広がる世界(トト視点)
サムの治療第一号となったトトは、再生したばかりの足で、ウィンリィの部屋へと向かっていた。
彼のおぼつかない足取りを支えてくれているのは、トトよりも小柄なアプリ。
アプリの背格好に、同じ年頃だと思われる仲間のモモを重ねたトトは、妹分に助けられている気分になり、自分を少し恥ずかしく思った。
「この部屋にリィ……ウィンリィはいるよ」
トトにとっては、何だか怖いおじさんであるルートが、そっとドアを開けると、中に、桃色の髪と目の少女が見えた。
「あっ、こんにちは! 初めまして! 僕はウィンリィ! 君はトトだね?」
ベッドの上で上半身だけを起こしていたウィンリィは、読んでいた本を置き、トトに明るく声を掛けた。
その横で、ルートが椅子を引き、トトに座るよう促す。
が、トトは、座るのを拒否し、自身を支えてくれているアプリにも、「一人で立つから」と言って、震える脚に気合いを入れて、ウィンリィの前に立った。
そして、重苦しい表情でウィンリィを見つめ、自身が姉のように慕っていたシュルンが彼女にしたことをまず謝罪した。
「シュルンは、俺たちを守ろうとしただけなんだ。つまり、悪いのは俺たちなんだ。だから俺のこと、好きなだけ殴ってくれ! それで、他の奴らのことは勘弁してやってほしい! どうか、頼む――」
一気に捲し立てて、目をぎゅっと瞑り、顔を前に突き出す。
それは、許されるはずがないと思っていたトトの出来る精一杯だった。
しかし、いくら待っても頬を襲うはずの衝撃は訪れず、代わりに暖かな温もりが両手を覆った。
「トト、僕は、僕らはね、三日間しかシュルンと交流していないんだ。けれど、あの子がとんでもなく優しい女の子だって知ってるよ。だからトト、僕はシュルンが大好きなんだ。本当だよ、だって、シュルンはさ……見せてくれたんだ、綺麗な氷のお城をね」
目の前の少女があまりに優しく微笑んだので、トトは息を呑む。
信じられないことに、ウィンリィはシュルンを、自分たちを全く恨んでいないようだった。
「……それでもごめん。アンタ、死にかけたんだろ? 痛かったろ? 友達にそんなことされてさ……」
自分がもし、同じことをされたらと想像して、トトは俯いた。それはとても胸が苦しく、悲しいことだと彼は思う。
「大丈夫だよ! だって、傷はサムが治してくれたからね! もう痛くも痒くもないよ!」
「いや、その……」
そうじゃないと言おうとして顔を上げたトトは、また息を呑んだ。ウィンリィの瞳に一点の曇りも見つけられずに。
「トト! 治したばかりの手足で会いに来てくれて有難う。リハビリ頑張ろうね。僕もアプリも、あと、ノアっていう君くらいの男の子も手伝うからさ。完全に治ったら、みんなでドッジボールとかしようね!」
「……分かったよ。ドッジ? ボールが何なのかわかんねーけど、一緒に……やってやる……」
そう、絞り出すしか無かった。この世に、シュルンと同じくらい優しい人間がいたことを、彼はこの時初めて認識したのだから。
謝罪が終わり、打ち解けた様子に、今度こそルートがトトを椅子に座らせた。更に、お茶とクッキーまで出してきたので、謝罪だけが目的だったトトは戸惑いの色で彼らを見る。
すると、アプリとルートがトトの両隣りに椅子を引いて座り、クッキーを手に取ったアプリが、トトの手にそれを置いたので、彼は諦めて、それを口に含んだ。
「トト、治療直後で悪いんだけど、ウィンターン王について、知っていることを教えてくれるかな?」
「王? 王のことは、俺らもよく分からないんだ。あそこに連れてこられた時、俺まだ2歳だったから、物心ついたらあそこにいて、あの生活が当たり前だった感じなんだよ……だけどさ、知っていることはあるぜ」
トトは、無意識に耳と頭頂部の間――側頭部の辺りを両手で押さえて、答える。
「……王は、獣人が嫌いなんだ。俺たちがそれでも酷い目に遭わなかったのは、魔力の子だったからなんだってシュルンが言ってた。でも、もし、王が視察に来たりしたら、獣の耳や尻尾を見て怒るかもしれないって言うから、俺たち、必死に獣濃度をゼロにする訓練をしたんだ……」
トトの言葉に、ウィンリィとアプリは目を見開き、ルートは、静かにトトを見据えた。
「トト……君は獣人なの?」
アプリが問いかけた瞬間――
バタン!
