【第106話】「外から来た証人」
【第106話】「外から来た証人」
ヴェルドラコン帝都――公爵行政聴聞室 → アストレオン・ヴェロリア
公爵評議会が用意した聴聞室は、裁判所のような造りではなかった。
被告席はない。
正面の大きな机の背後に、わざわざ法律の象徴を掲げているわけでもない。
あるのは、防音素材で覆われた壁と、半円形の長いテーブル、いくつかの透明データパネル、そして公爵家の保安記録へ直接接続された通信回線だけだった。
しかし、だからこそ、その場の空気はかえって読みづらかった。
裁判官はいない。
検察官もいない。
被告もいない。
そこにいるのは、データを持つ者と、そのデータについて説明を求められた者だけだった。
紬はテーブルの一方に座っていた。
その数歩後ろには、セラフィエルが実体の姿で静かに立っている。
レア、ラン、ヴェスペラ、カリスタ、セレネ、カイラ、そしてオーレリアは同じ聴聞席にはいなかった。
彼女たちは指定された待機エリアで待機し、内部通信だけが開かれている。
紬の正面には、彼自身の身元情報が表示されたパネルが浮かんでいた。
証人登録
氏名:星崎 紬
種族:人間
職業:独立系宇宙傭兵
傭兵ランク:E
艦船:アストレオン・ヴェロリア
法的身分:民間人
政治的所属:なし
公爵家所属:なし
帝国所属:なし
オーレリア・ヴェイリエンとの関係:救助者/一時旅客護衛
証人資格:独立証人
紬は、そのすべてに目を通しても表情を変えなかった。
隣でセラフィエルが最後の項目を拡大する。
「すべて協会のデータと一致しています、紬。あなたの法的身分にも変更はありません」
紬は背もたれに身体を預けた。
「それなら始めよう。俺には、見たものを隠す理由がない」
公爵評議会の一員がパネルを開いた。
新しい名前は紹介されなかった。
この聴聞の構造上、その人物は単に公爵評議会代表として記録されている。
「キャプテン・ホシザキ。オーレリア・ヴェイリエンを最初に発見した時点から、公爵家領域へ帰還するまでの経緯について証言をお願いします。特に必要としているのは、個人的な解釈ではなく、検証可能な情報です」
紬が顔を上げる。
「それなら問題ない。俺も解釈を話すつもりはない。自分で見たことなら事実として話す。ただの推測なら、推測だと言う」
代表は一瞬黙ってから、パネルを切り替えた。
「分かりました。では、AURELIS SERENAから始めましょう。あなた方がその船を発見した場所は?」
セラフィエルがすぐに地図を表示する。
聴聞室が三次元投影へと変わった。
民間航路が細い線として浮かび上がる。
その後、主要航路から大きく外れた場所に赤い点が表示された。
AURELIS SERENA
艦船区分:豪華旅客巡航船
全長:約1,100m
最終確認航路:民間旅客回廊
行方不明期間:約7か月
発見時状態:原子炉停止
動力状態:緊急運転
生命維持装置:最低限
通信:停止
推進:停止
登録生命反応:生存者1名を確認
紬がその地点を指した。
「俺たちは、その船を主要民間航路の外で発見した。船は正常には動いていなかった。通信システムは停止し、推進システムも使用不能だった。遠距離スキャンで、生命反応を1つ確認した」
「その船がそこにいた理由は分かっていましたか?」
「分からない。その時点では何も知らなかった」
「接近する前に通信を試みましたか?」
「した。応答はなかった」
「船のシステムへ侵入しましたか?」
紬は急ぐことなく答えた。
「個人情報を得るためじゃない。船にまだ防衛システムが残っているか、俺たちの船に対する脅威があるか、それから救助できる人間がいるかを確認するために必要な調査をした。安全に実施できると判断したあと、救助のために入った」
セラフィエルが作戦記録を表示する。
救助作戦記録
初期スキャン:完了
脅威評価:消極的
外部兵装活動:検出なし
敵対通信:なし
生命反応:1
