第58話:トラウマと千本の桜
「――これで終わりですわ」
エリカが魔力を込めた鉄扇を容赦なく振り下ろした、その刹那。
床に這いつくばっていたはずの艶の手が、まるで生き物のように跳ね上がり、エリカの放った必殺の扇子をガチリと素手で掴み取った。
「なっ……!?」
エリカは咄嗟に身を翻し、少し離れた位置へとバックステップで間合いを取る。
掴まれた鉄扇から伝わってきたのは、先ほどまでの比ではない、底冷えするような不気味な魔力の脈動だった。
床に頭を伏せたまま、艶の身体がカタカタと激しく震え始める。
「負ける……また、あの時みたいに……負けるんか……」
艶の脳裏に、中学時代の、あまりにも残酷で、あまりにも生々しい『失恋』の記憶がフラッシュバックしていた。そう…あれは中学の放課後
「あんさん、かわええな……。わたすと、ずっと一緒にいておくれやす……」
当時、内気だった艶は、大好きな女の子に勇気を出してそう告白した。
しかし、その女の子は、艶の手をすり抜けるようにして、別のボーイッシュな女子生徒の元へと駆け寄っていってしまった。
「そうかな……えへへ」
嬉しそうに照れる、かつての大好きな人。
「いくよ」
無慈悲にその手を引く、別の生徒。
「うん!」
二人は艶に振り返ることもなく、夕焼けの中を仲良く去っていった。
艶の恋は、成就する前に、同じ女の子の手によって完全に奪い去られたのだ。
「もう……あんな惨めな思いで、誰かが手を繋ぐのを見てるだけなんて……負ける訳にはいかないんやァァァァァッッッ!!!」
艶の絶叫と共に、公会堂の空気が激しく爆発した。
彼女の全身から、どす黒くも鮮烈な、狂おしいほどのピンク色のオーラが噴き出し、嵐となって周囲のコンクリートを削り取っていく。
「な、なんですのこのプレッシャーは……!? まさか……この土壇場で、『魔力覚醒』を起こしましたの!?」
エリカが腕で暴風を防ぎながら驚愕する。
「魔力覚醒!?なんだいそれ!?」
アリスが叫ぶ。
「自身の魔法の性質が文字通り『別次元』に強化される現象ですわ! くる、きますわよアリス!」
煙草を投げ捨てた艶の瞳が、血のような赤色に発光する。
奪われる側から、すべてを狂わせて奪う側へ。歪んだ愛の情念が、ボカロの概念と完全に同調した。
「狂い咲きなはれ……!! 覚醒固有結界――【千本桜】ッ!!!」
公会堂の廊下一面が、目も眩むような無数の「光る桜の花びら」で埋め尽くされる。それはただの精神汚染ではない。触れた者の正気と魔力を一瞬で狂わせ、強制的に艶への「隷属の恋」へと叩き落とす、絶望の革命戦場だった!




