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ASTRAEON VELORIA――銀河を旅する自由傭兵――  作者: Ren Hazumi


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【第120話】「俺はただ、一人を送り届けただけなのに」

【第120話】「俺はただ、一人を送り届けただけなのに」


ただ一人を、送り届けるだけだった


ヴェルドラコン帝都――アストレオン・ヴェロリア、指揮デッキ → 帝国軌道出航回廊 C-17 → 星系外縁部


翌朝、アストレオン・ヴェロリアが出航準備を始めた頃、帝都はまだ夜の側を見せていた。


軌道上から眺めるヴェルドラコンの地表は、幾百万もの光の粒を縫い込んだ暗い大海原のようだった。惑星の明暗境界線に沿って、大気の青はゆっくりと黄金色へ変わり、環状軌道施設の影が雲の上に長く伸びている。


下層航路では、主軸の周囲に6基の外部コンテナを配置した鉱物輸送船が通過していた。さらに遠くでは、辺境領域から到着した商船団が貨物検査ターミナルへの進入順を待っている。その間を帝国宇宙海軍の哨戒艇が横切り、民間交通を妨げることなく通常の監視任務を続けていた。


そんな慌ただしい往来の中で、全長8,600メートルの個人所有艦が、ドッキング解除手続きを終えようとしていた。


アストレオン・ヴェロリア。


港湾登録上の分類は、超高級長距離航行型プライベート宇宙船(Ultra-Luxury Long-Range Private Starship)。


帝都で働く大半の職員にとって、その出航は、慎重な交通調整を必要とする大型船舶の移動案件の1つにすぎなかった。


その同じ艦が、かつて攻撃艦隊とヴェルドラコンの民間居住区域との間に立ちはだかったことを知る者は、ごくわずかだった。


紬はコーヒーカップを片手に指揮デッキへ入った。


セラフィエルはすでに艦長席の隣に立ち、艦の運用を補佐するときに着用する、いつもの仕事着に身を包んでいた。目の前には透明な投影画面が浮かび、港湾管制との通信状況が表示されている。


「おはようございます、紬。艦内の準備は、指定された予定よりも早くすべて完了しています。帝国軌道交通管制局からも、私たちの出航枠に変更はないとの最終確認が届きました。回廊監督官から移動許可を受け次第、ドッキング接続の解除を開始できます」


紬は席に座り、所定の場所へコーヒーを置いた。


「おはよう。今日はもう、追加書類を持ってくる人も、どこかの委員会の決定を待ってほしいと言う人も現れないことを願っているよ。本当に全部終わったなら、そろそろヴェルドラコンが遠ざかっていく景色を楽しみたい。同じ駐機場所から眺め続けるのは、もう十分だからな」


セラフィエルは微笑んだ。


「紬がお目覚めになる前に、行政連絡回線も確認しておきました。公爵家評議会からの新たな要請はなく、港湾当局による保留措置もありません。証言に関する書類も、現在の審査段階に必要なものはすべて揃っていると認められています。今後、追加の証言が必要になった場合についても、当局は私たちが提案した遠隔通信による手続きを了承済みです」


「よかった。書類の署名欄が1つ空いていたから戻ってきてくれ、なんて突然言われたくないからな」


航法担当席では、ヴェスペラがコンソールから振り向いた。


「艦長、C-17回廊は予定どおり開放されました。旅客船の1隻が主回廊から整備施設へ移送されているため、離脱航路にわずかな調整が入っていますが、私たちの出航時刻には影響しません。交通管制データは航法計算へ反映済みで、最低要件よりも広い安全距離を確保した航路を準備しています」


紬は航法画面を自分の前へ移動させた。


メインスクリーンいっぱいに広がっていた軌道図が縮小され、3次元投影へ切り替わる。中央にはアストレオン・ヴェロリアのアイコンがあり、その周囲を青と白の航路線が取り巻いていた。


