2話
「あなたに、恋をしてしまいました!」
青天の霹靂とは、このようなことを言うのだろう。実際リネアルは思考を停止し、男性を見つめた。
まずリネアルは考える。
どのタイミングで私を好きになった?私は男性のシャツに付いたリップの痕を落としただけだ、と。
呆けているリネアルに気づかないのか、男性は話し続ける。
「とても綺麗な立ち振舞で、それにその」
「その……?」
「お顔が、とても好みで」
つまり一目惚れ。
ローチェのお化粧が、まさか男性の一人を惚れさせてしまうほど完璧だったとは。
だがリネアルにそんな考えをしている暇はない。リネアルの脳内に浮かんだ言葉は一つ。
『逃げよう』
あまり知らない男性に急に求婚されるなんて、怖くてたまったものではない。
薄ら笑いを浮かべ後ずさりをするリネアルに、男性は距離を詰めてくる。その動きが、さらにリネアルの逃亡願望を高める。
「俺、シェルって言います。あの、あなたの名前は?」
……シェル?いや、聞き間違いだと思うことにしよう。
……いや、聞き間違いだったらとんでもない。偽名を使ってさっさと逃げよう。
リネアルは気合いを入れ、手を握りしめる。
「リ……リリーです!」
「リリーですか、可愛い名前ですね」
嬉しそうに喋る男性を見て、リネアルは頭が痛くなってくる。
ようやく現実を直視しようとした結果、目の前に立っている男性は今日リネアルの義弟となったシェルだということがわかった。わかりたくなかった。
「もっとあなたとお近づきになりたいのですが、どこかで会えることは出来ますか?」
できませんと言いそうな口をぐっと閉じ、リネアルは強張った頬を無理矢理あげて作り笑いをする。
「わ、わかりません……私は神出鬼没なので……」
自分の言った意味のわからない発言に、リネアルはさらに頭が痛くなる。
もうこの場から逃げ出したい。これは悪い夢だ。
だがシェルに「リネアルです!」なんて言ってしまえば、彼はショックのあまり倒れ込んでしまうかもしれない。リネアルもすでに倒れ込みそうだが、 シェルが倒れたなんて知れば父親も卒倒するかもしれない。それはなんとか避けたい。
「面白い方ですね」
シェルはリリーのことをリネアルだと気づかないのか、緩んだ頬でリネアルを見つめていた。
「……リリーと呼んでもよろしいですか?」
なぜこんなにもシェルは食い気味なのだろうかと、リネアルはさらに頭が痛くなる。もうここはシェルの好きにやらせたほうがいいだろう。
「……お好きにしてください」
リネアルが諦めた瞬間、中から弦楽器の音色が聞こえてきた。ダンスの時間なのだろう。
てっきりシェルのことだから誘ってくるかと思ったが、どうやら音を聞いて気まずそうにしていた。
そこでリネアルは思い出す。シェルは商家の出身と言っていたから、きっとダンスの練習はしてこなかったのだろう。
ならこれは絶好の機会だ。
「私、ダンスに参加してきますわ!では失礼します!」
「あ、ちょっと」
何か言われたような気もするが、リネアルは無視してバルコニーを早足で去る。踊り合う人々の間を通り抜け、そのまま馬車へと乗り込む。
リネアルは考える。ローチェには悪いが、今回の夜会は早く帰らせてもらことにしよう。ドレスを脱いで、お化粧を落とそう。ゆっくりお風呂に入って、そのまま寝よう。今日のことは悪い夢だと思うことにしよう。
リネアルを乗せた馬車は屋敷へと着き、それからあっという間に朝になった。
ほとんど寝落ちをした気分でいたので、服も着替え化粧も落としていた自分にリネアルは我ながら感動していた。
寝間着から着替え、朝食を食べようとダイニングへ向かう。そこには今リネアルが一番会いたくなかったシェルと父親が優雅に朝食を食べていた。父親はリネアルに気づくと嬉しそうに口を開いた。
「おはよう、リネアル。いい朝だね」
「おはようございます、お父様。いい朝ですね」
リネアルは父親と挨拶を交わしたが、リネアルとしてそれどころではなかった。いつシェルがリネアルを見て卒倒しないかでヒヤヒヤしていたのだ。
だがシェルは昨日会ったリリーがリネアルとは気づいていなさそうだった。それどころか、朝食に夢中でリネアルのことなど眼中になかった。
「リネアル、質問があるんだが」
まさかシェルはもう気づいており、父親に報告済みだった?!と朝食へ伸びるリネアルの手が止まる。
