【第118話】「一つずつ、片付いていく」
【第118話】「一つずつ、片付いていく」
ヴェルドラコン帝都――アストレオン・ヴェロリア、指揮デッキ → エウフォリア医療研究所 → グランドサロン → ドッキングエリア
帝都の景色は、アストレオン・ヴェロリアが初めてヴェルドラコンの軌道領域へ進入したときと、何も変わっていなかった。
惑星を取り囲む交易航路には、数千隻もの船が行き交っている。中型旅客船は到着ターミナルへ向かう列に従い、工業植民地から来た貨物船団は、荷役施設への接近許可を得るため、税関検査を受けながらゆっくりと進んでいた。
遠方では、帝国宇宙海軍の哨戒艦が小規模な護衛編隊の下を通過していく。エンジンの光が、ゆっくりと回転する環状ステーションの表面に反射し、やがて港湾施設の構造物の向こうへ消えた。
帝都で暮らす数百万人にとって、それはありふれた日常の風景にすぎない。
しかし紬にとっては、その景色もそろそろ見慣れすぎたものになり始めていた。
彼は艦長席に座り、セラフィエルから届いたばかりの報告書を読んでいた。その隣には、長い髪の女性が実体のある身体で立っている。彼女は時折、透明端末の上で指を動かし、完了した書類と、まだ対応が必要な案件を振り分けていた。
「紬、公爵家行政局から更新情報を受け取りました。オーレリア様の護衛名簿改竄に関する調査は、内部法的手続きへ移行しています。ヴェイリエンヌ家は、アストレオン・ヴェロリアに特別警戒態勢の維持を求めておらず、現在の調査段階におけるあなたの証言も、すべて完了したと認定されました」
紬は顔を上げた。
「つまり、同じ書類の中で名前が食い違っているのを誰かが見つけたからって、また俺たちを呼び出すことはないんだな? 本当に必要なら証言するのは構わないけど、護衛名簿を書き換えた連中と俺たちには何の関係もないって、もう何度も説明しているからな」
「はい。追加の法的対応が必要になった場合、当局は正式な連絡経路を使用します。内部手続きが続いているという理由だけで、艦の出航を引き留める行政上の根拠は、すでにありません」
セラフィエルは、読んでいた文書を拡大した。
公爵家保安事件――行政処理状況
| 案件 | 状態 |
| ----------------- | ---------- |
| 帝国護衛要請の改竄 | 確認済み |
| 護衛名簿の不一致 | 記録済み |
| 正規アクセス権限の悪用 | 内部法的手続きへ移管 |
| 星崎紬の証言 | 完了 |
| アストレオン・ヴェロリアからの証拠 | 受領・保全済み |
| 艦に対する保安上の制限 | 解除 |
| 今後の対応 | 公爵家法務当局 |
文書の下部には、証人としての義務が完了したことと、関係者に対する法的手続きがすべて終了したことは同義ではない、という注記があった。
紬はそれを読んでから、報告書を閉じた。
「その2つをきちんと区別してくれるなら助かるよ。責任のある人間には、しかるべき調査を受けてもらいたい。でも、公爵家の裁判が全部終わるまで待つつもりはないからな。もし何か月もかかったら、その間ずっと港にいろっていうのか?」
行政管理コンソールに座っていたランが、すぐに応じた。
「何か月もかかるようでしたら、私たちに滞在を求めた側へ係留費用を請求しますよ、紬。独立した設備を備える個人所有艦であっても、港湾使用料、運航許可、外部サービスの記録処理は必要です。できれば、今日中にすべて完了させたいところですね」
レアは両手を頭の後ろに回していた。別の旅客船がターミナルを離れ始めるのを見て、狐の耳がぴくりと動く。
「私もそろそろ出発したいよ、紬。ここ数日は、報告書を確認して、お客さんを迎えて、公爵家からの連絡を待って……その繰り返しだったでしょ? カイラさんたちとの演習は楽しかったけど、そのせいで余計に、ちゃんと機動できる場所でモビルフレームを飛ばしたくなっちゃった」
技術コンソールからカリスタが彼女をちらりと見た。
「整備予定も考えずに激しい機動をしたいって意味なら、まずはシミュレーターでも探してくれ。演習で使った機体の検査を終えたばかりなんだ。操縦士が退屈しているって理由だけで、アクチュエーターの壊れた機体を持ち込まれるのは御免だからな」
「まだ同じ機体を使いたいとすら言ってないよ。どうしていきなり壊す前提なの?」
「お前が機体の許容限界をどう扱うか、知っているからだ。コックピットに座るたび、最大値って数字を達成すべき目標だと思っているだろう」
「それは機体の性能を活用しているっていうの。メーカーが最大値を設定しているなら、仕様書にその数字を載せている理由だってあるでしょ?」
「ああ。操縦士がどこで止めるべきか知るためだ。毎日の訓練目標にするためじゃない」
紬はしばらく2人の言い合いを聞き流し、セラフィエルへ視線を戻した。
「オーレリアと、セレネさんの検査はどうなっている? まだ先に片付けるべきことが残っているなら、出航申請を進めたくないんだ」
セラフィエルは次の報告書を開いた。
「オーレリア様は追加の経過観察を受けており、緊急治療を必要とするような変化は確認されていません。セレネさんは、私たちとの旅の間に行っていた経過観察について、最後の医療評価をまとめているところです。その報告書が権限を持つ関係者へ提出されれば、以降の医療上の責任は、すでに合意された専門的な体制へ引き継ぐことができます」
「だったら、終わった後で会いに行こう。ヴェルドラコンを離れる前に、何か気をつけておくべきことがないか、本人から直接聞いておきたい」