C-17回廊は専用ターミナルから外側領域へ伸び、港湾交通管制の最終境界として指定された地点まで続いている。


帝国軌道交通管制局


| 項目 | 出航データ |

| ---------- | ------------------ |

| 艦船 | アストレオン・ヴェロリア |

| 登録分類 | 超高級長距離航行型プライベート宇宙船 |

| ドッキング状況 | 解除許可済み |

| 出航回廊 | C-17 |

| 出航サイクル | 当日朝 |

| 保安上の制限 | なし |

| 税関手続き | 完了 |

| 民間交通上の優先順位 | 通常 |

| 最終移動許可 | 管制官の確認待ち |


表の下には、直近4つの運用時間帯における回廊使用率が、小さなグラフとともに表示されていた。


C-17回廊――交通負荷


| 運用時間帯 | 容量使用率 |

| ------ | ----- |

| 3サイクル前 | 91% |

| 2サイクル前 | 84% |

| 前サイクル | 63% |

| 出航サイクル | 46% |


紬は最後の数字に目を留めた。


「昨日と比べたら、ずいぶん余裕のある時間帯をもらえたわけだな。これだけ交通量が少ないなら、わざわざ大回りする代替航路を使ってくれと言われる理由もなさそうだ」


「そのとおりです。民間回廊を出た後は、機動制限境界を越えるまで指定航路を維持するだけです。艦隊の演習区域や軌道建設区域とも交差しない経路を用意してあります」


「だったら、それを使おう。星系を離れる前に少し多めに景色を見るのは構わないけど、ようやく始まる気楽な旅で、誰かが兵器の試験をしている場所を通りたくはないからな」


「私も全面的に賛成です、艦長」


戦術担当席では、レアが少し乱れた髪を整えながら椅子を回した。


港湾管制から入る通信音に合わせて、1対の狐耳が動いている。


「艦長、モビルフレームは全機、航行用の格納状態に戻してあるよ。カイラさんとの合同訓練で使った装備の一覧も確認したけど、港湾施設への置き忘れは1つもなかった。次にいい訓練アリーナのある場所へ寄ったら、別れる前に彼女と話した機動パターンをいくつか試してみたいんだよね」


「ついさっきまで、かなり長い訓練をしていたじゃないか、レア。次のアリーナを探し始める前に、何日か休みたいとは思わないのか?」


「終わったばかりだからこそ、試したいことがたくさんあるんだよ。カイラさんは目標を守るときに私とは違う戦い方をしていたから、自分の戦闘スタイルに取り入れられそうな動きがいくつかある気がするんだ。もちろん、今度は先にカリスタの許可をもらわずに格納庫を使ったりしないよ」


直後に、機関部の通信回線が開いた。


「最後の部分はちゃんと聞いたぞ、レア。実際に訓練場所を見つけたときも、その習慣を守ってくれよ。シミュレーション後の点検は全部終わっているが、だからといって次の港へ着いた途端、アクチュエーターの交換申請を受け取りたいわけじゃないからな」


レアはため息をついた。


「カリスタ、まだ訓練する場所すら決めてないんだけど。せめて私がちゃんと計画を作ってから、交換が必要になるかもしれない部品の話を始めてくれない?」


「装備には使用限界があると理解しているか、確認しているだけだ。新しい機動を試したいなら、負荷シミュレーションを見せてもらってから一緒に検討すればいい。きちんと計画された訓練まで禁止したことはないだろう」


そのやり取りを聞いて、紬は微笑んだ。


指揮デッキの反対側では、ランが星間銀行ネットワークと同期されたばかりの取引締め報告書を確認していた。


「紬、ヴェルドラコンで利用したサービスの支払いは、すべて完了しました。また、港湾費用、運用経費、保安事件に関連する取引をそれぞれ分離し、次の旅行報告書に通常経費と混在しないよう処理してあります」


