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断罪直前の悪役令嬢、領地の税帳を読み上げただけで王子派閥が崩壊しました  作者: 花守りつ


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15/50

候補者支度費は、薔薇木箱だけを温める費目ではありません

王子府式典倉庫の薔薇木箱は、奥帳簿室よりもずっと華やかだった。


 白布に包まれた銀の髪飾り。

 候補者披露用の淡い手袋。

 香油を染み込ませた薔薇紐。


 けれど木箱の底だけが、式典の匂いではない。

 乾いた泥と、古い羊毛と、凍った薬草酒の甘い匂いがした。


「候補者様の支度品です。税帳の方が触れる品ではありません」


 王子府の使者が、箱の蓋へ手を伸ばした。

 エレノアはその手の前に、青い保留札を一枚置く。


「支度とは、誰を温める費目ですか」


 使者の眉が動いた。

 答えるより早く、財務卿の補佐官が木箱の底板を外す。薄い板の裏に、三枚の小札が縫い留められていた。


 北方冬越し薬草酒、空瓶控え。

 凍河橋番所、毛靴下二足。

 第三見張り小屋、夜明け前火鉢札。


 どれも右肩に、同じ写し番号がある。

 二十七。


「候補者支度費です」


 使者は同じ言葉を繰り返した。


「候補者様の披露に必要な支度品として、王子府が正式に――」

「この空瓶は、誰の披露を終えたのですか」


 エレノアは、薬草酒の控え札を持ち上げた。

 空瓶、とある。

 だが受領欄には、ガレン・リードの死者印の隣に、小さく『候補者控室へ転用済』と書き足されている。


「薬草酒は、北方兵の指を温めるためのものです。候補者控室の香り付けではありません」


 ミリアの顔から血の気が引いた。

 彼女は、白い手袋の上に置かれた薔薇紐を見ていた。さっきまで自分の支度品だと思っていたものの下に、誰かの夜明け前が縫い込まれている。


「……わたくしの、名前で」


 小さな声だった。


「わたくしの支度として、閉じられたのですか」


「閉じようとした者がいます」


 エレノアはミリアを責めなかった。

 木箱の横に、候補者披露札と、北方の小札を並べる。


「けれど、まだ閉じていません。火鉢札は、火鉢に届いていない。毛靴下は、凍河橋番所の棚にない。空瓶控えは、薬草酒が飲まれた証拠ではなく、まだ戻すべき瓶がある証拠です」


「そんな細かいことを式典前に」


 使者が声を荒げた。


「候補者様のお支度が遅れます」

「では、候補者様ご本人に読んでいただきます」


 エレノアは墨を差し出した。

 ミリアの指が震えた。だが彼女は逃げなかった。


 候補者支度費。

 その欄の横に、ミリアはゆっくりと線を引く。


『本人未読の支度名では、北方生活品を受領しません』


 続けて、もう一行。


『夜明け前火鉢札は、第三見張り小屋到着確認まで保留』


 使者が息を呑んだ。

 候補者が、自分の支度費に保留を書いたのだ。


「ミリア様、それは王子府の決裁を――」

「わたくしの名で、誰かの火鉢を消さないでください」


 ミリアは顔を上げた。

 泣きそうな顔ではあった。けれど声は、初めて自分の欄を読んだ人の声だった。


「披露の薔薇は、冷えた指で結ばせるものではありません」


 エレノアはうなずき、火鉢札に青い保留印を押した。

 補佐官がすぐに写しを二枚作る。一枚は木箱に残し、一枚は第三見張り小屋行きの急使へ渡す。


「今夜の火鉢までは、間に合いますか」


「馬を替えれば、夜明け前には」


 財務卿が短く答えた。


 倉庫番の一人が、棚の奥から小さな炭袋を抱えてきた。

「候補者控室の飾り火用です。まだ封を切っていません」


 エレノアは袋の札を確かめる。

 飾り火用、と上から貼られている。その下に、第三見張り小屋、夜明け前一回分、と薄い字が残っていた。


「飾る火ではなく、帰ってきた人の指をほどく火です」


 ミリアが自分で上札を剥がした。白い爪に赤い紙片が残ったが、彼女は構わず、炭袋を急使の箱に入れる。


「わたくしの控室は、今夜寒くて結構です」


 その瞬間、木箱はただの証拠ではなくなった。誰かの朝を、まだ温められる箱になった。


 エレノアは最後に、底板の裏の縫い糸を見た。

 薔薇紐と同じ赤ではない。

 王子府式典倉庫の備品係が使う、灰色の綴じ糸。


「写し番号二十七の原本保管簿を」


 補佐官が奥の棚へ走る。

 戻ってきた顔は、紙より白かった。


「保管簿では、二十七番の原本は昨日の正午に戻っています。ですが……薔薇木箱の底板を閉じた持ち出し時刻は、昨夜です」


 昨夜。


 リオネルの机印が、欠けた花弁のまま使われた時刻だった。


 エレノアは青い保留札を、木箱の蓋ではなく、保管簿のその一分に貼った。


「では次は、戻ったはずの原本が、誰の手で夜に歩いたのかを数えます」

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