「実はシェルくんがな」
リネアルは思わず目をつむる。悪いことはしていないはずだが、なぜか罪悪感があった。
「リネアルと同い年ほどの女の子を探していると言うんだ」
「…………へ?」
リネアルの脳内を駆け巡る女の子。まさか昨日勢いで作り出したリリー?いや、きっと夜会で気になった子でもいるんだろう。よし、どんと来い。
「リリーちゃんと言うらしいんだが、知っているかい?」
目の前に座っているのがリリーと嘘をついた女の子ですよとも言い出せるはずがなく、リネアルは完全に硬直した。シェルもリネアルがリリーのことを話してくれるのを期待しているのか、いつの間にか視線が朝食からリネアルに移っている。
「……ど、どうかしら。聞いたことは、ない、けど」
「そうか、リネアルも知らないか。シェルくん、聞いてたかい?」
シェルは視線をリネアルから父親に移す。それだけでリネアルは緊張の糸が解けたように感じた。
「はい、聞いていました。あ、リネアルさん」
「ひゃい!」
急に話しかけられ、思わず声が裏返るリネアルに真顔で話しかけるシェル。少しくらい反応してもいいのではないかと、リネアルは心の中で拗ねる。
「リリーを見つけたら、教えてくれませんか?リネアルさんと同じ髪色で、同じくらいの背丈です。お願いします」
リネアルは、それ私ですとは言い出せず、カの鳴くような声で「はい」と答えた。
リネアルの返事に満足したのか、シェルはまた視線を朝食に戻した。食べることが好きなのだろうか。若干子犬のように見えるシェルを、リネアルは焦った心臓を落ち着かせながらも見つめていた。
大波乱だった朝食の時間は終わり、あっという間に一週間が経った。
経ったはずなのだが、
「おはようございます、リネアルさん。リリーのこと、知りませんか?」
一週間前から、シェルはリネアルに会うとこれしか喋らなかった。リネアルが「知らない」と答えると去る。それの繰り返しだった。さすがにこのままでは自分がおかしくなってしまうと考えたリネアルは、さっそく行動を移した。
それは、ローチェに今までのことを全て話し、これからの対処法を考えてもらうことだった。
「……それで、義弟くんがリネアルのことを好きになっちゃったってわけね」
「そう。どう思う……?」
太陽の光が暖かい昼下がり。リネアルはローチェの家に行った。
山に近いこともあり自然豊かな庭園で紅茶を優雅に飲むローチェは、一息ついてリネアルを見た。
「義弟くんがどこでリネアルのことを好きになったかが、全くわからないわ」
「でしょ?!」
ローチェが同じ考えをしていたことに、リネアルは安心した。
「まあ、顔が好みって言ったなら、リネアルの顔で好きになったってことじゃない?」
「そうだよね……」
つまりシェルは、化粧をしたリネアルの顔が好きだということになる。それはまあなんとも微妙なことである。
「もうすぐ城下町でおまつりがあるらしいし、親睦を深めに二人で行ってきたら?花火も打ち上がるらしいし」
「行かないよ?!というか、花火って何?」
「知らない。お父様が言うには、私の家からじゃ見えないらしい」
ローチェの話に耳を傾けながらもリネアルは紅茶を一口飲んだ。
「で、リネアルは義弟くんのリリー探しをどうにかしたいってわけだよね?」
「うん」
「ならいい計画があるよ!」
にやりと笑うローチェに、リネアルは悪寒がした。
そして家に帰り、リネアルはローチェに言われた計画を実行することになる。まずはシェルを見つけないと始まらない。
「あ、シェル……くん!ちょっといいですか?」
リネアルに呼び止められたシェルは足を止める。まさかリリーの件で?ともう目を光らせているシェルに、リネアルはなんだか心が痛くなった。
「……噂ですがリリーさんという方が、王宮の図書館に出入りしていると」
「本当ですか?!ありがとうございます!」
リネアルの話を最後まで聞かずに、シェルは走り出していった。それほどまでリリーが好きなのかと、リネアルは呆れながらも恥ずかしくなる。
それからシェルは暇さえあれば王宮の図書館に行き、リリーが現れるのを待ち続けた。開館から閉館まで、図書館の入口の近くの席に座り、人の出入りを監視していた。
最初は気味悪がられていたが、シェルが美形だったので謎に許されていた。逆にシェルを眺めるギャラリーが出来てしまうほどだった。