「まだ確認待ちの請求はあるか? 別の星系へ行ってから支払い通知が届くのは嫌だからな」


「ありません。ターミナル利用料、ドッキング監視費用、最後の物流サービスに関する追加料金の可能性まで、再確認しました。すべて帳簿へ反映済みです。当面は次の目的地が決まるまで、大きな支出を増やさないことをお勧めします。実際の旅行期間に基づいて、必要な補給量を計算したいので」


「わかったよ。少なくとも、今なら夕食を注文しても、緊急事態に伴う追加費用の説明を聞かずに済みそうだな」


ランは薄く微笑んで彼を見た。


「お好きなお食事は、いつでも注文していただいて構いませんよ、紬。ただ、ヴェルドラコンで起きた一連の出来事を考えると、次の旅では、これまで仕事の合間にしか利用できなかった艦の設備を、ゆっくり楽しむ機会があってほしいと思います」


紬はカップを少し持ち上げた。


「俺もそうしたいよ」


セラフィエルは続いて、艦の準備状況を表示した。


アストレオン・ヴェロリア――出航前状況


| システム | 状態 |

| ---------- | ---- |

| 主推進システム | 準備完了 |

| 航法・天体測定データ | 100% |

| ドッキング解除機構 | 準備完了 |

| 環境制御システム | 正常 |

| 医療施設 | 稼働可能 |

| 艦内物流 | 100% |

| 訓練区画の復旧 | 100% |

| 外部出航書類 | 完了 |

| FTL準備 | 待機状態 |

| 総合出航準備率 | 100% |


「全部門から確認が届いています、紬。セレネさんとカイラさんの専門連絡先情報についても、同期を完了しました。お2人は引き続きクルー登録の対象外ですが、今後、医療や保安上の協力が必要になった際には、合意済みの連絡経路からお問い合わせできます」


紬は報告書の下部に表示された2つの名前を読んだ。


外部専門連絡先


| 氏名 | 現在の関係 |

| ---------- | ---------- |

| セレネ・アルカディア | 独立した医療協力関係 |

| カイラ・ドレイヴェン | 保安分野の専門連絡先 |


彼は頷いた。


「いいね。変更する理由ができるまでは、そのままにしておこう。セレネには続けたい仕事と研究があるし、カイラも公爵家保安局での職務を整理する必要がある。たまたま俺たちの艦が今日出発するからって、それだけで2人の決断が左右されるようにはしたくないんだ」


「お気持ちは理解しています。今ある生活をすぐに変えなくても、お2人との協力関係は発展させていけますから」


紬はもう一度投影画面を見てから、それを閉じた。


窓の外では、港湾誘導車両がアストレオン・ヴェロリアの停泊位置へ接近し始めていた。


いよいよ出発の時間だった。


『アストレオン・ヴェロリア、こちら帝国軌道交通管制局。出航申請の照合を完了しました。現在の推進状態を維持し、ドッキング解除の準備状況を報告してください』


正式な通信回線を通じて、管制官の声が響いた。


ヴェスペラはすぐに航法表示を出航モードへ切り替えた。


「帝国軌道交通管制局、こちらアストレオン・ヴェロリア。出航準備完了。全ドッキング接続部は解除可能な状態にあります。移動許可を待機します」


紬はセラフィエルを見た。


「手順どおりに始めよう。港の職員に、エンジンの性能を見せびらかそうとしているんじゃないかと思われるような機動は必要ないからな」


「もちろんです、紬。交通管制の境界をすべて通過するまでは、民間航行用の推進設定を維持します」


アストレオン・ヴェロリアと港湾ターミナルを結んでいた機械式接続部が、1つ、また1つと解除され始めた。


外部映像では、巨大なドッキングアームが船体からゆっくりと離れていく。すべての物理的接続が安全に切り離されたことをシステムが確認すると、それまで緑色だった表示灯が白色へ変わった。