救助優先度:確認済み
乗船許可:キャプテン・星崎 紬
医療搬送:承認済み
生存者救出:完了
代表はデータを読み取った。
「一名の生存者を発見したとのことですが、その人物の状態は?」
「スリーピングポッドの中にいた」
「意識は?」
「なかった」
「その時点で身元を知っていましたか?」
「知らない」
「公爵の娘だと知っていましたか?」
「知らない」
「貴族としての身分も?」
「知らない」
代表がページを切り替える。
「つまり、オーレリア様を救助した時点で、彼女が誰なのか知らなかった」
「そういうことだ」
「そして、救助を決めた理由は、純粋に医療状態だけだった?」
紬が静かに訂正する。
「医療状態だけじゃない。動くことも通信することもできなくなった船の中に、生命反応があった。それだけで救助作戦を行うには十分だった。誰であっても、作戦上可能なら同じことをした」
内部通信越しに聞いていたカイラが腕を組む。
その隣にセレネが立っていた。
一方、レアは薄く笑った。
「やっぱり紬ね」
カイラが彼女を見る。
「驚かないのですか?」
「驚かないわ。昔からそうだから。誰かが死にかけていたら、まず助ける。そのあとで誰なのかを聞くのよ」
セレネが柔らかな声を添える。
「医療面から見ても、その判断は正しいです。患者の身元を、応急処置を行う条件にしてはいけませんから」
聴聞室では、質問が続いていた。
「オーレリア様をアストレオン・ヴェロリアへ移送してから、意識を取り戻すまでどれほどかかりましたか?」
セラフィエルが医療記録を表示する。
オーレリア・ヴェイリエン――回復記録
初期移送:完了
低温休眠回復:開始
神経安定化:完了
細胞修復:安定
代謝安定化:完了
意識回復:確認済み
初期身元確認:保留
医療監視:継続中
紬が知っている範囲を説明する。
「すぐには意識を戻さなかった。船の医療システムが段階的に回復処置を行った。身体状態が十分に安定してから、彼女は目を開けて話し始めた」
「最初の質問は?」
紬は一瞬だけ止まった。
忘れたわけではない。
その詳細が本当に必要なのかを判断していただけだった。
「自分がどこにいるのか。それと、どれくらい眠っていたのかを聞いた」
代表が記録する。
「どれくらいですか?」
セラフィエルが答えた。
「我々の医療記録および航法記録で使用されている銀河標準時間に基づけば、ほぼ7か月です」
次のデータが表示される。
時間差
AURELIS SERENA最終確認活動:T−約7か月
救助発見:T0
オーレリア回復:T0+医療回復期間
ヴェルドラコン帰還:T0+その後の移動期間
代表が顔を上げた。
「その7か月の間に、AURELIS SERENAを襲撃した者が誰なのか、あなたは知っていますか?」
「知らない」
「オーレリア様自身が、その船を襲った者について話したことは?」
「直接的にはない。彼女自身もスリーピングポッドに入っていたから、事件の全容を知らない」
「彼女と対立している可能性のある家族の名前を口にしたことは?」
「ない」
「自分の家族から守ってほしいと頼まれたことは?」
「ない」
次の質問は、さらに早くなった。
「身元を隠してほしいと頼まれたことは?」
「ない」
「あなたから政治的保護を申し出たことは?」
紬がわずかに眉を寄せる。
「政治的保護なんて申し出ていない。彼女は一時旅客だ」
「しかし、その後も彼女を連れて旅を続けた」
「本人が同行許可を求めたから、俺が認めた」
「公爵の娘だと知ったうえで?」
「身元を知ったあとなら、そうだ」
「その判断によって、あなたは間接的にオーレリア様を家族からの潜在的な脅威から守る立場になったのでは?」
紬はすぐには答えなかった。
セラフィエルがパネルを切り替える。
旅客身分
旅客:オーレリア・ヴェイリエン
身分:一時旅客
契約上の政治的保護:なし
公爵家任命:なし
帝国任命:なし
傭兵契約:なし
