1話
「今日からこの子が、リネアルの弟だよ」
ようやく暖かくなってきた今日このごろ。こういう日は、砂糖がたくさん入った紅茶が飲みたい。
現実逃避をしながらも、リネアルは前に座っている二人から目を離せなかった。
にこにこ笑顔の父親と、その隣に座る綺麗な顔立ちのリネアルと同い年ほどの少年。金色の髪に赤い燃えるような瞳。
きっと彼は女性から人気なのだろうなんて、また現実逃避をする。
「……ごめんなさい、お父様。状況があまり読み込めなくて」
「大丈夫さ。二人とも、すぐに仲良くなれるから」
リネアルの発言をあまり理解していない父親は、気まずそうな顔をした少年の肩を引き寄せた。もう彼からしたら、自分の立派な息子ということになっているのかもしれない。
特に詳しいことを何も言わない父親を横目で見てから、少年は口を開いた。
「シェル・コックスです。遠い国の商家の……息子です。二年ほどこの家に滞在させていただくことになりました。よろしくお願いします」
妙に引っかかる自己紹介とは思いつつも、リネアルも口を開く。
「リネアル・エヴィスタインです。えっと、よろしくお願いします」
「うんうん、自己紹介も済んだことだし。リネアル、シェルくんに家を案内してあげなさい」
なんで私が?と言いそうな口をぐっと閉じ、とりあえずリネアルは深呼吸をする。二年も家にいるなら仲良くしておいたほうがいいと、心の中で自分に言い聞かせた。
困惑しているシェルは、リネアルと父親を交互に見ている。
さすがに責任感のない父親にシェルを任せるわけにはいかないと考え、リネアルは立ち上がった。
「行きましょう。家を案内します」
シェルも立ち上がり、部屋を出ていったリネアルを追いかけた。
「えっと、それで、シェルくん?」
「好きな呼び方で結構です、リネアルさん」
部屋にいたときより随分冷たいシェルを見て、リネアルは面白くて少し笑ってしまった。そんなリネアルを、シェルは気味が悪そうに見つめる。
「あなた、お父様の前では猫かぶっていたでしょ。別にお父様の前で可愛い子ぶっても意味ないわよ。お母様の前でやらないと」
エヴィスタイン家を支配しているのは、リネアルの母親だ。呑気な父親も、母親の前に行くときちんとした大人になる。それが幼少期のリネアルは面白くて、よく父親には母親が来たと嘘をついていたものだ。
「……そうですか。肝に銘じておきます」
それからシェル家の案内をして、一通りの説明は終わった。
リネアルはこのあと用事が入っていたので急いでおり、案内と言えるほど丁寧ではなく、ほぼ吐き捨てるような説明だった。
「じゃあ、私はこれで。二年間、楽しんで!」
走り出したリネアルをシェルは引き止めることもしなかった。そして家の前に停まっていた馬車に滑り込み、それが合図かのように馬車も動き出す。
山々の間を分けて進んでいき、しばらくして着いたのは豪華な屋敷の前。リネアルの屋敷も豪華だが、ここも負けず劣らず豪華だった。
「あ、リネアル!」
門の前に立っていた少女は馬車からおりてきたリネアルに気づき、嬉しそうに駆け寄ってきた。
「もう、遅いんだから!私寝ちゃうところだったわ!」
ふわふわとした雰囲気の少女はリネアルを見て、また嬉しそうに笑った。
「でもリネアル、いいことあったでしょ?いつもと表情が違うよ!」
親友ローチェはリネアルの手を引き、屋敷へ向かって歩き出す。
そんなリネアルは、ローチェの言葉を思い出し首をひねっていた。
リネアルにとって、シェルの出来事はいいことでも悪いことでもない。なのに、親友のローチェからは喜んでいるように見えた。なら自分はシェルが現れたことを喜んでいる?と、考えが頭の中を駆け巡っていた。
「じゃあリネアル!さっそく髪巻いてくね!」
気づくとリネアルはいつの間にか椅子に座っており、後ろには楽しそうな顔をしたローチェが立っていた。ローチェは慣れた手つきでリネアルの髪を巻き始め、髪の固定が終わると次は化粧に手を出した。
「ほら、目つぶって!息止めて!」
化粧っけのないリネアルは、今夜のパーティーに向けてローチェに化粧をしてもらうことになっていたのだ。ローチェはおしゃれに敏感な子で、いつも最先端のドレスを着ている。そんな子に任せれば、リネアルも可愛くなれるだろうと考えたのだ。
「リネアルは綺麗な黒い髪だよね、羨ましい!」
なんてローチェは喋っているが、化粧をする手は止まらない。まぶたや頬を筆のようなもので擦られ、指の腹でぺちぺちと叩かれる。
不思議な感覚に、リネアルはくすぐったくて笑ってしまった。
そしてしばらくローチェにされるがままの時間が経ち、ようやくローチェの手が顔から離れた。
「よし、完成!はい鏡!」
ローチェが渡してくれた手鏡を受け取り、リネアルは鏡の中にうつる自身を見つめた。その完成度は、思わず感嘆の息が出てしまうほどだった。
「今日の夜会は、リネアルが視線を独り占めだね!」
リネアルの白い肌、青い瞳に似合うように計算され尽くした目元の色合い。黒い髪は綺麗に巻かれ、豪華な髪飾りが輝いていた。
「あとはドレスだけど、一級品を他国から取り寄せたんだよ!絶対似合うと思ってね!」
ローチェは奥に引っ込み、少ししてから侍女と一緒にドレスを持ってやって来た。カバーのついたドレスだが、それでも美しさは伝わった。
ローチェがにやにやしながらカバーを取ると、そこには瞳の色と同じ、青いドレスがあった。