艦の構造全体に、かすかな振動が伝わった。


乗客の快適性を損なうような揺れではない。


それは、アストレオン・ヴェロリアがもはやドッキング施設に支えられていないことを示す、小さな変化だった。


『ドッキング解除完了。アストレオン・ヴェロリア、C-17回廊に沿った移動を許可します。指定された外側境界に到達するまで、民間交通の速度制限を遵守してください』


ヴェスペラは指示を復唱してから、紬へ振り向いた。


「艦長、移動許可を受信しました。離脱航路は開放されており、航路周辺の物体もすべて識別済みです。いつでも出航機動を開始できます」


紬は椅子の背もたれに身体を預けた。


「よし。位置保持を解除して、ターミナルから出してくれ。その後は交通管制の境界を越えるまで、承認済みの航路に従おう」


「了解しました。出航を開始します」


観測窓の外で、ターミナルの構造物がゆっくりと遠ざかっていった。


アストレオン・ヴェロリアは、艦内からではほとんど動きを感じられない速度で停泊位置を離れた。姿勢制御用スラスターが連動し、長大な船体を指定航路の中央に保っている。


左舷側では、異なる高度を商船が通過していった。外部コンテナに沿って並ぶ航行灯が小さな光の列を作り、港湾誘導車両は、もう付き添いが必要ないことを確認すると、別のターミナルへ進路を変えた。


紬はその景色を眺めていた。


「改めて考えると、帝都って本当に大きいんだな。結構長い間ここにいたのに、周りで行われている活動の、ほんの一部しか見ていない気がするよ」


ヴェスペラが頷いた。


「このような星系を支えているのは、宮廷や軍事艦隊の活動だけではありません。交易、船舶整備、労働者の移動、食料品の輸送、そして大きなニュースになることもない何千もの小さな旅があります。保安上の紛争が起きている間も、惑星での生活を止めないためには、大多数の人々がそれぞれの仕事を続けなければなりませんから」


「俺は、そういうところが好きだな。銀河の誰もが貴族の事情や戦争のことばかり考えているわけじゃないと思うと、ずっと現実味がある。荷物を届け終えて、家に帰って、家族と食事をして、また明日も働きたい。それだけの人たちもいるんだよな」


レアは頬杖をついた。


「だったら、ヴェルドラコンを出たら、おいしい料理とモビルフレームのアリーナがある場所を探すのはどう? 休みたいのはわかっているけど、艦長、その2つは別に矛盾しないと思うんだよね。私は訓練できるし、艦長は食事を楽しめるし、みんなそれぞれ楽しいことができるでしょ?」


「アリーナのことは、本当に忘れないんだな」


「もちろん。提案をもっと魅力的に聞こえるようにしたほうがいいなら、ショッピングセンターと観光地も追加できるよ」


ランがすぐに応じた。


「予算を決め、アリーナの近くで偶然セールを見かけたというだけで新しい装備を購入しないのであれば、検討できる計画だと思います」


「ラン、私がいつも何も考えずにお金を使っているみたいに聞こえるんだけど」


「購入の判断は、本当に必要なものを把握してから行うべきだと申し上げているだけですよ」


機関部の通信越しに、カリスタが笑った。


「今回ばかりはランに賛成だな。レアが希少な交換部品を売っている店を見つけたら、私自身が確認したい。広告にモビルフレームの性能が30%向上すると書いてあったから、なんて理由だけで買われたら困るからな」


