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山奥で拾った地球外AIと、俺は十五年かけて人類を宇宙へ押し上げた  作者: たまき


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第06話「再現」

 試験スペースの卓上電源は、朝の空調より少し遅れて唸り始めていた。評価基板の横には、休み前から積まれたままの治具とケーブルが残っている。誰かが途中まで飲んで放置した缶コーヒー、開きっぱなしのログ端末、ホワイトボードに消し切れず残った起動シーケンスの矢印。昨日まで見飽きていたはずの景色なのに、いまは全部が中間点に見えた。結果に辿り着けず溜まっているのではなく、途中を見ないまま末端の症状だけを追っている。その鈍い手触りが、朝の白い照明の下ではっきりしていた。


 亮は評価基板の電源線へ手を伸ばし、既存の配線を一度外した。


「もう始めてるじゃん。休み明けにしては顔つきが怖いな」


 振り向くと、古田が紙コップを二つ持って立っていた。笑いながら近づいてくる足取りは軽いが、目だけは机の上を素早く見ている。案件が止まっている間も、場の空気だけは止めない男だった。


「怖いなら近づくなよ」


「近づくよ。だってこれ、今日も地獄になるやつじゃん」


 古田は片方の紙コップを机に置き、モニタを覗き込んだ。未解決の再起動ログが時刻順に並び、同じようで微妙に違う谷が何本も走っている。休み前までは、その微妙な違いを全員で眺め、結局どこにも手が届かないまま終わっていた。


 少し離れた席では、七瀬がすでに共有サーバから生ログを落としていた。ショートカットを叩く音に迷いがなく、視線は亮ではなく画面の時刻列に貼りついている。


「また全起動で回すの」


「あれ、やめる」


 亮は基板脇のメモパッドを引き寄せ、起動シーケンスを三つに切って書いた。電源監視立ち上がり、モータードライバ自己診断、通信初期化。これまで一続きで走らせていた処理を、段ごとに止める。さらにその横へ、監視ICのリセット出力、3.3V系電圧、ドライバ起動要求の三本だけを観測対象として並べた。


「再現を取りに行くんじゃない。どこで崩れるかを先に見る」


 古田が紙コップを持ったまま眉を上げた。


「いまさらそこから? いや、そこまで戻るのは分かるけど、これだけ試して出てないじゃん」


「全体で見てるからだ。落ちる条件がぶれてるんじゃない。重なってる箇所が曖昧なまま増えてる」


 七瀬がキーボードから手を離し、ようやく顔を上げた。


「このログの分解能だと、電圧谷の前後が潰れる。監視ICの閾値越えは追い切れない」


「だからマーカを打つ。起動段ごとにGPIO一本立てて、ロジアナで切る。ソフトの時刻は捨てる」


 言いながら、自分の声が休み前より速いと分かった。常温超伝導素材の工程表を相手にしていた数日で、手順を細かくほどく癖が身体へ残っている。全体の成功条件を一度忘れ、中間状態だけを作る。その発想を口に出すたび、職場の案件が急に扱える大きさまで落ちてきた。


 古田が笑った。


「なにそれ、急に気持ちいい切り方するじゃん」


「気持ちよさはどうでもいい。ドライバの自己診断だけ先に走らせて、その間は通信を寝かせる。次に通信だけ起こして、リセット線の谷を拾う。二本が重なる瞬間だけ見えればいい」


「ファーム、俺が切るよ。段止めのフラグ入れればいいんだろ」


「チェックサムの後ろに待ちを足せ。監視レジスタはクリアする前に吸い上げる」


 七瀬はメモパッドを横から見ていた。亮が書いた三本線と待ち時間の数字を追い、すぐに自分の端末へ視線を戻す。


「前の評価基板、監視ICの参照GNDだけリターン長い。モータードライバの突入と重なるなら、谷は電源じゃなくて基準側かも」


「その可能性もある。だから電圧だけじゃなく、リセット出力も見る」


「分かった」


 短い返答のあと、七瀬はもう話を終えた顔で測定器棚へ向かった。古田は肩をすくめながら紙コップを押しつけてくる。


「いいねえ。ようやく話が進んでる感じする。休みのあいだ何食ったの」


「別に」


「そういう顔してるとき、大体なんか拾ってるんだよな」


 古田の軽口は笑って聞き流せる種類のものだったが、妙に耳へ残った。拾った。まさしくそうだった。山中の窪地で拾った球体から始まり、その内側にしまわれていた切り方が、いま机の上の評価基板へ移っている。亮は紙コップのコーヒーを一口飲み、冷めた苦味で喉を落ち着かせた。


