ダメとは仰いませんでしたもの(おいっ!)
翌日。
あたしは髪をゆるく束ねて耳を隠し、酒場に出た。
出がけにゴブリン子ちゃんがまた軟膏を塗ってくれたけど、目立たないに越したことはないから。
——確かに、今まではきちきちにひっつめていたので、相当目立っていたかもしれないなあ。
酒場はいつも通り、満員だった。
昼食どきなので、厨房も店も、目の回るような忙しさ。
——今日は、護衛兵は来ていないわね。良かった。あと、あの青年はいるかしら——?
とあたしがカウンター周りを見まわそうとした時、背後で囁き声がし、飛び上がるほど驚いた。
「髪型変えたね」
「あ、支配人——」
「似合ってるよ」
意味ありげに微笑んで、勘定台の方へ行ってしまう。
——支配人は、何か気づいてるかしら?
……怪しまれてるのは間違いない。普通の人間なら、耳が毎日伸びたりしないもの……。
あたしは支配人の背中を見つめたが、彼の心中はわかるはずもなく。
——とりあえず、仕事を始めよう。
汚れた皿を片付け、家畜にやる残り物と、捨てるゴミを分けて——
手を動かしながら、あたしは目の端に例の青年の姿を捉えた。
「お姉さん、こんにちは——今日も梨酒と、軽食をお願いします」
あたしは軽く頭を下げて挨拶し、軽食の準備にかかる。
——ゴブリン子ちゃんが期待して待ってるから、何かこの人に質問してみよう。
軽食とお酒を渡す時、あたしは何気なく聞いた。
「毎日いらっしゃいますよね。この辺りに住んでいるんですか?」
青年は、あたしを値踏みするように見つめる。
「どうして?」
「どうしてって——、別に深い意味はないですけど。何かお気に障ったのなら、すみません」
一応謝っておくが、青年は疑いの色をありありと浮かべている。
ていうか、この辺りに住んでいるか聞いたからって、何を疑うことがあるのだろう?
青年は警戒を解いたように柔らかい口調で言った。
「まあ、そうだよね——失礼しました。僕は最近移住してきたのです——この前、聖女様を探してるって話はしましたよね」
「ええ」
「ほら、このあたりに聖女様を攫ったモンスターがいるって噂になっていたので、腰を落ち着けて探そうと思って——あれ?」
青年は、急に目を細める。
「あれ? 君、この香り——、この——香水? いったい——」
あたしの耳につけた花の香りに青年が気づいたのか、こちらに身をかがめて。
カウンター越しなのに青年の顔が妙に近く感じて、私は思わずあとずさる。
「あ!!」
途端に何かにつまづいて、派手に後ろに転んでしまった。
匂い草と百合のような香りが、ふわっと漂う。
「きみ、大丈夫?」
青年が慌てたように声をかけてくれて、あたしはにっこり笑って見せた。
「大丈夫です——ありがとうございます」
それより。
足元にはつまづくようなものは何もなくて——そしてこの匂い草と百合の、甘い香り。
あたしは、床の上の何かを片付けているようなふりをして、しゃがんだまま小声で言う。
「まさか、ゴブリン子ちゃん、そこにいるの!?」
これって、ゴブリン子ちゃんの魔法陣の香りなのだ。
「……だって、ナギ様、危ないよとはおっしゃったけど、来ちゃダメとは仰いませんでしたもの」
一瞬魔法陣を解いてそう言い、またすぐ姿を消す。
あたしはこめかみを指で押さえた。
頭痛がしてきた。
その後も例の香りはあたしの後ろにずっと留まっている。
——今はあたしとカウンターの死角にいたから、誰にも姿を見られてないだろうとは思うけど……
まったくもう! 何かあって危険にさらされるのは、ゴブリン子ちゃんだけじゃないんだから!
続く




