4話
シェルとリネアルが出会い早一ヶ月となるが、その間もシェルはリリーを探し続けていた。
最初、シェルはリネアルとリリーの話しかしていなかったが、次第に仲良くなっていった。そして、リネアルの胸の奥の痛みも、次第に大きくなっていった。
「なるほど。義弟くんは過去に好きだった人の面影を、リネアルに重ねているわけね」
昼下がり。いつもと同じようにリネアルは山々に囲まれた場所にあるローチェの家に遊びに来ていた。
ローチェは考える素振りを見せながら、持っていたフォークで目の前に置いてある果実に刺した。
「というか、リネアルのお父様が義弟くんを連れてうちにやって来たんだけど、知ってる?」
「初めて聞いた」
「社会勉強だって。義弟くん頑張ってるじゃない」
ローチェは果実を口に放り込み、美味しそうに食べた。リネアルも思わずつばを飲み込んでしまう。
「義弟くんにはリネアルを諦めてもらったほうがいいね」
「な、なんで?」
二人の間に風が吹き、ローチェがつけている香水の匂いがリネアルの鼻の奥をくすぐった。
「だってリネアル……リリーともし付き合えたとしても、義弟くんはその過去好きだった人とリリーを重ねるんだよ?そんなの嫌じゃない?」
言われてみれば、確かに嫌だ。
「いやいやいや、なんで私がシェルくんと付き合う前提なの?!」
「固いことは言わないの!」
ローチェに口の中に果実を入れられ、静かになってしまうリネアル。そんなリネアルを、ローチェは幸せそうに見つめていた。
「リネアルはさ、義弟くんにどうしてもらいたいの?いつかリネアルって絶対に義弟くんがわかってしまう日がくる。それでも、リネアルは義弟くんが追いかけてくるのを止めないの?」
リネアルの言葉よりも先に、胸の痛みが返事をした。わかりきった事だ。だが、リネアルはシェルに、幸せになってほしかった。出来ることなら、過去の想い人と。
リネアルは膝の上で小さく手を握りしめた。
「止める。止めたい……ローチェ、私にお化粧して」
「……いいの?だってリネアルは」
「いいから、早く早く!」
わざとらしく笑うリネアルはローチェの背中を押し、いつも化粧をしてもらう部屋まで連れていった。
三回目となるとローチェもさすがに慣れ、化粧もすぐに終わった。
「……過去最高の出来だわ……」
ローチェは鏡にうつるリネアルを見て、感嘆の息を出した。だが、あまり嬉しそうではなかった。
「……なんで今日が一番良いのかな」
「ん?なにか言った?」
「ううん、なにも」
リネアルは小さな鞄の中からローチェから貰った香水を取り出し、自身に吹きかけた。これをかけると、シェルの好きなリリーになれるような気がしたから。
「よし、行ってきなさい。どんな結果でも、私が抱きしめてあげるから」
ローチェは軽くリネアルの背中を押した。リネアルもそれに応え頷く。
正直リネアルはこれからどうしようか何も考えていなかった。だが、向かう先は決まっていた。この時間なら、シェルはきっと王宮の図書館にいる。
もちろんいた。なんなら本に熱中しており、図書館に入ってきたリネアルに気づかないほどだった。
リネアルの後ろの扉から風が吹き込む。どこかでページが捲れる音がする。そして何かに導かれたかのように、シェルはリネアルの方を見た。
「やっぱりいた!リリーの匂いがしたから、もしかしてと思ったんだ!」
シェルは読みかけの本を丁寧に閉じて本棚に戻すと、嬉しそうにリネアルに駆け寄ってきた。
「どうしてここに来たんだ?あ、読みたい本があったとか?それならおすすめの本があるんだけど」
「今日はそういうのじゃなくて、その」
特に何も決めずに会いに来てしまったため、言葉が詰まる。だがリリーではなく、リネアルは、シェルとやりたいことが決まっていた。あと必要なのは、ほんの少しの勇気だけだ。
「わ、私、あなたと」
