王子派閥の会計
王子派閥の帳簿は、笑うほど素直でした
「エレノア・グレイシア。貴様の悪事は、すべて白日の下にさらされた」
卒業舞踏会の中央で、王太子レオンハルトは高らかに宣言した。
彼の隣では、聖女ミリアが涙ぐんだ瞳で胸元を押さえている。周囲の令息令嬢たちは、予定された断罪劇を見逃すまいと息を潜めていた。
エレノアは、薄い笑みを浮かべた。
「すべて、ですか」
「そうだ。お前は領民から重税を取り立て、聖女救済基金への寄付を妨げ、王家への忠誠を欠いた」
「三点ですね」
「何?」
「では、順番に処理いたしましょう」
エレノアは侍女へ目を向けた。
侍女は心得たように、分厚い革表紙の帳簿を三冊、銀盆に載せて運んでくる。舞踏会に帳簿。宝石より重いその現実に、広間の空気が少し冷えた。
「第一。重税について」
エレノアは一冊目を開いた。
「グレイシア領の税率は、王国平均より二割低いです。こちら、過去三年の収穫量、災害補填、医療費免除、孤児院支援の内訳です」
「数字など、いくらでも偽造できる!」
「もちろんです。ですから、王国監査院へ同じ写しを先月提出済みです」
ざわめきが起こる。
監査院長の老伯爵が、会場の隅で咳払いをした。
「写しは確認済みだ。少なくとも、グレイシア領に不正な増税はない」
レオンハルトの眉が動く。
聖女ミリアが、かすかに唇を噛んだ。
「第二。聖女救済基金への寄付妨害について」
エレノアは二冊目を開く。
「これは面白いですわ。殿下、基金へ寄付された金貨は、この半年で二万枚。うち実際に救済へ使われた額は、三千百二十枚」
「残りは運営費だ!」
「運営費の内訳を読み上げます。新馬車二台、南都別荘の改装、香油、宝石、舞踏会用ドレス七着、そして王子派閥の私的会合費」
広間の熱が、一瞬で変わった。
笑いをこらえる令嬢。顔を青くする子爵。視線を逸らす神官。
エレノアは頁をめくる。
「支払承認印は、ミリア様のものですね」
「わ、私は知らなくて……皆様が、聖女として必要だと」
「承認印は、知らない支出には押してはいけません」
当たり前のことを、エレノアは丁寧に告げた。
その当たり前が、王子派閥には痛いらしい。
「第三。王家への忠誠を欠いた件」
エレノアは三冊目を開かず、王太子を見た。
「殿下。忠誠とは、王家の財布の穴を見ないふりすることですか」
「黙れ!」
「それとも、領民の冬支度費を削って、聖女様の香油を買うことですか」
「黙れと言っている!」
レオンハルトの手が、剣の柄へかかる。
その瞬間、会場の扉が開いた。
入ってきたのは、王国財務卿と、白い制服の監査官たちだった。
「殿下。剣を抜く前に、こちらへ署名を」
財務卿は淡々と羊皮紙を差し出す。
「王子府特別会計の閲覧許可です。拒否なさる場合、王命により一時凍結となります」
「父上が?」
「はい」
レオンハルトの顔から、血の気が引いた。
エレノアは、そこで初めて三冊目を開いた。
「殿下の帳簿は、笑うほど素直でした。隠す気がないのか、隠し方を知らないのか、判断に迷います」
どこかで、令嬢が小さく吹き出した。
「貴様、最初から仕組んでいたのか」
「いいえ。仕組んだのは殿下です。私は、仕組みを記録しただけ」
聖女ミリアが前に出る。
「エレノア様。あなたは冷たい方です。困っている人を助けるためには、多少の融通が必要なのです」
「融通とは、困っている人に届くはずの金貨で香油を買うことではありません」
「私は聖女です!」
「ええ。ですから帳簿も清らかであるべきでした」
ミリアの目に、本物の涙が浮かんだ。だが今度は、誰もすぐには同情しない。
エレノアは会場を見渡した。
「本日、私は婚約破棄を受け入れます。王家との縁が切れるなら、領地改革に集中できますので」
「勝手に決めるな!」
「殿下が先ほど、皆様の前でおっしゃいました。私の悪事はすべて白日の下にさらされた、と。では、事実が白日の下に出た以上、この婚約は政治的価値を失いました」
財務卿が頷く。
「王命を待つまでもなく、婚約契約の再審査は避けられませんな」
レオンハルトは言葉を失った。
エレノアは帳簿を閉じる。
断罪は終わった。
けれど、彼女の仕事はここからだ。
会場の外では、グレイシア領から来た商人たちが待っている。冬の備蓄計画、港の修繕、孤児院の新しい会計方式。恋に使う時間は、もうない。
その時、一人の青年が拍手をした。
銀灰色の髪。北方辺境伯の嫡男、ユアン・ノルド。
「見事な帳簿でした、グレイシア嬢」
彼は微笑む。
「もしよろしければ、我が辺境伯領の軍糧会計も見ていただきたい。王都より寒いが、数字は嘘をつきません」
エレノアは少しだけ目を細めた。
新しい道は、舞踏会の床ではなく、数字の先に開いている。
「条件があります」
「何なりと」
「領民の食費を削る予算は、最初に燃やします」
ユアンは楽しそうに笑った。
「では、燃えない帳簿を用意しましょう」
その頃、監査官の一人が王子府の仮帳簿をめくり、顔色を変えていた。
「財務卿。この支出先、存在しない商会です」
エレノアは振り返る。
王子の浪費だけではない。
誰かが、王子派閥を隠れ蓑にして国家予算を吸っている。
次に読む帳簿は、王都そのものの裏口へつながっていた。




