3話 魔法使いと人間(終)
白いローブの『少年』と騎士のほんの一瞬の物語
「適当な宿で滞在する」
風呂場から出たミティックは、濡れた髪をタオルで拭いながらフォールにそう伝えた。
フォールは意外そうにミティックを見たあと、その場で顎に手を当てた。
――連中も悪い。だが、このまま街に放すわけにも……。
結果、フォールはミティックを連れて国王の側近のもとを訪ねることにした。
側近は書類を抱え、執務室へ続く通路を大股で歩いていた。その後ろ姿に、フォールは声をかけた。
側近は紺色のローブを翻してフォールの方へ振り向くと、目許には色濃い隈が落ち、少々不機嫌だった。フォールたちのせいではなく、多忙を極める原因となっている人物への苛立ちだった。
「魔法使い……ですか?」
「恐らく……」
「事実だ」
フォールと側近は、時が止まったように無言でミティックを見下ろした。
側近は顎に手を当てて唸ったあと、手短に言った。
「ミティック様に1つ、ご依頼してもよろしいでしょうか?」
「なんだ」
「我が国を覆う防御結界を修復していただきたいのです。可能ですか?」
「ああ、可能だ」
「結界の張り直しには、どれほどの時間がかかりますか?」
「3日もあれば十分だ」
「承知しました」
「今すぐにやらないのか?」
側近は抱える書類に目を落とし、少し間を開けて言った。
「……結界がなくなればどうなるか、魔法使いのあなたならお分かりでしょう。民の避難が先です。魔物が寄りつかない教会周辺に」
「保つのか?」
「保たせます。……本来であれば、あなたに頼むのが最善でしょうが、現時点で結界に触れさせるわけにはいかない。その間――あなたの滞在場所は城内に限らせていただきます。城の外へ出たり、国民や王宮に危害を加えた場合は投獄、脱獄した場合は極刑とします。この条件が飲めないなら――」
「それでいい。条件を飲もう」
ミティックは遮るように条件を飲んだ。丁重に応じていた側近は辛抱の糸が切れたのか、小さく舌打ちをした。
フォールは気まずそうに口をつぐんでいた。側近にミティックのことを報告すれば、その先は分かっていた。しかしそれでも彼は、そうせずにはいられなかったのだ。
足音を荒く執務室へ側近が去ると、ミティックの滞在条件は国王にも了承された。
通路の角では、給仕や小姓たちが耳をそばだてていた。
「魔法使いだって……?」
「フォール様の話ではそう聞こえたけど……」
ミティックの噂は数日で城内に広がり、王宮の人間たちは、彼がどのような存在か気づき始めていた。
王宮の人間たちは表向きは、ミティックに挨拶や他愛のない雑談を交わすが、その内心では無言の期待が城の端々に漂っていた。
ミティックは会話を交わすものの、その反応は曖昧で、いつも別の場所を見ているようだった。
フォールは、王宮の人間と会話をするミティックの様子を見かけるたびに、眉間に皺を寄せていた。
○ ○ ○
小雨の早朝から2ヶ月が経った。
ある日の昼、ミティックは城の食堂で窓辺に座り、パンとホワイトスープを1人で食べていた。
ミティックは王宮での生活に慣れたのか、フォールと初めて会った2ヶ月前の異質さは和らいでいた。今は少なくとも外見上は、自前の紺色のチュニックとズボンを着て、ちぎったパンを美味そうに口へ運ぶ少年にしか見えない。
そこに非番のフォールがミティックを見つけた。
フォールはシェフにオムライスを注文してから、ミティックの向かいに座って話しかけた。
「ようやく墓も作ることができたよ」
ミティックはパンを飲み込んでから何も聞かず短く言った。
「そうか」
フォールは間を置いてからそれとなく質問した。
「……城には慣れたか?」
「そうだな」
「食事は、美味いか?」
「麦やスープは嫌いじゃない」
「自室では落ち着けているか?」
銀のスプーンを持つミティックの右手が止まった。
ミティックは珍しく眉を八の字にして、分かりやすく表情を見せた。
「……質問が多いな。お前は私を『少年』扱いしたいのだろうが、城内ではもう通用しない」
「確かに……そうだな、『少年』は君の見た目から咄嗟に俺が考えただけだ」