セラフィエルは頷いた。しかしパネルを閉じる前に、端末の端へ新しい通知が現れた。
認証枠の中で、傭兵協会の紋章がゆっくりと回転している。
「紬、もう1件あります。傭兵協会の事務局から、帝都領域での保安事件中に私たちが遂行した民間人保護契約について、評価結果が届きました。ランクの更新は正式に承認され、現在はあなたのギルド登録情報へ反映されています」
紬は首を傾げた。
「ようやく終わったのか? まだ処理中だったことを、ほとんど忘れかけていたよ。あのとき担当者は、任務結果が条件を満たせば2段階昇格する可能性があるって言っていたけど、その後はオーレリアの件で忙しかったからな」
セラフィエルは、ギルド当局の電子署名が付されたデジタル証明書を表示した。
宇宙傭兵協会
会員資格更新通知
| 会員情報 | 内容 |
| ---- | ------------- |
| 氏名 | 星崎紬 |
| 登録区分 | 独立宇宙傭兵 |
| 登録艦 | アストレオン・ヴェロリア |
| 旧ランク | E ― 初心者 |
| 新ランク | C ― プロフェッショナル |
| 昇格幅 | 2段階 |
| 評価状態 | 承認済み |
| 会員資格 | 有効 |
その下には、彼のプロフィールへ新たに記録された等級の変化を示す、小さな図があった。
ランク昇格履歴
E ― 初心者 → D ― 地域契約者 → C ― プロフェッショナル
紬は最後の表示を見つめた。
「本当にEからCへ一気に上がったんだな。次の昇格を認める前に、追加でいくつか契約をこなすよう言われるかと思っていたよ」
ランが椅子を寄せた。
「通常の契約であれば、評判を高めるには十分な実績が必要です。しかし、緊急事態における民間人保護契約には別の評価基準が適用されます。特に、作戦結果を地域当局が検証でき、多くの人命に関わる場合はなおさらです。この昇格はアストレオン・ヴェロリアの大きさによるものではなく、紬、あなたの名義で記録された仕事の成果によるものですよ」
セラフィエルは評価書の添付資料を開いた。
契約評価――民間人保護
| 評価基準 | 結果 |
| --------------- | ---------- |
| 民間航路の保護 | 完了 |
| 武装脅威への対処 | 完了 |
| 作戦空域の規定遵守 | 検証済み |
| 保護作戦に起因する民間人の死者 | 0 |
| 武力行使 | 審査済み |
| 地域当局の証言 | 受理 |
| 総合評価 | 卓越した契約遂行実績 |
「また、この結果を受け、ギルドは最終評価後の報酬調整も完了しています。契約提示時に記載されていた金額は、すでに最終支払額ではありません。星間銀行ネットワークによって、入金も確認されています」
紬は次の画面を見た。
個人口座――認証済み取引
| 項目 | 内容 |
| ------------ | ------------- |
| 傭兵協会――最終契約報酬 | +1,000,000 GC |
| 受取人 | 星崎紬 |
| 口座 | 個人口座 |
| 状態 | 決済完了 |
彼は、その数字をもう一度読み直した。
「100万? ちょっと待ってくれ。契約を提示されたときの報酬って、500,000 GCじゃなかったか? 支払い処理で金額を間違えたんじゃないだろうな?」
「送金ミスではありません、紬。当初の金額は、作戦完了前に提示された報酬です。結果の検証と評価調整を経て、ギルドは最終支払額を1,000,000 GCに決定しました。決定通知も添付されていますので、すべての取引について、確認可能な行政上の根拠が存在します」
ランは満足そうに微笑んだ。
「裏付けとなる書類もないまま大金を受け取るより、私はこういう説明のほうが好きですね。少なくとも、契約内容と一致しない資金の出所について、銀行から質問を受けずに済みます。それに、今回の報酬はあなたの個人口座へ入金されていますから、艦の運用資金と勝手に混ぜることもしません」
レアが小さく口笛を吹いた。
「一気に2ランク昇格して、報酬も1,000,000 GCかあ。こうなると紬、Cランク向けの専門契約も、そろそろ考えてみてもいいんじゃない? 今すぐ受けなくてもいいけど、ギルドがプロフィールを更新した後、どんな仕事を紹介してくるのか気になるよ」
紬は彼女を見た。
「俺はさっき休暇が欲しいって言ったばかりなのに、もう次の仕事の話か。せめて夕食までは、この朗報を楽しませてくれよ」
「一覧を見てみたいって言っただけだよ。明日の朝すぐ出発しようって頼むとは限らないでしょ?」
「モビルフレーム戦が含まれる契約を見つけたら、かなりの確率で明日の朝に出発したいって話になると思うけどな」
「契約が面白そうで、しかも休暇の目的地に近かったら、そのほうが効率的じゃない? 少し仕事をして報酬をもらって、残りの時間で遊べばいいんだから」
「それは休暇じゃない。仕事の合間に休憩を挟んでいるだけだ」
ヴェスペラは航行図から目を離さずに微笑んだ。
「契約の一覧は、後で読めるよう保存しておきますね、紬。今のところ、ヴェルドラコンへ入って以来まだ達成できていない目的が1つ残っています。この軌道領域から離れる許可を得ることです」
「そうだったな。次の契約は後回しにしよう。レアが滞在期間を延ばす新しい理由を見つける前に、本当に出発できるか確かめたい」
「どうして私のせいになってるの? 私だってここから出たいんだけど!」
指揮デッキのコンソールの間に小さな笑い声が広がる中、セラフィエルは次の報告書を紬の個人端末へ転送した。