独立航行許可:承認済み
護衛役:キャプテン/救助者
紬がようやく口を開く。
「違う。俺は、すでに自分の船に乗っている旅客を連れていただけだ。もし本当に船の前で脅威が発生したなら、当然、中にいる人間を守る。それが旅客に対するキャプテンの義務だからな。それは、俺が彼女の家族になったという意味じゃない」
その言葉で、室内が再び静まり返った。
公爵評議会代表は数秒間データを見つめる。
「では、ご自身を中立だと考えていますか?」
「俺自身を中立だと考える必要はない。そもそも俺の身分は、あの争いとは無関係だ」
「しかし、現在は公爵家内部に争いがあることを知っている」
「今は知っている」
「それでも証言する意思があると?」
紬は正面のパネルをまっすぐ見つめた。
「家族の外側にいるからこそ、どちらかの利益を守る必要なく、自分が見たことを話せる」
待機エリアで、オーレリアが視線を落とした。
その言葉は単純に聞こえた。
だが彼女にとっては、その中にもっと大きな意味があった。
紬は、家族を救うとは言わなかった。
家族と戦うとも言わなかった。
ただ、自分が本当に見たことについて話すと言っただけだ。
それが、オーレリアの心を少しだけ落ち着かせた。
しかし、聴聞はまだ終わっていない。
代表が別の文書を開いた。
「AURELIS SERENAを発見した時の状態について、さらに説明をお願いします」
紬は小さく頷いた。
「俺には、あの船の損傷が普通の事故だけで説明できるものには見えなかった」
セラフィエルが、以前保存した映像記録を表示する。
船内壁。
破損した扉。
銃撃痕。
鋭利な武器による斬撃に似た長い傷。
倒れた家具。
そして、長期間放置されていた船体各部。
AURELIS SERENA――回収船内証拠
構造損傷:甚大
飛翔体損傷:確認済み
刃物様損傷:確認済み
火災損傷:限定的
生命維持機能障害:確認済み
生体遺留物:複数
身元の確定:限定的
スリーピングポッド07:使用中
生存者:1名
代表が斬撃痕の部分を拡大する。
「この損傷が、公爵家内部の争いによるものだと断定できますか?」
「できない」
紬の答えはあまりにも早く、代表は一瞬言葉を失った。
「では、なぜそれを関連情報として扱うのですか?」
「損傷のパターンが、単一の事故には見えないからだ。ただの観察だ。俺は船舶事故の捜査官じゃない」
「つまり、誰かを告発しているわけではない?」
「違う」
「オーレリア様の護送隊が襲撃されたあとでも?」
紬は両手をテーブルの上に置いた。
「俺が言っているのは、誰かが護送隊を襲撃したということだ。そこはデータで明確になっている。それから、その集団がオーレリアの航路を把握し、普通の海賊より組織化された装備を使っていたことも言っている。だが、そこから特定の家門が背後にいると言うには、まだ証拠との間に越えられない距離がある」
セラフィエルが後方から補足する。
「保存された通信データからも、作戦を指揮した者の身元を確定できる情報は、まだ得られていません」
代表がセラフィエルを見る。
「セラフィエルさん。そのすべてのデータを公爵評議会へ提出できますか?」
「法的に開示可能なデータであれば、手続きに従って提出できます。ただし、アストレオン・ヴェロリアの私有システム、防衛システム、内部ネットワーク、あるいは証言に直接関係しない情報については、キャプテン・ホシザキの許可なく開示することはできません」
「それでは捜査の妨げになるのでは?」
セラフィエルは薄く笑った。
「捜査と、誰であれ無制限に私有データを取得する権利との間に、私は関係性を見出せません」
紬が彼を横目で見る。
「セラフィエル」
「はい?」
「もう少し柔らかく」
「私は行政上の境界を説明しただけですが」
「分かってる。でも、向こうも仕事をしてる」
「承知しました。もう少し柔らかな言葉を選びます」
待機エリアでレアが笑いをこらえた。
