>>11 魔獣が現れました
開いていただけて感謝です。
金の瞳が見つめる先には、ハコネウツギからそんなに離れていない場所で取り巻きにちやほやとされて満足げに扇を仰いでいる王女と、その取り巻きたち。
それを見て、舌なめずりするように瞳が輝いた。
『金の瞳は魔獣の証。それに毛の色が黒に近いほどその魔力は大きいのよ』
【愛の王冠をその手に】で、転生したヒロインの面倒を見てくれる三十代半ばの女性のセリフ。それを信じるのなら、あの目の持ち主は魔獣で間違いないのだろう。
その考えに辿り着き、私は背中に嫌な汗が流れるのを感じた。さっきまでの驚きとは全然違う。命の危険が迫った時の焦りと恐怖だと気づいた。
「王女殿下!早くそこから離れるんだ!」
兄様が引きつった声で王女殿下に言うが、魔獣に気づいていない王女は不快げに眉根を寄せる。
「ジロイドとやら。お前なんかが、わたくしに指図するなんてなんのつもりかしら。そうでなくてもあなたは私の誘いを断ったでしょう」
扇子を閉じて腕を組む。睨むように冷たい瞳を兄様に向けた時……王女は完全に、背中を魔獣に向けてしまった。
魔獣が、動く。
そこまで大きくない体がハコネウツギから滑り出し、明るくも暗くもない中庭に体を踊らせる。
風のように空を切って悲鳴をあげる王女に向かって一直線に進んでいき、恐怖で動けない取り巻きたちの間をすり抜け、鋭い牙を光らせる。
魔獣と同時に兄様も私の隣から王女に向かって走るが、とても八歳の兄様が間に合う距離じゃない。
どうしよう。王女が殺されちゃう。もしかしたら他の誰かが怪我をしちゃうかも。兄様が私の隣から魔獣に向かって走っていく。
あ、だめ、そっちには魔獣が___
「だめーー!」
魔獣が王女の喉笛目がけて飛び上がった瞬間、空気が耳鳴りするほど張り詰める。王女と魔獣を隔てるように大きな魔法陣が展開し、次の瞬間には大きく分厚い氷の壁が現れていた。
勢いを殺せずにそのまま氷の壁に顔からぶつかった魔獣は、鼻をひしゃげて悲痛な声を上げる。ごろごろと地面を転がり、立ち上がるとふらふらしながら自分が出てきた場所に消えた。
それを追おうと何人かが腰を浮かすが、黙って座り直す者が全てだった。
私はただ呆然と座り込み、ぼぅっとあたりに視線を漂わせていた。頭の中がペンキで塗りつぶされたような不思議な気分。ただただ、体がだるい。ごっそりと体から何かが抜けたような感覚だ。
どこにいたのか、ウルシュが私のそばにしゃがむ。
「お嬢様、今のは一体__。
いえ、それはあとに致しましょう。歩けますか」
初めに言いかけたことを途中でやめて、ウルシュは私に手を差し出す。
私はウルシュの声がある方に顔を向ける。が、何か言っていることは分かっても何を言っているのか全く頭に内容が入ってこない。
ぼんやりとしている私を、ウルシュは一度失礼しますと断って横抱きにする。無意識にウルシュの首に手を回した私は、そのままウルシュの腕の中で眠りに落ちた。
・
「うるしゅ」
おでこの冷たい感覚に私が目を覚ます。どうやら私はベッドで寝かされているようで、その隣に置かれた二つの椅子のひとつにウルシュが座っていた。
「お嬢様、お体は大丈夫ですか」
控えていたメイドに伝言を頼んでから、ゆっくりとウルシュが近づいてくる。私がこくんと頷けば、安心したようにほっと息を着いた。
すぐに部屋のドアが開き、兄様が入ってくる。いや、駆け込んでくる。私と目が会った瞬間ぱっと顔を輝かせて__飛びつかれる。
「ゔぎゅっ!」
思わず呻きに近い声を漏らすが、兄様は離してくれなかった。
「無事なんだね、リジー」
「いいえにいさま。にいさまのせいで死にます」
「元気なんだね、リジー」
「いいえにいさま。にいさまのせいで息ができません」
「生きているんだね、リジー」
「……はい。にいさまの腕の中でなんとか生きています」
