第3話「何年も言わずにいた」
翌日、アルヴィン殿下から呼び出された。
執務室ではなく、王宮の端にある小さな談話室だった。古いインクと革装丁の匂いがする部屋。
「座れ」
「はい」
殿下は窓の外を見ていた。しばらく、どちらも何も言わなかった。
「先日の質問の、答えを言う」
「……聞きます」
「今回の婚約の打診は」アルヴィン殿下が低い声で言った。「俺の意思ではない」
「そうですか」
「ただ」
「ただ?」
「俺が断れば、話は終わる。でも、断っていない」
私は黙った。
「なぜ断らなかったのか、自分でも整理できていなかった。だから先日、答えられなかった」
「今は、整理できましたか」
殿下が少し間を置いた。
「……少しだけ」
「聞いてもいいですか」
「聞いてみろ」
「殿下は、私のことを……」
「好きかどうか、という話か」
「はい」
アルヴィン殿下が、初めてこちらを向いた。
切れ長の灰色の瞳。涼しい顔。でも今日は、その奥に何か重いものがあった。
「……正直に言う」
「はい」
「気になっていた。随分前から」
(やっぱり)
「ただ」殿下が続けた。「クロードがいる。そしてお前は、クロードを選んだ。それは知っていた」
「知っていて、婚約を断らなかった」
「……お前に、会って話したかった。それだけかもしれない」
(王子に告白されるルート、前世のゲームにDLCとしてもなかったんだけど)
(いや、告白じゃないって本人は言ってるけど)
「殿下」
「何だ」
「それは、とても正直な告白です」
「告白ではない」
「でも、本音ですよね」
殿下が少し目を逸らした。
「……そうかもしれない」
私は少し考えた。
「殿下に一つだけ言っていいですか」
「言え」
「殿下が正直に話してくれて、よかったです。ずっと、何かを抱えているように見えていたから」
「……そうか」
「一人で抱える人の気持ちは、少し分かります。私も、そうだったから」
殿下が黙った。
「殿下はどうしたいですか。本当に」
長い沈黙。
「……お前に幸せでいてほしい」
「それだけですか」
「それが、正直なところだ」
私はしばらく黙った。
「殿下」
「何だ」
「ありがとうございます」
「礼はいらない」
「でも言いたい。正直に話してくれて、ありがとうございます」
殿下がため息をついた。
「……お前は、昔からそういうことを言う」
「昔から?」
「王家に来た最初の日から。礼を言うべきでない場面で礼を言う」
「それは失礼でしたか」
「いや」殿下が小さく笑った。「悪くなかった」
(笑った)
(今日の笑顔は、少し寂しかった)
談話室を出ると、廊下の空気が冷たく頬に触れた。
◇
──アルディア・フォン・クレシェントの日記より。
『アルヴィン殿下が「気になっていた」と言った。「お前に幸せでいてほしい」と言った。この人は、何年もそれを言わずにいた。一人で抱えていた。私と、少し似ている。どうすれば、この人も幸せになれるのだろう』
次話:「クロードとアルヴィン、直接話す」




