2話 優しさは本物なのか?
赤い瞳の『少女』とある男の些細な物語
少女は、まだ城にいた。
驚異的な自己治癒力をもってしても、完全に回復するにはまだ数日かかるようだった。
城の人間たちは、森で保護された少女に驚くほど優しく接していた。
共に食事をし、今は城の厨房で貴族の女性とメイドと一緒に菓子作りを楽しんでいた。
松葉杖を壁へ立て掛けた少女は、メイドがオーブンから取り出した焼きたてのパイを見て、赤い瞳を輝かせていた。
「甘くて良い匂い! 先生、喜んでくれるかなぁ?」
「もちろんよ。そろそろお昼ですから、食堂へ行ってみましょう。ドクターもいらしてるかもしれないわ。お願いできるかしら?」
「かしこまりました」
サージュは少女の無邪気な声を聞くたび、何かを堪えるように唇をつぐんでいた。
城にいる限り、少女がいずれ利用されることを、サージュは誰よりも知っていた。
けれど、少女の足では、今すぐ城を出ても遠くまで逃げ切れないかもしれない。
――足が完治してからでも遅くないのではないか?
それは、少女を案じていると同時に、最も都合の良い言い訳でもあった。
○ ○ ○
その日の昼、ヴァイヤンは食堂の窓辺に座っていた。彼は公務を離れた平服姿で、パンと豚肉のソテーを1人で食べていた。
そこへ、仕事の休憩を兼ねて食堂にサージュが来た。
サージュはシェフにオムライスを注文してから、ヴァイヤンの向かいに座って話しかけた。
「美味そうだな」
ヴァイヤンは豚肉を飲み込んでから少し間を開けて言った。
「……お前はまたオムライスか?」
「よく分かったな」
ヴァイヤンはちぎったパンを持って微笑みながら言った。
「サージュは無意識かもしれないが、俺が知る限り、昔から食堂で飯を食う時のお前は、いつもオムライスを頼んでいるよ。きっとシェフも予想通りだったろうな」
「そうだったか……?」
言いながら、サージュは確認するように厨房へ上半身だけを振り向けた。オムライスを作るシェフの姿は真剣だった。
サージュはヴァイヤンの方へ向き直り、独り言のように「そうかぁ」と呟くと、難解な研究書類でも読むように顎へ手を当てた。その姿を見たヴァイヤンは、パンを口に含みながら笑っていた。
「あ! 先生!」
突然、食堂の入り口から元気な声がした。
少女は松葉杖をつき、貴族の女性とメイドに付き添われながら、サージュたちのもとへ歩いてきた。メイドは銀の蓋がされた大皿を両手で抱えていた。
貴族の女性はヴァイヤンの隣へ慣れたように座った。メイドはヴァイヤンを見て唇を薄らと開き、やや驚いた様子を見せたが、すぐに落ち着いた。
「え?」
「お前以外に誰がいるんだ、『先生』」
少女は松葉杖をテーブルに立て掛け、サージュの隣に座った。彼女は、メイドが銀の蓋を開けるのを今かと待ちながら、口角を上げ、やや興奮気味に言った。
「見て! みんなで焼いたの! いっしょに食べよう! 先生、甘いの好き?」
「あ……えっと、あぁ……」
「とても上手に焼けているね。先生は甘いものは苦手じゃないから、みんなで食べよう」
ヴァイヤンはフォークとナイフを皿に置き、軽くフォローを入れてからメイドに目をやった。彼が注文した豚肉のソテーは、まだ少し皿に残っていた。
「かしこまりました」
メイドは察して完璧な一礼をしたあとに、厨房でホールパイを4等分に切り分け、小皿に取り分けた。
小皿を盆にのせてメイドが再びテーブルに戻ると、貴族の女性は細首を傾げて当然のように言った。
「あら? あなたの分がないじゃない。私のを半分にしましょう。ほら、座って」
メイドは明確に戸惑っていた。
「えっ……しかし……」
「他人に見られながらする食事は楽しくないもの。ねぇ、ヴァイヤン様もそうお感じになりますでしょう?」
「そうだな。食事はみんなでする方が美味い。君も、一緒に食べよう」
ヴァイヤンはメイドへ視線を向けると、気さくに笑って言った。
メイドはどこか嬉しそうな、控えめな笑みを浮かべた。彼女は小さく会釈して貴族の女性の隣へ座ると、フォークで丁寧にパイを半分こにした。
「食事中のデザートはどうなんだ? それに、僕はまだオムライスが届いていないんだが……」
