優しくて、残酷な
「ふふ……お耳、もふもふ……」
朝方、ウィンリィは寝ぼけているのか、アプリの耳があるはずの位置に頬擦りをしていた。
「リィには見えてるし、触ることも出来てるんだねぇ……」
「そうですね……昔から認識阻害だけは、母の前では無意味でしたから」
ルートさんは、ウィンリィの髪をそっと撫でて、
「ふふ……幸せそう……良いなあ」
この「良いなあ」は、ウィンリィに向けられたものじゃないな、きっと。
「ふふ、子供たち、よく眠っていることだし、朝食はこの部屋に運んで食べましょうか」
「あ、僕とルートさんで取りに行くよ」
さり気なくコーラが身支度を整える時間を作り、男二人で一階の食堂へ足を運んだ。
「屋台飯もあるからさ、軽めにしとく?」
「ですね。特にアプリには、色んなものを食べさせてやりたいですし……」
アプリが育った獣人の村は、瘴気の問題で作物が育たず、食べ物は魔物肉ばかりだった。
小麦だけは、結界内で育てていたから、パンには困らなかったみたいだけど、せっかく他所の国に来ているのだ。
より多くの食べ物を経験させてやりたい。
食堂の店員さんに事情を話すと、人数分のトマトのシチューを注いでくれた鍋と、大きなライ麦のパン、それをカットする用のパン切りナイフを渡してくれた。
「ふわあああ〜! あ、サム、インター、ご飯取りに行ってくれたんだ……ありがと……」
部屋に戻ると、ウィンリィがベッドの上で伸びをしていた。
「おはよう。よく眠れたみたいだね?」
「ん。起きたらアプリのお耳が目の前にあって、幸せな目覚めだったよ」
ウィンリィは眠そうにしながらも、パンとナイフを受け取り、それをスライスしていく。
「あ、ウィンリィ、私もやりたい」
トイレに行っていたのかな? 洗面室から出てきたアプリが、とてててっとウィンリィの隣に並び、ライ麦パンを一つ手に取り……
ごそり、と袖口から小型のナイフを取り出した。
「あ、アプリ、それ……」
「ショコラさんが作ってくれたウルツ鋼製のナイフだよ。コーラがくれたの」
ああ! あの、子供用にって言って作ってもらってたやつか!
「ふふ……硬いパンもサクサク切れるよ……」
「ほんとだ! 凄い! さすがショコラ! さすがウルツ鋼!」
ええと……それは良いけど、取り出した場所が問題では……
すると、洗面室から今度は妻が出て来た。
「あら? あなた、難しい顔してどうしたのかしら?」
「コーラ……危なくない? あんなところにナイフ仕舞わせて……」
「ちゃんとウルツ鋼粉末コーティングの皮のナイフ入れを使っているわ」
「むむ……それでもさ……」
「あはは、サム、袖口で良かったじゃない? 子供が小型でもナイフなんか見えるところに持ってたら怪しいからさ」
「そうですけど……」
「ちなみに、私のはここにしまってあるわ」
コーラが指差したのは、隊服のスカートの下の太腿の辺り。
「う……そう。それあんまり他の人に言わないでね」
もし、魔力切れを起こしたら、アイテムボックスも開けなくなる。
だから、小型のナイフを携帯したい気持ちはよく分かる。
分かるのだが! 取り出す時のことを想像するとものすごくモヤモヤした。
「サム、シチューもよそったからさ、早く食べようよー」
ウィンリィの声に顔を上げると、全員テーブルについていて、僕も慌てて席についたのだった。
――――――――――
食べ終えて、僕らは外に出た。
昨日とは打って変わって、人混みで活気づく街並みに、良い匂いのする屋台が立ち並ぶ。
祭りの間、この大通りは馬車厳禁らしく、僕らは今、中央を歩き、両サイドの屋台を物色していた。
「うわあー、どれも美味しそうだね、アプリ!」
「うん、あ、あれ、なんだろう? 色んな色の……宝石みたいな食べ物……」
アプリが指差す方向を見ると、見たことのない雪を被ったようなパンが目に入る。
スライスされた断面は、赤や黄色のカラフルなドライフルーツがぎっしり詰まっていて、食べ応えがありそうだ。
人気なのだろうか? けっこう並んでいたので、とりあえず最後尾にみんなで並んだ。
「雪化粧してるみたいなパンねぇ」
「ほんとだ! これお砂糖かな?」
「雪……ってこんな感じなの? 綺麗だね……」
「シュトレン……」
「え? ルートさん、何て?」
「シュトレンだよ。僕の国にある寒い季節に食べるお菓子みたいに甘いパンさ。これ、よく似てるんだ」
第一国からの転移者がこの国に広めたのだろうか?
