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断罪直前の悪役令嬢、領地の税帳を読み上げただけで王子派閥が崩壊しました  作者: 花守りつ


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11/50

奥帳簿室の同じ写し番号

王子府式典倉庫の奥帳簿室は、薔薇の香油で満ちていた。


 けれど帳簿の端に残っている匂いは、香油ではない。

 靴油と、乾燥肉と、古い羊毛だった。


「アシュベリー嬢。これが、北方未受領一覧と同じ写し番号です」


 財務卿の補佐官が、薄い写し帳を三冊、机へ置いた。

 一冊目は孤児院救済基金。

 二冊目は北方軍糧補助。

 三冊目は、聖女候補者支度費。


 表紙は違う。

 用途名も違う。

 けれど右肩の写し番号だけが、同じだった。


「式典準備一括。候補者清め費。北方慰問品。……名前を変えただけですわね」


 ミリア様が息を呑んだ。

 彼女は反論しようとしたのだろう。唇を開き、けれど何も言わなかった。

 わたくしは彼女ではなく、帳簿の空白欄を見た。


 生活影響欄。

 そこだけが、どの帳簿でも押されていない。


「陰謀の名前を決める前に、届いていないものを戻します」


 わたくしは一冊目を開いた。


 孤児院冬毛布七枚。

 摘要欄には、式典来賓控室用ひざ掛け、と書かれている。

 けれど下段に、薄く消された元の行が残っていた。


 東孤児院、窓側寝台七床。

 夜間咳持ち児童用。


「これは来賓の膝ではなく、子どもの夜です」


 王子府の倉庫番が顔をしかめた。


「しかし、式典準備費として受領済みで――」

「受領済み、ではありません。生活到達未完了です」


 わたくしは青い保留札を一枚、毛布七枚の上に置いた。


「今夜分として七枚を仮差押え。三日以内に原受領印を示せなければ、正式に救済基金へ戻します。今すぐ運ぶ分には、財務卿の生活保全印で足りますわ」


 補佐官がうなずき、控えていた下働きの少年へ目配せした。

 少年は毛布を抱えた瞬間、小さく言った。


「……窓側、いつも二枚足りなかったんです」


 帳簿の数字が、初めて寝床の形を持った。


 二冊目を開く。


 西尾根狼煙台、乾燥肉二箱。

 式典用警備兵慰労膳へ転用済み。


「狼煙台の見張りは、宴席の警備ではありません。雪の中で火を守る人です」


 ユアンが低く言った。


「西尾根なら、交代に半日かかる。肉が切れれば、火皿の前で倒れる」


「では二箱とも生活到達未完了。今夜の交代便へ載せます」


 わたくしが保留札を貼ると、王子府の書記が慌てて羽ペンを取った。


「お待ちください。転用承認には、ローゼン装飾商会の写しと、公爵家印影が――」

「印影は本人の声ではないと、前回確認しました。さらに、生活影響欄が空白です。空腹になる人の名前を書かない承認は、まだ人に届いていません」


 書記は黙った。

 黙ったまま、乾燥肉二箱に押された薔薇印を見た。

 香りのよい印で、飢えは止まらない。


 三冊目を開く前に、ミリア様が震える声を出した。


「候補者支度費は……わたしが、王子殿下から、皆のためだと聞いて……」


「聞いたことと、同意したことは違います」


 わたくしは三冊目を、彼女の前へ滑らせた。


 聖女候補者清め費。

 候補者確認欄、ミリア・ローゼン。

 同意欄、空白。

 生活影響欄、空白。

 写し番号、北方未受領一覧と同じ。


 ミリア様の顔から血の気が引いた。


「わたし、署名していません」


「では、あなたを断罪材料にも、免罪材料にも使いません。まず未読候補者として保留します」


 わたくしは、ミリア様の名前の横にも青い札を置いた。


「あなたの名前で、誰かの毛布や肉を動かしたのなら。あなたの同意欄も、誰かの生活欄も、どちらも空白のまま守ります」


 彼女は泣きそうな顔で、けれど泣かなかった。

 それは謝罪ではない。

 味方になった証でもない。

 ただ、初めて自分の名前が何に使われていたのか、読もうとした顔だった。


 最後に残ったのは、凍河橋番所の靴油三壺だった。


 これは式典行列の革靴磨き費へ転用済み、と書かれている。

 だが下段には、橋番所帰還靴棚、とある。


「凍った橋を渡る足より先に、王子殿下の靴を光らせる必要はありません」


 わたくしは三枚目の保留札を貼った。


「靴油三壺、帰還靴棚へ。乾燥肉二箱、西尾根狼煙台へ。毛布七枚、東孤児院へ。写し番号の正体は後で追います。今夜を先に返します」


 その時、奥帳簿室の扉が開いた。


 兄リオネルではない。

 王子府の翻訳官の制服を着た男が、白い封筒を持って立っていた。


「生活影響欄は、後日補完命令で処理される予定です。勝手に保留されては困ります」


 封筒の封蝋には、見慣れない印があった。


 補完命令翻訳者。


 わたくしは青い保留札を、封筒の前にも置いた。


「では次回、その“補完”が誰の夜を勝手に埋めるのか、生活影響明細へ引きずり下ろしましょう」

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