現したセラフィエルは、淡い青のアクセントが入った白いビキニを身に着けていた。上品なデザインで、彼女の髪や柔らかな雰囲気にもよく似合っている。
手には、まだ羽織っていない薄手のビーチシャツを持っていた。
アストレオン・ヴェロリアで普段身に着けているフォーマルな服装とは違い、今の彼女は本当に休暇を楽しむために来た女性そのものだった。
セラフィエルが俺に微笑みかける。
「いかがですか、紬?」
俺はしばらく黙っていた。
彼女が小首を傾げる。
「何か、おかしなところでもありますか?」
「いや。全然そんなことないよ」
「では?」
俺は頬を掻いた。
「すごく綺麗だよ」
その笑顔が、ぱっと広がった。
「そう言っていただけて嬉しいです」
彼女は歩み寄ると、ごく自然な仕草で俺の腕を取った。
「それでは、ビーチまでご一緒してもよろしいでしょうか?」
「もちろん」
ランがすぐに俺たちを見た。
「セラフィエル。それは少し不公平ではありませんか?」
「どういうことでしょう、ラン?」
「歩き始める前から、紬の隣を確保してしまうなんて」
セラフィエルは愛らしく微笑んだ。
「先にお願いしただけですよ?」
レアがすぐに手を上げた。
「じゃあ、私も!」
「待て、レア――」
遅かった。
彼女はもう、俺の反対側の腕を取っていた。
俺は2人に挟まれたまま、ラン、ヴェスペラ、カリスタを見た。
「……まだパビリオンから一歩も出てないんだけど」
カリスタが笑った。
「頑張りなよ、艦長」
ヴェイラス・ランタン・リゾートのプライベートビーチは、近くで見るとさらに美しかった。
白い砂はきめ細かく、透き通った青い海がレクリエーション区域の境界まで広がっている。
遠方には人工観光エリアの波や天候を一定に保つための環境制御施設が、いくつか見えていた。
ビーチの脇にはラウンジやドリンクバー、ウォータースポーツ施設、そしてリゾートの庭園地区へ続く通路が整備されている。
俺たちは、大きなパラソルの下に並んだデッキチェアをいくつか選んだ。
セラフィエルが、すぐに利用可能な施設を確認する。
「このエリアは宿泊パッケージに含まれています。一部のスポーツプログラムについては、指定時間に合わせた登録だけで利用できます」
ランが頷いた。
「結構です。今日の追加支出についても、上限額を設定してあります」
俺は椅子に腰を下ろした。
「ラン」
「はい?」
「俺たち、もうビーチにいるんだぞ」
「承知しています」
「少しくらい、その端末を置いてもいいんじゃないか?」
ランは自分の端末を見た。
それから俺へ視線を戻す。
「紬。昨日、ご自身の個人資金の管理を手伝ってほしいとおっしゃったのは、あなたですよね?」
「そうだな」
「それなのに、今度は支出の確認をやめてほしいと?」
「数分だけでいいからさ」
彼女は小さく笑った。
「わかりました。それでは、私の艦長のご要望に従いましょう」
ランは端末を置き、俺の隣のデッキチェアに座った。
身体を預け、海を眺める。
「これでよろしいですか?」
「ずっといいよ」
「でしたら、今度は紬の番ですね」
「俺の番って、何が?」
「お仕事のことを考えるのをやめてください」
俺は黙った。
ランが微笑みながら振り向いた。
「まさか、まだC-128-ESの報告書のことを考えているのではありませんよね?」
「違うよ」
「では、何を?」
「レアにウォータースポーツの施設まで引っ張っていかれる前に、飲み物を一杯くらい飲めるかなって考えてた」
ランが笑った。
「でしたら、残念なお知らせがあります」
「何だ?」
彼女が俺の背後を指差した。
「どうやら、もう来てしまったようですよ」
「つむぎぃぃ!」
俺は目を閉じた。
やっぱりか。
レアは、2枚のウォータースポーツ用ボードを抱えて俺の前に立っていた。
「行こう!」
「俺、まだ座ったばかりなんだけど」
「だからだよ! 長く座ってると、動くのが面倒になっちゃうでしょ!」
「休暇中なんだし、少しくらい怠けても許されると思うんだけどな」
「最初のアクティビティでは駄目!」
冷たい飲み物を楽しんでいたカリスタが、たまらず笑い出した。
「行ってきなよ。うちの艦長が水の上でどれくらいやれるのか、私も見てみたいからね」
俺は彼女を見た。
「なんでそんなに、俺が失敗するのを期待してるように聞こえるんだ?」
「期待なんてしてないさ。ただ興味があるだけだよ」
ヴェスペラが微笑んだ。
「私も見てみたいです」
セラフィエルが小さく手を上げた。
