【第124話】「イリリオン・ヴェスタへの航路」
【第124話】「イリリオン・ヴェスタへの航路」
ヴェルドラコン出航後・3日目~4日目 場所:セレヴェイン自由中継ステーション → イリリオン独立星系 → イリリオン・ヴェスタ軌道港 POV:星崎紬
以前の俺は、傭兵として仕事を引き受けるうえで一番楽しい瞬間は、報酬が口座に振り込まれたときだと思っていた。
けれど、アストレオン・ヴェロリアを手に入れ、今ではこの艦で暮らしている彼女たちと一緒に旅をするようになってから、その考えが少し変わった。
すべての準備が整い、契約書類の承認も済み、ようやく艦長席に腰を下ろして出航準備完了を宣言できる。
そこには、報酬を受け取るのとはまた違った楽しさがある。
もちろん、その喜びは、隣に立って運用費用の一覧を読み上げてくる人物さえいなければ、もっと完璧なものになるのだけれど。
「紬、セレヴェインを出発する前に、私がお送りした旅行予算の概要を確認していただけたか、確かめておきたいのですが」
俺は航法端末から視線を上げた。
コンソールのそばに立つランは、たった今そんなことを口にした人物とは思えないほど、落ち着き払った表情をしている。
「見たよ。ドッキング費用、貨物取扱サービス、補給品の購入、それから中継滞在中の支出まで、全部記録されている。承認なしの大きな買い物もなかった。そうだろう?」
「そのとおりです。ただし、今回の契約報酬180,000 GCは総収入であり、そのまま自由に使える利益ではないことも、ご理解いただきたいのです」
「それ、昨日も言っていたぞ」
「今日も覚えていてくださって、何よりです」
艦長席の反対側に立っていたセラフィエルが、小さく微笑んだ。
「ランは、紬が契約金額のすべてを、次の港で面白そうな品物を買うための個人予算だと思わないように確認しているだけですよ」
「俺はまだ、イリリオン・ヴェスタの店すら見ていないんだけど」
「だからこそ、早めにお伝えしておく理由になるのです」とランが答えた。
俺はため息をついた。
いつから簡単な輸送契約を受けることが、商業地区を通りかかったときに自制心を保てるかどうかの試験になったんだろう。
そもそも、よく考えてみれば、この艦の所有者は俺だ。
自分の気に入ったものを買う自由くらい、少しはあってもいいはずだ。
ほんの少しでいいから。
「紬、仕事が終わった後に何か購入したいのであれば、運用予算に支障をきたさない範囲で、私が止めることはありませんよ」
まるで俺の考えを読んだかのように、ランが付け加えた。
俺は彼女を見つめた。
「お前、お金の話をしているときは本当に恐ろしいな」
「褒め言葉として受け取っておきます」
セラフィエルが静かに笑った。
わかったよ。
どうやら、この議論に俺の勝ち目はなさそうだ。
アストレオン・ヴェロリアのセレヴェイン自由中継ステーションからの出航準備は、最終段階に入っていた。
契約C-121-SVを正式に受諾して以来、俺たちはイリリオン調査協同組合と、技術者1名および調査機材を惑星イリリオン・ヴェスタまで輸送するための調整を進めてきた。
協同組合からは、最終貨物目録、同行する人員の身元情報、そして最初の引渡しに関する書類が送られてきている。
積み込み作業は、すべて通常の手続きに従って行うよう、俺からも念を押しておいた。
セラフィエルの貨物管理能力を疑っているからではない。
輸送契約には、俺たちの艦がどれほど優れた技術を持っているかを説明するだけでは解決できない、1つの問題があるからだ。
責任。
事業者へ引き渡された後に貨物の紛失や破損が確認されれば、依頼主は合意済みの書類に基づいて説明を求めてくる。
だからこそ、明確な検査を経ないまま、何かを艦内へ持ち込ませるつもりはなかった。
技術面の確認は、カリスタがアストレオン・ヴェロリアの物流システムと連携して担当した。ランは貨物の数量と識別情報の一致を確認し、レアは保安検査を手伝ったうえで、すべての積荷が指定された保管区画へ配置された。
その結果が俺の端末に表示されている。
契約 C-121-SV――出航前確認
| 項目 | 状態 |
| ---------------- | ------- |
| 技術者の身元 | 確認済み |
| 調査機材の貨物目録 | 契約書類と一致 |