「美味しそうねぇ……私はスライスのを一つ頂こうかしら」
「僕も! 先ずは一切れのやつがいいな!」
「リィ、先のこと考えてるねぇ……えらいえらい」
「うん! だってさ、ここ、お腹が膨れそうな食べ物がたくさんありそうだからさ!」
確かに、ソーセージだろうか? あちこちから、スパイスと肉の焼ける香りや、ポテトを揚げたような香ばしい匂いも漂っている。
「アプリはどうする? 一本丸々買って、残りは宿で食べても大丈夫だよ?」
「ん。私も一切れのやつを食べたい……あそこの――」
アプリの目線の先には、向かいの通りにある焼きリンゴの屋台。
「あれも食べたいから……」
「はは、分かったよ、買ってくるね」
子供たちのお腹が膨れるまで食べ歩いた後、祭りの進行表を頼りに領主邸へ向かった。
「わあ……高い塀だあ……」
「10メートルはあるね」
「しかもこれ、中に結界が込められています」
「やろうと思えば、いつでも中の人間を閉じ込められる造りなのね」
「……」
アプリは、ただ黙って石造りの塀を見上げている。
結界付きの高くて頑丈な塀――「魔力の子」がいるのは明白だ。
塀伝いにしばらく歩くと、遠くに門が見えて、子供たちが出入りするのも見えた。
中に入るとすぐに、スノーローズやウィンターコスモスなどの冬の花が植えられたプランターが出迎えてくれたが、それよりも驚いたのが――
10メートルの塀に建てかけられるように設置された巨大なガラス。
それが、僕らが入ってきた正門の横からずらっと並んでいた。
中には、野菜と思われる葉物と、リンゴの木が壁伝いを這うように枝を伸ばしている。
「何これ! ガラスの秘密基地!?」
いや、ガラス張りで中が丸見えなのに、秘密も何も……
「ウィンリィ、これは多分、フルーツウォールだよ」
「フルーツウォール? インターも知ってる?」
「知識としてはね。実物は初めて見るよ」
「温室かしら?」
「そう。南向きの石壁に果樹の枝を這わせて、その壁にガラスを建てかけて、中の温度を保ってるんだ」
「石、はずっと暖かいから?」
「アプリ、その通りだよ。石って昼の熱をため込むんだ。だから夜になっても壁の近くは少し暖かい。寒い国ならではの知恵なんだよ」
この世界の文明レベルは、中世に近く、ガラスはけっこう高価な代物だ。
それを大量に使えるなんて、領主の財力だけでは説明がつかない。ウィンターンには水晶鉱山でもあるのだろうか。
フルーツウォールから、目線を正面に戻すと、コの字型の領主邸と、その中に鎮座する氷の迷路が見えた。
「わあ……! 綺麗だね」
「うん……」
迷路の壁には、魔法で掘ったのだろうか? 街中にあった氷の彫像と同じ、妖精の絵が何体も描かれている。
その美しさは、色気より食い気のウィンリィですら、見惚れてしまうくらいだった。
アプリも、頬を紅潮させて、目を輝かせている。
中から、子供たちの楽しそうな声も溢れていて、中身の細工も素晴らしいものなんじゃないかと期待してしまう。
まあ、大人は確か入れないんだけど。
「ここは子供専用の迷路です。大人の方は、外でお待ちくださいね。もし、30分以内に戻らなかったら、私が救出しに行きますので、ご安心ください」
ウィンリィと同じくらいだろうか――迷路の前にいたのは、アイスブルーのロングヘアの女の子。
彼女は、ウィンリィとアプリに名前を書くようにと紙を差し出す。
「ねぇ、これ、君が作ったの?」
「はい、そうです。大広間の氷のお城のようにはいかないのですが……」
「えー!? 氷で迷路作るなんて、充分凄いよ! それに、この絵! とっても上手で凄く綺麗!! ねえ、アプリ!」
「うん……凄いと思う」
「あ……そ、そんなこと、ないですけど……でも、」
興奮気味の二人に褒められて、照れた様子のその子は、迷路ではなく、その横の領主邸に目を遣った。
目線の先を追うと、僕が認識阻害をかけた妖精こと、アドが壁灯の上にちょこんと腰掛けているのが目に入る。
その時、僕に気付いたアドが、自分の真下を指で差した。
少女の視線の先と、アドの差した先が、交錯する。
「子供たちが……喜ぶことをやりたかったんです。だから、嬉しいな。これを見てあなたたちが興奮してくれて」
背筋に冷たいものが流れる。この寒い中、これは冷や汗だ。
「シュルンお嬢様、受付代わります」
お嬢様……領主の娘。
「え?……さっき代わったばかりよ?」
この子は知っているのか?
この国が――自分の親が、している残虐な行いを。
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