2話 未知と選択
白いローブの『少年』と騎士のほんの一瞬の物語
フォールは城へ向かう街外れの森を歩いていた。
その後ろには、小柄な少年が距離を保ってついてきていた。
人間的な足音とは裏腹に、その影はそよ風のように森を滑っていた。
小鳥がさえずる木漏れ日の下で、2人の間には隔意した空気が流れていた。
森を抜け、街の関所が見えてきた頃、ついに切り出したのはフォールの方だった。
「ところで、」
フォールは足を止め、少年の方へ振り向いた。
「間もなく関所に着く。そのとき門番に名前と身分を聞かれる」
少年は黙ってその場に立ち止まった。
「……」
「聞こえているのか? 君の名前と――」
「ミティック」
「え?」
「私の名前だ。本名だ。身分は知らない」
「……分かった。身分はひとまず『少年』で通す」
フォールは振り向きざまにミティックを一瞥した。
その時、マントの肩口で蝶柄のブローチが陽射しに照らされた。
フォールは再び歩き出した。
その歩幅は、先ほどよりも半歩だけ狭かった。
少年――ミティックもまたゆっくりと歩き出したが、距離はまだ離れたままだった。
ミティックは少し口許を緩め、独り言のように呟いた。
「……少年、か」
「不満か」
ミティックはぴくりと肩を揺らし、数回の瞬きを繰り返した。
無表情の首筋から、じんわりとほどけが広がった。
あくまで不動を取り繕いながらミティックは言った。
「いや。ただ、そう呼ばれるのかと思っただけだ」
その口調はどこか幼く、人間めいていた。
○ ○ ○
フォールは街外れでのことを門番に報告した。
門番はフォールの少し後ろに立つミティックをしばらく観察してから、フォールの目を見て言った。
「ローブは脱がせて荷に詰めろ。身分証は、今回は問わない。……通れ」
ミティックは素直にローブを脱いだ。
未発達の身体から乖離した雰囲気に、門番は数秒間、その佇まいに見入った。
重い門はあっさりと開いた。
途端、多くの営みの喧騒がミティックの鼓膜に雪崩れ込んだ。
ミティックは足を止め、ふわりと小さく口を開き、何か言いたげにした。
しかし、堂々と前を歩き続けるフォールの背を見て、小走りに音の濁流へ踏み出した。
城門をくぐると、城内の人気は少なく、紋章の蝶が彫られた壁の窪みには埃がたまっていた。
通路を進むと、右手の中庭では華麗な花々と丸テーブルを囲む貴族たちが談笑していた。
反対側の半開きの扉の奥からは、低く硬い声が断片的に漏れていた。
フォールはそれらを気にする素振りもなく、大理石の床をカツカツと鳴らしながら風呂場へ向かっていた。彼の数歩後ろを歩くミティックの表情は、街に入った時よりもいっそう無に近かった。
「……もう……4人」
「前の結界が……3ヶ月で……」
ミティックは引かれるように半開きの扉の前で足を止めた。
中を覗き込むと、2人の男が深刻な顔で書物や資料をテーブルに広げていた。
ミティックの足音が途切れたことに気づいたフォールも、その場で歩みを止めた。
「どうした」
「……」
「気になるのか?」
ミティックは扉に顔を向けたまま言った。
「ここは何の部屋だ」
「え? ……図書館だ。城下街で流行している本から歴史書まで置いてある」
「そうか」
ミティックの視線は、テーブルに置かれた1冊の擦り切れた書物の背表紙を、ゆっくりとなぞっていた。
間合いを計るように、フォールは聞いた。
「……本、読むのか」
「知識は生きる術だ。あって損はない」
ミティックは扉から顔を離して言った。
以降、風呂場に着くまで互いに会話をしなかった。
○ ○ ○
フォールはマントと靴を脱ぎ、薪に火を入れて湯を沸かした。
数分後、石造りの浴槽に立ちのぼる湯気の中で、フォールは荷からローブを取り出して鏡台に置いた。
「服はこれを使え」
フォールはそう言いながら、扉近くの棚に備えられた衣服に手を触れ、
「終わったらノックしろ。外にいる」
とだけ告げて出て行った。
1人になったミティックは、閉ざされた扉を見つめていたあと、フォールの所作を真似るように素足で浴槽に近づいた。
屈んで、湯に沈めたミティックの指先へ温もりが伝わった。
ミティックは立ち上がり、鏡台のローブを浴槽に投げた。
すぐに腕を伸ばして指を広げた。
手許が淡い黄金色に光ると、血は音もなく剥がれて消えた。
浴槽には何事もなかったかのように純白のローブが浮かんだ。
かすかな衣擦れが湯気の中に溶け、露わになったまっさらの身体をミティックはゆっくりと湯に浸けた。
ほどよい熱が、肌の奥まで解きほぐされていった。
ローブを浴槽に浮かべたまま、緑色の瞳は静かに水面を眺め、呟いた。
「久しぶりだ」
○ ○ ○
扉を1つ隔てた先では、湯のさざめきだけがあった。
フォールはノックを待っていた。彼はときおり何かを気にするように、後ろで組んだ手を動かしていた。
フォールは深く瞼を閉じた。
――彼は人間じゃない。
ただ最初、俺の目には子どもに見えた。故郷の弟妹と重ねているだけだと、分かってはいる。
打算ではない。けれどもし彼が、この国の結界に触れられる者だとしたら――。
「おい」
フォールは不意に瞼を開き、素早く背後を振り返った。
木製の扉を半開きにして、その隙間から上目遣いで立つミティックがいた。
両開きの扉を押し開けたフォールの視界に、『少年』の全身が映った。彼はしばし言葉を失った。
ミティックは青基調の長い袖を持て余し、腕には自ら下ろした衣服と、乾いたローブを抱えていた。
沈黙するフォールをいぶかしげに仰ぎ、すぐに飽きたのか、ミティックは指先で袖を捲ろうとしていた。
頬はほんのりと桜色にほてり、瞳は水気を帯びていた。
その姿は、街外れで5人の男を殺したという事実からは結びつかない、幼気な『少年』だった。
「……すまない」
ミティックを見下ろすフォールの眉間には皺が寄っていた。
その顔は、まるで手のかかる子どもを前にした親のようだった。
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