シェルは愛おしそうにリネアルを見つめる。ただリネアルは、その瞳が違う誰かに向けたものに見えて、また胸の奥が痛んだ。
「あなたと、出かけたい……です……」
リネアルの小さな声を、シェルは聞き逃さなかった。嬉しそうにリネアルの手を取ろうとしたが、その手は虚空を掴んだ。
「……触れても、いいか?」
シェルはリネアルに言われた言葉を忘れてはいなかったのだ。
『……許可もなく未婚の女性に触れてはいけないと、子供の頃に習いませんでしたか?』
リネアルはどうしようもない嬉しさに襲われた。シェルが、自身の言った言葉を覚えてくれていたのが、本当に嬉しかったのだ。
「今日だけ、特別ですよ」
リネアルの言葉に、シェルは嬉しそうに頷く。そしてゆっくり、羽に触れるみたいに優しく手を握った。先ほどまで本に触れていたシェルの手は温かく、絹のように滑らかだった。
「リリーは、どこに行きたいんだ?どこにでもついて行くから、なんでも言って」
シェルは過去の想い人をリネアルに重ねているだけ。それでもいい。この温かさを感じれるなら、もう。
「城下町でお祭りをやっていると聞きました。よければ」
「行こう。今すぐ行こう」
食い気味のシェルは嬉しそうに笑った。それから自身の服とリネアルの服を見て、困ったように微笑んだ。
「少し派手すぎるから、この服で城下町には行かないほうがいい。よければ着替えてから、祭りに行かないか?」
「わかりました。では今度は、王宮の門で会いましょう」
シェルは頷き、図書館から出ていった。
リネアルも着替えたかったが、家に帰るとシェルと鉢合わせをしてしまう。それはなんとか避けたい。ならば行くべき場所は一つだけ。
「服?!というか義弟くんとデート?!この短時間で何があったの?!」
なんて言いつつも、ローチェは洋服棚から服を引っ張り出してはしまっていた。数分経つと、ローチェはシンプルなワンピースを片手に持ち、リネアルに向き合った。
「このワンピース、私がたまに家を抜け出すときに着てるやつなんだよね。はい、着て!髪飾りも外して、もっと質素なやつに変えよう!」
リネアルがワンピースを着たあと、ローチェは慣れた手つきで髪飾りを変えていた。いつもリネアルがつけているバレッタやらなんやらを外し、シンプルな青いピンに差し替えた。
「よし、こんなものでしょ……リネアル、本当に行くの?行ったらリネアルはきっと」
「うん、行くよ。行って、シェルくんをふってくる」
リネアルは、鏡に映る自分を見つめた。シェルは、鏡に映るリネアルが好きなのだ。リネアルが好きなのではない。その事実が、リネアルを突き動かす。
「……よし、行ってきます」
「もちろん、どんと来い!いってらっしゃい!」
ローチェはまた、リネアルの背中を押す。今度は力強く。リネアルもそれに応え、頷いた。
目指すは王宮の門。シェルはもう着いているだろうか。リネアルを待つ間、何を思うのだろう。
リネアルは、シェルがなぜリリーを好きになったかがわからなかった。リネアルも、なぜシェルに惹かれるかがわからなかった。いつもリネアルではない誰かを見ているシェル。過去の想い人、リリー。そのどちらも、リネアルから近いようで遠かった。
ほら今も、シェルはリネアルを見ていない。
「リリー!ようやく会えた!」
壁に寄りかかっていたいつもより軽い服装のシェルは、リネアルに気づくと嬉しそうに笑った。子犬のようだと、リネアルはシェルを見ながら考えた。
「どこか見たいところはあるか?俺、この国の家庭料理を食べてみたくて」
遠くの国からやってきたシェルには、この国の全てが目新しく見えるのだろう。町並みや、地面に生えている草花を見つめ、楽しそうにしていた。
それから二人は人々が行き交う城下町を進み、串焼きを手に入れた。