オーレリアの最後の検査は、ヴェイリエンヌ家の医療施設で行われた。セレネ・アルカディアは独立した医師として、これまでの経過観察期間に関する追加評価をまとめる役割を担っていた。
紬が、開示を許可された報告書の写しを受け取るため、アストレオン・ヴェロリアのエウフォリア医療研究所へ到着すると、セレネはすでにセラフィエルとともに彼を待っていた。
診察室は柔らかな光に照らされている。透明な壁の向こうでは、複数の医療装置が自動で滅菌処理を終え、検査システムが管理用サンプルをそれぞれの保管場所へ戻していた。
セレネが身に着けているのは、公爵家の制服ではなく、医師としての仕事着だった。
「紬、オーレリアが私たちの経過観察下にあった期間について、医療上の責任に関わる評価をすべて完了しました。現在の状態は十分に安定しており、今後は家族が指定した施設で、定期検査と観察結果に応じた活動調整を行いながら、回復を続けることができます。また、限定的な旅行の許可を得たからといって、検査予定を無視してよい理由にはならないことも、きちんと説明してあります」
紬は彼女の向かいに座った。
「ずっと治療施設にいなくてもいいなら、よかったよ。昨日、ようやく自分で活動の一部を選べるようになったばかりだからな。早まってお祝いした後で、医者からまだ部屋を出てはいけないと言われたら、さすがに申し訳ない気分になる」
セレネは微笑んだ。
「普通の生活を送ることまで禁止しているわけではありません。私が求めているのは、身体の適応過程を考慮しながら、活動内容を変えていくことです。長期間スリーピングポッドに入っていた後の回復は、外見だけで判断できるとは限りません。本人は旅行できるほど健康だと感じていても、睡眠パターン、代謝反応、活動への耐性については、引き続き観察する必要があります」
彼女は診察用端末を起動した。
オーレリア・ヴェイリエン――経過観察概要
以前の治療に関与した関係者への開示が許可された要約。
| 項目 | 評価 |
| ------ | -------------- |
| 全身状態 | 安定 |
| 代謝適応 | 経過観察中 |
| 神経学的反応 | 急性の異常を示す所見なし |
| 睡眠パターン | 定期的な観察が必要 |
| 日常活動 | 段階的な増加が可能 |
| 限定的な旅行 | 医療上の承認を条件に検討可能 |
| 追加検査 | 関係施設を通じて予定済み |
紬は表を最後まで読み、最後の項目を指さした。
「つまり、俺たちが出発した後も、オーレリア本人の同意があれば、必要なデータは担当医へ引き継げるんだな? 家族に行政部門がたくさんあるからって、彼女の医療情報がいろんな事務局へ渡るようなことにはしたくないんだ」
「それが、専門的な協力体制を別途整えた理由の1つです。医療情報は、治療上の必要性と患者本人の同意に基づいて提供されるべきものであって、家族組織の中で高い地位にいるという理由で渡されるものではありません。関係者にはその点も説明し、次の経過観察段階に適用される条件について、了承を得ています」
セラフィエルが、艦内の記録管理について補足した。
「アストレオン・ヴェロリアのシステムに保存されている写しも、医療情報のアクセス方針に従って保護されます。この報告書の内容が、保安部門や家族の行政部門へ自動的に提供されることはありません。今後のデータ請求にも、適切な根拠が必要です」
セレネは満足そうに頷いた。
「認識が一致していて安心しました。私がしばらくヴェルドラコンに残る必要があった仕事も、これですべて完了です。今後は、以前から延期していた医療研究を含め、自分自身の専門活動を改めて調整するつもりです」
紬は椅子の背もたれに身体を預けた。
「じゃあ、君もようやく公爵家の用事から解放されるんだな。検査の結果を見た後で、また常勤の役職を提案されるんじゃないかと思っていたよ」
「今後の協力の可能性については話がありましたが、私の判断は変わりません。専門的な条件が合うのであれば患者を診ることに異論はありませんが、医師としての責任を、特定の家族の政治的義務と混同したくはないんです。医療上の判断を独立した立場で維持できる環境のほうが、私には合っていますから」
「それはもっともだと思うよ。元の検査結果が気に入らないからって、誰かが君に書き換えを命じるようなら、むしろ俺はその職場の質を心配するけどな」
セレネは小さく笑った。
「医療倫理の問題をずいぶん簡潔に表現されますね。でも、その結論には異論ありません。ところで、旅の間に話し合った医療技術のいくつかについて、今でも研究してみたいと思っています。もちろん、艦内施設のすべてへ自由にアクセスさせてほしいという意味ではありません。ただ、研究内容によっては、共同研究を検討できるかもしれませんね」
「俺たちの旅を妨げない範囲なら、話し合うのは構わないよ。詳しいことはセラフィエルと調整してくれ。それと、患者に関わるなら、必要な同意がすべて明確になってから作業を始めてほしい」
セレネはしばらく彼を見つめた。
それから、今度は少しくだけた口調で、別の質問をした。
「紬、オーレリアの報告書とは直接関係のないことを、1つお聞きしてもよろしいですか? この艦の医療施設には、普通の個人旅行に必要な水準を大きく超える能力がありますよね。それなのに、艦内で直接勤務している医療専門職は、あまり多くないように見えます。こちらでは、医師を受け入れているのでしょうか?」
紬はセラフィエルをちらりと見てから、セレネへ向き直った。