 午前のあいだに治具は組み替わった。既存の評価環境から不要なモジュールを外し、ロジックアナライザのチャンネルを最低限へ絞る。起動ごとに全部を記録するのではなく、谷が出る周辺だけを厚く取る。段を切り、観測点を減らし、原因候補を逃げられない幅まで押し込む。試験スペースに立つ三人の手は休み前よりよく動いたが、動きの中心ははっきり亮に寄っていた。


 最初の三回では何も起きなかった。起動は滑らかで、リセット線は静かなまま、通信も正常に立ち上がる。以前ならそれで袋小路に戻った感覚が残ったはずだった。だがいまは違う。出ないこと自体が、切った条件のどこに問題がないかを教えてくれる。亮は四回目の起動条件で、モータードライバ自己診断の待ちを外し、通信初期化だけを40ms前倒しした。


 波形が一度だけ、紙を裂くように沈んだ。


「出た」


 古田がほとんど叫び、七瀬は声を出さずにログ端末へ身を寄せた。3.3V系の谷は短かった。だが監視ICのリセット出力は、その直後に細く落ちている。さらに参照GND側の揺れが、モータードライバの突入と重なった瞬間だけ大きく跳ねていた。


 亮は画面を指で追った。


「電源不足じゃない。監視基準が持っていかれてる」


「だから再現率がぶれてたのか。条件全部じゃなくて、重なり方だけで死んでる」


 古田の声は明るかった。袋小路の壁が、ようやく壁として見えたときの声だった。


 七瀬が測定結果の重ね描きを切り替えながら言う。


「通信初期化を後ろへ逃がせば、量産前評価は通る。根治するなら基準GNDの引き回し修正」


「先に評価を通す。基板改版は次ロットだ」


 亮はその場でファームの待ち時間を組み替え、監視レジスタの退避位置を修正した。修正量はわずかで、見た目には地味だった。だが再起動の再現率がゼロへ落ちた瞬間、試験スペースの空気は一気に軽くなった。休み前から張りついていた澱みが剥がれ、机の上に散っていたケーブルまで急に整って見える。


「動いた、動いたよこれ」


 古田が笑いながら両手を上げた。給湯室の方から様子を見に来た別チームの人間が、「やっと片づいた?」と声を投げてくる。古田は振り向きもせず親指だけ立て、亮の肩を軽く叩いた。


「黒瀬先生、休み明け一発でそれは反則だろ」


「別に大したことじゃない」


「いや、大したことだよ。俺ら先週まで、ずっと同じ泥すすってたじゃん」


 笑い声の混じる空気の中で、七瀬だけが騒がなかった。結果画面から目を離さず、亮の書いたメモパッドを取り上げ、そこに残った三本線と待ち時間の数字を見ている。


「これ、前から考えてた解じゃないでしょ」


 古田の笑いが少しだけ止まった。


 亮は紙コップを潰し、近くのごみ箱へ放った。


「何が」


「切り方。先週まで、再現条件を増やす方向で見てた。今日はいきなり逆へ振った」


「行き詰まったから変えただけだ」


「その変え方が速いって話」


 七瀬は責める口調ではなかった。ただ観測結果を読んでいるときと同じ声音で、事実だけを机へ置いてくる。亮は答えず、修正版ファームのビルドログを確認した。視界の端で、古田が場を軽くしようとする気配がある。


「まあでも、出たなら正義じゃん。七瀬もそう思うだろ」


「成果はそう。経路は別」


 古田が「怖いこと言うねえ」と笑い、空いた缶を片づけに行った。七瀬はその背中を見送らず、亮の手元だけを見ていた。


 午後の再評価は滑らかに終わった。再起動は一度も出ず、測定結果は修正版の妥当性を十分に示した。チケットのステータスが保留から進行へ戻り、会議室では次ロットの基板修正方針まで話が進む。案件が動き出した快感は確かにあった。昨日まで膠着していたものを、自分の手で押し出した感触が掌に残っている。