「私だって、そんな簡単に広告を信じたりしないよ!」


紬は彼女たちの会話を続けさせたまま、メインスクリーンを眺めていた。


帝都が少しずつ小さくなっていく。


現在の位置からは、ヴェルドラコンの軌道領域全体が、1つのまとまりとして見え始めていた。


環状の工業施設、交易航路、防衛ステーション、旅客ターミナル、そして、それらの間を絶えず行き交う船舶。


惑星の地表の一角には、今、オーレリアが自分の生活を送っている場所がある。


紬は、彼女が月に3回は連絡を取り続けたいと約束を求めてきたことを思い出した。


専門家としての自由を守る道を選んだセレネのことも、以前からの責任を急いで捨てることなく、自分の能力を伸ばしたいと願ったカイラのことも。


すべての始まりは、旅の途中で見つけた、たった1基のスリーピングポッドだった。


紬はため息をついた。


「俺はただ、一人を送り届けただけなのに」


隣に立っていたセラフィエルが振り向いた。


「はい」


「どうして、こんなことになったんだろうな?」


セラフィエルは微笑んだ。


「艦長の旅は、当初の計画どおりに単純には進まないことが多いですから。オーレリア様を発見したとき、あなたは彼女を無事に帰還させることを決めました。その後も安全が脅かされていると知って、責任を持って対応できる人々に問題が引き継がれるまでは、放っておきたくなかったのでしょう。ですから、最終的な結果が、到着ターミナルで乗客を1人引き渡すだけの話で終わることは、最初から難しかったのだと思います」


紬は彼女を見た。


「そう説明されると、俺がわざわざ仕事を増やしに行った人間みたいに聞こえるな。最初の計画は、彼女を家へ送り届けて、艦の用事を済ませて、ほかの問題に巻き込まれる前に旅を続けることだったって、今でもはっきり覚えているんだけど」


「自分から問題を探しに行ったとは申し上げていませんよ。ただ、目の前にあるものを見なかったふりもしなかった。それは別のことだと思います」


紬は小さく笑った。


「わかった、降参だ。少なくとも今回は、帝国政府の一員になることなく、全部終わらせられたんだからな。いつか目を覚ましたら、問題解決に協力したというだけで、誰かが俺のために正式な役職を用意していた、なんてことにはなってほしくないよ」


「そのようなお申し出が、紬の承認待ちになっていないことは確認済みです」


「よかった。もしあったら、朝食前に話し合う必要のない案件一覧へ、すぐに入れておいてくれ」


セラフィエルは笑いをこらえた。


帝都では、オーレリアがヴェイリエンヌ家の居館にある観測窓の前に立っていた。


そこから見える朝の空は明るく、高層建築物の間には空中交通路が伸びている。何隻かの小型船が、大気圏の遥か上方にある軌道施設へ向かっていた。


彼女の個人端末には、正式な通信回線を通じて届いたばかりの通知が表示されていた。


アストレオン・ヴェロリア――出航通知


| 項目 | 状態 |

| ------- | ---- |

| ドッキング解除 | 完了 |

| 帝都からの出航 | 進行中 |

| 出航回廊 | C-17 |

| 艦の状態 | 正常 |


オーレリアは報告を最後まで読んだ。


艦が出航手続きを行っていると知っても、もう一度港へ向かうための車両を手配するよう頼んだり、紬へ連絡を取ろうとしたりはしなかった。


代わりに、公開軌道図を開いた。


小さなアイコンが、帝都からゆっくりと遠ざかっていくアストレオン・ヴェロリアの位置を示していた。


「本当に、今朝出発したんですね」


少し離れた場所にいた付き添いの職員が振り向いた。


「オーレリア様、追加のお別れのメッセージをお送りするため、通信回線をご用意いたしましょうか? あちらの艦が主要通信領域を離れる前でしたら、まだ港湾中継網を通じて送信できますが」


オーレリアは微笑みながら首を横に振った。


「必要ありません。昨日、もうお別れは伝えましたし、紬さんは今、きっと出航の仕事をしているはずです。まだ話し足りないと私が感じているからというだけで、メッセージに返事をしなければならないと思わせたくはありません」


それから彼女は、画面の脇に表示された自分の予定表へ目を向けた。


教育活動、医療検査、限定的に承認された文化施設への訪問。


そのカレンダーには初めて、自分自身で選んだ予定がいくつも書き込まれていた。


「以前お話しした日程で、文化センターへの訪問を確定してください。それから、次に家庭教師とお会いする前に、追加の教材一覧にも目を通したいと思います。家族の側から変更の希望があれば、まず私へ伝えてください。一緒に調整内容を話し合いたいので」