| 初期状態の検査 | 完了 |
| 貨物受領証明 | 記録済み |
| 保管区画への配置 | 完了 |
| 取扱条件 | 確認済み |
| イリリオン・ヴェスタの目的地書類 | 受領済み |
| 契約状態 | 有効――履行中 |
俺は一覧を最後まで読んでから、画面を閉じた。
「セラフィエル、貨物の状態は?」
「すべての機材を、貨物目録と協同組合から提示された取扱条件に従って配置しました。受入検査で不一致は確認されていません。また、イリリオン・ヴェスタでの引渡し時に出航時の書類と照合できるよう、初期状態の記録も準備してあります」
「よし。乗客のほうは?」
「協同組合が指定した技術者の方は、身元確認と安全説明を終えています。現在は、準備済みの旅客エリアで過ごされています。航行中に利用可能な施設についても、すでにご案内しました」
俺は頷いた。
技術者を輸送するのは、艦の個人用施設を自由に使える客人を迎えるのとは違う。
アストレオン・ヴェロリアには十分すぎるほどの空間があるけれど、だからといって、乗艦した人間全員に艦内のあらゆる区画への立入りが認められるわけじゃない。
旅客エリア、利用を許可した共用施設、そして避難地点までの経路は、すでに指定してある。
その技術者が指揮デッキや内部のエンジニアリング施設、その他契約とは関係のない区画へ入る理由はない。
「航行中に追加の要望があったら、まず俺に伝えてくれ。常識的な範囲でサービスを提供するのは構わないけど、うっかり契約外の仕事まで引き受けることにはしたくないからな」
「了解しました、紬」
その返事を聞いたランが、満足そうに頷いた。
「ご自身からそうおっしゃっていただけて、嬉しく思います」
「俺だって経験から学び始めているんだよ」
「実に素晴らしい成長ですね」
俺は、その声に含まれたからかうような響きを無視することにした。
俺たちが事務手続きを終わらせている間に、ヴェスペラはイリリオン独立星系へ向かう航路を準備していた。
指揮デッキのメインスクリーンに星図が表示される。
セレヴェインとイリリオンを結ぶ航路は、正式に登録された航行経路として示されていた。FTL離脱後に使用する到着地点や、現地の航法回廊も併せて表示されている。
ただし、調査区域の一部には、ほかとは異なる色の印がつけられていた。
「紬、出航前に、イリリオン・ヴェスタへの接近について1つご説明しておきたいことがあります」
ヴェスペラは星系外縁部を拡大した。
「民間航法ネットワークの更新情報によると、調査活動に使用されている航路の一部が一時的に閉鎖されています。この閉鎖によって軌道港への航行が妨げられることはありませんが、該当する経路を近道として利用することはできません」
俺は地図を見つめた。
「その閉鎖は、イリリオン調査協同組合が送ってきたセンサー障害の報告と関係しているのか?」
「公式通知には、直接的な関連性は記載されていません。追加情報がないまま結論を出すことは避けたいと思います。ただ、現時点でその航路が一般交通に開放されていないことは確かです」
「なら、避けよう」
ヴェスペラは投影画面を動かし、登録済みの航行回廊に沿った代替経路を表示した。
「こちらの航路を推奨します。指定された到着地点でFTLを離脱した後、現地の交通回廊へ入り、イリリオン・ヴェスタ軌道港へ向かいます。この経路であれば、閉鎖中の調査区域を通過しません」
「移動時間は大きく増えるのか?」
「直行する場合との差はありますが、受領済みの引渡し予定に支障が出るほどではありません。現地の交通回廊へ進入する際に必要な速度調整も、すでに計算に含めています」
俺は頷いた。
「その航路を使ってくれ。わざわざ閉鎖された経路に入ったせいで、簡単な配送の仕事が面倒な問題に変わるのは御免だからな」
ヴェスペラは小さく微笑んだ。
「私も同じ考えです」
続いてセラフィエルが、民間航法図と利用可能なセンサーデータの照合結果を表示した。
「セレヴェインから取得した最新の航法情報を確認し、私たちの航行データベースとも比較しました。現段階では、航路変更が必要となるような差異はありません。ただし、イリリオン独立星系への進入後も、直接観測した結果と、現地当局が公開する民間交通データとの照合を継続します」
