代読可の机印は、夜門の封蝋を割る前に返事を閉じられません
夜門の鎖が、半分だけ下ろされていた。
晩餐会場の灯りはまだ遠く、ここでは皿の銀ではなく、馬車灯の油が数えられている。門番が木札を二枚、外套の袖で押さえていた。
北方使節待機札。
温石返却籠。
その横に、割られていない返書筒が置かれている。北方の封蝋は冷たいままだった。
「代読可の机印がございます」
王子府の式典係が、夜門の内側で声を高くした。
「リオネル様の机印写しにより、返書内容は進行側で確認済み。本人読了を待たず、温石を返却籠へ入れ、夜門を閉じられます」
門番の手が、鎖から離れなかった。
「返却籠へ入れると、使節待機終了です。馬車灯も一本、消します」
シェリア様がその一本を見た。夜門の外では、北方使節の馬車がまだ動かない。灯が消えれば、彼らは返事を待つ場所を失う。
ミリア様は封蝋を見つめたまま、胸の前で手を組んだ。
「……わたくし、まだ読んでいません」
「ですから代読可です」
式典係は薄い写しを差し出した。底に、小さく押された机印がある。
リオネル机印写し。代読可。
わたくしは、その紙を受け取らず、門番の木机の上へ置かせた。
「代読可を、三つに分けます」
夜門の風で、灯油札が少し震える。
「封蝋を割った者。声に出して読んだ者。読まれる人が待てる状態を残した者。いま、この三つのうち確認できるのはどれですか」
式典係は言葉を詰まらせた。
アレン様が、返書筒へ手を伸ばした。けれど封蝋は割らない。彼は先に、返書席札の裏へ自分の名を書いた。
「読んでいない返書に、僕の返答は乗りません」
その一文を、門番が読み上げる。
ミリア様も、夜門待機札を引き寄せた。
「私は、読まれていない返書へ返事をしません。返事をしないために黙っているのではなく、読む時間を待っています」
彼女の字は震えていた。けれど、三音管の音ではなかった。本人の手だった。
シェリア様は馬車灯の油札に、小さく追記した。
「帰る者の灯は、代読済みで消さない」
門番が、初めてうなずいた。
「ならばこの灯は、返答待機中の灯です。閉門灯ではありません」
式典係が机印写しを取り戻そうとした。
「しかし、リオネル様の机印が」
「机印は、机がどこにあったかを示します。本人がどこで読んだかは示しません」
わたくしは青い保留札を一枚、机印写しの角へ重ねた。
机印本人所在未確認。
代読効力保留。
封蝋未開封。
「この紙は犯人名ではありません。誰かの机が、誰かの返答を先に閉じようとした証拠です。消してはいけません」
北方使節のひとりが、厚い手袋のまま胸へ手を当てた。
「待つ側の夜も、記録に入れていただけますか」
「入れます」
わたくしは温石返却籠を、門番の足元から使節席の火鉢の前へ戻した。
「温石は返却済みではなく、返答待機中。蜂蜜水は即答用ではなく、本人が読んでから声を出すためのもの。馬車灯は閉門の灯ではなく、帰る人と待つ人の灯です」
門番が木札を三枚に分けて、夜門の柱へ掛け直した。
封蝋未開封。
本人読了待ち。
帰路灯保持。
鎖はそれ以上、下りなかった。
ミリア様は蜂蜜水を受け取り、飲まずに両手で包んだ。
「急いで返事をするためではなく、あとで読める喉を残すために」
「はい」
アレン様は封蝋に指を置いたまま、夜門帰着簿を見た。
「この机印写しが使われた時刻を、帰着簿と照合してください。リオネル様の机が読んだというなら、その時刻、本人はどこにいたのか」
式典係の顔から色が抜けた。
帰着簿の一行だけ、墨が濃い。
リオネル机印写し使用時刻。
本人帰着記録より、半刻早い。
夜門の灯は残った。
けれど、閉じられなかったのは返書だけではなかった。机にいるはずのない人の印が、門の内側で、先に返事をしたことになっていた。