ようやく離してくれた兄様は飴玉のような目に涙をいっぱいにためていたから、私は弱い者いじめした後のような気まずさを感じていた。
「心配をかけて、すいませんでした」
私が頭を下げると、紅茶を淹れてくれていたウルシュがほんとですよ、とため息をついた。
「まさか四日まるまる寝込まれるなんて……その間ジロイド坊っちゃまはずっと看病していらしたんですよ、お嬢様」
あ、蜂蜜入れておきましたよ、と言いながら私に手渡した紅茶は飲みやすくて、とても美味しかった。
そしてもう一口、と口をつけた時に私はウルシュの言葉に違和感を覚える。
「ねぇウルシュ。……私って何日寝てたって?」
「四日ですよ、お嬢様」
「そう四日……四日ね__」
それを聞いて安心して、もう一口と口に含んだ紅茶に噎せて、私は激しく咳き込んだ。
大丈夫?と背中をさする兄様の手を取り、鬼気迫る顔で叫んだ。
「よっかぁぁ !?」
えっちょっと待ってほんとにシャレにならない。
四日も寝てたなんて。六歳って言う育ち盛りの時に四日も寝てた !? 一種の罪じゃんそれ。どうするの、これで身長伸びなかったら__
ベッドから飛び出して部屋の中を行ったり来たりする私に二人は苦笑を浮かべ、ウルシュがよいしょ、と私を抱き上げる。
「お嬢様はまだ病み上がりなんですから。しっかりと寝ていてください」
ベッドにつれ戻され、布団をかけられる。不満げにそれをくしゃくしゃとする私を見て、兄様がベッドの脇に腰掛けた。
「そうだよリジー。なんなら兄が遊んであげようか」
キラキラと輝く笑顔を私に向けないでください。小さくても悪役の私の目が潰れます。
頬を膨らませた私に、キラッキラな兄様は特に反応を返さない。
「心配しなくても、リジーが元気になったら忙しくなるよ。……お茶会のことは覚えてるかい?」
少し困ったように笑ってみせる兄様に、私は首を傾げる。
「おちゃかい__。あ、魔獣が中庭に入ってきたところまではおぼえてます」
そう、それで兄様が魔獣に向かっていくから自分はパニックになったんだ。
そうだ、と私は逆に聞くことにした。
「そういえば、あの魔獣はどうなったんです?」
「あの後聖騎士を要請して屋敷を隅から隅まで探したんですが見つからず。取り逃しました」
申し訳ありません、と頭を下げるウルシュに対して、私はにかりと笑う。
「ううん、いいの。あの子は誰も傷つけなかったでしょう。それで殺されてしまっていたらかわいそうだと思っただけだもの」
そう言った私を二人は驚いたように見てから二人で視線を合わせて笑みをこぼす。
「これがリジーだ、ウルシュ」
「そのようですね、ジロイド坊っちゃま」
「どうかしたの?」
しかし私の問いかけに対して向けられるのは二人の笑みだけ。……たしかに二人の攻略対象の笑顔って破壊力あるけど。あるけれど。
「あ、そうそう。王子や王女はご無事だったの?」
王女のことは大嫌いだけど、流石にこの国の王子と王女だ。何かあったのではないか、と心配に思う私を安心させるように二人は頷く。
「うん。御二人共かすり傷ひとつなくご無事だよ」
「あの王女様に至っては魔獣を撃退したのは自分の才能だと言いふらす余裕までおありですよ」
それに僅かに顔を引き攣らせながらも、私はほっと安堵の息を漏らす。
私たちの主催したお茶会で王族が怪我を負ったなんてオースティン家の危機だ。危機と言うより、没落エンドだ。そうはならなかったと思うとほっとする。
「公爵様のお戻りです」
控えていたメイドが告げる。
「あら、父様はどこかえお出かけだったの?」
どこへ行っていたんだろうと興味をそそられてウルシュに聞くと、言いにくそうに視線を逸らし、
「王宮です」
と、そう言った。
お疲れ様でした。
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