「今のが柔らかい言い方なんだ」
カリスタが腕を組む。
「それで?」
ランが淡々と答える。
「おそらく」
ヴェスペラは窓の近くに立ったまま、小さく笑っていた。
一方、聴聞は再び進んでいく。
「キャプテン・ホシザキ。オーレリア様が襲撃集団と関係しているような行動を見せたことは?」
「ない」
「船内にいる間、怪しい通信を受けたことは?」
「俺が知る限り、ない」
「アストレオン・ヴェロリアから密かに離れようとしたことは?」
「ない」
「帝国当局を避けるため、航路変更を求めたことは?」
「ない」
「公爵家についての情報を外部へ提供したことは?」
「俺の知る限り、船内ではない」
「アストレオン・ヴェロリアの保安システムへのアクセスを求めたことは?」
「ない」
「帝国軍の移動情報を求めたことは?」
「ない」
質問が一つ、また一つと続いていく。
最初の救助作戦から、次第に遠ざかっていた。
それでも紬は答え続けた。
だが、本当に必要な事実と、同じ場所を巡り始めた質問との距離が、次第にはっきりしてくる。
それに最初に気づいたのはセラフィエルだった。
紬の正面にあるパネルが変化する。
聴聞進行状況
要求証拠区分:8
完了:7
残り:1
残存区分:関係性/意図評価
完了予定:保留
紬が最後の行を読む。
「関係性/意図評価?」
代表が頷く。
「キャプテン・ホシザキがオーレリア様を守る個人的な理由があるのか、確認する必要があります」
紬が短く息を吐いた。
「変な質問だな」
「なぜです?」
「最初から彼女は俺の旅客だと説明している。政治的な利害があるのかという意味なら、ない。オーレリアを特定の誰かへ引き渡すつもりがあるのかという意味でも、ない。旅客が襲われるのを黙って見過ごすのかという意味なら、それも答えは明らかだ」
代表は止まらなかった。
「では、個人的な関係がある可能性は?」
内部通信を聞いていたレアから、笑みが消えた。
カイラが画面を見る。
「関係のない領域へ入り始めましたね」
セレネが頷く。
「医療状態や移動記録のように検証できる事実ならともかく、客観的な証拠のない個人的動機では、有用な結論を出すのは難しいでしょう」
室内の紬は黙っていた。
代表が再び尋ねる。
「キャプテン・ホシザキには、オーレリア様に対する個人的な感情があり、それが判断に影響したのですか?」
空気が変わった。
質問そのものが重かったからではない。
むしろ、あまりにも単純だったからだ。
新しい情報を何も生み出さない質問。
相手が答えを知りたいという理由だけで、測定することのできないものを説明させようとする質問。
紬が顔を上げる。
室内の空気が、まるで数度下がったかのように感じられた。
表情に大きな変化はない。
攻撃的な動きもない。
それでも、彼から放たれる圧力は、それまでとは明らかに違っていた。
セラフィエルが即座に察する。
レアも。
カイラなどは、わずかに背筋を伸ばした。
紬が低い声で言う。
「オーレリアの救助、俺たちの旅、船の状態、彼女の医療状態、それから護送隊への襲撃について、必要なことは全部答えた。まだ事実に関係する質問なら、続けてくれ」
代表が口を挟もうとする。
紬はその隙を与えなかった。
「だが、新しい事実を何も生まない質問を、ただ傭兵個人の判断の裏側を探りたいという理由だけで続けるなら、別の問題になる」
室内が完全な静寂に包まれた。
紬は声を荒らげていない。
だからこそ、その静けさが重かった。
「俺は外から来た証人としてここにいる。容疑者じゃない。公爵家の人間でもない。どちらかの側を選ぶための道具でもない。証言が必要なら話す。データを確認したいなら、セラフィエルが関係するものを見せられる。でも、明確な根拠もなく俺を拘束し続けるなら、傭兵協会へ申し立てる」
代表の表情に驚きが浮かんだ。
「キャプテン・ホシザキ。この聴聞手続きを、拘束だとお考えですか?」