「ここまで来ると恐ろしいわね……」
ローチェはリネアルに化粧をしながら呆れていた。またもやされるがままのリネアルは、化粧が終わるとドレスを着て、以前ローチェがくれた香水を自身にかけた。
「よし、じゃあ義弟くんに会ってきなさい!そして告げなさい、付き纏う男は嫌いだってね!」
「そこまでは言えないよ……」
ローチェに背中を押されながら、リネアルは馬車に乗り王宮の図書館へと向かった。
そして着いた。
外の窓から図書館の中を覗くと、明らかに誰かを待っているシェルがいた。リネアルもそんなシェルを見て覚悟を決める。
今からリネアルは、リリーになる。
図書館に入ると、すぐにシェルとは目が合った。シェルもリネアルに気づき、急いで立ち上がった。
「り、リリー?」
シェルがあまりにも嬉しそうな顔をするので、リネアルも少し頬が緩む。ここまで自分、リリーを求めてくれる人がいる事実に、嬉しくなってしまったのだ。
気合いを入れようと、リネアルは拳を作る。
「……シェルさん、お久しぶりですね」
「あ、ああ、久しぶり。リリーはよくここに来るのか?」
「そうですね、たまに来ています。シェルさんは?」
「俺は……初めて来たんだ。会えたなんて、運命だな」
運命ではなくシェルが無理矢理作り上げたのでは?という気持ちをリネアルぐっと抑え、作り笑いを浮かべる。
ここでまず、シェルにあることを言うのだ。
「あら、そうなんですか?ここ最近図書館に入り浸っている男性がいると聞いて、怖くて図書館には足が遠のいていましたの」
決まった……!攻撃が完全に決まった……!
シェルも好きなはずの女性にこんなこと言われたら、少しくらいリリーを追うのもやめるだろうというローチェの判断からの攻撃。
だが、シェルに攻撃は全く効いておらず、逆にリネアルを心配してきた。
「本当か?!そんな危ない男がいたなんて……リリーに何もなくてよかったよ」
自覚が、ない。
リネアルは人生最大の衝撃を受けた。もしかしたら、シェルは自分に圧倒的な自信があるのかもしれない。そうでなければ、普通の人間なら何か少しは考えるはずだ。
怖い。
リネアルは直感的にそう感じた。
普通に怖い。自覚のない男性が一番厄介だ。ここは早く撤退して、ローチェに言わないと。
「私、用事を思い出したので、ここで」
「もう少しだけ、話せないか……?」
シェルはリネアルの手首をまるで羽に触れるみたいに優しく掴んだ。そして自分のところまで軽く引き寄せる。
綺麗な顔だな、とリネアルは呑気に考えていた。この顔は父親と母親、どちら似なのだろう。きっと両親はどちらも綺麗な顔立ちなのだろう。
「……何をしているのですか?」
「行ってほしくなくて」
シェルの顔を見ていたせいで、リネアルは現実を見ていなかった。
リネアルを半ば強引に引き止めたシェルは、両手首を優しく握りながらも、確実に離さない強い意志を感じた。それに笑っているが、目が笑っていない。まっすぐとリネアルだけを見つめていた。
リネアルは未だにシェルを完全には理解出来ていない。
猫かぶりかと思いきや、惚れやすい……?ぐいぐい押してくるし、今は少し腹黒く感じる。
もうリネアルにシェルの対処は無理だと直感的に感じた。
「……許可もなく未婚の女性に触れてはいけないと、子供の頃に習いませんでしたか?」
リネアルの言葉にシェルは目を丸くし、今度は自分に言われた自覚があるのか、急いでリネアルから手を離した。
「ご、ごめん。不快な思いをさせてしまって」
紳士的に謝るシェルだが、リネアルの眼中にはなかった。リネアルは既に逃走経路を脳内で確保し、シュミレーションまで行っていたのだ。
「では、私はこれで」
去ろうとするリネアルをシェルは引き止めなかった。
そこでリネアルは何か一言ぐらいシェルに文句を言ってもいいだろうと考え、今度はしっかりと瞳の中にシェルの姿をとらえた。
「あなたはもっと社交的な人間になった方がいいと思いますわ」
何か後ろでシェルが言った気がするが、無視してリネアルは図書館を出る。
さっきの言葉は、リネアルなりの心配だった。一人の女性に執着せず、シェルにはもっと友人を増やしてほしかったからだ。商家の息子なら、貴族に人脈を広げたらいいこと尽くしだろう。
「……諦めてくれるといいんだけど……」