「承知しました、オーレリア様。新しい取り決めに従って、お申し出をお伝えいたします」


付き添いの職員が退室すると、オーレリアは再び軌道図を見つめた。


アストレオン・ヴェロリアのアイコンは、さらに遠くへ移動していた。


紬が、どんな会話でも儀式めいたものにすることなく、自分に話しかけてくれたことを思い出す。


最初は不安に満ちていた旅が、やがて、自分の意思で生きる人々を知る機会へ変わっていったことも。


彼女の頬が、わずかに赤く染まった。


「いつかまた、あなたに会えたら、紬……」


オーレリアは少し言葉を止め、窓ガラスに映る自分へ微笑みかけた。


「私、あなたと結婚するわ、紬」


その言葉を聞いたのは、室内にいる彼女自身だけだった。


メッセージとして送ることも、誰かに記録を頼むこともなかった。そして、たった今口にした気持ちを、これから自分が歩んでいくべき生活をおろそかにする理由にもしなかった。


今はもっと多くのことを学び、まだ見たことのない場所を訪れたい。


そして、かつて救われた貴族の娘として知られるだけではなく、1人の人間として紬の前に立てるようになりたかった。


画面の中で、艦のアイコンがついに公開軌道図の表示範囲を越えた。


オーレリアは地図を閉じ、端末を手に取ると、自分で選んだ最初の予定へ向けて歩き出した。


「艦長、帝都の交通管制最終境界を通過しました。帝国軌道交通管制局より、アストレオン・ヴェロリアの出航手続きがすべて完了したとの確認を受信しています。民間回廊に関係する速度制限は、すべて解除されました」


ヴェスペラの声が、紬の意識を指揮デッキへ引き戻した。


メインスクリーンでは、帝都はもう遥か後方にあった。


ドッキングアームも、誘導車両も、回避しなければならない船舶の列もない。


見えるのは広大な宇宙空間と、星系外縁施設から届くいくつかの光、そしてヴェルドラコンと周辺領域を結ぶ交易航路だけだった。


紬は椅子を少し回した。


「さて。今度はどこへ行こうか?」


セラフィエルがコンソールの上で手を動かした。


軌道図が消え、代わりに銀河地図がゆっくりと指揮デッキいっぱいに広がっていく。


何百もの星系が光の点となって現れ、人口の多い領域同士を交易路が結んでいた。まだ完全には調査されていない区域には透明な層が重ねられ、主要航路の間には、大きな統治機関の中心地から遠く離れた独立コロニーが点在している。


セラフィエルは、そのうちの1つの地域を拡大した。


「もう一度、自由度の高い旅を楽しみたいという紬のご希望に合う地域を用意しました。この一帯には、活発な交易路、複数の探査区域、独立コロニー、観光施設、採掘星系、そして民間契約や護衛業務を扱う傭兵協会の支部があります。今すぐ最終目的地を決める必要はありません。まずはこの地域へ入り、クルー全員にとって最も興味深い活動に合わせて、立ち寄る場所を選ぶことができます」


紬は投影図を眺めた。


銀河航路検討――次の旅行地域


| カテゴリー | 利用可能状況 |

| -------- | --------- |

| 主要交易路 | あり |

| 探査区域 | 複数あり |

| 独立コロニー | あり |

| リゾート施設 | あり |

| 採掘星系 | 複数あり |

| 傭兵協会の契約 | あり |

| 帝都の管轄区域 | 計画目的地の範囲外 |

| 活動中の戦闘区域 | 航路選定から除外 |


ヴェスペラが、その地域へ入るための航路をいくつか表示した。


「検討に値する進入経路は3つあります。主要交易路は補給施設が多く、交通も整備されています。探査回廊は目的地の選択肢こそ少なくなりますが、まだ大規模な交易拠点へ発展していない星系をいくつか訪問できます。一方、独立コロニーを経由する航路なら、すぐにどこかの統治機関の首都へ向かうことなく、観光、商業活動、傭兵協会の仕事を組み合わせられます」


