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山奥で拾った地球外AIと、俺は十五年かけて人類を宇宙へ押し上げた  作者: たまき


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第07話「後輩」

 翌朝のオフィスには、前日の突破がまだ薄く残っていた。試験スペースのホワイトボードには起動順序を書き換えた跡が消し切れず、机の隅ではロジックアナライザのプローブだけが束ね直されずに垂れている。案件が動き出したあとの職場は、安堵で緩むより先に、残った数字の意味を確かめようとする静けさが広がる。その静けさの中で、亮は自分の席へ座る前から、見られていると分かっていた。


 七瀬は自席の端末を立ち上げたまま、昨夜の評価ログを紙に落としていた。A4に収まる程度の時系列なのに、赤で引かれた線は妙に細かい。起動要求、監視ICのリセット出力、通信初期化の開始時刻。前日、亮が切り分けの起点にした箇所ばかりが、迷いなく抜き出されている。


「昨日のやつ、一個だけ確認したい」


 席へ鞄を置いた瞬間に声が飛んできた。雑談の温度ではなかった。作業途中の手を止めずに投げる声音なのに、質問だけがまっすぐこちらへ来る。


「一個で済むならな」


「最初に監視ICの基準側を疑った理由。あれ、ソフトの時刻列だけ見てたら普通は後回しでしょ」


 亮は椅子の背へ手をかけたまま止まった。前日の場では勢いのまま流せた問いが、朝の光の下では輪郭を持っている。七瀬は紙を見ていた。視線はこちらへ向けないまま、答えを外さない場所だけを押してくる。


「後回しにしたら、また同じところで詰まると思っただけだ」


「じゃあ次。なんでGPIOのマーカを一本だけ追加したの。普通はソフトログを増やしてからでしょ」


「ソフトの時刻が潰れてた」


「それはみんな知ってる。知ってる上で、昨日まで誰もそこで切れてない」


 プリンタが奥で一枚だけ紙を吐き、すぐに止まった。給湯室の方から誰かの笑い声が遠くで弾けたが、この島の空気だけが別の密度で止まっている。七瀬はようやく顔を上げた。感情を探る目ではない。前日の波形といま目の前にいる人間が、同じ挙動をするか照合する目だった。


「通信初期化を40ms前倒ししたのも、勘じゃないよね」


「勘だったら悪いのか」


「悪くはない。ただ、その勘が昨日の朝に急に生えてくるのは変だって話」


 亮は端末の電源を入れ、起動音に意識を逃がした。逃がしたところで、質問の並び方が消えるわけではない。彼女は結果を褒めも疑いもしていなかった。どの順序で考えればあの切り方に辿り着くのか、その経路だけを逆算している。前日の成功を再現しようとしているのではなく、亮の頭の中にどこから別の道が繋がったかを探っている。


「風呂入ってるときに思いついた」


 そう言うと、七瀬は紙を机へ置いた。


「それで筋が通るなら楽だけど」


「通らないって決めつけるの、早くないか」


「早くない。前から持ってた解なら、昨日までのログの見方と連続してる。昨日のやり方は、連続してない」


 その言い切り方に腹が立つより、背中が冷えた。古田ならこういう場面でも笑って流す。七瀬は流さない。違和感を言葉へ変えるまでの速さも、その違和感を保留のまま机に置いておける粘りも、職場の空気を壊さないぎりぎりのところで揃っている。


 亮は端末へ向いたまま、キーボードを鳴らした。


「案件は前に進んだ。それで十分だろ」


「仕事としてはそう」


「なら終わりだ」


「仕事としては、ね」


 七瀬はそれ以上は重ねてこなかった。紙を揃え、何事もなかったように自分の作業へ戻る。引き下がったというより、必要な分だけ採れたから一度止めた、という動き方だった。亮はモニタに並ぶ昨夜の試験結果を眺めながら、首の後ろに残る気配を払えなかった。面倒だ。だが雑ではない。雑ではないから厄介だった。


---


 夕方、オフィスの人影が薄くなると、試験スペースは昼間よりも機械の匂いを強くした。排気ファンの回転音と、半田ごての台から上がる焼けた金属臭だけが空気を占める。案件用の評価基板を片づけたあとも、亮は席へ戻らず、奥の工作卓に残っていた。


 卓上には掌に乗る程度の銅板と、細い溝を切った小さな治具が置かれている。どちらも仕事の図面には乗っていない。量産前評価に使うには過剰に面が揃い、社内試験に使うには逃げ加工が細かすぎる。前日の勢いのまま、昼休みに少しだけ手を動かしたつもりだった。削り粉も拭き、工具も戻した。残ったのは自分にしか分からない程度の痕だと思っていた。


「それ、案件の治具じゃない」


 振り返ると、七瀬が出入口脇に立っていた。手には部品トレーがある。薄いアルミナのスペーサ、銀色の小ねじ、細い銅箔。昼に資材棚から抜いた覚えのあるものばかりが、整然と並べられていた。