「個人的な休暇の記録として、撮影しておくこともできますよ」
「……みんな、結託してないか?」
誰も答えなかった。
俺はとうとう立ち上がった。
「わかったよ。ただし、あんまり期待するなよ?」
レアがすぐに俺の手を引いた。
「大丈夫! 私が教えてあげる!」
レアが選んだのは、自動姿勢制御機能を備えた電動ボードを使うウォータースポーツだった。
インストラクターのジョレン・マエルによると、速度制限と指示を守れば、初心者でも十分安全に楽しめるらしい。
俺は水面に浮かんだボードを眺めた。
「つまり、これの上に立てばいいんですね?」
ジョレンが微笑んだ。
『はい。姿勢制御システムが、バランスの維持を補助します。最初は加速を上げすぎないようにしてください』
レアはすでに、自分のボードの上に悠々と立っていた。
「見て、紬! すっごく簡単だよ!」
彼女は数メートル進むと、滑らかにターンしてみせた。
俺はその姿を見つめた。
「君は普段からモビルフレームを操縦してるだろ」
「これは別物だよ!」
「そこまで大きな違いがあるのか、ちょっと疑問だけどな」
ジョレンから最後の説明を受け、俺もボードに乗った。
最初の数秒間は、何も問題なかった。
「おお。意外と難しくないな」
レアが満面の笑みを浮かべた。
「でしょ!? じゃあ、ちょっと動いてみて!」
俺は操作を開始した。
ボードが滑り出す。
潮風が頬を撫でた。
ひょっとすると、俺にはこういう遊びの才能があるんじゃないか。
そんなことまで考えかけた、そのときだった。
横からレアが叫んだ。
「紬! こっちに曲がって!」
「わかった!」
俺は重心を移動させた。
移動させすぎた。
ボードが傾く。
身体のバランスが崩れる。
そして数秒後――。
ザッパァン!
俺は水の中へ落ちた。
再び水面から顔を出すと、もうレアの笑い声が聞こえていた。
「あははははっ! 紬! 今の動き、すっごく面白かった!」
俺は顔の水を拭った。
「……楽しんでもらえたようで何よりだよ」
レアがボードに乗ったまま近づいてくる。
「大丈夫?」
「ああ。水も結構気持ちいいしな」
「もう一回やる?」
俺は彼女を見た。
「もちろん。一回落ちたくらいで諦めるつもりはないよ」
レアはたちまち笑顔になった。
「うん! それでこそ紬だよ!」
2回目は、さっきよりもうまくいった。
少なくとも、バランスを崩すまでに進めた距離は長くなった。
3回目ともなると、すぐに落ちることなく曲がれるようにまでなった。
だが、俺が自信を持ち始めたところで、レアがはるかに速い動きで横を滑り抜けていった。
「ほら、紬! 追いかけてきて!」
「急にのんびりした遊びを競争に変えるなよ!」
「私に追いつけたら、飲み物を奢ってあげる!」
「飲み物くらい、自分で買えるって!」
「じゃあ、飲み物は私が選ぶね!」
「それだと余計に心配になるんだけど!?」
ビーチでは、カリスタがグラスを落としかけるほど大笑いしていた。
セラフィエルが俺たちの様子を撮影しているのも見える。
ランは口元を覆って微笑み、ヴェスペラは手を振っていた。
どうやらクルー全員、俺の苦労を無料の娯楽として楽しんでいるらしい。
しばらく水上で遊んだ後、俺はようやくビーチへ戻ってきた。
隣を歩くレアは、実に満足そうな表情をしている。
「紬、上達するの結構早かったね!」
「ありがとう。でも、いきなりプロの大会に出るつもりはないからな?」
「残念だなぁ」
「なんで残念そうなんだよ?」
「だって、また紬と勝負したいんだもん!」
俺は微笑んだ。
「まだ何日かあるだろ?」
彼女の耳が、ぴんと立った。
「そっか! そうだね!」
俺は椅子からタオルを取った。
そこへ、冷たい飲み物を持ったセラフィエルが近づいてきた。
「おかえりなさい、紬」
「ありがとう」
俺はグラスを受け取った。
「撮影のほうはどうだった?」
「とてもよく撮れていますよ」
「俺が落ちたところも?」
「特に、そこが」
「セラフィエル……」
彼女は小さく笑った。
「冗談です。私たちの個人的な思い出として、大切に保存しておきますね」
隣に座っていたランも微笑んだ。
「ビーチで過ごした初日の、最高の思い出の1つになりそうですね」
俺はため息をついた。
「どうやら、あの出来事は一生忘れられそうにないな……」
カリスタがにやりと笑う。
「安心しなよ。私たちも忘れさせるつもりはないからね」
夕方が近づくにつれて、ビーチの雰囲気も少しずつ変わり始めた。