空白のあと、ミティックはホワイトスープをひと飲みしてから、言葉を発した。
「言わないのか」
「何を?」
ミティックはスプーンを皿に置き、窓外へ視線を流してからフォールを見た。
「以前、私と側近が話していた時、お前は何か言いたげだった」
食堂内は正午にも関わらず空席ばかりだった。
国を覆う防御結界が保つまで、残り1ヶ月もない。
500年前にこの国へもたらされた魔法使いの遺産は、亀裂を見せ始め、魔物たちは今日も結界の外で群れていた。
フォールは思い出を辿るように、ミティックを見て語り始めた。
「……初めて君と会った時、子どもに見えたんだ。『人間じゃない』とは思ったが、あの場で置き去りにはできなかった」
ミティックは細首を傾げた。
「私が森でしたことを、肯定するのか?」
「自衛で人を殺めることは否定しないよ。城へ招いたのは、俺の意志だ」
ミティックは呆れ気味に言った。
「普通の人間なら、逃げるか襲う。……私に殺されるとは思わなかったのか?」
「警戒はあったよ。けれどあの時の君は、『ただ道を歩いていただけだ』と言っていた。俺にはそれが嘘に思えなかった」
ミティックは目尻を動かし、木製のカップに入った水を飲んだ。
フォールは間を置いて続けた。
「……君は、防御結界のことは知っていたのか?」
ミティックはホワイトスープを啜った。
「……ああ、知っている。お前に城へ連れられた日、図書館での会話を一部だが耳にした」
テーブルの下で、太股に添えられたフォールの両手が、わずかに強ばった。
「利用するつもりはなかった。本当だ。だが、どこかで期待していたのも事実だ……すまない」
ミティックは短いため息のあとでまっすぐにフォールを見た。
「フォール。私は、殆どの人間があれをどうにもできないことを知っている」
間を置いて、ミティックは言った。
「……防御結界を作ったのは私だ」
ミティックが唇を閉じると、フォールは意識を深海へ沈めたように固まった。
遠くで、食器の触れ合う音が続いた。
そのさらに遠くから、小さな足音が近づいて来た。
若い給仕が、オムライスをフォールの前に置いた。
その音が、フォールを現実へ引き戻した。
「え? ミティック……あ、いや、魔法使いなのは分かっていたが、君が?」
「だから言っている。あれを作ったのは私だ。もっと早くに言うべきだった。ただ、言えばどう扱われるかが分からなかった……すまない」
ミティックはつむじが見えるまで頭を下げた。魔物による犠牲者を出してしまった己の落ち度を、彼なりに重く受け止めているようだった。
「本当に、結界を張り直してくれるのか?」
「当然だろう。これは私の未熟が招いたことだ。お前に出会わなければ、結界のほころびにすら気づけなかった……魔法の鍛錬を怠り、些細な魔力の欠陥すら見落とすところだった」
「張り直したあとは、国を出るのか?」
フォールは銀のスプーンでオムライスを割り、口に含んだ。
「ローブの汚れはとっくに消えた。いつでも出られる」
「次は、どこへ行くんだ」
ミティックはフォールの表情を一瞥してからスープに目を移した。
「国を出るのは100年くらいあとのつもりだ。久しぶりの滞在だしな」
フォールは言葉を詰まらせ、唇を薄く広げた。
「それは……とても長いな」
「そうか。長いと困るのか?」
「いいや」
フォールは窓外の空を眺めた。
「ただ少し、未来を想像してみただけだ」
ミティックは食後にマドレーヌを食べながら、ときおり窓外へ視線を向けた。
フォールが食事を終えるまで、ミティックは他愛のない話に付き合った。
○ ○ ○
上空から何層も降りる光のベールを、教会へ避難した民や王宮の人間たちは息を呑んで見上げた。
フォールは教会の外から、ただそれを見つめていた。
――それは魔物を1匹も通さない要塞へと、生まれ変わっていた。
数日後、ミティックは玉座の間に呼ばれていた。
赤く伸びた絨毯の先で、段差の最上段にある豪華な椅子には国王が座っていた。
その右隣には、膨らんだ皮袋がのった盆を持つ正装姿の側近が立っていた。左隣では、同じく正装姿のフォールが控えていた。