「まだいたのか」


「黒瀬もでしょ」


 七瀬は工作卓の横まで来て、トレーを静かに置いた。指先で銅板の端をなぞり、切削面へ爪を軽く当てる。


「面、出し過ぎ。案件の固定治具なら、ここまで追わない」


「たまたま手が入っただけだ」


「逃げも変。熱を逃がしたい形じゃないし、保持したいなら締結面が足りない」


 亮は銅板を裏返した。意味がある動作ではない。見られたくない面を隠したくなっただけだった。


「次の評価で使うかもしれない」


「この案件、そこまで接触抵抗を詰める必要ない」


 間を空けずに返ってくる。七瀬は銅板ではなく、亮の手元を見ていた。答えが先にあり、それに合う説明を後から拾っている手の止まり方まで、もう観測に入っている。


「部材もそう。アルミナのスペーサとこの銅箔、社内評価で使う組み合わせじゃない。温度変動と電流経路を気にしてる選び方になってる」


「細かいな」


「細かくないと作れないでしょ、こういうの」


 トレーの中から細い配線材を取り上げ、七瀬は端部の剥き方を示した。撚りを潰さず、被覆際だけが異様に揃っている。


「これも案件用ならやりすぎ。量産評価の治具なら、着脱回数を優先する。黒瀬が見てるの、別のノイズでしょ」


「何が言いたい」


「仕事のついでじゃないものを、ここで触ってる」


 その言い方は断定に近かった。それでも決めつけの熱がないぶん、逃げ道が残らない。亮は視線を工作卓へ落とした。銅板の端、治具の溝、トレーの中の部材。どれも単体なら言い訳が立つ。だが並べられると、用途へ向かう癖だけが浮き上がる。四端子測定に寄せた配線長、熱膨張差を嫌う部材の選び方、接触面の仕上げ。何を作るかまでは読めなくても、今の仕事の延長ではないことだけは十分に伝わってしまう。


「来期の評価系、先に当たりを取ってるだけだ」


 言った瞬間、自分の声が薄いと分かった。七瀬は小さく息を吐き、銅板を元の位置へ戻した。


「その説明、いま考えたでしょ」


「……お前、尋問でもしたいのか」


「したいわけじゃない」


 七瀬は少しだけ首を振った。怒ってもいなければ、好奇心に浮いてもいない。ただ、目の前で観測された事実を所定の場所へ置いていくだけの顔だった。


「でも、黒瀬が何か隠してるのは分かった」


 亮は笑いそうになって、やめた。軽く受けた瞬間に終わる種類の言葉ではなかった。


「みんな、隠し事くらいあるだろ」


「そういう雑な隠し方じゃない」


 七瀬はトレーを持ち上げ、工作卓から半歩引いた。


「仕事なら説明が先に立つ。いまの黒瀬は、手が先に動いてる」


 それだけ言って、すぐに追い詰めてはこなかった。答えを奪いに来るのではなく、答えが自分から零れる位置を測っている。亮は工具箱を閉じ、卓上を片づけた。手を動かしている間も、視界の端に七瀬の沈黙が残り続ける。


 帰る時間になっても、試験スペースの照明はまだ半分だけ点いていた。廊下へ出る前に振り返ると、七瀬は案件用端末の前に座っていた。部品トレーは脇へ避けられ、画面にはログ管理ツールの一覧が開いている。彼女は一度だけマウスを止め、それから迷いのない手つきで、前日の試験ログの行へカーソルを合わせた。


 亮はそのまま何も言わず、扉を閉めた。


---


 東京の自室へ戻ると、部屋は昼間にこもった熱をまだ壁の内側へ残していた。換気扇を回し、押し入れの下段から球体を出して机へ置く。鈍い反射を返す表面を見た瞬間、職場の白い蛍光灯の下で感じていた乾いた緊張が、ようやく形になった。


「職場の後輩に嗅ぎつけられた」


 球体が微かに振動した。


「状況を説明してください」


「前日の案件の切り方から逆算された。今日も質問されたし、試験スペースの痕も見られた。まだ正体は見えてない。でも、何か隠してるとは思われた」


「相手は技術者ですか」


「そうだ」


「なら、説明の矛盾を記録している可能性が高いですね」


 亮は椅子へ深く座り、額を押した。七瀬の問いは一つ一つが小さいのに、繋げたときの形が悪かった。基準側を疑った理由。部材の選び方。加工精度。どれも別々なら誤魔化せる。だが誤魔化した順に線が増えていく。


「今のうちに遠ざけた方がいいか」


「推奨しません」


「即答だな」


「はい。相手がすでに観測を始めているなら、急な回避行動も新しい情報になります」


 亮は机の上のノートを引き寄せた。自室、勤務先、外部設備。昨夜引いた三列が、今日の会話を経て別の意味を持ち始めている。どこで何を行い、どこにどの種類の痕跡が残るか。その設計自体が、もう作業の一部だった。


「見られる前提で動けってことか」


「正確には、見られてよい情報と、見られてはいけない情報を分離する段階です」


「隠すんじゃなくて、残すものを選べと」


「はい。観測線が一本立った状態では、完全な秘匿より整合した偽装の方が安定します」


 その言い方は冷たく正しかった。排除する、黙らせる、ログを消す。衝動の形はいくつか浮かんだが、どれも七瀬の存在を必要以上に大きくするだけだとすぐに分かった。彼女はまだ核心を知らない。知らないまま、手掛かりになる歪みだけを拾っている。ならば対処すべきは彼女ではなく、自分が残す歪みの方だった。


 亮はノートへ線を引き直した。勤務先で残してよい作業、残してはいけない作業、自室へ戻して閉じる作業。昼休みに触った治具のことを思い返し、筆圧が少しだけ強くなる。前進の速度に気を取られた結果、痕跡の密度が雑になっていた。七瀬が見ている以上、もう同じ雑さは使えない。


「面倒なことになった」


「進行した、とも言えます」


「慰めになってない」


「慰めではありません」


 机の上で球体は静かなままだった。その沈黙を見ながら、亮は職場の扉を閉める直前の光景を思い返した。夜の試験スペース、半分だけ落とされた照明、青白いモニタの前へ座る七瀬の横顔。部品トレーを脇へ避けた手が、そのまま試験ログの行へ伸びていく。あのためらいのなさだけが、部屋の暗がりへ移ってからも、いつまでも視界の端から消えなかった。


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