日差しは柔らかくなり、宿泊客の中には、それぞれのパビリオンへ戻る人たちも見られる。
レアとカリスタは軽食を取りに行き、ランは夜の予約時間を確認するためにラウンジへ戻っていた。
セラフィエルはアストレオン・ヴェロリアから定期報告を受け取ると、艦の全システムが引き続き正常であることを教えてくれた。
俺は少しだけ、海岸沿いを散歩することにした。
ほどなくして、ヴェスペラが追いついてきた。
「ご一緒してもよろしいですか、紬?」
「もちろん」
俺たちは並んで歩き始めた。
潮風が、彼女の長い髪を揺らしている。
しばらくの間、どちらも口を開かなかった。
俺はむしろ、その静けさを心地よく感じていた。
「本当にいい場所だな、ここは」
やがて俺がそう言うと、ヴェスペラが頷いた。
「ここへ来られて、よかったと思います」
「行きたいって言ってた景色のいい場所は、もう見つかったか?」
「いくつかは。ただ、このビーチを見てからは、急いで全部を回る必要もないように思えてきました」
俺は微笑んだ。
「レアとは、ずいぶん違う考え方だな」
ヴェスペラが小さく笑った。
「レアは、できるだけたくさん動くことで自由を楽しんでいます。私は、いつ立ち止まるかを自分で選ぶことで、自由を楽しんでいるのだと思います」
俺は彼女を見た。
「いい言葉だな」
「そうでしょうか?」
「ああ」
俺たちは歩き続けた。
遠くでは観光用の車両が専用レーンを行き交い、リゾートの建物には明かりが灯り始めている。
やがて、ヴェスペラが再び口を開いた。
「紬。1つ、お聞きしてもよろしいでしょうか?」
「何だ?」
「この銀河で自由に生きたいとおっしゃっていたとき……今のような生活になることを、想像されていましたか?」
俺は少し考えた。
「全部は想像してなかったな」
「と、おっしゃいますと?」
「旅をしたいとは思ってたよ。いろんな惑星に行って、新しい景色を見て、面白いことをしてさ。でも、君たちみたいなクルーができるなんて、具体的には考えてなかったんだ」
ヴェスペラが俺を見つめた。
俺は続けた。
「今じゃ次の目的地を考えるたびに、みんなが何を見たいのかも考えるようになった。1人で旅をするのとは、ずいぶん違う感覚だよ」
彼女は柔らかく微笑んだ。
「その違いは、あなたの自由を妨げていますか?」
「いや。むしろ、前よりずっと楽しくなったよ」
ヴェスペラはしばらく黙っていた。
それから、少しだけ距離を詰めてきた。
「でしたら、これからも一緒に、たくさんの場所を見ていけたら嬉しいです」
俺は頷いた。
「もちろんだよ」
彼女が俺の手を取った。
急ぐことのない、柔らかな仕草だった。
俺もその手を握り返す。
そうして俺たちは、海岸沿いの散歩を続けた。
しばらくの間、もう何も言葉を交わす必要はないように感じられた。
ラウンジのあるエリアへ戻ってきたとき、俺はすぐに、何やら雰囲気が少し違うことに気づいた。
ランはセラフィエルと並んで座っていた。
レアとカリスタも、軽食を持って戻ってきている。
ただ、4人とも俺とヴェスペラを、何とも言えない表情で見つめていた。
俺は足を止めた。
「……どうした?」
レアが俺たちの手を指差した。
「紬」
「ん?」
「2人きりでお散歩してたの?」
俺は視線を下げた。
ヴェスペラは、まだ俺の手を握っていた。
「ああ。ちょっと歩いてただけだよ」
レアはすぐに頬を膨らませた。
「私も2人きりでお散歩したい!」
カリスタがにやりと笑う。
「お前はさっき、ウォータースポーツでほとんどずっと紬を独占してただろ?」
「それは別だよ!」
ランがグラスを置いた。
「レアの言い分にも、一理ありますね」
俺は彼女を見た。
「ラン、まさか君まで――」
「私も今日は、まだ紬と2人で過ごす時間をいただいていませんから」
セラフィエルが微笑んだ。
「それでしたら、私も同じお願いをしてよろしいでしょうか?」
俺は黙った。
カリスタは背もたれに身体を預け、小さく笑った。
「おやおや。うちの艦長、新しい問題に直面したみたいだね」
俺は彼女へ顔を向けた。
「まさか、カリスタも参加したいとか言わないよな?」
「何だい? 私は駄目なのかい?」
「……そういう意味じゃないけど」
ヴェスペラが口元を覆って笑った。
「申し訳ありません、紬。どうやら、私のせいで難しい状況にしてしまったようですね」
「全然申し訳なさそうに聞こえないんだけど」
「少しだけ、そうかもしれません」