「例のセンサー障害の報告があるからか?」
「それも理由の1つです。初めて訪れる領域では、情報を相互に照合すること自体が適切な航法上の措置でもあります。小さな不一致をすべて脅威だと見なす必要はありませんが、食い違う情報は、判断に使用する前に確認すべきだと考えています」
「いいね。見た目がもっともらしいからって、1つの情報源だけを信用しすぎないようにしよう」
「了解しました、紬」
俺は再び星図を見つめた。
イリリオン・ヴェスタ。
新しい惑星、新しい仕事、そしてこれまでは航法情報でしか知らなかった銀河の一角を、実際に見る機会。
今のところ、旅は俺の望みどおりに進んでいた。
出航の少し前、レアが指揮デッキへやってきた。
彼女はハンガー施設の点検時によく着ている作業服のままだった。髪は少し乱れていて、航法スクリーンの前に集まる俺たちを見ると、狐耳がぴくりと動いた。
「紬、モビルフレームの準備状況の確認、終わったよ。カリスタも、ヴェルドラコンでの最後の訓練の後に確認しておきたいって言ってた部分を、全部見てくれた」
「結果はどうだった?」
「運用を妨げるような問題はなし。緊急発進の手順も改めて確認したし、必要な装備が所定の位置にあることも確かめておいたよ」
俺は彼女を見た。
「ずいぶん張り切っているな」
「もちろんだよ。新しくCランクの契約を受けてから、初めての航行なんだから。全部うまく進んでほしいもん」
「いいことだ。ただ、忘れるなよ。俺たちは技術者と調査機材を送り届けるところなんだ。準備状況を確認したからといって、戦闘が起こると決まったわけじゃない」
レアは両腕を組んだ。
「わかってるよ、紬。何が起こるかわからないからこそ、全部準備しておきたいの。何も起きなければ、それが一番いいよ。私ものんびり旅を楽しんで、落ち着いてご飯を食べられるし」
俺は微笑んだ。
「いい答えだ」
「へへっ。私だって経験から学んでるんだから」
「まさか、お前までランみたいに運用報告書に興味を持ち始めたんじゃないだろうな」
「そこまでじゃないよ!」
近くで書類を確認していたランが、すぐに顔を上げた。
「それはどういう意味ですか、レア?」
「何でもないよ! 私はモビルフレームに関係する報告書を読むほうが好きってだけ!」
「それでしたら、後ほど機体の整備費用の概要もお送りしておきますね」
「ええっ!? なんでそうなるの!?」
その表情を見て、俺は笑ってしまった。
エンジニアリング回線を通じて会話を聞いていたカリスタも、気楽な口調で付け加えた。
「自分の機体の運用準備状況を理解したいなら、部品代を知っておいても損はないだろ」
「カリスタまで便乗しないでよ!」
セラフィエルは手の甲で口元を隠した。
つい先ほどまで技術的な話で満たされていた指揮デッキが、今ではずいぶん和やかな雰囲気になっていた。
俺は、こういう空気が好きだった。
それぞれに担当する責任はあるけれど、アストレオン・ヴェロリアは、あくまでも俺たちの住まいでもある。
旅に出るたび、軍事作戦を指揮しているような気分にはなりたくない。
すべての確認が終わると、俺は再び艦長席に腰を下ろした。
パノラマウィンドウの外部映像には、まだ民間バースS-09の施設が映っている。港湾サービス車両は出航に使用する区域から離れ始め、ターミナル周辺の交通経路もステーション管制によって調整されつつあった。
「セラフィエル、出航許可を申請してくれ」
「はい、紬」
外部通信回線が開いた。
『セレヴェイン自由中継ステーション交通管制、こちら民間バースS-09のアストレオン・ヴェロリア。出航準備はすべて完了しました。ドッキング解除、およびイリリオン独立星系へ向かう登録済み出航回廊への進入許可を要請します』
しばらくして、管制官の声が返ってきた。
『アストレオン・ヴェロリア、申請を受理しました。現在、S-09周辺の交通状況を最終確認中です。解除指示が出るまで、現在位置を維持してください』
「了解。現在位置を維持します」
俺は航法画面を見つめた。
ターミナルの反対側では、輸送船がちょうど機動を終えようとしていた。数台の貨物取扱車両がサービスレーンへ入り、俺たちの出航回廊も画面上に表示され始めている。
急ぐ理由はない。
配送予定はすでに合意済みで、緊急の期限に追われているわけでもないのだから。
