配信を切り忘れた清掃員
「瀬尾さん、今日で契約終了です」
ダンジョン入口の簡易事務所で、リーダーの黒瀬は笑顔のままそう言った。
テーブルの上には、僕の名札と、ひびの入ったヘルメットと、いつも使っている伸縮モップが置かれている。
「契約終了って、明日の深層清掃は」
「もういいんですよ。清掃員なんて映えないし、視聴者も求めてませんから」
黒瀬の後ろでは、配信担当のミナが小型カメラをいじっていた。チャンネル登録者八十万人。若手探索者パーティー《黒雷》は、今日もボス討伐の特番を組んでいる。
「瀬尾さんがいるとテンポ悪いんだよね。罠を確認しろとか、毒霧が残ってるとか、うるさいし」
「それを放置すると事故になります」
「事故らないから俺たちは人気なんです」
黒瀬は、僕の安全チェック表をくしゃりと丸めた。
五年前、ダンジョンが新宿駅地下に現れてから、探索者は憧れの職業になった。派手なスキル、きらびやかな装備、再生数。けれどダンジョンは、倒した魔物の残骸も、折れた罠針も、乾きかけの毒液も、翌日には別の誰かの命を奪う。
僕はそれを片づけてきただけだ。
「退職金代わりに、今日の浅層のゴミだけ持って帰っていいですよ」
笑い声。
僕は黙ってヘルメットをかぶり、モップを握った。悔しさよりも、床に落ちた黒い粉が気になった。三日前に十三階で見た、麻痺胞子の燃えかすだ。
「……ボス部屋に入る前に、靴裏を洗ってください」
「まだ言う?」
返事はなかった。
僕はひとりで十三階へ降りた。今日で最後なら、せめて危ない残骸だけでも回収しておきたかった。通路の角に設置された《黒雷》のサブカメラが青く点灯しているのに気づいたが、録画中の印だと思って通り過ぎる。
まさか、生配信が切れていないとは知らなかった。
ボス部屋前の床には、黒瀬たちの足跡が続いていた。麻痺胞子を踏んだまま、まっすぐ奥へ。
「まずい」
扉の向こうから、歓声が聞こえた。次の瞬間、悲鳴に変わる。
僕は管理用の非常鍵を差し込み、ボス部屋へ滑り込んだ。
巨大な甲殻獣が天井を擦っている。黒瀬たちは膝をつき、動けない。胞子が汗で溶け、装備の関節部に入り込んだのだ。
『え、誰?』『清掃員さん?』『カメラ生きてるぞ』
壁際の配信端末から、コメントが流れている。
僕は見ないふりをして、腰の洗浄ボトルを抜いた。
「三十秒だけ息を止めてください。あと、動かないで」
「瀬尾、逃げ――」
「動かないで」
甲殻獣が前脚を振り上げる。僕はモップの柄を床の排水溝に差し込み、体重をかけた。毎日詰まりを取っていたから知っている。この部屋の排水は、ボスの足元に集まるよう傾斜している。
洗浄液を撒く。麻痺胞子が泡立つ。甲殻獣の脚が滑る。
倒れた巨体の顎下には、討伐隊が見落とし続けた古い拘束札が貼りついていた。僕はスクレーパーで札の端を起こし、清掃用トングで一気に剥がす。
ボスの赤い目が、ふっと穏やかな灰色に戻った。
「……よし。汚れ、落ちました」
沈黙。
それから配信端末が爆発したみたいに光った。
『今の何?』『清掃員がギミック解除した』『ボス討伐じゃなくてボス解放では?』『黒雷より詳しいの草』
僕はそこで初めて、カメラが生きていることに気づいた。
同時に、登録者八十万人の前で、僕が追放された場面から全部流れていたことにも。
配信画面の数字が、見たことのない速さで増えていく。三万、五万、十万。同時視聴者数の表示が壊れたのかと思った。
「瀬尾、今のは俺たちの作戦ってことに」
「なりません」
僕は黒瀬の装備の留め具を外し、関節部に詰まった胞子を洗い流した。助けるのは仕事だ。けれど、嘘の片棒を担ぐ契約はもう終わっている。
『清掃員さん淡々としてる』『黒雷、追放直後に救われてて草』『この人の解説聞きたい』
コメントの流れの中に、管理協会の公式アカウントが現れた。
『瀬尾悠真氏、至急連絡を。十三階ボス部屋の安全化手順について正式依頼を出します』
正式依頼。
その四文字を見て、僕はようやく息を吐いた。
ボスだった甲殻獣は、拘束札を失っておとなしく丸まっている。甲羅には長年の汚れがこびりついていた。
「ついでに洗っていいかな」
『そこ?』『ボス洗車始まった』『登録した』
その日、僕の知らないところで切り抜き動画のタイトルが決まったらしい。
――追放清掃員、ボス部屋を掃除して伝説になる。




