候補者待機馬車の飼葉代は、北方の返事を食べて走れません
夜門の馬車灯は、二台ぶんに増えた。
けれど馬丁が足元へ置いた飼葉袋は、一つだけだった。袋の口は王子府の赤紐で結ばれ、底には湿った紙片が貼りついている。
――候補者待機馬車二名分。
――飼葉代、北方物資返答不要行より振替。
エレノアは袋を開けさせず、まず灯の影を見た。油皿二つ、外套二着、夜門札二枚。帰る条件はようやく二人分へ戻ったのに、その馬が食べる飼葉だけが、遠い北方の返事を飲み込んでいた。
「飼葉は馬の腹へ入るものです。返事の代わりに食べさせるものではありません」
侍従は顔をしかめた。
「北方物資は返答不要処理済みです。式典進行の安全を優先し、候補者の待機馬車へ振替えることは礼法監の裁量内で――」
「不要と書かれたのは、誰の返事ですか」
エレノアが問うと、夜門の石畳に雨音だけが残った。
馬丁は袋の底をそっと返した。濡れた紙片の下から、小さな封蝋つきの札が二枚落ちる。一枚には、北方第三見張り小屋。もう一枚には、凍傷薬箱、封緘確認待ち、と細い字があった。
セリムが夜門通過簿を開いた。
「第三見張り小屋への返書便、今夜の灯が一つ消されています。理由欄は、返答不要処理済み。けれど灯油札は未使用で、受領者名も空欄です」
イーダは温乳の空杯を両手で抱えたまま、ミリア様とシェリアを見た。
「候補者の帰る馬車が必要なのは本当です。でも、北方の夜番さんが返事を出せないままなら、その人の薬箱も、明日の交代も止まります」
シェリアは白手袋札を握りしめ、馬車の前へ一歩出た。
「私の帰り道で、北方の返事を食べないでください」
声は小さかった。だが、姿勢札に手首を縫い止められかけたときより、まっすぐだった。
ミリア様も青札を差し出す。
「私の待機馬車欄を、返答不要欄から切り離してください。私は帰りたいです。でも、誰かが返事をしないままになるなら、その飼葉はまだ受け取れません」
エレノアは税帳の余白へ、飼葉袋を横領額としてではなく、到着条件として分けた。
――候補者ミリア、帰還馬車必要。
――候補者シェリア、帰還馬車必要。
――飼葉袋一袋、出所未分離。
――北方第三見張り小屋返書札、未返答。
――凍傷薬箱封蝋、受領者未確認。
――夜門返書便灯油、一灯未使用。
「二人を帰すための馬車は守ります。けれど、その飼葉が別の誰かの返事を食べて走るなら、候補者の帰還条件もまだ完了していません」
侍従は赤い紐へ手を伸ばした。
「でしたら別会計から仮払いを――」
「仮払いの前に、目的語を戻します」
エレノアは飼葉袋を破らず、青い保留紐で結び直した。馬丁へは別の倉から未使用の飼葉を一抱え出すよう命じ、セリムには夜門通過簿を二列へ分けさせる。
片方は、候補者二名の帰還馬車。
もう片方は、北方第三見張り小屋への返書便。
イーダは温乳の盆の端に、凍傷薬箱の封蝋札を寝かせた。
「薬箱が誰の手に届くか分かるまで、温乳の受領印と一緒に閉じません」
ノラ・シェルは外套棚から青い糸を一本抜き、返書札の角へ結んだ。
「返事も外套と同じです。着る人、読む人、待っている人のところへ戻るまで、飾り紐にはしません」
馬丁は新しい飼葉を馬へ運びながら、濡れた封蝋を見つめた。
「北方の第三見張り小屋、うちの兄が去年までいました。返答不要なんて、あそこが一番嫌う言葉です」
その証言を、エレノアは青い明細の下へ添えた。犯人名ではなく、返事を待つ場所の名として。
夜門の二台の馬車灯が、ようやく別々の道を照らす。ミリア様とシェリアの帰る道。北方へ一通だけでも返事を戻す道。
二つは、同じ飼葉袋で閉じてはいけない。
そのとき、返書札の裏ににじんだ文字が浮いた。
――返答不要処理済み。北方側受領者、ガレン・リード代理欄。
セリムの筆が止まる。
以前、冬越し薬草酒の受領印に出た、死者の名だった。
しかも代理欄の時刻は、候補者待機馬車の飼葉受領時刻と同じだった。