『アストレオン・ヴェロリア、ドッキング解除を許可します。送信済みの出航回廊に従ってください。ステーション交通区域を通過するまでは、管制指示に従い、指定された速度制限を維持してください』
「了解しました、セレヴェイン管制。ご協力ありがとうございます」
セラフィエルが俺に顔を向けた。
「出航許可が下りました、紬」
俺は頷いた。
「ヴェスペラ、艦を出してくれ」
「了解しました」
アストレオン・ヴェロリアは、ゆっくりと民間バースS-09を離れ始めた。
それまで艦とターミナルを接続していた連絡設備は、すでに完全に収納されている。機動システムは滑らかに作動し、指定された回廊に沿って艦をステーションの構造物から遠ざけていった。
外部映像の中で、セレヴェイン自由中継ステーションが次第に小さくなっていく。
あそこでの滞在は、ほんの短いものだった。
けれど、その間に独立艦としての登録を済ませ、補給の必要性を確認し、現地の料理を楽しみ、次の旅に向けた最初の契約も受けることができた。
俺としては、十分に満足できる成果だった。
「紬、いつかまたセレヴェインへ戻ってきたいと思いますか?」とセラフィエルが尋ねた。
俺は、ゆっくりと後方へ遠ざかっていくステーションを見つめた。
「いいんじゃないか? 中継地点としては結構快適だったし、仕入先の選択肢も多い。港の手続きもわかりやすかったし、レアが選んだレストランもなかなかよかったからな」
「聞こえたよ!」とレアが声を上げた。
「聞こえるように言ったんだよ」
「じゃあ、次は違うメニューも試さなきゃね!」
ランがすかさず振り向いた。
「価格と品質を比較してからです」
「ラァァン!」
俺は首を横に振りながら微笑んだ。
どうやら、星系から星系へ移動しても、変わらないことはいくつかあるらしい。
セレヴェインの主要交通区域を通過した後、俺たちは指定されたFTL進入地点へ向かった。
ヴェスペラが最終航路を確認する一方で、セラフィエルは航法システムの同期と艦の安全監視を完了させていた。
「紬、イリリオン独立星系へ向かうFTL航路は利用可能です。使用予定の回廊に、新たな制限はありません」
「現地の航法当局からのデータは?」
「最新の更新情報を反映済みです。閉鎖された調査航路は、引き続き私たちの経路から除外されています」
俺は頷いた。
「よし。すべての確認が終わったら、FTLへ入ってくれ」
セラフィエルが俺を見た。
「必要なシステムはすべて準備できています。イリリオンへの出航を承認されますか?」
「ああ。次の目的地は、イリリオン・ヴェスタだ」
「了解しました」
窓の外の星明かりが変化し始めた。
アストレオン・ヴェロリアは登録済みの航路からFTLへ進入し、セレヴェイン自由中継ステーションを後にして、俺たちがまだ一度も訪れたことのない独立領域へと進み始めた。
俺は椅子に身体を預けた。
しばらく航法画面を眺めてから、航行中ずっと指揮デッキにいる理由もないと判断した。
「セラフィエル、急ぎの用事がなければ、引渡し予定をもう一度確認してから休もうと思う」
「もちろんです、紬。最新の予定概要を端末へお送りしますね」
「ヴェスペラ、航路に変更があったら教えてくれ」
「承知しました。航法情報の更新は、引き続き監視しておきます」
俺は立ち上がり、艦長席を離れた。
久しぶりに、俺たちの仕事が本当に普通の輸送契約らしく感じられた。
そして、報酬を受け取るまで、このままの状態が続いてくれることを願った。
FTL航行は、特に大きな問題もなく進んだ。
俺は時間の一部を使って契約書類を読み直し、それから旅客エリアへ足を運んだ。イリリオン調査協同組合の技術者が、艦内で何か困っていないか確認するためだ。
彼は礼儀正しく俺を迎えてくれた。
『星崎艦長、快適な設備をご用意いただき、ありがとうございます。今回の輸送契約で使われる艦に、これほど広い旅客エリアがあるとは思っていませんでした』
「遠慮しなくて大丈夫ですよ。乗艦中は、安全説明でご案内した施設をご利用ください。航行に関して何か必要なことがあれば、旅客サービス回線を通じてお知らせいただければ対応します」
『承知しました。到着予定についての通知も受け取りましたが、航行はまだ予定どおりでしょうか?』