セラフィエルがすぐに新しいパネルを開く。
傭兵身分
所属:星崎 紬
協会資格:有効
ランク:E
現在任務区分:救助/証人
契約上の制限:なし
刑事拘束命令:なし
逮捕状:確認されず
刑事告発:なし
出発制限:未設定
拘束根拠:行政上の要請
紬がそのパネルを見る。
セラフィエルが専門的な口調で続ける。
「私が確認できるデータ上、紬は現在、軍事契約、公爵家保安契約、あるいは刑事拘束命令のいずれにも拘束されていません。独立系宇宙傭兵としてこの領域へ入り、その後、証言を求められています」
代表がデータを見る。
「我々には、彼の証言を求める行政権限があります」
「その通りです」
「ならば、この手続きは合法です」
「証言の要請が合法であることと、証言終了後のあらゆる拘束に同じ根拠が自動的に存在することは、別の問題です」
セラフィエルの声は強くなかった。
だが、今度ばかりは、その意図を誤解する余地がなかった。
紬が続ける。
「公爵家の問題を処理していることは理解している。オーレリアが多くの人間にとって重要なのも分かってる。でも、それを理由に、彼女を救ったことがある人間なら誰でも好きなように拘束していいことにはならない」
代表が法務パネルを開く。
「キャプテン・ホシザキ。我々には、あなたを無期限に拘束する意図はありません」
「それなら話は簡単だ」
紬が少しだけ身を乗り出す。
「本当に必要なことを聞いてくれ。俺は答える。終わったらアストレオン・ヴェロリアへ戻らせてくれ。それでも俺を拘束する必要があるなら、その法的根拠を文書で出してくれ。『まだ必要だ』だけで済ませないでくれ」
セラフィエルが続ける。
「私からも、その要請を協会の身分情報および現地管轄権と照合できます」
代表はしばらくセラフィエルを見つめた。
それから、目の前のデータへ視線を戻す。
数秒が過ぎる。
やがて法務パネルが変化した。
行政証人審査
証人区分:独立した外部証人
必要証言:救助/移動/医療/襲撃観察
政治的立場:なし
刑事上の身分:なし
公爵家に対する契約上の義務:なし
継続拘束の必要性:審査中
法的根拠文書:提出要請済み
紬が息を吐いた。
先ほどまで室内を満たしていた冷たい圧力が、ゆっくりと薄れていく。
「これなら話が分かる」
待機エリアで、レアがそれまで止めていた息を吐き出した。
「本当に、この部屋全部を凍らせるのかと思った」
カリスタが答える。
「さっきみたいな質問を続けるなら、問題が室温なのか紬なのか、私にも分からないわ」
ランが通信データを見る。
「重要なのは、これで身分が明確になったことです」
カイラは笑わなかった。
「それも最初から明確であるべきだった。証人が、争われている人物の近くにいたというだけで、政治の道具に変えられてはいけない」
セレネがオーレリアを見る。
「そして、オーレリア様も家門の身分だけを理由に、一方から他方へ移される物ではありません」
オーレリアは答えなかった。
ただ、通信画面越しに紬を見つめていた。
その胸の中には、言葉にするのが難しい感情があった。
誰かがいつでも自分を守ってくれるという安心ではない。
もっと単純なものだった。
家へ戻ってから初めて、自分を公爵家の中でどこに置くべきか決めようとしない人間がいた。
紬は、誰を選べとも言わない。
オーレリアの家族が間違っているとも言わない。
ただ、自分自身を使って、まだ存在しない答えを決めさせられることを拒んでいる。
聴聞は最後の段階へ入った。
公爵評議会代表が複数の文書を同時に切り替える。
「キャプテン・ホシザキ。あなたの証言は独立証言として記録します。終了する前に、最後に一つだけ確認します」
「何だ?」
「オーレリア様と、護送隊を襲撃した集団との間に関係があることを知っていますか?」
紬は迷わず答えた。
「証明できる関係はない」
「オーレリア様が、その集団を助けていたという証拠は?」
「ない」