紬は表示された比較表を読んだ。


| 航路候補 | 旅の特徴 | 想定される活動 |

| -------- | -------------- | ------------ |

| 交易回廊 | 交通量が多く、施設が充実 | 商業、補給 |

| 探査回廊 | 訪問者の少ない領域 | 調査、探査 |

| 独立コロニー経由 | 居住地と産業地域の組み合わせ | リゾート、採掘、傭兵業務 |


「3つ目がいいな。休める場所を探して、地元の市場を見て回って、それから面白そうな契約があるか考えればいい。ヴェルドラコンにいたときみたいに、最初の数日からクルー全員がまた警戒態勢に戻らなきゃいけないような仕事はしたくないからな」


レアがすぐに振り向いた。


「それなら私も独立コロニー経由に1票! ああいう場所には、いろんな背景を持つ人が集まることが多いし、スポーツ施設やモビルフレームのアリーナがあれば、軍事関係の問題に巻き込まれずに遊びに行けるでしょ? 貴族の好みに合わせて作られたものじゃない料理も食べてみたいな」


ランは交易情報を自分のコンソールへ移した。


「物流面から見ても、合理的な選択ですね。購入場所を決める前にコロニー間の補給価格を比較できますし、商業協会を通じて取引する価値のある商品がないかも確認できます。ただし、報酬額だけを見て契約を受けることは避けたいと思います。移動費用、作業期間、そして休暇の計画を妨げる可能性まで考慮したいので」


「賛成だよ、ラン。契約掲示板に出てくる仕事を、全部追いかける必要はないからな」


カリスタも機関部との通信を通じて加わった。


「私も、十分な産業施設がある目的地に賛成だ。面白そうな独立系造船所や部品市場があれば、技術の発展状況を見ておきたい。何も調べずに買い物をするつもりはないが、採掘星系をいくつも通り過ぎておきながら、そこで産出される素材を見る暇もなかったら、せっかくの旅がもったいないだろう」


レアはにやりと笑った。


「ほら、今度はカリスタ自身が買い物に行きたくなってる」


「私は技術的な視察がしたいんだ。包装が魅力的だからというだけで装備を買うのとは違う」


「はいはい。そう呼んだほうが嬉しいなら、技術的な視察ってことにしておこうね」


ヴェスペラは彼らの注意を地図へ戻した。


「艦長、最初の目的が独立コロニーの地域へ入ることであれば、交易路や探査区域へもアクセスできる航路を構築できます。旅のすべてを今決める必要はありません。到着後、より新しい現地情報に基づいて、寄港地の候補を更新できます」


紬は目の前に広がる銀河地図を見つめた。


貴族の家族からの命令はない。


惑星の前面で位置を維持してほしいという要請もない。


証言の予定も、ドッキング制限も、政治的な会合へ出席する義務もない。


あるのは1隻の艦と、自ら選んでその艦に乗り、ともに旅をする仲間たち。


そして、まだ訪れたことのない数え切れないほどの場所だけだった。


紬は微笑んだ。


「よし。行こうか」


セラフィエルは頷き、長距離航行の準備を開始した。


「アストレオン・ヴェロリアを星間航行構成へ移行します。ヴェスペラ、艦長が選択された航路に従い、初期航路を設定してください。カリスタ、構成変更の全手順が完了しましたら、主推進システムの準備状況を確認してください」