 その快感の裏で、隠すべきものも同じだけ増えていた。


 夕方、席へ戻った亮はメモパッドのページを破り、ノートの間へ差し込もうとして手を止めた。三本線、待ち時間、観測点の並べ方。そのどれも社内資料として不自然ではない。だが、そこに至るまでの跳躍だけは説明しづらい。


 向かいの席から七瀬が立ち上がる気配がした。


「黒瀬」


「なんだ」


「そのメモ、捨てない方がいい。あとで見る」


 亮は顔を上げた。七瀬はもうこちらを見ておらず、端末の画面へ視線を戻していた。会議で使う資料の体裁を整える手つきはいつも通りなのに、最後の一言だけが机の上へ細い針のように残った。


「好きにしろ」


 そう返した声は、自分で思っていたより平らだった。


---


 東京の自室へ戻ると、部屋は昼の熱を薄く抱えたまま静まっていた。カーテンの隙間から隣の建物の外灯が差し、流し台の金属縁だけが細く光る。押し入れの下段から球体を出して机へ置くと、職場の蛍光灯の下で見たときより表面の鈍い反射が深く見えた。


「案件は抜けた」


 球体がごく微かに振動する。


「結果を確認します。要因は特定できましたか」


「電源そのものじゃなかった。監視基準の方が突入で引かれてた。起動段を切って、重なりだけ見たら出た」


「合理的です。中間状態の観測は、最終状態の反復より収束が速い」


 昨夜の延長みたいな言い方だった。直接的な手順を職場で聞いたわけではない。だが球体の前へ工程表を広げていた時間が、今日一日の視界を変えていたのは確かだった。亮は椅子へ腰を下ろし、会社で使ったメモをノートへ挟み込む。


「速すぎた」


「問題がありますか」


「成果にはない。見え方にある」


 七瀬の声音が脳裏でよみがえる。前から持っていた解じゃない。その通りだった。数週間の泥の上に、別の足場を急に架けた。辿った経路を説明しようとすれば、どこかで嘘の密度が上がる。


 亮はノートを開き、次工程に必要な項目を改めて書き出した。


 前駆体形成。雰囲気制御。高温保持。結晶方位評価。導通と磁場応答の測定。


「ここから先、自室だけじゃ足りないのは分かってる。勤務先で切れる工程は、もっと先に切っていいんだな」


「設備と痕跡は比例します」


「分かってる」


「ただし、前段階の整理を既存環境で済ませれば、外部設備で必要な試行回数は減らせます」


 亮はペン先を止めた。欲しかったのは背中を押す言葉ではなく、単純な計算だった。どこで切れば、最小の露出で最大の前進になるか。職場の設備は合成には足りない。それでも測定系の癖を掴み、制御と治具の組み方を先回りし、外でしかできない工程へ持ち込む前に無駄を削ることはできる。


 仕事場と研究を切り離して守るという発想は、もう朝の時点で半分崩れていた。案件を突破した快感が、その崩れ方に言い訳を与えている。使えるものを使う。それだけだと整理すれば、倫理も恐れも、いったん紙の外へ追い出せた。


「会社は合成炉じゃない。でも前処理にはなる」


「事実としてはそうです」


「十分だ」


 言葉にしてしまうと、躊躇がまた一段薄くなった。亮はノートへ、自室、勤務先、外部設備の三列を引き直し、それぞれに工程を書き込んでいく。職場の欄だけが、今夜はもう曖昧な遠慮を含んでいなかった。


 書き終えたあとも、机の上へ残るのは達成感だけではなかった。夕方のオフィス、端末の光を横顔に受けながら、七瀬が自分のメモへ視線を止めていた。あの目は好奇心より正確で、噂話より執拗だった。何かを見つけた人間の目ではない。見落としを許さないと決めた人間の目だった。


 押し入れへ球体を戻し、部屋の灯りを落としても、その視線だけは暗くならなかった。


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