5話
花火が終わった空は曇っており、今にも雨が降り出しそうだった。リネアルは急いで家に帰り、化粧を落とし、服を変えた。今日は母親が王宮勤め帰ってきているらしく、家が慌ただしかった。
しばらくして、雨が降り出した。久しぶりの大雨だった。リネアルは自室の窓から外を眺める。シェルはまだ帰ってきていないらしい。
呆然と外を眺めるリネアルがいる部屋の扉を、誰かがノックした。
「リネアル様。ご夕食の準備が整いました」
「……ありがとうございます。すぐ行きますと伝えておいてください」
「承知いたしました」
使用人の忙しない足音が遠のいていくのがわかる。リネアルも扉を開け、廊下を歩いた。すると下の階段から足音が聞こえた。
「……リネアルさん」
階段から上がってきたのは、シェルだった。服までびしょびしょに濡らしたシェルは、見ているこちらが寒くなりそうだった。だがシェルは気にしていないのか、リネアルを見てからすぐに歩き始めた。
「あの、タオルとか持ってきましょうか?風邪を引いてしまいますよ」
「結構です。今の俺には風邪を引くくらいがちょうどいいですから」
シェルは歩き出し、リネアルの横を通り過ぎた。冷たい風がリネアルの頬を撫でたと同時に、シェルの足が止まる。まるで、何か気になることがあると言うように。
「……香水、つけているんですか?」
シェルの問いに、リネアルは自身が香水の匂いを落とすためのお風呂に入っていないことに気づいた。シェルに会うときのためだけにつけていた香水だ、少し恥ずかしい気もする。
「たまにつけています。友人からもらったんです」
シェルはその言葉に、どこか聞き覚えがあった。今会いたくてたまらない人が、どこかで言っていたような、そんな気がした。
「……今日は、何をしていたんですか?」
シェルの問いに、リネアルの心臓が激しく動く。だが、シェルは知らないはずだ。今日リネアルが何をしていたのかを。
リネアルは緊張を誤魔化すようにスカートの裾を握りしめた。
「今日は、友人の家に遊びに行っていました」
「……ローチェさん、でしたっけ。お義父さんに連れていってもらったことがあります。あそこの屋敷は山に囲まれていて、いい場所ですよね……花火は、見ましたか?」
どうしてこんなに質問をしてくるのだろうかとリネアルは疑問に思いながらも頷く。
「とても綺麗でした。特にあの赤い花火が……」
シェルの射抜くような視線に、リネアルの言葉が止まる。
何かおかしなことを言ってしまっただろうか。いや、ローチェの家に行ったのは本当のことだ。父親だって、使用人だって知っている。
「……あそこの家は山に囲まれているので、花火は見れないはずですが。どこで見たんですか?」
墓穴を掘った。いつかローチェにも言われた記憶があったのに、すっかり忘れていた。
「ろ、ローチェと、その」
リネアルはうつむき、シェルを見ようとはしない。だが、シェルはリネアルを見つめていた。いつ顔をあげてくれるのかと、濡れた冷たい頭で考えた。
「…………リリー」
リネアルの顔が上がる。そして、赤い花火のような瞳に、リネアルは囚われた。
「あなたは、リリーなんですか……?」
シェルの掠れた声が、何かを渇望する声が、リネアルに響く。だが、シェルの望む答えを、リネアルは言えなかった。
何も言わないリネアルを見て、シェルは確信した。なぜわからなかったのだろう、こんなにも近くにいたのに。黒曜石のように黒い髪に、深い海のような青い瞳。そのどれもが、リリーと同じなのに。
「……触れても、いいですか……?」
リネアルは答えない。だがシェルは、沈黙を肯定と受け取った。
ゆっくりと、けれどもリネアルの存在を確かめるように、しっかりとリネアルの手を握る。シェルの冷たい手は、リネアルの体を冷やしていった。
リネアルは何も言わない。シェルを騙していた罪悪感からか、彼女の青い瞳は下を向いていた。だが、シェルがリネアルの首筋にそっと触れると、驚いたようにシェルを見た。その顔に、シェルは歪んだ表情を見せた。
視線が合わさる。睫毛が触れる。呼吸が止まる。誰のかもわからない痛みは、消えてしまった。
シェルの顔がリネアルから離れる。リネアルは何が起きたのかわからず、呆然とシェルを見ていた。
「……俺はあなたのことを、悪い夢だなんて思っていませんよ」
リネアルは、シェルの気持ちがわからなかった。辛いような、悲しいような表情をするシェルは、ただ雲に触れるみたいにリネアルの頬を撫でていた。