「医者によるかな」
セレネは微笑んだ。
「公平なお答えだと思います。私も、治療室が立派に見えるという理由だけで、艦で働く話を受けたりはしません。医療上の責任を誰が負うのか、専門的な判断がどのように下されるのか、そして患者の安全に反する要求を医師が拒否できるのか。そうしたことを知る必要がありますから」
「いつか本気で話し合いたくなったら、条件について相談すればいい。ただ、今日は君を採用しようとしているわけじゃないし、俺たちがもうすぐヴェルドラコンを離れるからって、急いで決める必要もないよ」
「そう言っていただけると助かります。今は、まず自分の専門的な用事を片付けたいんです。ただ、そうした可能性があるのかどうかを知りたかっただけで、次の旅行予定を考える前から、私の部屋を用意してほしいとお願いしているわけではありませんから」
セラフィエルもかすかに微笑んだ。
「もし今後、そのお話が具体的に進むことになりましたら、協力条件を明確に整えるようにします。これまで良好に続いてきた専門的な関係を、急いで別の形へ変える必要はありませんから」
セレネは端末を閉じて立ち上がった。
そして紬へ手を差し出した。
「オーレリアの経過観察を私に任せてくださって、ありがとうございました。それから、医療上の説明によって旅行予定が望んでいた以上に複雑になったときも、きちんと耳を傾けてくださったことに感謝しています」
紬はその手を握った。
「医者が患者には回復する時間が必要だと言っているのに、大きな艦を持っているからって、俺のほうが詳しいふりをする理由はないよ。それに、オーレリアはもう十分いろんな問題に巻き込まれているんだ。せっかちな艦長の判断で、さらに問題を増やす必要もないだろう?」
セレネは、いっそう大きく微笑んだ。
「それでしたら、次の旅がずっと穏やかなものになるよう願っています。もっとも、ここしばらくの出来事を見ていると、その願いが簡単に叶うとは思えませんが」
「出発直前に、不吉な前触れみたいなことを言わないでくれよ」
「私が知っている旅行履歴に基づいてお話ししているだけですよ、紬。もっと楽観的な予後をお望みでしたら、次は帝国でも有数の有力貴族と関係のある患者を、新たに連れてこないほうがよろしいかもしれませんね」
「最初にスリーピングポッドの中で人を見つけた時点で、そんなことがわかるわけないだろう」
セレネは再び笑い、報告書の完了確認をセラフィエルへ渡した。
紬がグランドサロンへ戻ると、長いテーブルの上に贈呈用の箱が置かれていた。
それほど大きな箱ではなかったが、表面は暗色の素材で覆われ、中央にはヴェイリエンヌ家の紋章が刻まれている。その隣には、受領確認を待つ公式文書を表示した行政端末があった。
ランは暗号化通信を通じて、公爵家の代表者と話していた。
紬が近づくと、セラフィエルが、公爵家の居館から正式な配送品が届いたばかりだと説明した。
「オーレリア様のお父様から、あなた宛てに私信と追加の贈呈品が届いています、紬。今回の送付品は、傭兵協会からの支払いとは別のものであり、ギルドが先ほど評価を完了した民間人保護契約とも関係ありません。文書の認証と送金元は、すでに確認済みです」
紬は箱を見た。
「オーレリアの帰還に関する支払いは、全部終わっていたと思っていたけどな。前の報告書に入れ忘れた追加費用でもあったのか?」
ランは首を横に振った。
「支払いが遅れていた請求書ではありませんよ、紬。公爵家から、オーレリア様が無事に帰還されたことに対する追加の謝礼と、アストレオン・ヴェロリアに滞在されていた間の費用のうち、ご家族が負担すると決めた分の精算金が贈られたのです。以前受け取ったほかの支払いと二重計上にならないよう、金額と名目も分けて確認してあります」
セラフィエルは同封された手紙を開いた。
ヴェイリエンヌ家の公式書式が、テーブルの上に表示される。
宛名は、アストレオン・ヴェロリア艦長、星崎紬。
オーレリアの父親は、旅の間ずっと娘の安全を守ってくれたこと、護衛に関する問題が発生した際も娘を見捨てなかったこと、そして保安上の衝突が武力攻撃へ発展した際、艦が民間人の保護に協力したことについて、感謝を伝えていた。
また、ヴェイリエンヌ家は、それらの援助を理由に、紬へ政治的忠誠や専属的な奉仕を求めるつもりはないとも明記されていた。
そして手紙の終盤にあった、ある個人的な一文を読んだところで、紬はしばらく目を止めた。
公爵家は、星崎紬とアストレオン・ヴェロリアを、信頼を寄せることのできる家族の友人として認める、と。
「家族の友人、か……。これから公式行事のたびに招待状が届くって意味じゃないといいんだけどな。オーレリアの予定表はもう見たし、俺まであんなに詰まった社交予定を持ちたいとは思わないよ」
ランは微笑んだ。
「この手紙には、行事への出席義務は記載されていませんよ、紬。行政上の添付資料も確認済みです。これは敬意と良好な関係を認めるための表明であって、私たちをヴェイリエンヌ家の組織へ組み込む契約ではありません」
「それなら、先に弁護士を探さなくても受け取れそうだな」
セラフィエルが箱の留め具に触れた。
蓋がゆっくりと開き、暗色のクッションの上に置かれたメダルが姿を現した。
銀色と金色の金属を組み合わせた表面には、中央に公爵家の紋章が刻まれている。その下には栄誉章のリボンと、受章者の身元を記した小さな銘板が添えられていた。
ヴェイリエンヌ家――名誉贈呈品
| 項目 | 内容 |
| ----- | --------------------- |
