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断罪直前の悪役令嬢、領地の税帳を読み上げただけで王子派閥が崩壊しました  作者: 花守りつ


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13/50

死者の受領印で、冬越し薬草酒は満ちません

「死亡情報の反映遅延です」


 王子府の翻訳官は、赤い済印を隠すように封筒を閉じかけた。


「北方名簿上、ガレン・リードは確認名として残っておりました。補完命令翻訳者は、届いた名簿を――」


「届いていたのは、名簿だけですのね」


 エレノアは封筒ではなく、赤い済印の下にある細い行を指で押さえた。


 北方冬越し薬草酒、補完済み。

 本人確認名、ガレン・リード。


「では、遅れていたのは死亡情報ですか。それとも、死者の名を使うほうが早かったのですか」


 奥帳簿室の空気が冷えた。


 ユアンが一歩前へ出る。怒鳴らない。ただ、腰の革筒から折り目の多い薄い台帳を取り出した。


「凍河橋番所、冬前交代台帳。ガレン・リード。先任橋番。第三霜月二十八日、夜明け前死亡。返却品、ひび割れた左靴。最後の支給品、靴油半壺」


 彼の声は低かった。


「こいつは署名できない。橋板の音で氷の厚さを聞く男だったが、死んだあとに王都の乾杯へ同意するほど器用じゃない」


 ミリア様が息を呑んだ。


 財務卿の補佐官は、赤い済印の横へ新しい札を置いた。


「本人死亡後補完。現場受領印なし。生活到達未完了」


「その札を、薬草酒の箱へ」


 エレノアが言うと、翻訳官は顔を上げた。


「式典倉庫の現物まで動かす権限は――」


「現物を動かしたから、死者の名が必要になったのでしょう」


 奥帳簿室から式典倉庫へ向かう廊下には、薔薇飾りの木箱が二つ並んでいた。

 候補者披露用、北方慰問乾杯酒。

 その下に、薄く残る元札がある。


 古い渡し小屋、凍傷棚。

 冬越し薬草酒、八瓶。

 夜番帰還後、一人一口。


 エレノアは膝を折り、元札の泥の跡を読んだ。


 瓶番号一と二は、夜明け前の見回り帰り。

 三と四は、橋板を替える二人。

 五と六は、薬売りの小橇が東孤児院へ渡るまでの待機分。

 七と八は、吹雪で小屋に残る予備。


「乾杯に回せば一晩で空になります。凍傷棚へ戻せば、八つの夜に分けられます」


 ユアンの部下の一人が、小さく頷いた。


「今夜の凍河橋は風が戻ります。渡し小屋に八瓶あれば、薬売りの小橇を止めずに済む」


「では、酒は拍手ではなく橋を渡します」


 ユアンの部下が、黙って薔薇紐に手をかけた。


「お待ちください」


 王子府書記が叫ぶ。


「候補者様の披露乾杯が成り立ちません。北方の名を掲げることで、式典に敬意を――」


「敬意なら、死者の名前で祝杯を閉じないでください」


 それは、ミリア様の声だった。


 大きくはない。けれど、彼女は自分の胸元の白いリボンを押さえ、もう一度言った。


「わたしの披露に、ガレン様の名を使わないでください。わたしは、その方の冬を読んでいません」


 エレノアは振り返る。


「では、その一行は同意欄ではなく拒否欄として残します。次に祝杯の名を書くときは、誰の棚から瓶が消えるのか読んでからです」


 補佐官が短く筆を走らせた。


 候補者披露乾杯酒、候補者本人未読により保留。

 北方冬越し薬草酒、古い渡し小屋凍傷棚へ差戻し。

 受領者、生存橋番代理の受領印を要す。


 薔薇紐がほどける。

 木箱の中で、八本の瓶が小さく鳴った。


 ガレン・リード。

 本人確認名ではなく、死亡確認済み。

 古い渡し小屋、冬越し棚、未到達。


 エレノアは赤い済印を消さなかった。上から青い保留札を重ねるだけにした。


「死者の名前は、空欄を閉じるための栓ではありません」


 翻訳官の指が、袖口の中で震えた。


 補佐官が、封筒の控えをさらに三枚めくる。


「エレノア様。補完済みの本人確認名が、ほかにもあります。現場受領印は、どれも空白です」


 一番下の起案者欄には、名前ではなく薔薇の略印だけが押されていた。


 ミリア様の顔から、血の気が引く。


「……兄の机にある印です」


 エレノアは、青札をもう一枚取った。


「では次は、その薔薇印が、何人の冬を閉じたのか数えましょう」

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