「ウィンリィ、アプリいる?……って……」
部屋に入ってきたノアにトトは目を丸くした。
「その耳……お前、狼か!? 出してて平気なのかよ!?」
「……僕は、狼獣人のノアだけど、お前は?」
「俺はトト、ワシミミズクだ。ここは、獣人がそれを隠さなくても安全な場所なのか?」
トトがそう答えた瞬間、ルートが、「へぇ……」と息を漏らし、ウィンリィは、「ええ!?」と声を上げ、アプリは、目を瞬いて驚きを現した。
無理もない。トトの姿からは、獣の要素を全く検知できない。
認識阻害が効かないウィンリィですら、欺いたその事実は、彼が獣濃度をゼロにまで下げることが出来ることを示唆していた。
が、トト本人は今、それどころではない。
「僕も最初に聞いた時は驚いたけど、このエルフの里と、隣のサマーン国には、獣人の奴隷制度がないんだ」
「そんなことが……」
「トト! 魔法で隠しているけど、アプリも獣人だよ」
「っ、まじか! 何の!?」
「私は雪うさぎだよ」
「雪うさぎ!? 聞いたことがある。魔力の子が断続的に産まれてる種族だろ? そういえば、お前、何で王に保護されなかったんだ??」
トトから見て、アプリは、モモと同じ10歳くらいに見えていた。
ウィンターン王が、50人の魔力の子を保護したのは、今から10年前。
彼にとって、当時赤子であろうアプリが、王の保護から外れるのはとても不可思議だった。
「トト! アプリはさ、大きいし、しっかりしているけれど。実年齢は4歳なんだ!」
最近、突然成長したと話すウィンリィに、トトは突然の成長に関しては奇奇怪怪だと思ったが、4歳ならば、王の保護から外れるのも不思議ではないと腑に落ちた。
「そっか、4歳なら、王が俺たちを集めていた時はまだ産まれていないもんな、ははっ、そっか……」
しかし、当のアプリは何も言わずにいて、ルートも静かに押し黙っている。
二人の様子をノアとウィンリィは、不思議に思ったが、視線に気付いたルートににっこりと微笑まれて、突っ込んではいけないことなのだなと思い、ウィンリィは別の話題を振った。
「トトさ、本が好きなんだよね? これ、風の魔導書なんだけど、読んでみる?」
トトは、ウィンリィが手渡してくれたその分厚い本を開いたが、見たことのない文字で書かれていて、眉を顰めた。
「っ全然読めねー」
「あはは! エルフ文字だからね、ウィンターンの文字とは違うよね」
「アンタ、何で読めるんだよ? 見たところ、エルフじゃなくて、人間だろ?」
「僕の祖国の古語に似てるんだ。まあ、ところどころ、想像力で補いつつ読んでるんだけどさ」
ふーんと呟いて、トトは本をウィンリィに返しながら、ふと思う。
ウィンリィたちは、何処から来たのだろう? と。
「アンタらさ、何処の国の出身なんだ? アンタ……ウィンリィのその色、人間の中じゃ珍しい色だろ?」
ウィンリィたち三人は、目を合わせた後、ルートが口を開いた。
「僕らはさ、異世界から来たんだ」
「! 聞いたことがあるぜ! 異世界旅行者だろ!? ほんとにいたんだ!?」
橙色の瞳を見開いて、興奮気味に返すトトに、ルートは、旅行者ではなく、転移者だと説明した。
「僕らは、ある日突然この世界に飛ばされて、帰り道も分からないんだ。洒落にならないでしょ?」
「……そ、それは……」
「君を治療したサムとその妻コーラもそうだよ」
「……そんな大変な境遇なのに、何で俺たちを保護してくれたんだ?」
「私がみんなにお願いしたんだ」
毅然としたアプリの声に、本当にこの子、中身4歳児なのか? とトトは疑惑の目でアプリを見つめた。
「お願いって……んな簡単に」
「へへっ! 僕はアプリが大好きだからね、アプリがしたいことは何だって協力するよ!」
「僕はアプリの魔法の先生なんだけど、可愛い弟子のお願いくらい聞いてあげたいからね」
「僕は、今回は何の役にも立たなかったけど、これから先、アプリを守れるように訓練中なんだ」
トトは愕然とした。絆、というものに関して、彼は自分たち魔力の子以上のものはないと思っていたが、それと同じくらいの気持ちを彼らに感じてしまったのだ。
この場にはいないが、サムとコーラもきっと同じように答えるのだろうと容易に想像も出来た。
「そっか……俺、俺たち、アンタたちに礼をしないとな……いや、必ずする。今はまだ何の力にもなれないけれど――」
その先を言う前に、ルートが人差し指でトトの口を塞いだ。
訝しげに見上げたトトにルートは口の端に笑みを湛えて、言葉を紡ぐ。
「お礼をと、考えるならさ、一日でも早く元気になって、笑顔をたくさん見せてよ。僕ら全員、それを望んで君たちを保護したんだ」
「あ……俺もそう出来たら、いいって思ってる……けど……」
言い淀んで、トトは口を引き結ぶ。
爆弾なのだと教えられた。
普通に生きられる術などないのだと思っていた。
それを信じて、とうの昔に絶望してしまった仲間がたくさんいる。
彼らの心を簡単に救えるとはトトは思えなかった。
でも、彼らなら、仲間たちの絶望も打ち消せるのではないか?
自分たちと同じ強い絆で、仲間を思いやれる人間が外の世界にもいる。
みんながこれを知ったら、それは、希望の光になるかもしれない。
トトの閉ざされていた世界は、今、少しずつ広がり始めたのだった。
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