| 受章者 | 星崎紬 |
| 艦船 | アストレオン・ヴェロリア |
| 表彰品 | 公爵家名誉メダル |
| 授与理由 | オーレリア・ヴェイリエンの救出・送還・保護 |
| 関係の認定 | ヴェイリエンヌ家の友人 |
| 政治的義務 | なし |
| 状態 | 名誉表彰 |
レアがメダルを見ようと近づいてきた。
「わあ、これって貴族の家のお土産屋さんで売っているようなものじゃないね。箱まで、重要な作戦を終えた士官に贈る品みたい。紬、これを着けて別の惑星へ行ったら、帝国貴族とつながりがある人だって、すぐに思われそうだよ」
紬は少し困惑した様子でメダルを見た。
「だからこそ、身に着けて歩き回るより、大切にしまっておこうと思うんだよ。服に公爵家の紋章があるのを見ただけで、誰かに俺の政治的な関係を説明しろなんて言われたくないからな」
「でも、礼装と合わせたら結構格好よくなると思うけどなあ。しまう前に、記念写真くらい撮ってもいいんじゃない?」
「写真を撮るのは構わないけど、俺が貴族に叙任されたみたいな説明を付けて投稿するのはやめてくれよ」
「まだ投稿するなんて一言も言ってないよ!」
セラフィエルは公式の写しを保存すると、証明書の表示を閉じた。
「日常的に使用されなくても、この表彰品には個人的な信頼の証としての価値があります。よろしければ、艦長居住区に適切な保管場所を用意しますね」
「頼むよ。レアがいつか思いつくであろう貴族操縦士の衣装に合わせようとして、持ち出さないようにな」
「どうして2人とも、私がコスプレのためにメダルを盗むような人みたいに言うの? まだ箱に触ってすらいないんだけど!」
部屋へ入ってきたばかりのカリスタが、箱の中を見た。
「本当に保管するつもりなら、紬、箱も一緒に残しておけよ。こういうものは、普通の展示ケースより保護性能の高い内張りが使われていることが多いからな。何年か後になって、旅先の土産物の間に放り込んでおいたせいで公爵家の贈り物を傷めた、なんて言われるのは勘弁だぞ」
「中古品みたいに扱ったりしないよ。どうしてみんな、俺がこのメダルで何か変なことをする前提で話しているんだ?」
ランが小さく咳払いした。
「受領書類を閉じる前に、もう1つ確認していただく部分があります、紬。ヴェイリエンヌ家からの金銭的な贈呈も、すでに入金されています。銀行の通知との照合も完了しました」
取引画面が現れた。
星間銀行ネットワーク
ヴェイリエンヌ家――認証済み送金
| 内訳 | 金額 |
| ---------------------- | ------------ |
| オーレリアの送還・保護に対する追加謝礼 | 2,500,000 GC |
| 旅行中のオーレリアの滞在費・生活費への負担金 | 1,400,000 GC |
| 送金総額 | 3,900,000 GC |
| 状態 | 決済完了 |
紬は最後の行の数字を見つめた。
それから、ランを見る。
「ほぼ400万GC? 公爵家に大きな財力があるのはわかっているけど、それでも想像していたよりずっと多いな。オーレリアの滞在費が、後から本人に返済させるような扱いになっていないことは確認してあるんだろうな?」
「文書には、これらの資金は家族側からの贈呈および費用精算であり、オーレリア様への貸付金ではないと明記されています。また、見返りとしてあなたに次の護衛契約を受ける義務を課す条項がないことも確認済みです。ご家族としての立場と責任にふさわしい形で、感謝を伝えたいということなのでしょう」
セラフィエルも付け加えた。
「オーレリア様のお父様は、この贈呈品を、ご自身の個人的な感謝の代わりだとは考えないでほしいとも記されています。旅の間に下された判断には、サービス料金だけでは評価できないものがあったと理解されているそうです。ただ、娘が艦内で必要としたものの費用を、家族からの負担なしに、すべてあなたへ背負わせたくはないとのことでした」
紬は手紙をもう一度読んだ。
「説明は理解したよ。オーレリアが一緒にいた間、俺は彼女を、食事や設備を使うたびに料金を計算しなければならない乗客だなんて思ったことはない。でも、家族が正式に費用を負担したいと言うなら、気前よく見せるためだけに断る理由もないな」
ランはほっとした様子だった。
「私が、個人的な厚意と艦の費用管理の違いについて長々と説明する前に、そう言っていただけて安心しましたよ、紬」
紬が振り向く。
「もう説明する準備はしていたんだろう?」
「もちろんです。あなたは、結果に十分満足していると感じると、支払いなど必要ないと言い出す傾向がありますから」
「そこまで知られているなら、もう隠しようがないな」
「帳簿を管理する者として、それも仕事の重要な一部だと考えています」
そのやり取りを聞いて、レアが笑った。
セラフィエルはその後、紬の個人口座と艦の運用会計を混同しないよう区分を保ったまま、その日に新たに確認された2件の取引を受領概要へまとめた。
新規確認済み受領額
| 送金元 | 金額 |
| ---------------------- | ------------ |
| 傭兵協会――最終契約報酬 | 1,000,000 GC |
| ヴェイリエンヌ家――追加謝礼および費用負担金 | 3,900,000 GC |
| 確認済み受領総額 | 4,900,000 GC |
会計処理: 個人口座と運用資金への配分は、各取引の目的に従って引き続き区分する。
紬は椅子の背もたれに身体を預けた。