「今のところは。イリリオン独立星系までは登録済みのFTL航路を利用しています。到着後は現地の交通手続きに従い、イリリオン・ヴェスタ軌道港へ向かいます」
技術者は安心したように頷いた。
『よかったです。イリリオン・ヴェスタの受入チームが、今回運んでいる機材の到着を待っています。あちらの作業には、これらの装置が届かなければ進められないものもありますので』
俺は彼の表情を見た。
「輸送書類に記載されていない、特別な要望はありますか?」
『いいえ、艦長。貨物に関係する条件は、すべて協同組合を通じてお伝えしています。私はただ、引渡しが順調に進んでくれればと願っているだけです』
「それなら、目的は同じですね」
俺は、自分の仕事とは関係のない技術的なことまでは尋ねなかった。
協同組合が輸送の安全を確保するために必要な情報を提供しているのであれば、彼らの調査業務の全容にまで立ち入る必要はない。
俺たちは、人員と機材を目的地まで届けることで報酬を受け取る。
他人の研究に口を挟むためじゃない。
問題がないことを確認した後、俺はグランドダイニングへ戻った。
到着したときには、レアがすでにそこにいた。
彼女の前には、セラフィエルが用意したばかりらしい軽食が置かれている。
「紬、技術者さんとの話は終わった?」
「ああ。追加の要望はなかったよ。到着予定がまだ計画どおりか、確認したかっただけみたいだ」
「よかった。私もさっき、ハンガーの準備状況の報告を確認し終わったところ。カリスタが、今回の航行中に追加でやらなきゃいけない作業はないって言ってたよ」
俺は彼女の向かいに座った。
「それなら、空き時間を楽しんでくれ。暇だからって、わざわざ仕事を探す必要はないぞ」
レアは満面の笑みを浮かべた。
「ちゃんと楽しんでるよ。でも、イリリオンに着いたら、セレヴェインとは違うモビルフレームの訓練施設があるか、調べてみたいんだ」
「昨日、訓練施設へ行ったばかりじゃないか」
「だからこそだよ。ほかの星系の施設がどんな感じなのか、気になり始めたの。これからも旅を続けるなら、いろんな場所で違う訓練方法を試せるかもしれないでしょ?」
俺はしばらく彼女を見つめた。
どうやら、ヴェルドラコンでカイラと一緒に訓練した経験が、パイロットとしての自分の能力を、さらに真剣に考えるきっかけになったらしい。
「構わないよ。合法的で、予定に収まって、俺たちの契約に支障が出ない活動なら、情報を探してもいいぞ」
「本当に?」
「お前が腕を上げるのを止める理由なんてないからな」
狐耳がぴんと立った。
「じゃあ、配送が終わったら調べてみる!」
俺は微笑んだ。
「星系ごとの飲食店一覧より、訓練施設の一覧のほうを詳しく覚えるようにはなるなよ」
「それは難しいなあ。どっちも覚えたいもん」
俺は笑った。
ああ。
実にレアらしい答えだ。
ヴェルドラコンを出航して4日目。
アストレオン・ヴェロリアは、イリリオン独立星系に指定されたFTL離脱地点へ近づいていた。
セラフィエルから通知を受け、俺は指揮デッキへ戻った。
中へ入ると、ヴェスペラはすでに航法席に着いており、ランは近くの端末で貨物の引渡し予定を確認していた。
「状況はどうだ?」
「すべての航法パラメータは規定範囲内です」とヴェスペラが答えた。「正式な到着地点でFTLを離脱し、その後、現地の航路に従ってイリリオン・ヴェスタへ向かいます。閉鎖中の調査区域を引き続き避けられるよう、航路も更新済みです」
セラフィエルはセンサー情報の概要を表示した。
「FTL離脱後、直接観測した結果と、入手可能な民間航法図を照合します。不一致があれば、接近を続ける前に確認しますね」
「よし。できるからというだけで、近道を使うのはやめよう」
「了解しました、紬」
俺は艦長席に腰を下ろした。
ほどなくして、窓の外に伸びていたFTLの光が薄れ始めた。
星々が再び、宇宙空間に散らばる無数の光点として姿を現す。
遠方では、1つの恒星がイリリオン独立星系の領域を照らしていた。航法情報には、さまざまな天体の位置と現地の交通回廊が表示され始めている。
俺は星図を拡大した。
「ここがイリリオンか……」
ヴェスペラが小さく微笑んだ。
「この巻の旅で最初の主要目的地となる独立星系に、ようやく到着しましたね」
「張り切りすぎて、まだ貨物を届けなきゃいけないことを忘れないでくれよ」
