第54話:妖艶なる桜の罠
時間は、アリシアがイザヨイの落とし穴によって地下へと吸い込まれた、まさにその瞬間にまで遡る。
「アリシア!!」
アリスがとっさに泥の穴へと手を伸ばすが、指先は虚しく空を切り、コンクリートの床は非情にもピシャリと閉じてしまった。
「……アリシアとアリスって、名前が途中までそっくりで、緊迫した状況だとどっちを呼んでいるか分かりにくいですわね」
エリカがふと、何でもないことのようにそんな感想を漏らした。
「ちょっとエリカ! 今そんなメタいこと言ってる場合じゃないでしょ! アリシアが落とされたんだよ!?」
アリスが目を剥いて怒鳴る。
しかし、エリカはふっと優雅に扇子を広げ、全く動じた様子もなく言った。
「まぁ……アリシアなら大丈夫でしょう。あの子、去年の別の学校の遠足で『ネオ東京ギャラクシーツリー』から真っ逆さまに地上へ落ちた時も、軽い捻挫だけで済むような娘ですわよ?」
――ネオ東京ギャラクシーツリー。
それは失われた古代魔力によって構造を支えられているため、旧時代の1000倍――実に『634キロメートル』という、大気圏を突き抜けて宇宙に達する高さを誇る、新時代のバベルの塔である。そこから生身で落ちて捻挫で済む人間など、生物学的にアリシアくらいなものだった。
「流石にそれはないよ……って、ぐっ……何これ、頭が、クラクラする……っ」
アリスが突然、自らの額を押さえてよろめいた。
廊下の奥から、人工的に培養された不自然なほど甘い『桜の花びら』が、吹雪のように吹き込んできたからだ。その香りを吸い込んだ瞬間、頭の奥がドロドロに溶かされるような、異常な胸のときめきと目眩が二人を襲う。
「……はぁ、はぁ。ボクを……狂わせようっていうの……? 舐めるな、『ドレイン』ッ!!」
アリスは壁に手を当て、自らの固有魔法を発動。吸血鬼の力で、体内に侵入してきた怪しい魔力の成分を強制的に体外へと吸い出し、中和していく。
「うっ……頭痛と、謎の動悸がして、気持ち悪いですわ……」
普段の冷静さを失い、顔を顰めるエリカ。
「エリカ、ボクの手を握って! ――『ドレイン』! どう!?」
アリスがエリカの不調をと吸い上げる。
「……っ、ましになりましたわ。助かりました、アリスさん」
息を吹き返したエリカが前方へ鋭い視線を向けると、ピンク色の煙の向こうから、カチリ、とバイオ電子タバコに火を灯す音が響いた。
「おや、あれま? わたすの固有魔法『桜のような恋でした』の精神汚染が、あんまり効きにくいようでんなぁ?」
煙の奥から姿を現したのは、タイトな着物を着崩し、紫色の煙を吐き出す妖艶な女。蘭王学園三幹部の一人――白百合院 艶であった。
「……ハレンチな格好をした女ですわね。あんた、誰ですの?」
エリカが扇子で煙を払いながら、冷徹に言い放つ。
「白百合院 艶といいます……。にしても、ぐふふ……目の前で女の子同士が手を握り合って看病ごっこやなんて、お熱いお嬢様方やなぁ。……堪らんわぁ、かわええな……じゅるり」
艶は、アリスとエリカの美しい姿をねっとりとした視線で舐め回すように見つめ、下品に生唾を飲み込んだ。
百合の狂科学者にして、他校の可愛いお嬢様を精神的に狂わせる。そのドス黒い欲望の矛先が、明確に関東のトップ令嬢たちへと向けられた!