「つまり、あれだけ騒ぎがあった結果、ランクは上がって、ギルドから報酬をもらって、公爵家からの贈り物と名誉メダルまで受け取ったわけか。ヴェルドラコンへの旅が悪い結果に終わったとは言わないけど、同じ成果が得られる代わりに、これまでの出来事を全部もう一度繰り返せと言われたら、引き受ける前に相当長く考えると思うよ」
合流したばかりのヴェスペラが、落ち着いた声で応じた。
「少なくとも、これでヴェイリエンヌ家の問題の渦中に居続けることなく、成果を記録できますね。私は、ここで行政上の会議を何回終えられたか数えるより、まだ訪れたことのない星系をいつ見られるのか、そのほうに興味があります」
紬は頷いた。
「俺もだよ。それと今回は、ヴェスペラ、最後に誰かから政治事件の証人になってくれと頼まれるような航路は選ばないでくれよ」
「航行経路を選ぶことはできますが、目的地へ到着した後に出会うすべての人々の行動までは保証できません、紬」
「せめて港を出る前から、俺の希望を壊さないでくれないか?」
「それでしたら、穏やかな旅の雰囲気を検索条件の1つに加えておきます。ただし、次の目的地で予期せぬ出来事が発生した場合、それを航法計算の誤りだとは考えないでいただけると助かります」
紬は微笑みながら、ただ首を横に振った。
軌道施設の運用サイクルが切り替わろうとする頃、最も長く待ち望んでいた通知が、ついに届いた。
セラフィエルが指揮デッキにいたとき、帝国軌道交通管制局から、正式な通信経路を通じて認可が送られてきたのだ。
彼女はすぐに、まだグランドサロンにいた紬へ連絡した。
「紬、最後の行政審査が完了しました。帝国軌道交通管制局から、アストレオン・ヴェロリアの出航許可が発行されました。すべてのドッキング解除手順を完了し、指定された出航枠に入った時点で、許可が適用されます」
紬はすぐに立ち上がった。
「ようやくか。このままじゃ、出発を許可される前に港の定住者として住所をもらうことになるんじゃないかと心配していたよ。許可証の写しを俺の端末に送って、ヴェスペラには離脱航路の準備を頼んでくれ」
彼の前にパネルが現れた。
帝国軌道交通管制局
出航認可
| 項目 | 状態 |
| -------- | ------------ |
| 艦船 | アストレオン・ヴェロリア |
| 登録船種 | 豪華個人所有宇宙船 |
| 出航申請 | 承認 |
| 行政上の保留措置 | 解除 |
| 保安上の制限 | 解消 |
| ドッキング解除 | 許可 |
| 指定離脱回廊 | 確認済み |
| 最終出航 | 交通管制の順序指示に従う |
紬は最後まで目を通し、艦長としての承認を送信した。
審査予定もないまま保留されている項目は、もうない。
証人として滞在を延長してほしいという要請もない。
彼の艦は、ようやく出発できるのだ。
紬が指揮デッキへ到着した頃には、主要クルーはそれぞれの仕事を終わらせ始めていた。
カリスタは機関制御室から技術報告を送信している。ヴェスペラは軌道交通を確認し、民間船の離脱航路と軍の哨戒区域を切り分けていた。ランは港湾サービスの会計処理を閉じ、レアは演習装置やモビルフレームの中に、外部貸出扱いのまま残っているものがないことを確認していた。
セラフィエルが艦の準備状況を表示する。
アストレオン・ヴェロリア――出航準備状況
| システム | 状態 |
| -------- | ---- |
| 主反応炉 | 100% |
| 推進機関 | 100% |
| 航法コア | 100% |
| FTLコア | 100% |
| 船体健全性 | 100% |
| ドッキング接続部 | 準備完了 |
| 外部損傷 | 0% |
| 技術上の制限 | なし |
その隣には、準備作業の完了状況を示す図があった。
出航チェックリスト
| 検査項目 | 完了率 |
| --------- | ---- |
| 技術検査 | 100% |
| 補給物資の照合 | 100% |
| 演習設備の原状復帰 | 100% |
| 行政手続きの完了 | 100% |
| 航行準備 | 100% |
総合状態:出航準備完了
紬はその表示を眺めた。
「艦の準備が100%になっているのに、出航許可だけ保留されたままって報告は、もう何度も見たからな。ようやく全部の項目が同じ結果を示していると、ずっと気分がいいよ」
カリスタが内部通信を通じて答えた。
「技術面では、前からいつでも出発できるって言っていただろう、紬。この後で新しい問題が起きても、少なくとも真っ先に機関のせいにはしないでくれよ。行政担当者が承認ボタンを押し忘れただけで、機関部の評判を傷つけられるのは御免だからな」
「君の機関を責めたことなんてないよ。むしろ、それも説明なしに待たされるたび、余計に腹が立っていた理由の1つなんだ」
「だったら、出航予定を急に変更しないでくれ。艦が離脱機動を始める前に、いくつかの整備区域をまだ封鎖し終えないといけないんだ」
「報告を待つよ。もう十分長くここにいたんだし、最後の最後で慌てる理由もないからな」
セラフィエルは、柔らかな表情で紬を見つめた。
「すべての手順は私が調整します。ただ、ドッキングを解除する前に、正式な経路を通じて最後の面会希望が1件届いています」
紬は振り向いた。
「誰からだ? 追加の証言を求める役人だったら、出航後に書面で回答すると伝えてくれ」
「調査に関する要請ではありません。カイラさんが、ドッキングエリアであなたにお会いしたいそうです。以前の事件に関する保安任務を完了し、保安演習の間に付与されていた一時アクセス権限も、すべて返却されています」