「オーレリア様が、襲撃計画を事前に知っていたという証拠は?」
「ない」
「オーレリア様が、公爵家内部の争いに関係するいずれかの勢力と協力していたという証拠は?」
紬は一瞬だけ止まった。
そして、はっきりと答えた。
「ない」
セラフィエルが、その発言を正式記録へ入力する。
最終証人陳述
対象:オーレリア・ヴェイリエン
犯罪組織との関係:確認なし
敵対的連携:確認なし
襲撃者との協力証拠:なし
襲撃事前認知の証拠:なし
公爵家各派閥との政治的連携証拠:なし
証人結論:確認された関係なし
紬が最後の一文を読む。
「少し変えてくれ」
セラフィエルが振り向く。
「どの部分を?」
「『証人結論』はやめてくれ。俺は、彼女が関与していないと結論づけているわけじゃない。俺が言ってるのは、関与している証拠を見ていないというだけだ」
セラフィエルが変更する。
証人観察記録
襲撃者との確認済みの関係:確認なし
襲撃事前認知の確認済み証拠:確認なし
政治的連携の確認済み証拠:確認なし
個人的評価:記載なし
最終判断:証人権限外
紬が頷いた。
「それでいい」
公爵評議会代表は反論しなかった。
「証言を受理します」
パネルに一つの印が表示される。
証人聴聞
状態:完了
記録済み陳述:100%
必要証拠区分:8/8
独立証人区分:確認済み
追加質問権限:関連証拠に限定
継続拘束:審査中
紬が立ち上がる。
「それじゃ、終わりだな」
誰もすぐには止めなかった。
だが、紬の手が聴聞を終了するためのパネルへ触れようとした瞬間、新しい通知が表示された。
通知
証人滞在要請:行政審査待ち
出発許可:未発行
紬が止まる。
数秒間、その文字を見つめる。
そしてセラフィエルを見る。
セラフィエルも同じパネルを確認していた。
「行政区域から出る許可が、まだ発行されていません」
紬が長く息を吐く。
先ほど消えた冷たい気配が、まだ完全には消えていない。
「さっき何て言った?」
セラフィエルが静かに答える。
「覚えています。拘束を継続するのであれば、法的根拠を文書で示すよう求めました」
紬が両手をポケットへ入れる。
「よし。明確な根拠を出さないなら、傭兵協会へ正式な確認要請を送ってくれ。脅す必要はない。ただ身分の確認を求めればいい」
「承知しました」
カイラがすぐに内部通信へ入る。
「紬さん。こちらはオーレリア様の側に残ります。この件が終わるまで」
「ありがとう、カイラ。自分の任務以外は何もしなくていい」
「分かっています。根拠なしに動くつもりはありません」
レアも割り込んだ。
「紬、もしまだ曖昧な理由で拘束するなら言って。私が――」
「必要ない、レア」
紬の声は、いつもの調子へ戻っていた。
「その場にいてくれ。俺が拘束されているのを見て腹を立てたからって、新しい問題を作るな」
レアが息を吐く。
「分かってる。でも、向こうが何か始めたら、黙って見てるつもりはないわ」
「俺も黙ってろとは言ってない。理由が出るまでは動くなと言ってるだけだ」
オーレリアがようやく口を開いた。
「紬さん……大丈夫ですか?」
紬が通信画面へ顔を向ける。
「怪我はしてない。ただ、少し質問が多かっただけだ」
オーレリアが小さく笑った。
それでも、その瞳には不安が残っている。
「最後まで答えてくださって、ありがとうございます」
「向こうのために答えたんじゃない。お前に何が起きたのかという事実が、他人の作った話に変わらないように答えただけだ」
オーレリアは黙った。
その言葉が、胸を少しだけ締めつけた。
恐怖ではない。
その意味を理解したからだ。
証拠がなければ、物語はいつだって誰か別の人間によって埋められる。
そして今回は、紬がそれを許さなかった。
その背後で、セラフィエルが協会通信網からの返答を受信した。
新しいパネルが表示される。
傭兵協会――身分確認
所属:星崎 紬
ランク:E
状態:有効
任務状態:救助作戦完了
証人協力:確認済み
