第51話 力の流
「――なるほど、やっぱりそういうことね」
四方八方から迫る泥の触手を、バランスを崩しながらも紙一重で回避し続けたアリシアが、突然不敵な笑みを浮かべた。
その視線は、自分を狙う槍ではなく、自身の両腕に未だへばりついている、あのカチカチに固まった『最初の粘土』へと向けられている。
「イザヨイさん。さっきから私を鈍いだの何だの言ってるけど……。だったら、なんでその動かない腕の土の上に、さらに周囲の泥を乗せて、もっと重くしないの?」
「なっ……!?」
イザヨイの動きが、一瞬だけピタリと止まった。
その顔は、先ほどコントロールの制限を指摘された時よりも、遥かに分かりやすく動揺に染まっていた。
「普通だったら、この『重り』をさらに大きくして押し潰そうとするはずだもん。でも、あなたは絶対にこの腕の場所には新しい泥を近づけようとしない……。――一度カチカチに固まった場所に、新しい泥は塗れない、ってルールがあるのかな?」
アリシアはイザヨイの表情の変化を楽しみながら、さらに畳み掛ける。
「もしかして逆? 固まった粘土に、まだ水分をたっぷり含んでいる動かせる泥を浴びせたら、せっかく固めたところが溶けて、この『重り』が外れちゃうから、近づけられないんじゃな――」
「――野生の勘か何か知らんが、喋りすぎやボケェェェッ!!! 思考の誘導に付き合うとる暇はないわ!」
イザヨイの絶叫が地下水路に轟いた。
図星を隠すための怒号。彼女はアリシアの推理を完全に否定することはしなかった。
その直後、イザヨイが地面に両手を叩きつける。
「だったら、その『溶けるかも知らん場所』以外を、完全に潰せばええだけの話や! ワイの魔力の残量、舐めんなやァァァ!!」
アリシアの足元、剥き出しの土の地面が、突如としてまるで『沸騰する水』のように波打ち、完全に液状化した。
「なっ……!?」
ステップを踏もうとしたアリシアの足が、抵抗なく地面へと沈み込む。それはただの泥濘ではない。イザヨイが魔力を限界まで注ぎ込み、土の分子結合を極限までルーズにした、文字通りの『土の液体』。
「ハハッ! 手間かけさせおって! 腕は重り、足元は底なし沼! これで詰みや!!」
液状化した地面から、ドロリとした粘土の触手が蛇のように這い上がり、アリシアの左右の『足首』を、逃がさぬよう完璧に包み込み、そのまま地下の深部へと引きずり込もうとした。
「ハァ……ハァ……。これで……動けへんやろ、怪物令嬢……!」
魔力を使い果たしたイザヨイが、膝をつきながら荒い息を吐く。
上半身は超重量、下半身は泥の拘束。完全なる五体不満足。
しかし、その状況で、アリシアはイザヨイを見下ろし、この日一番の、ゾクッとするほど獰猛で、そして満足げな笑みを浮かべたのだ。
「……あはは! 面白い、面白いよイザヨイさん!!」
「……あァ? 何が可笑しいんや、死に損ないが」
「『今頃』、私の足首を包むなんてね!」
「……ッ、『今だからこそ』、決まったんや! お前の鈍い動きじゃあ、この至近距離での液状化は回避できへんかった!!」
「ちがうよ」
アリシアは腕の重りを支点にして、全身の筋肉を限界まで軋ませ、泥に沈んだ足首を、あえてさらに深く、その地下の奥底へと踏み込ませた。
「『今』あなたが私の足首を、あなた自身と繋がっている泥で、完璧に包んでくれたおかげで……」
アリシアの全身から、凄まじい闘気が噴き出す。それはもはやお嬢様の魔力ではない。
自身の肉体そのものを燃料とし、この地下空間の全ての泥を消し飛ばすほどの熱量。
「私をこの地下に閉じ込め、私の足元を『あなたの泥』で完璧に固定し……さらにあなたの魔力の大部分を使い果たしてくれたこの状況……!!」
アリシアはイザヨイを見つめ、最後通告のように言い放った。
「これですべての準備は整ったよ。――私がこの地下ごと、あなたを『薪割り流』の最大出力でブチ抜くための準備がね!!!」
「な……な、なんやと……!?」
イザヨイが驚愕に目を見開いた瞬間、アリシアの肉体が、まるで爆発でもしたかのように、膨大な「力」の奔流に包まれた――。