紬は送信者の情報を確認した。
「カイラか。彼女の用事が終わったなら、何を話したいのか聞いておきたいな。出航枠までは、まだ時間があるんだろう?」
「ドッキング解除手順に影響しない範囲で、短時間の面会を行う余裕はあります。機関部から最終確認を受け取った後、私がご案内します」
アストレオン・ヴェロリアのドッキングエリアは、すでに通常の状態へ戻っていた。
以前、公爵家保安局のチームが使用していた演習装置は、もう通路沿いには置かれていない。模擬演習用の標識は取り外され、アクセス扉は運用時の設定へ復帰し、艦内輸送車両も一時閉鎖区域を避ける必要なく、物流経路を移動していた。
観測窓の向こうでは、港湾サービス車両が艦体から離れ始めている。
最後の接続ブリッジが1本だけ残され、最終的な解除手順の開始を待っていた。
カイラ・ドレイヴェンは、ドッキング入口の近くに立っていた。
その姿勢は、いつもどおり真っすぐだった。頭部にあるドラゴンキン特有の1対の角は、通路の照明の下ではっきりと見えている。身に着けた公爵家保安局の制服には、以前の演習で使用していた戦闘装備は、もう取り付けられていなかった。
紬がセラフィエルとともにやって来るのを見ると、彼女はすぐに歩み寄った。
「艦長、出航前のお時間をいただき、ありがとうございます。アストレオン・ヴェロリアの出航許可がようやく発行されたと伺いましたので、私の用件が終わるのを待つためだけに、予定を変更していただくようなことは避けたいと思っていました」
紬は彼女の前で立ち止まった。
「気にしなくていいよ。まだドッキングを解除していないし、ヴェスペラに艦を引き返してもらわなくても話せるからな。セラフィエルから、君の保安任務も終わったと聞いたよ。家族側へ提出した演習報告書は、どうなったんだ?」
カイラは端末を起動した。
「専門評価報告書は受理されました。合意した情報範囲に従い、私のチームの能力評価と、艦のシステムに関わる発見事項は分けて記載しています。私たちの観察権限を超える、アストレオン・ヴェロリアの内部技術情報は提出していません。ただし、2回の演習で得られた教訓、特に経路検証、チーム間の連携、そして初期情報だけに頼らず、アクセス状態の変化を直接確認する重要性については記載しました」
彼女は、承認済みの概要を表示した。
公爵家保安局――任務完了確認
| 項目 | 状態 |
| ----------- | ------- |
| 警護任務 | 完了 |
| 模擬保安演習 | 完了 |
| 専門評価 | 提出済み |
| 艦への一時アクセス権限 | 返却済み |
| 外部装備 | すべて確認済み |
| 未解決の安全上の事故 | なし |
| 追加協力の検討 | 協議可能 |
紬は最後の項目を読んだ。
「追加協力の検討は、まだ話し合える状態なんだな。オーレリアの警護担当に残るか、公爵家からの別の提案を受けるか、もう決めたのかと思っていたよ」
カイラは端末を消した。
「その判断については、専門的な立場から検討する時間が必要だと伝えています。保護作戦や、あなたの艦との合同演習で得た経験は、公爵家保安局での日常業務だけでは得られなかった視点を、私に与えてくれました。しかし、引き受けた責任を適切な手続きも終えずに放棄することはしたくありません」
「それはもっともな判断だと思う。俺も、一緒に演習をしたからって、今の仕事を辞めてくれなんて頼むつもりはないよ。今後さらに協力について話し合いたくなったら、君の義務がすべて明確になった後で相談すればいい」
カイラは紬の顔を見つめた。
「だからこそ、お発ちになる前にお話ししたかったのです、艦長。私はこれまで、作戦の成果や規律、状況が悪化した際にどれほど責任を果たせるかによって、人の能力を評価してきました。あなたには、多くの問題をもっと強硬な手段で解決できるだけの力があります。それでも何度か、無関係な人々を守るために、あえて行動を制限する選択をされました。簡単な選択肢がなくなった状況でも、どうやってその原則を守り続けるのか、私は理解したいのです」
紬はかすかに微笑んだ。
「俺が考えているより、ずいぶん複雑な話に聞こえるな。俺はただ、無事に家へ帰れたはずの人が、誰かが戦いに勝つことへ夢中になりすぎたせいで犠牲になるのが嫌なだけだよ。でも、俺だって、どの判断が一番正しいのか、いつもわかっているわけじゃない。だからこそ、何かがおかしいと思ったら、相手が艦長でもちゃんと指摘してくれる人が必要なんだ」
カイラは2回目の演習結果を思い出した。
彼女のチームは、結局目標端末へ到達できなかった。
しかし、防衛層の1つを突破したことを、紬はむしろ喜んでいた。以前は見えていなかった弱点を発見できたからだ。
「模擬演習後のご説明は、今でも覚えています。私は自分のチームが艦の防衛を突破できるか試すために参加しましたが、あなたは同じ結果を、どこを改善すべきか判断するために使われました。ご自身の艦のシステムに欠陥があったという報告を、あのような表情で受け入れる艦長がいるとは、思っていませんでした」
「誰かが保安システムの欠点を見つけるたびに俺が怒っていたら、そのうち誰も報告しなくなるだろう? そうして、いつか本当に攻撃するつもりの相手がその問題を利用して初めて、俺たちは欠陥に気づくことになる。演習の後で改善すべきところがあると認めるより、そっちのほうがずっと悪いと思うよ」
カイラはゆっくりと頷いた。