リネアルはあまりこういう食事を食べ慣れてはいなかったので、食べるときのマナーがあるかもしれないと必死に考えていた。だが、シェルは勢いよく肉にかぶりついた。
「香辛料……?この国は調味料が食事にかなり取り入れられていていいな……国に帰ったら……」
商人の血が騒いだのか、シェルは串焼きを見つめながら独り言を言っていた。そんなシェルを横目で見ながら、リネアルも思い切って肉にかぶりつく。
「……お、美味しい……!」
家のシェフが作ってくれる食事ももちろん美味しいが、この串焼きも同じくらい美味しく感じる。
目を輝かせているリネアルを、シェルは横目で見つめていた。
それから二人は城下町を歩き回った。曲芸団のショーに手拍子をし、本屋で今人気の本を読んだ。そのどれもが、リネアルにとっては新鮮に感じた。
そして、時間はあっという間に過ぎていく。露店を出していた人は店仕舞いをし、帰路につく。帰らない人は、愛する人と空を見上げている。
「……花火、ですか?この国では聞いたことがありませんが……」
「ああ、この国で花火を打ち上げるのは初めてらしい。色とりどりの火の玉が空を覆うんだが、とても綺麗なんだ」
シェルは楽しそうにリネアルに語る。二人は海を目の前に、堤防に座っていた。城下町から少し離れた場所だが、ここもまだ喧騒に包まれていた。
そして、花火が始まる。シェルの言ったように、色とりどりの火の玉が空を覆っていた。
リネアルは心を奪われ、宝物を見つめるような瞳で空を見た。手を伸ばせば掴めるかもしれない。もし掴めたら、誰にも取られない深い場所にしまっておこう。
シェルはそんなリネアルを、ただただ見つめていた。たまにリネアルの髪に触れようとしては躊躇い、手は虚空を掴んでいた。
心臓を打つような音と共に、真っ赤な花火が空を舞った。水面に映ったそれは広がり、海があの苦い飲み物に見える。
リネアルは呼吸を止める。花火の美しさではなく、あの赤を思い出してしまったから。
「……シェルさん」
「どうかした?」
リネアルはシェルを見る。その赤い瞳の奥に、リネアルは一体どう写っているんだろうか。そろそろ彼を、解放する時が来たのかもしれない。
リネアルはリリーという存在をいいように扱い、自己満足のためにシェルと出かけた。もし本当にリリーがいたら、それを許してくれるだろうか。シェルの好きになったリリーなら、許してくれるだろうか。
「私たち、もう会わないほうが、いいと思うんです」
リネアルの鼻の奥が、ナイフに刺されたように痛む。何も言わないシェルに、リネアルは絞るように言葉を出した。
「私たちは、本当は出会ってはいけなかったんです。あの日会ったのは、運命じゃなかった」
リネアルは目いっぱいに涙をためた。だが決して、流そうとはしなかった。流してしまったら、リリーに悪い気がしたから。
このまま適当に別れても、シェルは想い人とリリーを重ねて、また探し出すだけだ。それならきっぱりと別れを告げたほうが、シェルにも自分自身にもいいような気がしたから。
シェルは何も言わない。ただ長い睫毛を伏せ、赤い瞳を隠した。
「これで、お別れです」
一体リネアルはいつ、シェルを好きになってしまったのだろう。
家で話しているとき?パーティーで話したとき?図書館に行ったとき?夜会で出会ったとき?それとも、
「……最後に、触れてもいいですか……?」
シェルの掠れた、まるで子供のおねだりのような声に、リネアルは首を振った。
触れるのを許したら、まだシェルと別れたくないと思ってしまうから。彼が好きになったのは、私ではないから。
リネアルは立ち上がる。花火はまだ上がっており、リネアルを染めた。
「……さようなら、シェルさん。忘れましょう、お互い。悪い夢だと思うことにして。私もあなたも、最初から」
立ち去るリネアルを、シェルは引き止めなかった。リネアルはそれが悲しくて、嬉しくて、どうしようもなく、痛かった。