「良いじゃないか。公の場でもないのだし、食堂でくらい、好きなものを好きなように食べたって」
「そうよ、ドクター、あなたは日頃からいちいち食べる順番なんて考えているの?」
「えぇ……」
「また焼いたら先生に届けに行くね!」
食堂の席は、他愛のない話と甘い香りに包まれた。
窓外の空は、雲ひとつない快晴だった。
窓の近くには、白い小鳥が止まっていた。
食堂内では多くの人間が食事や雑談を楽しんでいた。
少女たちが食堂を出ると、甘い焼き菓子の香りだけが、その場に残った。
ヴァイヤンはグラスに入った水で唇を湿らせ、姿勢を正した。彼は、ぎこちなく少女たちへ手を振るサージュを見つめ、低く切り出した。
「今夜だ」
「え?」
「今夜のうちに彼女を逃がせ」
「けれど、彼女はまだ自力で歩くには……せめて3日、3日あれば――」
「王が少女の存在に気づいた」
サージュは目を見開いた。
「どうして……彼女のことは、執刀医の僕にしか」
「誰かが裏切ったわけじゃない……と俺は思っている。ただ、皆があの子を受け入れ過ぎた」
テーブルの下で、太腿に添えられたヴァイヤンの両手がわずかに強張った。彼は祈るように組んだ手を握り直して続けた。
「本当なら、俺が連れ出すべきなのだろうな……」
サージュは椅子から腰を浮かせかけ、すぐに重力に従った。彼は1人の貴族として、旧友としてヴァイヤンの立場を理解していた。それでも、その正しさを、言葉にすることができなかった。
「……本当に、僕がやるしかないのか?」
ヴァイヤンは間を開けて言った。
「……サージュ、お前なら知っているはずだ。魔法使いの身体がどう武器として加工されるのか」
「それは……」
サージュは俯きながら、脳裏でかつての出来事を思い浮かべていた。
○ ○ ○
サージュはかつて、城のラボで研究を進めていた。
魔法使いの血や髪を武器の強化に利用する方法だった。
当初は国の戦力増強と、ほんの好奇心に過ぎなかった。
サージュは知り合いの魔法使いから許可を得て、採血や髪の一部の提供を受けていたが――半年後、彼は自ら研究を放棄した。
魔法使いの血を混ぜた剣は、岩をも容易く切り裂いた。
――知ってしまった。
魔法使いのわずかな血液や髪の1本で武器を強化できることを、そして全身を使えば兵器が作れることを、サージュは研究の途中で、知ってしまったのだ。
だがそれはサージュだけの知恵ではなかった。
――捨てきれなかったその知恵は、いつしか王の耳にも届いていた。
争いが始まって3年が過ぎ、サージュたちの国が劣勢へ傾きだした頃だった。
王は国の軍事力に加え、サージュの研究していた技術を国家の戦力として利用した。
魔法使いの身体を、生死を問わず武器へと加工したのだ。
結果として、戦況は一瞬で覆された。
しかし、争いは終わらなかった。
――研究を始めたのは、他でもない自分だ。
サージュと、騎士であり王子でもあるヴァイヤンは、王の方針に反対していた。
ほどなくして、サージュは知り合いの魔法使いとの縁を完全に絶った。
サージュはヴァイヤンとともに『素材』探しの任務を受けても、理由をつけては手ぶらで城に戻っていた。
――今回を除いて。
○ ○ ○
「おい」
サージュは不意に顔を上げた。額から頬を伝った汗が、彼の袖口へ散った。
テーブルの前には、出来たてのオムライスから湯気が上がっていた。
「えっ、あっ……」
ヴァイヤンは短くため息を吐くと、やや呆れるように言った。
「……侵攻してきたのは隣国が先だ。けれど王――父上は何年も国の守り方を間違えている。民を守る言い訳に、人の道を外れて良いはずがない」
「分かってるよ……僕が悪いんだ。そもそもあんな研究、始めなければ……」
「お前は踏みとどまれただろう? 父上はそれができなかった」
以降、2人は互いに殆ど会話をせず、食事を終えると仕事に戻った。
窓外の空は、雲ひとつない快晴だった。
窓の近くにいた白い小鳥は、いつの間にかいなくなっていた。
その日の夜――城下から上がった悲鳴は、ひとつではなかった。
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仕事をしながらのため、不定期になります