人払いのされた玉座の間で、国王が口を開いた。
「結界修復の報酬だ。金貨30枚が入っている」
「いらない」
絨毯の上に立ったまま、ミティックは即答した。
盆を支える側近の指が、ぴくりとだけ跳ねた。国王はそれに気づいたのか、右手で制した。
「なぜ?」
ミティックは少々ぎこちなく跪いたあと、頭を垂れたまま話し出した。
「私は、嘘をついた。……以前この国に結界を張った時、『結界は1000年以上保ち続ける』と手記に残した。あの時の私は、それができると思い込んでいた。だが現実は500年で壊れ始め、人々を危険に晒し、犠牲も出した。だから、報酬はいらない」
「手記のことは右の者から聞いている」
「だから――」
「報酬は、我が国での滞在許可と、君を縛る条件の解除。それでどうだ」
ミティックは驚いた拍子に顔を上げた。同時に、側近がたまらず国王の傍らへと1歩踏み出し、かすかに身を屈めて声を落とした。
「失礼ながら陛下、執務室でお聞きしたことと内容が異なっております。滞在許可はまだしも、彼を城の外へ放すのは温情が過ぎます。金貨30枚の予算も、無駄にするおつもりですか?」
「温情をかけるに足る価値が、彼にはある」
「結界の件は、我が国の存続に関わることでした。しかしそれだけで彼を街に放すのは、爆弾を街に放すのと同意です。例外を認めれば、国の秩序が揺らぎます。陛下は、その責を負えるのですか?」
「無論だ」
国王は迷いなく言い切った。
一方、自分を差し置いて熱くなる2人を、ミティックは呆然と見上げていた。
国王は間を置いて続けた。
「……お前の言うことはいつも正しい。執務室で話さなかったのは、こうなると思ったからだ。だからこれは、私の我儘だ」
ミティックは、2人を見上げるようにして問うた。
「いいのか? 私は簡単に人を殺せる。森では実際に何人も殺している」
「簡単に人を殺せる者が、死体の側で立ち尽くすとは思えない」
国王は1度だけ、目を細めた。
「……君の過失で、何人もの民が死んだ。君を許せば、私の威信にも関わる。それでも――歴史とは例外の積み重ねだ。頼めるかな?」
国王はいたずらっぽく穏やかに微笑んだ。側近は少々不服そうながら国王から1歩引き、姿勢を正した。
ミティックは何か思い至ったように、無表情でフォールと側近に視線だけを向けた。しかし2人は動じることなく、それを黙って受け止めた。
「……もとより、そのつもりだ。お前たちが死んだあともしばらくは滞在する」
ミティックは立ち上がり、手ぶらの指を弄ばせながら言いにくそうに続けた。
「……昔よりも、この国は居心地がいい」
フォールの口許に、ごく小さなゆるみが浮ついた。しかし彼はそれを押し込むように、公の顔へとすぐに戻した。
その一瞬を、はっきりと認識した者はいなかった。
城下町はいつも通り活気に溢れていた。城の中庭では、貴族も騎士たちも花々に囲まれながら、穏やかに過ごしていた。
やがて、ミティックが国を去ったあとも、その名は歴史の片隅に残り続けた。
○ ○ ○
早朝、小雨が降っていた。
ベッドの中で、ミティックの脳裏にふと過去の光景が映った。
『――俺にはそれが嘘に思えなかった』
ミティックは再び瞼を閉じ、眠りに落ちた。
まどろみの中で、その言葉は他の記憶と変わらずそこにあった。
【第1章・完結】
最後まで読んでくださり、ありがとうございました
【次の更新】
仕事をしながらのため、不定期になります
【補足】
■ミティック
長命の魔法使い
長命の魔法使いの中では中間程度の実力
趣味は読書、甘いもの、睡眠
■フォール
世話焼きの騎士 家族思い
趣味は人との食事、訓練、酒
■門番
フォールの同僚
彼を信頼してミティックを街に通した
趣味は絵を描くこと
■側近
国王の側近
国の結界管理を担う人間の魔法使い
趣味は仕事※密かに休暇計画を進行中
■国王
仕事は苦手だが、国民からの信頼は厚い
たびたび側近に仕事を押し付けている
趣味はお忍びで城下町に行くこと
■給仕や小姓たち
彼らがきっかけでミティックの存在が城内の噂になった
悪意はない