「さっそく着て、夜会に出発!」
ローチェに急かされドレスを着るリネアル。
外は夕暮れに近づいていた。
ドレスを着終わったリネアルをローチェは満足そうに見つめ、何かを思い出したかのようにまた奥へ引っ込んだ。しばらくしてローチェは小さな瓶を持って戻ってきた。
「……香水?」
「正解!新品だから、これリネアルにあげるね!」
ローチェはリネアルの首すじ、手首、耳の裏など、次々に香水をかけていった。春の花の匂いが、リネアルの鼻の奥をくすぐる。
かけ終わったかと思うと、ローチェはリネアルに香水の瓶を渡した。
「じゃあ私も着替えてくるから、ちょっと待っててね!」
そう言ってローチェは奥へ消えた。恐ろしい速さでおめかしを終わらせ現れたローチェに、リネアルは思わず感心してしまった。
この時代のおしゃれ番長はローチェに違いないとリネアルは心の中で考えた。
「いざ行かん、戦場へ!」
「おー!」
おめかしをした綺麗な少女が二人。まるで歴戦の戦士のような顔つきで、夜会へ向かう馬車に乗り込んだ。
「リネアル、今日は何しに夜会に行くの?」
「未来の旦那様を見つけるためです!」
「よろしい、その意気だ!あ、でも」
ローチェはリネアルに向かってびしっと人差し指を向けた。
「今日は私と行動するの禁止ね!」
「なんで?!」
「だってリネアル、男の人が現れたらすぐに私の後ろに隠れちゃうじゃない。そんなんじゃいつまでたっても旦那様を見つけられないわよ!」
ローチェの清々しいほどの正論に、リネアルは何も言えなかった。
そして日も沈んでいき、リネアルたちを乗せた馬車は夜会会場に着いた。
むせ返るような大量の香水の匂いと大勢の人の喧騒で、思わずリネアルの歩みが止まる。
「ねえ、ローチェ。やっぱり今日は……」
夜会を断念しようと伝えようと後ろを振り返るが、もうそこにローチェの姿はない。急いで辺りを見回すと、遠くで殿方と喋るローチェの姿を見つけた。声をかけようとするリネアルにローチェは気づき、自身の口に人差し指を立て、また殿方との会話に戻った。話しかけるなということなのだろう。
とりあえずリネアルも覚悟を決め、会場の中へと足を向けた。
だが、
「もう……無理……」
まだ参加して数十分しか経っていないのに、リネアルはバルコニーの角で座り込んでいた。
超が付くほどの箱入り娘であるリネアルは、昔から人が多くいる場所が得意ではなかった。覚悟を決め夜会に突撃したものの、話しかけてくる殿方との会話も弾まず、お手洗いに行くと見せかけて逃げ出していた。
「……帰ろうかしら」
連れてきてくれたローチェには申し訳ないが、リネアルはこのまま夜会にいても何も発展しないと考えた。別に夜会に行く機会はいつでもある。何も今日でなくてもいいのだ。
リネアルは立ち上がり夜風が頬を撫でるバルコニーを後にしようとしたが、新たにバルコニーに現れた人がいた。
影でよく見えないが、背丈からして男性だろう。
リネアルは男性に軽く会釈をしてその場から離れようとしたが、男性のシャツの襟に着いた異物に目が止まり、思わず足も止めた。
「あの」
リネアルはハンカチを男性に差し出し、もう片方の手で男性のシャツの襟に手を向けた。
「リップの痕が付いています。婚約者からの牽制ならよろしいですが、こういう場では純潔そうに振る舞ったほうが女性からの印象は良くなりますよ」
男性は自身のシャツの襟を引っ張りリップの痕を見つけ、小さくため息をついた。
「ご忠告、感謝します。申し訳ないのですが、落としてはもらえませんでしょうか。俺からはあまり見えなくて……」
男性は申し訳なさそうに呟く。リネアルも男性を見て、ご愁傷さまと思う。
きっと男性は引く手あまたなのだろう。婚約者でもない女性が男性を牽制するために、倒れたふりでもして口紅の痕をつけた。
「……わかりました。動かないでくださいね」
リネアルは男性に近づき、襟を軽く引っ張りハンカチで落とし始める。
殿方にここまで近づいたのは初めてでもっと緊張するかと思ったが、思いの外冷静だ。
きっとローチェがいたら「そのまま押し倒しなさい!」なんて変なガヤを入れるだろうと思い、思わず笑ってしまう。
それに男性も気づき、安心したように口を開く。
「良い匂いですね、香水ですか?」
「はい。友人からもらったんです」
その言葉だけ交わし、また沈黙が訪れる。
女性からの強烈なアプローチをもらう男性なのに、女性との会話は苦手そうに感じる。
これも、女性は好いてしまうのだろうか。
「……はい、大体落としましたので。あとできちんとした方に落としてもらうのがいいと思います」
リネアルは男性から離れ、少し汚れたハンカチを見つめる。
春物の、今流行りのリップの色だ。
きっとこの痕を付けた女性は綺麗な方なのだろう。
「では、私はこれで。いい夜をお過ごしください」
「あ、あの!」
男性に呼び止められ、リネアルは足を止める。振り返ると、そこには夜風で綺麗な金色の髪がなびく男性が立っていた。
リネアルはその男性にどこか見覚えがあった。だが、リネアルが思い出すよりも先に男性が口を開く。
「あ、あなたに」
リネアルは首をかしげる。汚してしまったハンカチのお詫びでもすると言い出すのだろうか。
だが、そんなことを言い出す雰囲気でもない。男性は耳まで赤くした顔で、リネアルをまっすぐと見た。
「あなたに、恋をしてしまいました!」