「これがもし悪い夢なら、俺は一生覚めません。あなたがこの夢におちてくれるまで、一生」
今度はリネアルの形を確かめるように、しっかりと触れた。
だがリネアルも、されるがままではなかった。非力ながらも必死にシェルを突き放し、涙をためた目でシェルを睨んだ。
「あなたは私を、他の誰かとしてしか見ていない!私はリリーでも、過去のあなたの好きな人でもない!」
シェルから想い人の話を聞いたときから、リネアルはずっと苦しかった。その赤い、誰かと同じ瞳で見られるだけで、胸の奥が痛んだ。
あと二年、たった二年と、ずっと自分に言い聞かせていた。その二年がリネアルにとってどれだけ苦しく、辛いものかを、リネアルは知っていたはずなのに。
いったいいつ、こんな人を好きになってしまったのだろう。きっかけなんていくらでもあった気がする。ただ、考えるのが怖かっただけで。
「……俺はあの発言をしたあと、ちゃんと考えました。リリー……リネアルさんは、俺の好きな人とは全く似てませんよ。あの人は活発で、人のことを考えないで……」
シェルの口から出る想い人の話に、リネアルは思わず嫉妬してしまう。
「でも」
そんなリネアルを、赤い瞳が捕らえた。
「リネアルさんは全く違います。物静かで、丁寧で、俺の話だってちゃんと聞いてくれます」
シェルがリネアルの手を絡めとる。シェルの手は熱を帯びていた。
「俺は、あなたとあいつを重ねてなんて考えていませんでした。あなたはリリーとして振る舞っていました。けどそのどれもが、本当のあなたに感じた。あなたは最初からリリーとして振る舞っていたんじゃなく、リネアルとして振る舞っていたんだよ」
リネアルの瞳には、あの日夜会で出会った男性が写っていた。勇気を出して告白してくれた彼も、今のシェルと同じ気持ちなのだろうか。
「俺は、ありのままのリネアルを好きになったんだ。あなたの喋り方。嘘をつくときは自分の手を握る。嬉しいとき、楽しいときは瞬きが多くなる。リリーの特徴どれもが、この家で過ごしたあなたと同じだった」
「なら、なんでもっと早く言わないの?気づいていたら、普通言うでしょ!」
リネアルの言葉にシェルは頬を赤くした。
「あなたと隠れて恋人のように過ごすのが楽しかったから……今日だって俺は、リリーじゃなくてリネアルと過ごしていたんだ」
その言葉にどうしようもなく嬉しくなってしまうリネアルがいる。自分のことを単純だなと思い、なんだか笑えてくる。それから小さく息を吸い、シェルの手を握り返した。
「今度リリーって言ったら、許さないから」
そして今度は、リネアルがシェルに顔を近づけた。少し身長差があったので触れたかすらわからなかったが、シェルは嬉しそうに頬を緩めた。
「ねえ、いつからリリーが私だって気づいてたの?」
「最初はわからなかったけど、パーティーでなんとなくそうかもしれないって思って。会うたびにサーヴィンがニヤついてきていたし」
あの王太子……とリネアルは頭が痛くなりながらもシェルの話を聞く。
「確信したのは今日の祭かな。なんかいつもと雰囲気が違ったから」
「そんな違った……?」
「そりゃもちろん、いつもの倍可愛かった」
シェルの言葉にリネアルは顔を赤くする。そんな二人の間に、誰かの咳の音が入り込んだ。
「……二人とも。夕食が冷めてしまうから、いいところで切り上げなさい」
父親は廊下の角の奥で喋り、顔こそ見せなかったもののリネアルの顔をさらに赤くするには十分だった。
「……俺さ、リネアルが好きだよ。リネアルは?」
確かめるような物言いに、リネアルはシェルから顔をそらす。それから小さく呟いた。
「……好き…………かも!」
そしてリネアルは走り出す。冷めてしまう夕食を救いに。
シェルは見えなくなっていくリネアルの背中を見て、小さく微笑んだ。
「リネアル。俺、世界で一番幸せ者だよ」
それからシェルも歩き出す。まだ見ぬ夕食を求めて。
これで完結となります!
本当はもっと長く書きたかったのですが、今連載している小説があるので致し方なし。
ローチェとサーヴィン、それからシェルの想い人も、もしこれが長期連載になるならどんどん深掘りしていく予定です!
良かったら星ぽちして評価入れてくださると嬉しいです!
我々作家は、読者様のお陰で成り立っています。
そんな読者様に最大級の感謝を込め、今回は終わりとさせていただきます!
ここまで読んでくださった皆様、本当にありがとうございました!