俺は彼女たちを順番に見た。
レアは答えを待っている。
ランは意味ありげに微笑んでいた。
セラフィエルは柔らかな表情で、俺の反応を見守っている。
カリスタに至っては、この小さな騒動を心底楽しんでいるようだった。
俺はため息をついた。
「わかったよ。じゃあ、後でリゾートのプライベート施設で、みんな一緒に過ごすのはどうだ?」
レアがすぐに顔を上げた。
「温水プール!?」
「予約が取れればな」
ランが端末を開いた。
「実は、今夜の利用について、すでに提案を受け取っています」
俺は彼女を見つめた。
「もう準備してたのか?」
「もちろんです。お伝えするのに、ちょうどよいタイミングを待っていただけですよ」
「……今になるまで、わざと待ってたな?」
ランは優雅に微笑んだ。
「何のことでしょう?」
俺は、その言葉をまったく信用しなかった。
夜が近づく頃、俺たちは休息と着替えのためにパビリオンへ戻った。
レアはまだウォータースポーツの話をしていたし、カリスタは、俺の落ち方がどれほど見事だったかを何度も持ち出してからかってくる。
「そんなにひどい落ち方じゃなかっただろ」
「紬、水に落ちる前に両手まで上げてたじゃないか」
「バランスを取ろうとしてたんだよ!」
「はいはい、そうだね」
レアがすぐに俺の動きを真似した。
「うわあああ――ザッパァン!」
「レア!」
彼女の笑い声が共用スペースいっぱいに響いた。
俺はとうとう諦めた。
どうやら休暇中、自分のクルーにからかわれることも、艦長として支払わなければならない代償の1つらしい。
そこへ、セラフィエルが今夜の予約情報を持ってやってきた。
「紬。リゾート側から、私たちのグループ向けにプライベート温水プールを利用できるとの確認が届きました」
「よかった」
「星空観測ラウンジについても、別の時間帯で予約可能です」
ヴェスペラがすぐに振り向いた。
「本当ですか?」
「はい。今夜は眺望も良好とのことです」
俺は微笑んだ。
「だったら、両方使おうか」
ランが頷いた。
「費用も、あらかじめ確保した追加レクリエーション予算の範囲内に収まります」
「ありがとう、ラン」
彼女は微笑みながら近づいてきた。
「どういたしまして。ただ、今夜こそは、くつろぐ時間を財務会議に変えたりせず、心から施設を楽しんでいただきたいですね」
俺は笑った。
「努力するよ」
「努力、だけですか?」
「わかった。約束する」
ランは満足そうだった。
続いてセラフィエルが俺の手を取った。
「それでは、オリセーヌで迎える最初の夜を楽しみましょう」
俺は頷いた。
「ああ、行こう」
その一方で、穏やかなビーチエリアから遠く離れた場所では、リゾートの監視端末が自動報告を受信していた。
保管施設の近くに設置された保安センサーの1つが、サービス区域の境界を越えて移動する小型物体を検知したのだ。
その識別情報は、登録済みの運用機器一覧には存在しなかった。
ノーラン・クレストという保安担当者が、センサー映像を拡大する。
『……ドローンか?』
同僚のミラ・ソルヴェンが、すぐにアクセス許可の記録を確認した。
『今夜、あのセクターでドローンを使った点検予定はありません』
ノーランが眉をひそめた。
『だったら、なぜ未確認の機体が立入禁止区域へ侵入しているんだ?』
画面に警告表示が現れた。
UNREGISTERED DRONE DETECTED LOCATION: RESTRICTED STORAGE VICINITY ACCESS STATUS: UNAUTHORIZED
未登録ドローン検知 位置:立入制限保管区域付近 アクセス状態:許可なし
ミラはすぐに通信端末を手に取った。
『保安責任者に報告してください。あの機体を、これ以上保管施設へ近づけてはいけません』
監視画面の中では、小さな光点がなおも移動を続けていた。
その頃、オリセーヌ地表の観光地区では、俺とアストレオン・ヴェロリアのクルー全員が、まだ休暇最初の夜を楽しんでいた。
リゾート施設の別の場所で、小さな事件が動き始めていることなど、知る由もなく。
【次回・第134話】
「休暇中の不審機」
休暇中の不審なドローン――正体不明のドローンがヴェイラス・ランタン・リゾートのサービス区域へ侵入し、施設のアクセス情報を取得しようとする。リゾートの保安部門から正式な協力要請を受ける紬。しかし、まだ正体もわからない犯人を追うためだけに、休暇を丸ごと中止するつもりはなかった。