「忘れませんよ、紬」
続いてセラフィエルが、いくつかの情報をメインスクリーンへ移した。
イリリオン独立星系――到着確認
| 項目 | 状態 |
| -------- | ------------- |
| FTL離脱地点 | 登録済み航路と一致 |
| 位置識別 | 確認済み |
| 現地の民間航法図 | 受信済み |
| 初期センサー照合 | 重大な偏差なし |
| 閉鎖中の調査航路 | 回避済み |
| 次の目的地 | イリリオン・ヴェスタ軌道港 |
俺は満足して頷いた。
「現地の交通管制に連絡してくれ。軌道港へ向かう回廊に従おう」
「はい、紬」
外部通信が開かれた。
『イリリオン独立星系交通管制、こちらアストレオン・ヴェロリア。セレヴェイン自由中継ステーションから、登録済みの到着地点を経由して到着しました。民間輸送契約の履行のため、イリリオン・ヴェスタ軌道港へ向かいます。接近指示を要請します』
しばらくして、応答が返ってきた。
『アストレオン・ヴェロリア、到着識別情報を受理しました。指定された進入経路を維持してください。交通状況の確認が完了次第、イリリオン・ヴェスタ軌道港への回廊情報を送信します』
「了解しました」
俺は外部映像へ目を向けた。
交易の交差点に位置する中継ステーションだったセレヴェインとは違い、イリリオンには別の雰囲気があった。
商業活動も調査活動もかなり活発な領域だが、航法経路の一部は星系環境の観測や測量に直接関係している。
星図には、許可のない一般船舶が進入してはならない作業区域も、いくつか表示されていた。
星系外縁部には、調査活動に使用される区域の1つとして、小惑星帯が広がっている。
俺はしばらくそれを眺めてから、視線を本来の航路へ戻した。
今のところ、俺たちがそこへ行く用事はない。
目的地はイリリオン・ヴェスタだ。
現地の交通回廊を通る航行は、管制官の指示どおりに進んだ。
ヴェスペラはアストレオン・ヴェロリアが指定された経路を外れないよう航路を維持し、セラフィエルはセンサーの観測結果と民間航法情報の照合を続けていた。
大きな偏差は見つかっていない。
ただ、イリリオン・ヴェスタの軌道領域へ近づいた頃、交通ネットワークを通じて新しい情報が入ってきた。
「紬、外縁セクターの調査活動に関する通知が届きました」とヴェスペラが言った。
俺は顔を向けた。
「閉鎖された航路と関係しているのか?」
「通知では、従来と同じ制限が維持されています。私たちの軌道港への接近に影響する変更はありません」
「なら、そのまま進んでくれ」
セラフィエルが目的地の映像を拡大した。
スクリーンの中で、イリリオン・ヴェスタの姿が次第にはっきりしてくる。
その惑星は、俺たちがこれまで訪れた世界とは異なる色彩を持っていた。軌道上からでも、陸地の配置や水域、地表を包む大気の層が見て取れる。
接近経路の近くには、現地の交通ネットワークに接続された人工の点として、いくつかの軌道施設が姿を現していた。
「イリリオン・ヴェスタ軌道港が、直接通信の有効範囲に入りました」とセラフィエルが報告した。
俺は頷いた。
「よし。契約の受取側に連絡してくれ。最終的なドッキング位置の割り当てを受ける前に、引渡し予定を確認しておきたい」
ランはすぐにC-121-SVの書類を開いた。
「貨物目録と、セレヴェインでの初期受領証明は準備済みです。到着後は受取人の身元と貨物の状態を照合し、完了書類に署名するだけですね」
「技術者のほうは?」
「到着通知を受け取り、旅客向けの案内に従って準備を進めています」とセラフィエルが答えた。
俺はメインスクリーンを見つめた。
ここまでは、すべて順調だ。
以前の旅のいくつかと比べれば、順調すぎるくらいかもしれない。
けれど、面倒な出来事が起きないからといって、わざわざ文句を言うつもりはない。
イリリオン・ヴェスタ軌道港との通信回線が開いた。
管制官は俺たちの到着を確認し、係留施設の割り当てを待つ間、現在の航路を維持するよう求めてきた。
その後、セラフィエルはイリリオン調査協同組合から提供された調整用回線へ連絡した。
「紬、協同組合は私たちの到着通知を受け取っています。現在、人員と機材の受入手続きを準備しているとのことです」
「よし。引渡し場所に変更は?」