「了解しました。航路データを固定中です。予定機動区域内に民間物体はなく、交通回廊からの距離も加速開始の要件を満たしています」


「機関部、指示を受領した。出力を上げる間は私が応答を監視するから、先に知らせずに加速プロファイルを変更しないでくれよ」


紬はセラフィエルを見た。


「それと、もう1つ」


「はい、紬?」


「今度は王国がないところにしてくれ」


セラフィエルは微笑んだ。


「それはお約束できません。目的地域には確かに独立コロニーがいくつもありますが、星系間の交易関係によって、旅の途中でさまざまな管轄領域を通過することになりますから。ただ、最初の観光目的地として、意図的に王国の首都を選ぶことはないとお約束できます」


紬はため息をついた。


「……そんな気はしていたよ」


戦術コンソールからレアの笑い声が聞こえ、ランは交易報告書の確認へ戻り、ヴェスペラは座標の固定作業を仕上げていった。


観測窓の外では、アストレオン・ヴェロリアが速度を上げるにつれて、光の点がゆっくりと位置を変え始めていた。


帝都は今や、ヴェルドラコン領域に散らばる何千もの天体の中で、ひときわ明るい光の1つにすぎなかった。


紬は椅子の背もたれに身体を預けた。


「ヴェスペラ、選んだ航路で進めてくれ。セラフィエル、すべての条件が揃ったらFTLを起動してほしい。新しい地域にどんな場所があるのかを見てから、どれくらい滞在するか決めたいんだ」


「航路を確認しました、艦長。星間航行シーケンスを開始します」


「ASTRA TRANSCENDENCE、起動準備完了です、紬。全システムは規定の運用範囲内にあります」


艦の前方で、空間の様子が変わり始めた。


それまで小さな点として散らばっていた星々の光が、視界に沿って長く伸びていく。航法システムが艦の姿勢を維持する一方、主推進システムはアストレオン・ヴェロリアを指定航路へ導いていた。


爆発はない。


砲撃もない。


前方で待ち構える敵艦隊もいない。


ただ、遷移の成功を確認するヴェスペラの落ち着いた声が響き、続いてセラフィエルから、全システムが正常に動作しているとの報告が届いた。


アストレオン・ヴェロリアはFTLへ移行した。


帝都が、彼らの背後へ消えていく。


艦内では、ランが目的地域の交易報告書を準備し始め、レアは訪問可能な娯楽施設の一覧を開いていた。カリスタは遷移後の点検を終えるために機関部へ戻り、ヴェスペラは新たな地域へ伸びる航路の監視を続けている。


セラフィエルは、変わらず紬の隣にいた。


「まずリゾート施設の一覧を表示しましょうか? それとも、港湾施設が最も充実しているコロニーの情報からご覧になりますか?」


紬は、まだ中身の残っているコーヒーカップを手に取った。


「両方見せてくれ。食べ物がおいしくて、景色がよくて、艦から降りるだけで何十ページもの書類を書かされない場所を探したいんだ。その後で、旅を楽しみながら取り組めそうな、面白い契約があるか見てみよう」


「承知しました。入手可能な最新情報に基づいて、お勧めを用意しますね」


紬はもう一度、銀河地図を見つめた。


遥か後方のどこかでは、オーレリアが自分で選んだ人生を歩み始めている。


セレネは独立した医師として仕事へ戻り、カイラには、自分の専門能力をどのように伸ばしていきたいのか、選ぶ機会が生まれていた。


彼女たちは、ヴェルドラコンを離れる艦には同行していない。


けれど今回の旅で紬は、いつかどこかで、無数に広がる星系の間で、再び出会うかもしれない人々と知り合うことができた。


次の再会がどのようなものになるのかは、まだわからない。


今は、それを決める必要もなかった。


アストレオン・ヴェロリアの前方には、再び広大な銀河が広がっている。


そして、次なる旅が始まった。


【第四巻・完――「俺はただ、一人を送り届けただけなのに」】


【次巻・第五巻――「銀河の果てで、また自由を」】


銀河の果てで、もう一度自由を。


【第四巻・完】


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