窓の外では、軌道タグボートの1隻が別の艦へ向かって移動し始めていた。
港湾からの案内放送が、ドッキング通信システムを通じてかすかに聞こえてくる。
カイラは改めて、しっかりと紬を見つめた。
「艦長、出航前にお話ししたかったのは、この機会を、公爵家保安局がかつてアストレオン・ヴェロリアと合同演習を実施したという、単なる記録だけで終わらせたくなかったからです。私はまだ転職に関する決断を持ってきたわけではありませんし、今すぐお返事を求めているわけでもありません。ただ、すべての義務を果たした後にも、より深い専門的な関係について話し合う機会があるのであれば、あなたと直接お話ししたいと思っています」
紬は頷いた。
「だったら、セラフィエルから渡してある正式な連絡経路を使ってくれ。任務や責任、それに君自身の状況について話し合う前から、何かを約束するつもりはない。でも、君が話したいなら、俺は喜んで聞くよ」
カイラは静かに息を吸った。
表情に大きな変化はなかったが、それまで肩に見えていたわずかな緊張が、少しずつ解けていった。
「ありがとうございます、艦長。その機会をいただけることに感謝します。それから、ヴェルドラコンを離れられる前に、もう1つお伝えさせてください。あなたとアストレオン・ヴェロリアのクルーの皆さんと仕事ができたことは、私にとって非常に貴重な経験でした」
紬は微笑んだ。
「俺も君と知り合えてよかったよ、カイラ。でも、次に演習をするときは、2回目が終わった直後に3回目を申し込むのはやめてくれよ。目標端末が自分の職業そのものを侮辱したかのように、君があれを見つめていた顔は、まだ覚えているからな」
話し始めて以来初めて、カイラが小さく笑った。
「未達成の目標を見ると挑戦したくなる気持ちまで、なくせるとはお約束できません。ただ、次回の演習申請は、適切な手続きを通じて提出し、あなたのクルーが急に予定をすべて変更しなくても済むよう、十分な準備期間を確保します」
セラフィエルも微笑んだ。
「そのお言葉、覚えておきますね、カイラさん。特に、適切な手続きを通じて申請するという部分は」
カイラはセラフィエルに頷いてから、再び紬へ向き直った。
「それでは、これ以上お引き留めしません。次の旅が安全なものとなるよう、お祈りしています、艦長。再びお会いするときには、未完了の用件を後に残すことなく、自分の決断をお伝えできるようになっていたいと思います」
紬は手を差し出した。
カイラは、その手をしっかりと握り返した。
彼らの背後では、ドッキング表示が解除準備段階へ移り始めていた。
アストレオン・ヴェロリアは、ついに帝都を離れる準備を整えたのだ。
しかし紬は、艦内通路へ向かって振り返ったとき、ヴェルドラコンへの旅が、オーレリアを初めて故郷へ送り届けようとしたときの想像を、遥かに超えるものを残していたことに気づいた。
公爵家の令嬢は、今や自分自身の未来を選び始めている。
独立した立場の医師は、専門家としての原則を犠牲にすることなく、新たな協力の可能性を見つけた。
ドラゴンキンの保安専門家は、自分の進む道に関わる重要な決断を、今も考えている。
そして彼自身も、最初は1人の乗客の帰還に関する用事を片付け、また星々を巡る旅を楽しみたいだけだったはずなのに、今では新しい傭兵ランクに、決して少なくない額の報酬、さらには帝国貴族の家から贈られた名誉メダルまで手にしていた。
艦内輸送車両へ乗り込みながら、紬はため息をついた。
「セラフィエル、帝都領域を抜けたら、軍事契約も、法的調査も、貴族の家族問題も関係ない旅行先の一覧を見せてくれないか。しばらくは、その3つについて十分すぎるほど経験した気がするんだ」
セラフィエルは彼の隣に座った。
「いくつか候補を用意しておきますね、紬。ただ、次の目的地を決める前に、まだ1つやらなければならないことがあります」
「今度は何だ? まさか港から新しい書類が来たなんて言わないでくれよ」
「違います。指揮デッキへ戻って、艦長として出航命令を出していただく必要があります。手順はすべて整っていますが、あなたが先ほどから最も楽しみにしていた瞬間を、見逃したくはないでしょう?」
紬はしばらく彼女を見つめた。
それから、笑った。
「そうだったな。じゃあ、指揮デッキへ帰ろう。早く帝都を艦の後ろ側から眺めたいよ」
「ヴェスペラはすでに出航時の観測映像を準備しています。また、ランには未精算の追加サービス料金がないことも確認してもらいました。ドッキング手順が終了した後、取り残された取引を処理するためだけに、行政部門から呼び出されることはないはずです」
「いいね。今度こそ、新しい書類を持った誰かに追いかけられることなく、本当に出発したいよ」
車両は動き出し、ドッキングエリアを離れていった。
アストレオン・ヴェロリアの船体の外では、港湾誘導灯が軌道交通の流れに合わせて点滅し続けている。遠方のサービス航路を小型輸送船が横切り、最後の接続ブリッジは、まだ引き込み開始の指示を待っていた。
長い旅は、ようやく次の出発点へ近づいていた。
そして今度こそ、画面の向こうに彼らを待ち受ける、新たな出航保留命令はなかった。
【次回・第119話――「ヴェルドラコンからの出航」】
すべての行政上・専門上の用件が完了し、アストレオン・ヴェロリアはドッキング解除手順を開始する。紬は再び旅の指揮を執り、セラフィエルとヴェスペラは次の目的地へ向けた航路を準備する。
しかし、帝都を離れることは、ヴェルドラコンで築かれたすべての縁が終わることを意味するわけではなかった。
【第119話へ続く……】