刑事拘束命令:なし
契約拘束命令:なし
外部政治契約:なし
管轄審査:実施中
現地拘束根拠:文書待ち
セラフィエルはすべてのデータに目を通してから、薄く笑った。
「紬。協会が身分確認の要請を受理しました。現時点では何の命令も出していませんが、あなたの独立系宇宙傭兵としての資格は有効なままで、凍結もされていません」
紬は短く答えた。
今度は、そこに圧力はなかった。
「それなら、待つか」
聴聞室の外では、帝都の軌道航路がいつも通り動いていた。
遠くを外交船が通過する。
貴族の輸送船が専用回廊へ入る。
貨物船が商業航路を進む。
民間船が居住区へ向かっていく。
公爵家が内部抗争を抱えていることを示すものなど、どこにもない。
戦争を知らせる発表もない。
空を埋め尽くす大艦隊もない。
それでも行政の裏側で、護衛名簿、航路変更、護送隊への襲撃、そして家門の外から来た一人の傭兵の証言によって、それまで単なるパターンに過ぎなかった争いが、少しずつ形を持ち始めていた。
紬は聴聞室の扉の前に立っていた。
貴族ではない。
ヴェイリエン家の人間でもない。
帝国宮廷の官僚でもない。
公爵家保安局の一員でもない。
権力争いに勝つために来た人間でもない。
ただ、壊れた船の中で、一人で眠っていた少女を偶然見つけた人間だった。
だが、すべての利害関係の外側にいたからこそ、その証言は簡単にどこか一つの陣営へ置くことができないものになっていた。
セラフィエルが、不要になったすべてのパネルを閉じる。
「紬。もう一つ更新があります」
「何だ?」
「公爵評議会が、あなたの証言を独立記録として受理しました。ただし、まだ外部検証が必要なデータ区分が一つ残っています」
紬が振り向く。
「何の区分だ?」
セラフィエルが一行を表示した。
検証保留
襲撃者の出所
情報源の身元
航路操作と襲撃の関連性
紬はその3行を読む。
名前はない。
組織もない。
誰かを指し示せるほどの証拠もない。
ただ、まだ答えの出ていない3つの問いだけが残っている。
紬は静かに息を吐いた。
「つまり、証言は終わった。でも、問題は終わってない」
セラフィエルが微笑む。
「その通りです」
紬は扉へ向かって歩き出した。
「それなら、アストレオン・ヴェロリアへ戻ろう。もう十分ここにいた」
しかし、扉が完全に開く前に、行政パネルへ新たな通知が表示された。
公爵評議会からではない。
傭兵協会からでもない。
帝国宮廷からでもない。
ただ、一行だけだった。
保安情報更新――オーレリア・ヴェイリエン
保護状態:強化
外部移動:制限
保安審査:継続中
新規行政指示:受信済み
紬が止まった。
その一行を一度読む。
そして、もう一度読む。
隣にセラフィエルが立つ。
二人は数秒間、何も言わなかった。
なぜなら今度は、答えるべき質問などなかったからだ。
何かが、動き始めた。
そして紬には分かっていた。
遅かれ早かれ、それはアストレオン・ヴェロリアへ届く。
フック
紬の証言は終了した。
彼は今も独立証人として記録されている。
公爵家の同盟者でもなく、政治の道具でもなく、帝国の部下でもない。
しかし、襲撃者たちの出所、オーレリアの航路情報の入手元、そして保安操作と襲撃の関連性についての検証は、まだ終わっていない。
その一方で、オーレリアの保安状態が再び変化した。
そして、その変更は紬の証言が終了した直後に行われた。
第107話へ続く。
【次回 第107話――「帝都封鎖」】
「帝都封鎖」
紬の証言後、帝都の保安状況は次第に強化されていく。
オーレリアの移動はさらに制限され、一部区域へのアクセスが厳格化され、アストレオン・ヴェロリアも保安状態の引き上げによる直接的な影響を受けることになる。
紬には、今も公爵家の争いに加わるつもりはない。
しかし今度は、その争いのほうが、彼のいる場所へ近づき始めていた。
【第107話「帝都封鎖」へ続く】




