ep02_comment_section_explodes
コメント欄が先にボスを倒した日
《え、清掃員さん、まだ配信ついてる?》
《ついてる。音も入ってる》
《待て待て待て、そこボス部屋じゃない?》
瀬尾悠真は、コメント欄を見ていなかった。
胸ポケットに入れたままの配信端末は、探索者パーティー『雷光の剣』が切り忘れたものだ。彼らは悠真を置き去りにし、端末だけが勝手に視聴者へ映像を流し続けていた。
だから悠真が見ていたのは、コメントではない。
床の染み。
壁の焦げ跡。
天井から垂れる粘液。
そして、部屋の中央で眠る巨大な三つ首の犬――第五階層ボス、ヘルハウンドの呼吸だった。
「……これ、昨日の巡回表に載ってなかったやつですね」
悠真は小声でつぶやく。
《声かわいい場合じゃない》
《逃げろ》
《清掃員さん、逃げ道ないよ!》
《雷光どこ行った?》
扉は閉じている。ボス部屋は一度入ると、討伐か全滅まで開かない。
普通の探索者なら絶望する。
悠真は、腰の清掃ベルトから霧吹きを取った。
「まず、臭いから」
《臭いから!?》
《感想そこ!?》
《ボス部屋で消臭始めた》
霧吹きの中身は、ただの消臭剤ではない。酸性スライムの残留粘液を分解するため、清掃班が薄めて使う中和液だ。悠真は床の黒い染みに円を描くように噴いた。
じゅう、と音がする。
ヘルハウンドの三つの鼻が、同時にひくついた。
「やっぱり」
悠真は一歩下がる。
「この子、毒霧を吐く前に、床の硫黄溜まりを吸い上げるタイプです。ここを中和すると、初手が遅れます」
《この子呼び》
《初手読んだ?》
《清掃知識でボス攻略するな》
ヘルハウンドが目を開いた。
三つの首が吠える。音圧で端末の映像が揺れ、コメントが滝のように流れた。
《死ぬ死ぬ死ぬ》
《運営通報した》
《雷光戻れよ!》
悠真はモップを両手で構えた。
戦うためではない。
床を拭くためでもない。
ヘルハウンドが吐いた最初の毒霧を、モップの濡れた布で受け止め、横へ払う。
霧が青白く変色し、壁際の焦げ跡へ吸い込まれた。そこには前回討伐時に放置された魔石粉がこびりついている。毒と魔石粉が反応し、ぱちぱちと小さな火花を散らした。
「危ないなあ。だからボス後の清掃は必要なんです」
《説教してる》
《ボスに?》
《いや元パーティーにだろ》
ヘルハウンドが突進する。
悠真は横へ跳んだ、ように見えた。実際には、床の滑る場所を避け、昨日自分で磨いた乾いた線だけを踏んでいる。
ボスの爪が空を切り、濡れた硫黄溜まりに前足を取られた。
巨体が傾く。
「そこ、まだワックス乾いてません」
《ワックスw》
《ボス部屋でワックス管理してるの草》
《でも効いてる!》
悠真は掃除用の金属ヘラを抜いた。罠の目詰まりを取るための道具だ。倒れかけたヘルハウンドの首輪――魔力制御核の隙間へ、ヘラを差し込む。
「ここ、ほこりが詰まると暴走するんですよ」
かちり。
制御核から黒い塊が外れた。
ヘルハウンドの三つの首が、同時に咳き込む。毒霧が途切れ、体を覆っていた赤い魔力が薄くなった。
《デバフ解除した?》
《いやボス弱体化?》
《清掃員、何者》
悠真は黒い塊をビニール袋に入れ、きゅっと縛った。
「魔石粉と毛玉の混合です。放置すると火災原因になります」
ヘルハウンドが小さく唸った。
さっきまでの殺意はない。目に浮かんでいるのは、怒りよりも困惑に近かった。
悠真は三つの鼻先へ、予備の水を差し出す。
「飲みます?」
《飲ませるな》
《飲んだwww》
《ボスが水飲んだw》
三つ首の犬は、ばしゃばしゃと水を飲んだ。そして、まるで長年つかえていたものが取れたように、深く息を吐いた。
その瞬間、部屋の奥に宝箱が現れる。
討伐判定。
ただし、倒したのではない。暴走状態を解除し、ボスが戦闘不能を宣言したのだ。
《クリア音鳴ったぞ》
《え、倒してないのに?》
《新ルート発見?》
《清掃員ルート?》
悠真は端末の存在にようやく気づいた。
胸ポケットから取り出す。
視聴者数は、三万二千を超えていた。
「……あ」
《あ、じゃない》
《悠真くん見てるー?》
《雷光の剣、今どんな顔?》
扉が開く。
そこへ飛び込んできたのは、置き去りにした元仲間たちだった。
リーダーの蓮司は、宝箱と、寝そべるヘルハウンドと、モップを持つ悠真を順番に見た。
「おい、悠真。お前、何をした」
「清掃を」
「ふざけるな!」
蓮司が端末へ手を伸ばす。
その瞬間、コメント欄が爆発した。
《触るな》
《追放した側が証拠隠滅?》
《全部録画済み》
《雷光の剣、説明どうぞ》
蓮司の手が止まる。
悠真は端末を抱え、初めて自分が配信されていた意味を理解した。
これは、ただの事故ではない。
清掃員がボス部屋を片づけた映像が、全国に流れた。
そして探索者協会の公式アカウントが、コメントを一つ落とした。
《瀬尾悠真氏。至急、協会まで連絡を。第五階層の管理権限について確認があります》
悠真はモップを握り直した。
明日から、自分の仕事はただの清掃では済まないらしい。