「今のところありません。配送先は契約書類に記載されたとおりです」
俺は少し安心した。
このまま突然の変更もなく手続きが終われば、すべての完了条件が確認された後に報酬を受け取れる。そして、その後の活動も落ち着いて決められるはずだ。
ところが、契約完了後の支出計画をランに表示してもらおうとする前に、セラフィエルが言葉を付け加えた。
「もう1つあります、紬」
「何だ?」
「到着調整書類には、私たちが軌道港へ接近する際に運用上の確認を行う予定の、現地調査船が1隻記載されています。指定された回線から呼びかけましたが、まだ応答がありません」
俺は眉を上げた。
「その船は、直接俺たちを出迎えることになっているのか?」
「書類には、現地の運用連絡先として記載されています。ただし、ドッキング手続きにその船の関与が必要なのか、それとも協同組合の調査活動に関する調整だけなのかは、まだ確認できていません」
「だったら、決めつけるのはやめよう。手順に従って、もう一度呼びかけてくれ」
「了解しました」
セラフィエルが2回目の呼びかけを送信した。
応答はなかった。
ヴェスペラは、自分のコンソールに表示された通信データを確認していた。
「回線自体は、まだ有効なのでしょうか?」
「協同組合から指定された回線にはアクセスできますが、対象の船からは応答がありません。識別情報の更新や、私たちにまだ通知されていない予定変更がないか、現在確認しています」
俺は現地の交通状況を表示した画面へ目を向けた。
ほかの船舶は、管制官の指示に従って軌道回廊を航行し続けている。
少なくとも、この領域全体の通信システムに障害が発生しているような兆候は見られなかった。
「協同組合の主回線へ連絡してくれ。その調査船の任務に変更があったのか、尋ねてみよう。実際には別の仕事へ回された人たちを、俺たちがいつまでも待つことになったら困るからな」
「はい、紬」
ランは確認していた書類を閉じた。
「この状況は、私たちの輸送契約に影響するのでしょうか?」
「まだ何とも言えない。正式な受取側が対応できるなら、契約条件に従って仕事を完了することはできるはずだ。ただ、書類に記載されていた連絡先が、どうして呼びかけに答えないのかは知っておきたい」
ヴェスペラが頷いた。
「軌道港への航路は、そのまま維持します。正式な指示もないまま、到着回廊を離れる理由はありませんから」
「そうしてくれ」
俺は再びメインスクリーンを見つめた。
ほどなくして、セラフィエルが協同組合の主回線から返答を受信した。
しかし、その内容を彼女が伝えるより先に、通信システムには、例の調査船へ向けた3回目の呼びかけの結果が表示された。
応答なし――NO RESPONSE
俺はその文字を見つめた。
本来なら俺たちに運用上の確認を返すはずだった調査船は、依然として応答していなかった。
そして、セラフィエルがこちらを向いた。
表情は落ち着いたままだったが、その声は少しだけ真剣さを増していた。
「紬、イリリオン調査協同組合は私たちからの問い合わせを受理しました。軌道港の指示に従って航行を続けるよう求めています。調整書類に記載された調査船については、現在、先方で状況を確認中とのことです」
俺はゆっくりと頷いた。
「わかった。まずは契約どおりに接近と配送を終わらせよう。あの船に何が起きているにせよ、別の判断を下す前に、正式な説明を聞いておきたい」
「了解しました」
俺は椅子に身体を預け、パノラマスクリーンの中で次第に大きくなっていくイリリオン・ヴェスタを見つめた。
どうやら、ヴェルドラコンを離れてから初めて受けた輸送の仕事も、完全に想像どおりには進まないらしい。
けれど、緊急事態だと確認できる情報がないうちから、呼びかけに応答がないというだけの理由で、軽率な行動を取るつもりはなかった。
俺たちはプロの傭兵だ。
そしてプロならば、いつ行動すべきかだけでなく、いつ十分な情報が揃うのを待つべきかも、理解しているはずだ。
少なくとも、俺はそう信じていたかった。
【次回・第125話】
「連絡を絶った調査船」
イリリオン・ヴェスタでの配送を完了した後、紬はイリリオン調査協同組合から追加の支援要請を受ける。小型調査船が小惑星帯の外縁領域で通信を絶ったと報告され、その捜索業務には別途契約を結ぶ必要があった。




